07-傷が治らない男と傷を治したい少女




「傷を治せると言ったか」


「ウム」


「そうか、めちゃめちゃ勉強したんだな?」


「ウム!」

 

 エレは顔をジィっと見つめた。

 なにやら少し期待を寄せたような目になったのにアレッタは気づく。


「じゃあさ、これ治せる?」


 白湯の入った洋杯を置き、長袖を捲って包帯を解いた。

 包帯の下から出てきたのは、大きな鉤爪によって引き裂かれたような痕だった。


「ウ、ァ」


 完全には塞がりきってはおらず、ここ最近で負った傷であることが伺える。


「無理ならいいんだけど」


 意地悪そうな顔をしているエレの言葉にこくと頷き、少女神官は錫杖を構え、神への祈りを捧げようと集中力を高めた。


「……スゥ……フゥ――」


《静なる者に動きヲ

 渇きを知る者に満ちヲ

 救済を求める者に生命の躍動ヲ

 慈悲深き恩寵ヲ――》


 たどたどしい様子で『奇跡』を嘆願する。

 ぽうっと優しい光が灯り、少女神官はその奇跡の名前を力強く叫び、ギュッと目を瞑った。


治癒ヒールッ!》


 損傷部に光が集まり、やがて粛々と消えて行った。

 ハァハァと額に汗を浮かべ、倦怠感に苛まれている少女神官。

 しかし、疲労感よりも込み上げてくる達成感で顔を上げた。


「こ、れデ……」


 成功かと思われたその治癒。

 けれど、光が失われたら無慈悲な現実を見せつけた。


「なんデ……ッ!?」


 ――癒せていない。

 驚く少女神官とは対照的に、エレは何もなかったかのように包帯を巻き治していく。


「……ァ」


 それをただ茫然と見つめていると、思考に薄暗い霞がかかった。


 ――このままだと、エレは、仲間に入れてくれない!



      ◇◇◇



(やっぱり、治らんか……まぁ、仕方ない。こればかりはこの神官が悪いとかじゃないしな)


 体の具合も一緒。いや、肩周りが動かしやすくなった気がする?……気の所為か。


「まっテ! ワタシ! 上位治癒も使えル! それならエレの傷モ……!」


「こんな傷は上位治癒で治すような傷じゃないだろ?」


「でも、でモ! 直せれるかもしれなイ! ちがウ? まだ……だって、試してすらいないノニ」


「俺の傷はどんな治癒魔法でも治せないよ」


 そうだ。コレがオレの体が他の只人たちと違う点。奇跡で傷が治らないのだ。

 昔に試したことがある。オレの生まれ故郷は秩序の神殿があるからな。そこにいる神官たちは優秀な者ばかりらしい。オレはそう思わないが。ソイツらの奇跡でも治らなかった。


(聖都にいる教皇とか、大司教はまだ試していないが。微妙なところだよなぁ)


 つまりはどういうことかというと、傷が着いたら消えない。

 脱いだら凄いんだぞ? 男も女も卒倒するだろう。神官は気を失ってぶっ倒れるかもしらん。

 これでしっかり痛いんだから敵わん。こういうのって古傷扱いになるんじゃないのか? 


「治せル!! ワタシすごく練習しタ! 絶対に治ス!」


 だから! と縋るように迫られ、思わず身動ぎをした。

 そしてその時に、胸元で目がピタリと留まった。


「……仲間にする」


「オ!」


「といっても、君は冒険者ですらないだろ」


「エ」


 錫杖を傾けて来たので、首を横に振る。

 それは神官だから持っているものであり、冒険者であるという照明にはならない。

 

「冒険者なら、ほら」


 すっかり外し忘れている認識票を服の内から出した。


「こういうの持ってるだろ?」


 認識票は蒼銀色に輝き、流麗な筆跡で『ディエス・エレ』と名前が刻まれていた。対する少女の胸元には、そういった物が見られない。


「傷も直せない。一時的に組むとしても冒険者でもない。残念ながら、君は俺のお仲間になる条件を満たしていない」


「……でも、仲間になりたイ」


「それは無理だ。今の所、君を連れて歩く利点がない。むしろ、年端のいかない少女を連れて回っていたら不利益に繋がることの方が多い」


 自分の立ち位置を理解したようで、うつむきながら口をすぼめる少女。オレはバツが悪そうに頭を掻いた。

 玄関から入ってくる寒風が二人を包む。


「わるいけど――」


「冒険者じゃないけド! 傷も治せなかったけド……。ワタシ、エレの役に立とうと思って頑張ってきたんダ! だから、絶対、エレの傷を治せれるようになル……カラ、お願い、シマス」


「……なんで、俺なの?」


「昔……エレに助けてもらっタ。ワタシ強くない。だけど、エレは傷ばっかりで痛そうだっタ。血も出てタ……だかラ」


 それで、エレの傷を治そうと頑張ってきた。

 そう、少女は言った。




      ◆◇◆




 沈黙が落ちた。


 少女は俯いて、親に怒られる子どものような表情で。

 錫杖を力強く握り、もう片方の手の花束は潰されて、玄関にヒラヒラと落ちる。

 それでも、オレの言葉を待っている。


「……」


 出ていけ。

 俺の傷を治せなかっただろう。

 冒険者でもない神官が、仲間になるなんて――


 そういった言葉が喉の奥でチラつく。

 その気になれば、すぐさま口から毒となって少女を侵すだろう。


 ――お前は役立たずだ! 魔王を何故、殺さなかった!!


 同時、勇者モスカから言われた言葉が頭に過った。


「……」


 無言のまま、今にも泣きだしそうな少女を見つめる。

 傷を治せない。

 冒険者でもない。

 助けたことをエレは覚えていない。


 だが、その根気強い姿勢は、エレは嫌いではなかった。

 取り付く島もないのは、可哀想か。


「あー……冒険者登録、今日でもいけっかなぁ……」


 とぼけたように言い、少女の肩に手を置いて、開きっぱなしだった扉を閉めた。

 その流れで、金盞花色が入った白雪のような頭をポンポン叩いて。


「ちょっと待っててね。そこで」


 そこにある白湯、飲んでいいから。

 そう言い残してオレは自身の寝室に戻っていった。



「――…………」



 ポツリと玄関で取り残された少女は、何の躊躇もせず洋杯を手に取り、その空間の空気を肺に入れ込むために大きく呼吸をした。


「スゥ、フゥ――ムッ」


 そして何かに気が付き、先程よりも大きな深呼吸をして、表情に明かりが差し込んだ。


「フゥ……スゥ……ハァ~! エレのニオイ……ダ!」


 今までの態度が嘘のような変わりようの少女は、建物の内装に目を向けた。

 男性の一軒家。その割には小奇麗に整えられている。

 木製の家具が白壁に映えて、清潔感が感じられる。


「エレみたいな家ダ……ヘヘ。エレ、エレ……そうダ。やっと会えたんダ。フフッ……」


 白湯をちびちびと飲みながら、少女は笑った。


「デ……え、っと、ウァ?」


 目に付いたのは、少女からしてみれば何を描いているのか分からない――創世記に戦っていたとされる神々を描いたもの――額縁に入った絵画。


「教会のと一緒ダ。エレ、教会のヒト……?」

 

 エレの出身について疑問を持つが、少女はすぐに白湯を飲み干した。そしてそのまま、履いていた深靴を脱いでエレの部屋に上がっていった。


 右手に寝室。奥に炊事場。その手前に机。簡素で、最低限の荷物しか置かれていない。寝室の窓の外にみえる木々は葉っぱを散らしているし、簡易的な田園は手入れをされていないのか荒れ放題となっている。


「フム」


 エレの寝室に忍び込み。布団に潜り込んだ。土や乾いた泥がついたまま寝台に上がったのだ。見るものが見れば発狂ものだ。それでも少女は布団を頭から被り、敷布に顔を擦り付けた。


「スゥ〜……ハァ……好きダ……このニオイ……スゥ」


 少女は取り込んだニオイに対して、ガバッと起き上がりながら親指を立てて高評価をした。

 

「いい匂いダ!!」


「てめぇ、何してやがる」


 扉の近くで壁にもたれているエレは、外行の恰好に身を包んでいた。


「うぁ」


「早くそこから出ろ。あと誰が上がっていいって言った?」


 少女はエレを指差した。記憶の都合が良すぎる。


「いいから、寝台から離れろ。玄関に行け。早く」


 名残惜しそうにエレの横を通りながら、少女はその格好を改めて見た。


「……かっこいイ!」


「はぁ? これが?」


 私服のエレは知性の感じられる青年のようだった。


 彼を印象付ける包帯の多くは襯衣の下に隠れ、首元に少し見えている。だが、それだけだ。なのに、少女は蜜柑色の瞳に星を映し出すように輝かせている。


「かっこいいのはかっこいいって言ウ!」


「そー。変だな。まぁ、いいや」

 

 玄関にかけていた鞄を肩から掛けて、少女を少し横にずらし、玄関に座って靴に足を通す。


「ほい、じゃあいくか」


「ウ?」


「の前に」


 ぽかんとしている少女の首元に、持ってきた襟巻きをかけた。


「鼻、真っ赤だぞ。風邪ひいたらどうすんだ」


 神官が風邪なんか引いたら笑いもんだ。そう言って、玄関を開けて身震いしながら外に出た。


「やっぱり寒い……」


 だが、後ろでポカンとしたままの少女に気づき。


「いかねーの? 仲間になりたいんだろ?」


「――!! なル! 仲間になル!」


「なら早く来い。貴重品なんかねぇが、戸締りは一応しておかないと」


 口から出たため息が白いモヤとなり、空気に溶けるように消えて行く。

 こんな中で少女が鳥の物まねをしている姿を想像して、笑ってしまいそうになるが……。


「…………」


 防寒具の一つもつけないことは笑っていい話ではない。

 襟巻きに手を当てて笑っている少女を見て、エレは歩き出した。


「そーいや、名前は?」


「アレッタ!」


「ほーん。良い名前だな」


「エレの名前ハ?」


「んー……ナイショだな」


 歩くエレの数歩後ろを置いていかれないように、アレッタは小走り気味についていった。

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