第7話 私の主様

 私が生まれたのは、亜人族の小さな村だった。

 村の周りは自然であふれていて、私たちは自給自足の生活を送っていた。

 狩りをしたり、作物を育てたり。

 村の人は、みんな家族のようなものだった。

 王都の人間が見たら卒倒するような生活だったけれど、私は友達と村や森を駆け回っているだけで楽しかった。

 なにより私は、この温かい村のことが大好きだったのだ。


 だから、私は知らなかった。

 この世界には、愛がないということを。

 

 だから、私は考えもしなかった。

 この日常が、突如として崩れ去るということを。





「――――」


 馬車で運ばれる檻の中、私はぼんやりと過ぎてゆく外の景色を眺める。

 ここに入れられたのは私だけ。

 後はみんな殺された。

 お父さんも、お母さんも、みんな、みんな殺された。

 突如として村を襲った黒いローブを着た集団。

 彼らは村に火を放ち、手当たりしだいに剣を胸へと突き立てた。

 そしてただ一人、私だけが

 剣は私に致命傷を与えることなく、ナニカによって阻まれたのだ。

 「加護」だとか、「魔王様」と言った言葉を口にしていたけど、今の私には考える余裕もなかった。

 だって、そうでしょう?

 心は壊れ、ただ息をするだけの肉塊と化した私に、思考する意味などないのだから。

 あるのは、底なしの絶望感だけ。

 目に映る景色は全て空虚で、私の穴だらけの心を素通りしていくようだった。

 唯一つ、そのアカの輝きを除いて――。


「……あっ」


 ズドン!


 アカが落ちる。

 それは突然の出来事だった。


「なっ!? お前なにも――ギャッ!?」

「クソッ! 死ね――ガッ!?」


 意識外の攻撃に、数人の男が抵抗もなく吹き飛ばされる。

 それを成したのは、全身に深紅のラインを走らせたとある少年だった。

 空からやって来たその少年は、私の村を襲った連中にたった一人で立ち向かった。

 複数の強化人間に囲まれ、剣をその身に受ける。

 それでも、彼は決して引かなかった。

 彼の流した血と混ざり合い、より深みを増すアカの輝き。

 それはまるで、この世界にあらがう強い怒りを体現したかのようで……。

 いっそ病的なほどの強い意志。

 そこには英雄談のような華やかさは欠片もない。

 むせ返るような血の匂いと飛び交う怒号。

 目の前に広がるのは、ただただ苛烈で残酷な現実。

 けれど――


「きれい……」


 私の網膜を焼くその鮮烈な光は、ひどく美しく見えた。



 それから少しして。


 ギギギギ。

 金属の軋む音。

 

「怪我はないか?」


 傷だらけの少年が、私の前に立っていた。

 少年は私の無事を確認して一言、


「すまない」


 と謝罪の言葉を口にした。

 私には、なぜ彼が謝っているのか理解できなかった。


「外にいた魔王教団と戦った時、奴らの剣に血がついているのを見た。俺は、君の大切なものを守ることができなかった……。本当にすまない」


 彼の表情からは感情を読み取りづらかったけど、本気で落ち込んでいるということだけはよく分かった。

 彼の推測は正しかった。

 でも、だからと言って彼を責める気にはなれなかった。

 黙り込む私に、彼は再度声をかける。


「今の俺には、奴らを倒す程度が限界だ。それ以外のことは、よく分からない。だから、君を師匠の元へ連れて行く。師匠なら、全て上手く取り計らってくれるはずだ」


 彼は私に手を差し伸べる。

 きっと、優しい人なのだろう。

 彼についていけば、安全な暮らしが待っているのかもしれない。

 でも、私は――


「もう……いいよ」


 彼を拒絶した。


「……どういうことだ?」


 彼が問いかける。


「もういいの。どうでもいい。この世界に、私の居場所は、もう無い。私に、生きる意味は無いの。それに、どこにいたってきっと、また私の居場所は奪われる。気づいたの。この世界は冷たくて、希望なんて無いんだって……。だからもう、いいの」


 家族を、みんなを、村を、失ったあの時。

 私は既に、死んでしまっていたのだ。


「……」


 沈黙が場を支配する。

 やはり、彼の表情は何を考えているのか分かりづらい。

 そして、今さらながら感謝の言葉を伝えていなかったことに気が付いた。

 私はとっさに口を開こうとして――


「――なら、俺が君の居場所になろう」


 それと同時に、彼が檻の中に足を踏み入れた。


「えっ――?」


 私の口からまぬけな声が出る。

 彼は迷いのない足取りで私の元まで歩み寄り、片膝をついて目線を合わせる。

 そして、私の瞳をじっと見つめてこう言った。


「君が居場所を、決して崩れぬ帰る場所を求めるのなら、俺がそうなろう。君が絶望したというこの愛なき世界を、俺は必ず変えてみせよう。俺の望みは魔王の討伐だ。俺は今よりももっと強くなる。そして俺は、純愛で世界を救う。だから、俺と一緒に来い」


「……」


 彼の言った言葉は、全て無茶苦茶だった。

 魔族ですらない人間と戦うのが精いっぱいだった彼が、魔王を倒すと言っている。

 根拠なんて一つもない。

 ただの気休め――のはずなのに。

 彼の言葉が、その瞳が私の心に熱を灯した。


「居場所に、なってくれるんですか?」


「ああ」


 彼は短く、されど力強く言葉を返す。


「本当に、いなくなりませんか?」


「当然だ」


 彼の言葉の一つ一つが、私の心を叩き直す。


 おかしい。

 変だ。

 こんなこと、あるはずないのに。

 私の心は、死んでしまったはずなのに。

 どうしてか、胸が、焼けるように熱い。

 私は、震える口で言葉を紡ぐ。


「ずっと……、い゛っしょに……、いて、くれますか?」


 枯れたはずの涙が、視界をぼかす。


「任せろ」


 その言葉を聞いて、私は――


「っ、くぅ、う゛、う゛ぇーーーーん!」


 赤子のように泣き声をあげたのだった。


 これは、とある少女とまだまだ未熟な純愛厨との運命的な出会いの話。

 本来、魔王軍に捕らわれ、幹部として主人公の前に立ちふさがるはずだった少女の、救いの物語だ。





「ライト! お帰り♡」


「ただいま、ノア」


 とある日の夕方。

 私は玄関でいつものようにライトを迎える。

 学園が終わり次第直帰しているのは、こうしてライトを迎えて私の正妻力を高めるためだ。

 同時に、日々の正妻ムーブによってライトが私のことを自然に妻だと認識するようになるという効果も期待できる。


「ねぇ、ライト♡ ご飯にする? お風呂にする? それとも……、わ・た――」


「ご飯だ」


 即答。

 最後まで言わせてもくれないのは流石に少し悲しい。


「せっかくノアがつくってくれたのに、冷めてしまってはもったいないからな」


 きゅんっ♡

 私の好感度が上がった。

 上限は当の昔に無限大へと達している。


「もうっ♡ ライトったら~♡ そんなライトのために、今日の晩御飯は師匠直伝のKATUDONだよ」


「っ!? 本当か!! 実は今朝から食べたいと思っていたんだ」


 ライトがとても喜んでくれている。

 それだけで、今日も生きている意味がある。


「知ってたよ。そんな顔してたもん」


「……本当か? 俺はあまり表情に出ない人間だと思っていたのだが、そんなに分かりやすかったか?」


「うん。とっても♡」


 そんな会話をした後に、私たちはご飯の並んだ席に着く。

 今日もまた、ライトのいる今を生きる。

 優しくて、真面目で、強くて、ちょっとおバカ。

 そんな、全てが愛おしい彼こそが、私が生涯の忠誠を誓う、私の主様だ。

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