五 決戦、テタルトス

 ガダダダダダッ キュッ


 暗い廊下を走っていたが、渡り廊下を見つけたので急ブレーキで止まる。

 靴と床の摩擦音がよく響き、少し上機嫌となる。

 時刻は少し遡り、悠と周香が曲がり角でお互いの間合いに入って息を潜めている頃。

 金色に輝くガサツなポニーテールを揺らし、下谷世和は校舎内をさまよっていた。

 今いる場所は三階の渡り廊下前。

 だが、渡り廊下は三か所あり、息を潜めている悠と護符を持っている周香がいるのは真ん中の廊下。

 世和がいるのは東側だから会うことはない。

「これで本館に戻れるかな。」

 不安げな声を出しながら足を踏み出す。

 彼女は別館に行ったきり悠たちがいる本館に戻れないのだ。

 別館は調べつくし、何もいなかったことが分かっているので本館に戻りたいのだが、渡り廊下を通ろうが階段を下りようが、ここ別館の三階から出られない。

 建物に入ったころは自分の感覚がおかしくなったのかと思ったがもう十分くらいたっている。

 さすがに敵の能力だろうと思って外に出るか、能力者を倒すかの二択のどちらかを慣行しようとしたがどちらも叶わない。

 今はただ、別館の三階をぐるぐるしているだけである。

 そしてようやく見つけた渡り廊下。

 常に同じところに渡り廊下がなく、建物の構造を簡単に変えれるのが敵の能力の特徴らしい。

 その被害者は言うまでもなく彼女一人ではない。

 さて、そうこうしているうちに廊下を歩ききって、本館に着く。

 しかし、しばらく歩くと五分前に描いた目印が目に入る。

「また別館じゃん。もうどうなってんのよ、この建物は!」

 怒りが最高潮に来たのか世和は壁を殴りながら喚く。

 物に当たるのは良くないことだが、心情は皆わかるだろう。

 どうしたらいいか分からないがこの困難からは抜け出せない。

 これなら難しい問題をテストで出された方がましだ。

 なぜならテストは嫌でも時間が来たら終わる。

 しかしこれはゴールの見えない迷宮。

 世和はどうしたらいいか分からない感情をただ壁にぶつけるしかできなかった。


 ゴンッ  ゴンッ


 もう何度繰り返したか分からず、手の感覚もマヒしてきた。

 ふと目をその手に移すと、青く滲んできていて可哀想なことになっている。

 きっと殴りすぎて内出血したのだろう。

 あまり激しくすると今度は皮膚が破れ出血してしまう。

 悔しい表情を噛み殺すように世和は青くなった手を撫でた。

「でも、どうしよう。」

 呟いてもどうしようもないが、口から弱音が出てくる。

 壁か床がすり抜けられるようになりたい。

 そんな夢みたいなことを思いながら壁を見つめる。

 すると、彼女は不思議なものを見つけた。

「あれ、こんなとこに亀裂が。こんなの前からあったっけ?」

 亀裂自体ならどこにでもあるが、彼女の記憶が正しければ殴る前にここにはなかった。

 それなのに何故。

 答えは簡単、世和が殴ったから。

「でもそんな簡単に壊れないでしょ、学校って。」

 いくら古いとは言え、避難場所になるような場所だ。

 そう簡単に壊れられても困る。

 など考えていると、ひらめきが天から舞い降りた。

「もしかして、もしかしてじゃない!」

 嬉しそうに一歩下がり、豪快な回し蹴りを壁に当てる。

 かなりの衝撃が足に来たがそれは壁も同じだ。

 メキメキと亀裂が入ったかと思うと、大きな音を立てて崩れた。

 すると非常口のライトがぼやぁと見えてくる。

 そして念願の別ルート、階段もそこにあった。

「やっぱりね。この壁は正規品の壁じゃなくて、簡易的に作られた壁。だったらあたし自慢の回し蹴りで粉々よ。」

 飛び切りの笑顔を誰もいないが見せつける。

 何か分からないものに勝ったときは、皆こうなるのかもしれない。

「やったね。あとはテタタトス倒すだけだ。」

 鼻歌を歌いながら彼女は階段を登ろうとする。

 相手のボスの名前をきちんと言えてないが、ここまで来るとどうでもいいことだ。

 タルトぐらい言えて欲しいが。

「お前か、わしの能力破った奴は。」

 急に後ろから怒鳴り声がする。

 怒り方が空き地で野球している近所の子どもに窓ガラスを割られたおじさんみたいになっているが、被害はこちらの方がマシだ。

 いくらでも能力で直るから。

「ちょっと何。あたしこれでも急いでいるんだけど。」

 世和も振り向きながら小言を言う。

 折角調子が出て来たのに止められたら不満くらい言いたくなるだろう。

 しかし、相手の姿を見て思わず吹き出す。

 はげた頭に毛が一本、ぐるぐる眼鏡に白衣と研究者みたいな格好だ。

「うっそだ~。今時そんなカッコしてる人いないって。あたしが今まで見た孤独者の中で一番面白いんだけど。」

「なにを~。わしを馬鹿にするな。わしはお前たちがテタルトス様の所に行けないように校舎内を異空間にしたんだぞ。それをお前は簡単に空間の壁を壊しよって。雑魚キャラみたいになったではないか。」

「実際そうじゃない。そんなしゃべり方しているし。この後あたしにぼこぼこにたら、絶対雑魚キャラ決定じゃん。」

 先ほどまでとは打って替わって真顔で話す世和。

 そうとしか考えられないオーラもバンバン出す。

 自分は体術が得意だと言う自信を除いても、相手は中肉中背のおじさん。

 しかも能力は戦いに関係ないと分かっている。

 世和から言わせればこのおじさんは出て来た時点で負けている。

 だから雑魚キャラと信じ切っている。

 それが白衣の男には癪に障った。

 怒りをぶつけるため走りながら彼女に殴りかかる。

「くらえ、わしの渾身の一撃。」

「完全に雑魚だね。」

 パシッと拳を受け止め、湧き出る自信を押さえられずに早口で語る。

「やっぱ雑魚だったじゃん。でもあたし手加減できるほど大人でもなくて時間もないんだよね。まっ、歯食いしばって耐えるんだね。」

 握りしめた拳を顔面に叩き付ける。

 盛大に相手を吹っ飛ばし、よっしゃと声が出る。

 白衣の男は木製のドアと突き破り、教室内で倒れこむ。

 いや、完全に伸びきっていて、起き上がる気配がない。

「やばっ、やり過ぎた!? まっ、そのうち起きるでしょ。」

 内心反省しつつも、元の姿を取り戻した学校を走り出す。

 階段を駆け上り、最上階の五階を目指す。

 そこにテタルトスがいるとは誰からも聞いてないが、世和は直感でいると信じている。

 息を少し荒げながらも着いた五階には、校舎内で唯一明かりがついている部屋があった。

 視聴覚室と書かれた札が掛かってあり、中からは機械が動いている音がする。

 そして時々笑い声も聞こえ、明らかに人がいる気配がある。。

「見つけた。」

 世和は速くなる鼓動と呼吸を感じながら、ゆっくり扉に近づきドアノブに手を掛ける。

 その手は緊張しているからか、震えていた。

 緊張なんてガラじゃないんだけど。

 心の中では笑いながら、震えている手に力を入れる。


 ガラガラガラ


 大きな音とともに扉は勢いよく開かれた。

 急に視界が明るくなり目が痛い。

 思わず視線をずらし光を見ないようにするが、それでもこの明るさになれるには時間がかかりそうだ。

「しょうがないわね。いったん引くしか…。」

 そう呟きながら彼女は扉の影に入るように足を動かす。

 ゆっくりな動きだが、チャイナドレスの裾がたなびく。

 ふわりと一波打ったとき、裾は切り裂かれた。

「なにごと!?」

 驚く世和は身を守るため扉から離れる。

 一瞬の出来事だったので何が起きたか分からない。

 だが、ドアの向かい側の壁に刺さっているものを見て、ドレスを切ったものは把握した。

 刃渡りこそ普通のサイズだが鋭く研がれたナイフが三本。

 そのうち一本には切れた布が絡まっている。

「まったく、この服高いんだからね。弁償してもらわないと。」

 オーダーメイド品の戦闘服のかわいそうな姿を見て涙声になる。

 実際は支給されているのもなので、世和は一円たりとも払っていないのだが、それはそれ、これはこれである。

 しっかり弁償させる気だ。

「それは失礼。だが安心したまえ、弁償する機会はないだろう。なぜなら君は吾輩によって葬り去られるのだから。」

 部屋から不気味な笑い声が聞こえる。

 まるで死神が死の世界へ誘うような怖く恐ろしく、どこか蠱惑な声。

「ただ、そこにいても話もしにくいだろう。入ってくるがいい。先ほどのような襲撃も、しないと誓おう。」

 その声は世和に部屋に入るよう指示してきた。

 他に打つ手のない世和は指示に従うしかない。

 そっとドアから顔を出し中の様子を見る。

 先ほどまでとは違い、強烈な明るさはない。

 薄汚れた部屋に古くなった机と椅子が並んでいる。

 天井には今にも落ちてきそうなプロジェクターがぶら下がっている。

 そんな部屋を見渡していたら、目が痛くなるくらいの光を発するものも見つけた。

 小型のサーチライトが扉の正面に置いてあり、これが世和の目に攻撃したのだ。

 今考えると単純な攻撃だが、実際受けるとかなり手ごわい。

 その他、ドレスを破ったナイフは見当たらず、入り口には仕掛けもないようなのでようやく彼女は部屋に入ることができた。

 少しカビたような匂いが鼻を突いたがそれ以外はいたって普通の部屋だ。

 きっと誰かにとっては懐かしい学び舎の一部屋なのだろう。

 しかし、今この部屋は懐かしい思い出に浸るような空間ではない。

 世界を孤独者だけにしようと企む悪党の巣窟。

 そしてそのリーダーがいるのがこの視聴覚室。

 不気味な笑い声が世和に近づいてくる。

「ようこそ、粛清会の若き者よ。吾輩が君たちが捜していた人物、テタルトスである。お見知りおきは結構。すぐに死ぬのに吾輩の名前など、覚える必要もあるまい。」

 黒い影が挨拶をしてくる。

 人型のシルエットを持つ影は細身だが背が高く、二メートルくらいはあるだろう。

 話し方こそ慣れてきたが、脅されるのはいつでも背筋が凍る。

 それでも世和は気持ちで負けないように、堂々と胸を張って挨拶を返す。

「ご丁寧にどうも。あたしは下谷世和。あなたが言うように今年部隊に入ったばかりのひよこだわ。でも、この名は忘れなくしてあげる。だって、あなたはあたしに捕まえられて施設に送られるんだから。」

「なかなか威勢がいい子だ。下谷世和。よかろう、覚えておこう。吾輩に歯向かい哀れにも命を落としたことな。」

「そんな上からだと足すくわれるわよ、あたしみたいなひよっこにね。」

 勝ち誇った笑顔を世和は繰り出す。

 よく見ると足が震えているのだが、彼女の堂々たる動きがその存在すら消している。

 テタルトスも思わず声が口からこぼれてしまうほどだった。

「素晴らしい。威勢のよさだけはここの孤独者に勝っている。よかろう。ならば吾輩も本気を出して戦わなければならないな。」

 高らかに笑いながらその場でターンをする。

 切れのあるその動作は彼を覆っていた黒い影を飛ばし、その格好をあらわにする。

 シルクハットに燕尾服、手にはステッキを持っているが一番目に留まるのは仮面だろう。

 目元だけで口を隠さないタイプだが、芸術品のように美しい。

 そして何より左目側に彫られた模様は彼を表すⅣの数字。

 ローマ数字で作られたその彫刻は金色に輝いている。

「長らく人前に出さなかったこの姿、どう見える。美しいか、勇ましいか、それとも恐ろしいか。だが、感想は様々であって構わない。なぜなら吾輩は奇術師なのだから。」

「へえ! 奇術師なんだ。で、奇術師って何ができんの?」

「そのようなことも知らぬとは恥ずかしい。だが、冥途の土産に教えてやろう。奇術師とはマジシャンのこと。つまり吾輩はこのようなことができるのだ。」

 首を傾げた世和にテタルトスは答えると、右手に持っていたステッキを一回転させる。

 奇麗な弧が描かれた空間から、ナイフが現れ飛んでくる。

 慌てて彼女は避けるがまたもやドレスが破れた。

「ちょっと、なにすんのよ。あたしの服あんたのせいでびりびりに破れるじゃない。」

「おっと、戦いにおいて服がだめになるのは当然のこと。それを怒られては吾輩はどう動けばいいのやら。」

「なら何もしなかったらいいじゃないの。大人しく捕まってくれればあたしは嬉しんだけどね。」

 世和は舌を出し挑発する。

 だが、テタルトスは手を顎に当て、何かを考え始める。

 時間にしてわずか2、3秒のことだ。

 しかし、それ以上の時間を使って行うことを彼の頭は簡単に成し遂げた。

 今回は無茶な要求を出す世和をどう相手にするかの答えだが、見事見つかったようだ。

「ふう、かなり考えたものだ。客のリクエストに応えるのが奇術師だが今回はかなり難しかった。」

「えっ? なに? 大人しく捕まってくれるの!?」

 世和が嬉しそうに話すが、すぐに一蹴されてしまう。

「まさか。吾輩はこんなところで捕まるわけにはいかない。野望を成し遂げなければならないからな。だからこの万人に一人と言われる賢い頭脳を使って考えたのだ。吾輩が捕まる以外の選択肢で、君が大人しくなる方法を。」

「へえ。なんなら聞いてあげるわよ。」

「ふっ。これは自信があるのでな、教えてやろう。君を亡き者にするのは確定事項だったからな。これで静かにはなる。だが、文句を言われなく行うにはこれが一番いいだろう。」

「もったいぶらないで教えてよ。」

「吾が人形を使って取り押さえる。それから君のことを自由に料理させてもらうさ。」

 仮面に隠れた顔がにやりと笑う。

 その恐ろしさに包まれた笑顔を見て世和は身震いする。

「へっ、へえ。でもあたしだってそう簡単には捕まらないわよ。そもそも人形って、そんなのでできると思っているの。」

「人形と言っても人間大のマリオネットである。これで人を殺したこともあるからな。甘く見ないで欲しい。」

 互いに互いが言っていることに疑問を持つ世和とテタルトス。

 よほど自分に自信があり、そして相手が言っていることが信じられないのだろう。

 だが、それは当然のことであり、自然なことである。

 起きてないことを信じる方が難しいのだから。

「まっ、捕まえてみなさいよ。あたしがその仮面と一緒に自信を粉々にしてやるんだから。」

「よかろう。もう謝っても遅いからな。」

 今まで以上に勢いよく言い放つ世和の言葉をテタルトスは静かに迎え撃つ。

 強風を受けても折れない柳のように。


 パチン


 テタルトスが左手を顔の高さまで上げ、指パッチンをする。

 その音が部屋に響き渡ると、掃除道具を入れるロッカーがガタガタと揺れ始めた。

 揺れが収まったかと思うとロッカーの扉が開き、中から小学生くらいの大きさのマリオネットが出てくる。

 最初のうちは立つのもままならない感じだったが、だんだん動きが人間のように、いや人間ではできない怪しい動きをし始める。

「キモッ!」

 思わず本音が漏れる世和だが、仮面の彼はこれを狙っていたようだ。

「驚いたか。このマリオネットは自分の意思で動く。まさに奇術者しか成し得ない芸だろう。さて、それでは始めようではないか。」

 再び指を鳴らすと人形は世和に迫り始めた。。

「マジか。」

 消え入りそうな声が口から出る。

 表情も強張り、内心どうしようかと慌てた。

 しかし、体は違った。

 日々の訓練か、それとも反射的に動いたのかは分からない。

 握りしめた拳で思いっきりマリオネットの胴を殴っていた。

 鈍い音がしたかと思うと、手に強烈な振動が伝わる。

 肘の辺りがピリピリし、動きが止まる。

 その一瞬の隙を相手はついてきた。

 奇妙に動く腕を世和の頭めがけて振り下ろす。

 彼女も攻撃を避けようと横に飛ぶがこの至近距離だ、かわしきれない。

 折角結んであった髪が解け、リボンが空中を舞う。

 まだ痺れる腕をかばいつつ、テタルトスと人形を睨む。

「どうなってんのよ、その人形。殴っても壊れないじゃない。」

「そんな当然のことを言われても困る。これは奇術師が使うマリオネット。そうやすやすと壊れるものを使うなど三流のすることだ。もっとも、木製なので今の衝撃でヒビは入っているかもしれないが。」

「へぇ、ヒビがねえ。」

 高笑いするテタルトスに向かって世和も意味ありげにほほ笑む。

 まるでこの戦いに勝ったかのように。

「なかなか自信のある顔だが。どこからその余裕が生まれる。君は歯が立たない状態のはずだが?」

 困惑、と言うよりは純粋に疑問を持った仮面の男が話しかける。

 彼女はどうでもよさそうに返す。。

「壊れかけの人形が相手でしょ。それならあたしが勝ったも同然ね。」

「何!? まさかまた攻撃が当たるとでも思っているのか。この予測不可能な動きの前で同じことが言えるかな。」

 指を鳴らしテタルトスはマリオネットに指示を与える。

 グネグネと奇怪な動きは先ほどよりも激しい。

 そんなものが近づいてくるのだから、声の一つぐらい出そうなものだが世和は余裕の表情を浮かべている。

「笑っていられるもの今のうちだ。」

 仮面の男の声が響く。

 マリオネットはその間も彼女に近づく。

 それに反応するように、世和もマリオネットに迫る。

 二歩、三歩と来たところで飛びかかり、そのまま回し蹴りを決める。

「何!?」

 再び攻撃が当たったことにテタルトスは驚く。

 だがそれ以上に驚いたことは人形が壊れたことだ。

 胴が二つに割れ、腕や頭だったパーツが散らばる。

 ここまで大破してしまったらもう操ることもできない。

「見事な蹴りだ。よく当てられたものだ。」

 もはやテタルトスは敵を称賛するしかなかった。

 拍手をしながら賛辞を述べる。

 しかし世和は首を傾けながら呟く。

「えっ!? あんたあれがすごいと思うの。へんてこりんな動きしてたけど、それは手と足と顔じゃん。体は一直線に迫ってくるだけだから、普通に攻撃したら当たるけど。」

「そっ、そうであったか。それは盲点だった。」

 仮面を手で押さえ天井を仰ぐテタルトス。

 オーバーな反応のようにも見えたが、本当に気付かなかったようだ。

 だとすると今まで彼と戦った相手はどうしていたのかと気になる。

「ならば仕方ない。少し痛手ではあるが総力戦にするしかあるまい。出て来たまえ。」

 不気味な笑い声とともに指をならし、仮面の男はマリオネットを呼ぶ。

 再びロッカーが揺れ始め、先ほどと同じくらいの大きさの人形が出てくる。

 総力戦と言っていたが、これでは何も変わらない。

 この後、胴体部分に強烈な蹴りを入れれば壊れるだけだ。

 しかし、それができない。

「マジ!?」

 出てきた人形たちを見て世和は叫ぶ。

 そう、ロッカーから出てきた人形は三体。

 それぞれが不規則な動きを始め、飛ぶように歩き始める。

 関節部分は巧妙に作られていないのか、先ほどの物とは違い嫌な音をたてる。

 それが笑い声のように聞こえ、独りで動くマリオネットの恐ろしさを倍増させる。

「さあ、いかがかな。吾輩のマリオネット隊を総動員した感想は。五体いるうちの一体を先ほど壊され、昼間に一体壊されているのでな。今は三体しかいないが十二分な働きぶりだろう。」

 テタルトスも高らかに笑いながら、それぞれの人形に指示を出す。

 世和は動きの少ない胴体部分に狙いをつけるが、今回は先ほどの三倍の量だ。

 人形自体が不規則に動くのに加え、見事なコンビネーションを繰り出すマリオネット隊に翻弄される。

 狙いを付けたくても互いが互いの人形の胴を隠すように近づくので、的を一つに絞ることができない。

 気が付くともう目の前に迫ってきている。

「くっ、そこだぁ!!」

 勢いに任せて一体のマリネットに殴りかかる。

 しかし、ぎいぃと音をたてながら避けられ、拳は宙を切る。

「チッ。」

 大きな舌打ちをしながら、目で避けたマリオネットを追う。

 それ自身は見えない糸に引っ張られてように彼女から離れるが、別のマリオネットが太い腕を振り下ろす。

 慌てて両腕でガードをし、顔へのダメージを避けるがかなりの衝撃だ。

 先ほどとは比にならない痺れが彼女を襲う。

「いったぁ~。」

 歯を食いしばるが痛みはだんだん広がる。

 思わず腕を抑えて、屈んでしまう。

 その隙を突かれた。

 最後の一体が世和の後ろから飛びかかり、彼女を下敷きにしてのしかかる。

 その動きに合わせて他の二体も彼女の上に座る。

 合計三体のマリオネットの下敷きとなった世和は、動くことも攻撃する事もできない。

 ただ、倒れた状態でわめくしかできなかった。

「ちょっと、あんた。これどかしなさいよ。さっきから物に頼ってばっかりで、自分では何もしてないじゃない。正々堂々と勝負しなさいよ。」

「この状況で言われても、吾輩には負け犬の遠吠えにしか聞こえないな。だが、良かろう。もともと君を捕まえた後は自分で手を下すつもりであった。最後は新しく習得した奇術で飾らせてもらおう。」

 テタルトスが手元の箱から剣を取り出す。

 刃渡りが箱より長いが、これも奇術の一つだろう。

 だが、これから殺されるかもしれない世和にとっては、不可解な現象よりも光が当たり、妖しく光る武器のことしか頭に入らない。

「そこまで恐怖に取りつかれた顔をしないで欲しい。これから一つ見て欲しいパフォーマンスがあるのでな。」

「…、なによ。」

 正に悪役らしく笑うテタルトスに世和は言葉数少なく答える。

 しかし、彼はそんなことを気にせず、鼻歌を歌いながら箱からリンゴを取り出す。

 どうやら新技に意識を奪われ、取り押さえた少女のことなど眼中に入ってないようだ。

「レディースアンドジェントルメン。素敵な処刑時間の始まりだ。先ずは、この剣を見ていただきたい。この剣は好き嫌いがはっきりしていてな。好きなものには歯を通しても、決して切れることはない。」

 テタルトスはにやりと笑いながら、自分の首をその剣で切った。

 風を切る音がし、勢いよく血が出る。

 誰もがそうなるかと思ったが、彼は何もなかったように立っている。

 何が起こったか分からなかった。

 後に感想を述べるならこうだろう。

 世和はそうとしか言いようがないこの空気に支配されていた。

 それを悟ったかのようにテタルトスは何回も首に刃を通すが、切れるどころか彼自身が元気になるように見える。

「さてさて、それでは嫌いなものがどうなるかお見せしよう。」

 手に持っていたリンゴを彼は空中に投げる。

 それを剣で二等分、四等分と綺麗に切り分ける。

 最後には耳が皮でできたウサギとなって手に戻ってきた。

「さあさあ、如何かな、この見事な腕前。一瞬にしてウサギを造れてしまう。自分で見ていても惚れ惚れしてしまう。」

 なぜか急に自分自身に酔い始めたテタルトスだが、その腕前は本物だ。

 そして、先ほどは何も切らなかった剣は、リンゴをみごと芸術作品に変えてしまった。

 その切れ味は抜群としか言いようがない。

 この何も切れない、切れ味の良い剣を彼は世和の処刑道具として使うようだ。

「おっと失礼、吾輩としたことが自分に陶酔するとは。だが、この剣のことはよく分かっていただけただろう。そしてこれからの君の未来も。」

 コツコツと靴音をたてながら世和に近づく。

 君の未来。

 この言葉を聞いて世和は死ぬんだと思った。

 ただ、あまりにも現実味がない感想だなとも思った。

 もしかしたら、自分もあの剣では切られないと期待しているのかもしれない。

 それとも、もっと別の何かを…。

「ハッハッハッ。どうやら死なないと思っているようだな。たしかにこの剣は好きな者は切らない。もしこの短時間で君が好かれているのなら、そのような可能性もあるだろう。さあ、では実際にどうなるかやってみようではないか。」

 高らかと剣を振り上げる。

 だが、抑えられている世和は見上げることができない。

 ただ、気配で感じている『それ』が自分に襲い掛かる。

 漠然としたイメージしか持てなかった。

 だからこそ、喚くことも抵抗することもしなかったのかもしれない。

「最後の挨拶になるかもしれないからな、さらばだ。」

 テタルトスが笑いながら腕を振り下ろす。

 世和はただ目を閉じ、その時を待つ。

 悔いはない。

 この仕事に就いた時から、いや、就こうと思った時から覚悟はしていた。

 強いて言うなら来るのがあまりにも早すぎることくらいか。

 さよなら。

 そっと心の中で呟く。

「さよならは死んだ人に対して言う挨拶なんだけどなぁ。」

 ふと聞いたことある声が頭に入ってくる。

「ほう。まさか君がこのタイミングで来るとは。予定通りに上手くはいかないものだ。」

 テタルトスも『彼』を見つけたようだ。

 目を開けなくても誰かは分かる。

 だが、目を開けてちゃんと確認したい。

 体中に鎖を巻き付け、マントを羽織ったその男を。

「久し振りだねぇ。見ない間に腹ばい人生を送ることにしたのか?」

 目を開けて、出会った彼と目が合う。

「バッカじゃない。助けに来たのなら素直にそう言いなさいよ、伊豆守悠。」

 右手から伸びる鎖はどうやらテタルトスの持つ剣に巻き付いているようだ。

 攻撃を止めたらしい。

 それで世和は無事なのだろう。

 しかし、これも世和は見えてない所で起きているので、あくまで推測での話。

 それでも、悠が助けに来たことは間違いないだろう。

「いやぁ、助けに来たわけではないんだけどなぁ。」

「えっ? マジ?」

 悠の返事に拍子抜けする世和。

 そんな様子を見ていたテタルトスが笑い出す。

「いやいや、これは面白いものが見れた。いきなり懸賞金付きの孤独者が表れて粛清会の者を助けたと思ったら違ったか。流石に敵対する者のことなど眼中にもないと言ったところか。だが、そうなるとなぜ助けたのか気になるが。話していただけるかな。」

「僕はこの世界を孤独者だけにするってばかげたこと考えているやつをぶっ飛ばしに来ただけだからねぇ。そしたら、知った顔が襲われてたから間に入ったところかなぁ。まぁ、助けに来たわけじゃないけど、偶然助けることになったが今の状況かな。」

 悠はのんきな口調とは裏腹に、強引に鎖を引っ張って剣を取り上げる。

 刃がどうなっているか気になり指で触ってみるが、スパッと切れた。

「と言うわけで世和、もうちょっとそこで待って欲しいなぁ。彼を片づけたらすぐ助けるから。」

「…。またあんたの世話になるとはね。でも助けんだったら早くしなさいよ。てか、今すぐ助けて欲しんですけど。」

「まぁまぁ、美味しいところ譲ってよ。」

 マリオネットの下敷きになっている世和に手を振って、悠はテタルトスと対峙する。

 向かい合う彼もやる気は十分なようで、悠を見下すように立っている。

「さて、これは返すよ。僕はこんなもの使わないし、武器がなかったから負けたと言われても癪だからねぇ。」

 マントに引っ掛からぬよう気を付けながら悠は剣を投げた。

 テタルトスは難なくキャッチする。

「どうやら、吾輩を完膚なきまで叩きのめそうと感じるのだが。」

「あら、ばれたか。」

 仮面の男の質問にマントの彼はあっさり答える。

「まぁ、色々あるけど、一番は昼間のことかな。仲間をあっさり殺してしまうような人を野放しできないからねぇ。」

「昼間の…? ああ、一人称が俺っちと言う彼のことか。吾輩が必要としているのは吾輩に従順な者だけ。あのようにすぐ誰かになびくような者など必要ない。」

「んっ? 孤独者だけの世界を作るんじゃなかった? そのために従順な人だけ必要と言うのは引っかかるなぁ。」

「ふっ、せっかくの機会だ。吾輩の計画の全貌を教えてやろう。」

 剣を一振りし、テタルトスは話始める。

「吾輩が孤独者しか存在しない世界を造ろうとしている、これは事実だ。しかし、本当の目的は別のところにある。世の中が孤独者だけになった時、吾輩は全ての者を導く者、神になる。これが目的だ。」

「はぁ? 何考えてんのよ、あんた。」

 世和は驚き、言葉を発するが悠は黙ったまま聞いている。

「これは吾輩が孤独病患者と呼ばれるようになり、そして世界が孤独病患者を排他する流れの中で考えたことだ。吾輩は病気が見つかる前から孤独だった。そして見つかってからはより孤独になった。そう、これはすべて健常者のせい。ならば彼らを排除するしかないではないか。しかしそれでは吾輩は孤独のまま。君ならどうする、伊豆守悠。」

 テタルトスは悠に向かって指をさす。

 悠は仕方なさそうに口を開く。

「僕は誰かがいなくなった世界なんて考えたことないからねぇ。ただ、どうするかと言われたらこう答えるかな。今と同じく居場所を探す旅をする、と。」

「ハッ。しょせん伊豆守悠といえどもその程度か。吾輩ならこうだ。人々の注目を集め、支持を得、そして我が思うがままに世界を掌握する。つまり神になるしかないと。」

「バッカじゃない。そんなことしても神になんてなれないわよ。」

「君の意見など聞いていない、下谷世和。」

 未だに人形の下敷きになっている世和に対し、仮面越しに睨みつける。

「それよりも吾輩は君が話していたことに興味がある。」

「これはとんでもない人に興味持たれたねぇ…。」

 苦笑いをしながら悠は頭をかく。

「君は昼に言っていた、『孤独病が知れ渡る前の、皆が何も恐れていない時代になることを望んでいる』と。吾輩にとっては苦い思いしかなかった状況に戻ると同義なのだが、君の場合はどうなのだ。」

「そりゃぁ、僕だって孤独を感じていたね。独りぼっちって言う居場所がある感じだった、と言う方が正しいのかもしれない。でも同時に、その世界には有ったね、僕の居場所が。そして未来には孤独ではない、誰かと供に居れる場所、それがふと突然、あるいは偶然に舞い込んでくる可能性が十分にあった。でも、この可能性はもうこの世界にはない。増してやテタルトス、君が願う世界にはね。」

「ハッハッハッ。どのような話をするのかと思えば未来に期待するだけのメルヘンチックな物語ではないか。正直失望した。吾輩は学んだのだ、孤独から脱却するには自らの力で動かないといけないことを。そして、それを行うには自らが人々の上に立たなければならないことを。」

「本気でそう思っているのかな?」

「君こそ、白馬の王子様を待っているヒロインのような世界をお望みか。」

 闘志としか形容できないものがぶつかり合う。

 テタルトスのギスギスした、触れただけで怪我をしてしまいそうな闘志と、悠のスライムのような柔らかいオーラが激突する。

 表現だけ見れば仮面の男が勝ちそうだが、実際はマントの男の方が強く見える。

 どんなオーラだろうと全て飲み込もうとする黒い闘志。

 正義とも悪とも判別がつかない。

 だが、世和には悠が世界の救世主のように見えた。

 世界を混乱に陥れようとしている人物が相手だからかもしれないが、彼女は少しだけ共に時間を過ごした彼に期待していた。

「さて、君とは何を話そうとも平行線になりそうだ。」

 テタルトスは剣を構え、静かにほほ笑む。

「平行になった者同士がどのようになるか、君は知っているか。」

「戦いと言う名で交わり、消えゆくまでそれは続けられる。」

 穏やかな雰囲気を出していた悠も、冷たさだけになる。

「グッド。」

 テタルトスの仮面が笑い、戦いの火ぶたは切られた。

 先手を打ったのはやはりテタルトス。

 颯爽と駆け出し、悠に向かって剣を振り下ろす。

 だが、それを待っていたかのように悠は鎖で受け止めようとする。

 右手の半分ほどかれた鎖を左手で持ち、屈みながら顔の前で構える。

「そのような防御など、吾輩の前ではないのと同じ!」

 仮面の男は興奮気味に言い放つ。

 だが、言っていることは正しかった。

 剣は鎖をすり抜け、マントの彼の顔めがけてくる。

「おおぉ…!!」

 目の前の現象に目を開きつつ、刃を避けようと後ろに逃げる。

 鼻に剣先が当たり、血が出るが戦いに影響はない。

「面白いねぇ、その剣。鎖をすり抜けたように見えたけど。これが奇術かなぁ?」

 相変わらず語尾が間延びしているが、悠は内心慌てている。

 見たことのない現象に驚くところは一般人と何一つ変わらない。

「おや、この剣の説明を君にはしていなかったか。至って簡単さ、この剣に好かれたなら切られない。逆に好かれないと切られる、それだけの話だ。」

「そっかぁ。なら僕は好かれないといけないのか。」

「その前にこの剣の血錆びとなるから、安心して切られると良い。」

 悠の呟きにテタルトスは勝利宣言を返す。

 確かに誰が見てもテタルトスが優位に立っているには違いない。

「こんなところで負けてたら承知しないわよ。さっきあたしを助けたみたいにちゃちゃっと剣捕まえて殴ったらいいじゃない。」

 見かねた世和が口を出す。

 と言うか、口しか出せない。

「そう言われても、剣がすり抜けるからなぁ。」

「はぁ? じゃあさっきどうやって剣奪ったのよ。」

「なんでだろうねぇ。」

 と言いながら悠は閃いた。

 先ほどと同じように鎖を両手で持ち、受け止める準備をする。

「あんた、孤独こじらせて頭までおかしくなった?」

 不安よりも呆れた感じで言い放つ世和。

 だが悠は何も言い返さない。

「最早なすすべ無し、と言ったところか。やはり失望したぞ、伊豆守悠。名だたる賞金首たちと同じところに名を連ねているというのに、この吾輩を目の前にしては無力だと知ってしまってな。」

 失望と言いながらも笑っているテタルトスが再び襲い掛かる。

 先ほどよりも高らかに上げた剣を思いっきり振り下ろす。

 それに合わせて、悠は鎖でガードをするだけ。

 他に何も特別なことはしない。

「これで吾輩の勝利だ。」

 喜びながら振り下ろされる剣は鎖を通過し始めた。

 しかし全部は通過しきらず、途中で金属音にぶつかる音がして動きも止まる。

「な、なぜだ。これ以上押しても剣が動かない。」

 今度はテタルトスが狼狽する。

 悠は笑いながら答える。

「そりゃぁそうだ。僕は鎖でその剣の動きを止めているからね。」

「何を。吾輩の剣はきちんとその鎖をすり抜けたのだぞ。それを止めたなどと言い張るとはどういうことだ。」

「さっきの僕に対する攻撃では鎖はすり抜けたけど、世和を助けるときはすり抜けなかった。ここまで言えば分かるんじゃないかな、自分の能力なんだから。」

「ぬぐっ。」

 苦悶の表情を浮かべながらテタルトスは後ろへ飛び、間合いを取った。

 悠も一段落し、安心のため息をつく。

「えっ? どういうこと。」

 何も分かってない世和は剣と鎖を交互に見る。

 しょうがないなぁと言いながら悠が頭をかく。

「僕の鎖をテタルトスの剣がすり抜けた時は構えてた鎖、つまり彼が見ていたときだね。それに対して、すり抜けなかった方は世和を助けたとき。つまり彼は鎖を見ていなかった。ここまで言えば分かるかなぁ。」

「あいつが認識したものだけ、通過するってこと?」

「たぶんねぇ。だから、彼に気づかれないように鎖を二重にして攻撃を受けた。そしたら運よく予想が当たってくれたね。」

 世和も納得の顔。

 種が分かってしまえば何も怖くない。

「あれ? ってことはあたしは認識されてるはずだから切られないじゃん。そこおかしくない?」

「あ~。本当だ。」

 自信満々に解説した悠だが、すぐに突っ込みを入れられる。

「あんたよくそんないい加減な推理で、敵の攻撃受け止めようと思ったわね…。」

「まぁ、剣が鎖をすり抜けなかったから結果オーライだな。」

「よく今まで生きてこれたわね…。」

 感心しているのか呆れているのか、世和自身も良く分からない。

「今までそうやって生きてきたからねぇ。」

「そこまで堂々と言われると、何も言えないわね…。」

 今度は呆れていると自覚できた。

 だが、敵の能力は結局分からない状態だ。

 この圧倒的不利な状態をどう打破するのだろうか。

 しかし、その必要はなくなった。

「フッフッフッ、ハッハッハッ。そこまで見破られているとはな。失望したと言ったが訂正させてもらおう、伊豆守悠。そして君に敬意を表して、種を教えて進ぜよう。」

 テタルトスが剣を投げ捨てながら、にやりと悠を見つめる。

「この剣は君が言ったように吾輩の能力の一つである。吾輩の能力は奇術師のようなことができること。そのため、切れたり切れなかったりできる剣も作れた。」

「ほうほう。それで僕らの謎の答えは?」

「それはいたって簡単。吾輩が剣にすり抜けてよいかどうか指示を与えていた。だから、ガードをするモノは通過し、切りたいものだけ切れる。しかし、一つ一つのモノに指示を与えているのでな。吾輩が認識できてないものは指示が与えられぬ。だからすり抜けることができぬのだ。」

「「へぇ~。」」

 世和も悠も思わず声が出る。

 二人の息が合った初めての瞬間かもしれない。

 しかし、世和は感心だけで終わったが、悠は違った。

 あくまで彼は戦っているのだ。

 必要な情報は聞き出す。

「自分の能力を話す人は久しぶりに見たなぁ。それで、どうして教えようと思った?」

「吾輩は奇術師。種がばれた奇術は使えぬ。それに、誤った理解をされても困るのでな。真似をしようとして失敗されたら責任が取れない。」

「いやぁ、誰も真似しようとは思わないけどなぁ。」

「それともう一つ。吾輩の能力はこれ以外にもあるのでな。別に一つ種を明かしたところで何の影響もない。」

 仮面ごとにやりと笑った目は相変わらず気味悪い。

 その顔のまま武器を入れている箱を持ち、剣を取り出す。

 今回も刃渡りが箱より長く、より妖しい輝きを持っていた。

 柄の部分の装飾が豪華で様々な宝石が付いているが、最も光っているのはやはり刃の部分だ。

 たまたま光の下にいるからなのか、それとも彼が立っている場所を意識しているからなのかは分からない。

 ただ、『見せ方』は誰よりも分かっている。

「この剣で終わらせよう。」

 舌なめずりをし、テタルトスは間合いを詰める。

 だが、これは悠にとって恰好の獲物。

 すぐさま鎖を投げ、剣に巻き付ける。

 そのままこちらに引っ張り無抵抗で近づいたテタルトスに強烈な蹴りを入れた。

「ぐは。」

 華麗に吹っ飛ぶが、鎖の長さまでなのでそこまで遠くまでは飛ばない。

 どすっと鈍い音を立て、蹴られた仮面の男は落ちる。

 少し咳き込んだ後、悠を睨みつける。

「まさかの蹴りとはな。吾輩は君のことを勘違いしていた、鎖を振り回しているだけだと。」

「失望したり勘違いしたりと忙しいねぇ。まぁ、そんなことはどうでもいいか。それで、どうする? もうその剣で戦うのは難しいと思うけど。」

「な~に。心配はご無用。この剣はこんなことができる。」

 テタルトスは笑いながら剣を床に突き刺す。

 そして、そのまま力を入れて剣を曲げ、大きな弧を作る。

 最後はボキッと音を出しながら折れた。

 根元から綺麗に折れてしまい、もはや柄しか残っていない状態。

 使い物にはならないだろう。

「余計に心配する行動だな。」

「何のなんの。これからが本番だ。とくとご覧あれ。」

 折れたところを悠と世和が見えないように手で隠す。

 そして、そのまま手を柄とは反対方向にスライドし始める。

「ほぉ。」

「うっそ。」

 驚きの声が口から漏れる。

 悠は当然、まだマリオネットの下敷きの世和も。

 目の前の奇術を疑いたくなる。

 奇術なのだから何が起きてもおかしくないのだが、こればかりは悠も驚いた。

 テタルトスの手に隠されていた部分に新たな刃が生えている。

 形も大きさも先ほどと変わらない。

 違いがあるとすればせっかく巻いた鎖が無くなっていることか。

「さてさて、これで吾輩は準備ができたが。君はどうだ。」

「参ったねぇ。」

 悠は鎖から折れた刃を外す。

 言葉と同様、表情にも困惑さが現れる。

 それでも行うことは同じだった。

 剣を振ってくるテタルトスに鎖を巻き付け、カウンター攻撃を仕掛ける。

 そのテタルトスも鎖を避けたり、攻撃を受け流したりとするが、当然分が悪い。

 だが、余裕があるように見えるのはテタルトスの方で、悠は追い詰められているように見える。

 少なくとも世和にはそう見えた。

 ときどき、折られた刃が飛んでくるが、彼女には影響がない。

 ただ、何回も鎖に巻き付かれ、あるじに折られる剣に少し同情する。

 一本、また一本と折られるが、同じ柄の剣なので一本と言う表現が合っているか疑問を持つところではある。

 しかし、十本くらい折れると情もなくなる。

 同じことの繰り返しで、少しイライラしてくる。

 決め手がない戦いとはこんなにも見応えがないのか。

 あたしなら一発殴って KO 勝ちなのに。

 そんなことを思っていると目の前に剣が飛んでくる。

「ちょっ、ちょっと。危ないじゃない。まったくもう、先に助けて…。」

 動けない状態のことを文句として言いたかったが、最後まで言えなかった。

 口を塞がれたとかではなく、言葉が口から出なくなったからだ。

 目の前に飛んできた刃が急に宙に浮き始めたら、誰でもこうなるだろう。

 恐らくテタルトスの能力の一つだが、この後の動きが分からず、緊張して体が石みたいに固まってしまう。

 自分の方に飛んで来たらどうしよう。

 緊張が恐怖に変わり、それが現実に思えてくる。

 実際、ゆらっと剣が揺れただけで心臓の鼓動が早くなる。


 ズゥン


 大きく揺れた剣は向きを変え始める。

 剣先は一度、世和に向けられるがまた回り始める。

 最終的に剣先は世和とは反対方向に向けられる。

 そしてその先には伊豆守悠。

 まさか!

 嫌な予想が頭をよぎる。

「避けて!」

 大声で叫ぶが遅かった。

 剣は悠に向かって突っ込んだ。

 彼は避ける間もなく攻撃の餌食となる。

「がはぁ。」

 いくら鎖を体に巻いているとはいえ、隙間は存在する。

 丁度そこを狙われたようで、刃は悠の体を貫く。

 傷口からは当然、口からも血が出る。

 だが、悠は未だに状況が飲み込めておらず、ただ茫然としている。

 その様子を見たテタルトスはご満悦のようだ。

「吾輩の戦略は見事命中したようだな。この意志を持つ剣、吾輩の傑作の一つだ。折られても再び形を取り戻し、折れた部分は一人で動く。最高ではないか。」

「僕にとっては…、最悪な状況だねぇ。こんな秘策が隠されていたなんて。」

「ハッハッ。結局君は吾輩の相手ではなかったと言うことだ。このまま眠ると良い。」

 指を鳴らし、折れた剣たちに指示を与える。

 彼らを宙に浮かせ、次々に相手へ襲い掛かる。

 悠も両手の鎖を使って叩き落すが間に合わない。

 特に死角からの攻撃は反応が遅れ、刃が体に傷をつける。

 それでも奮闘したが、最初に刺さったダメージが応えたのだろう。

 腕が動かなくなり、舞っていた鎖も床に落ちる。

「好機!」

 そう叫んだテタルトスが一気に詰め寄る。

 悠もマントを揺らすが体が言う事を聞かない。

 避けようとしているのか、鎖でガードしようとしているのか。

 それは彼にしか分からないことだが、なにも抵抗できず胸を刺され、その場に倒れる。

 背中を強く打ち、受け身を取ることすらできない。

 ただ、物が落ちるように悠が仰向けになる。

「そんな顔、するなよ。」

 弱弱しく右手を天井に突き出す。

 誰に言ったのか、何をしたかったのか分からない。

 だが、それが彼の最後となった。

「チェックメイト。」

 テタルトスが剣を引き抜く。

 刃には血が付いていて、垂れ落ちる。

 同時に悠の右手も力尽きた。

「はぁ?」

 思わず世和は声に出していた。

 涙目になりながらも出てくるのは怒り。

 呆気なくやられた悠に罵倒していた。

「ふざけないでよ。あいつぶん殴って、吹っ飛ばすんじゃなかったの。そしてあたし助けるんじゃなかったの。何よ、約束破ってるんじゃないわよ。ああもう、なんであいつ孤独者なのに、捕まえる相手なのにこんな気持ちになんのよ。」

 目からは涙があふれ、声もだんだん枯れてきた。

 動けない悔しさ、何もできない自分にも腹が立ってきた。

 しかし、できることがあるとすれば唯一動く左手で床を叩くことだけ。

 もう泣きじゃくるしかなかった。

「安心したまえ、君もすぐ彼の所に送ってやろう。」

 血で汚れた仮面が話しかける。

 そもそも、テタルトスが剣を持ったのは世和を処刑するため。

 つまりこれからが彼の本当にやりたかったことだ。

「吾輩はこれでも優しさは持っているつもりだ。一発で決めてやろう。」

 まだ彼の血がぬぐい切れていない刀を振り上げる。

 一滴しずくが垂れ落ち、世和の前に落ちる。

「~~~。」

 声にならない声を世和はただ、上げるしかなかった。

 死の覚悟は先ほどもしたが、今回は違った。

 前は何も湧きあがらなかったのに、今は悔しい気持ちで一杯だ。

 何もさせてもらえない自分、何もできなかった自分。

 ただ、目の前で誰かが死んでいく。

 それが悔しくて粛清会に入ったのに、また誰も助けれなかった。

「チェックメイト。」

 悠を死の世界に送った台詞を今度は世和が受ける。

 正に終わりの合図だった。

 自分の叫び声が教室中に響き渡る。

 そして、彼女も亡き者となった。

 そのはずだった。

「なっ。これはどうなっている。吾輩に絡まっているのは…、鎖!?」

 突然テタルトスが慌て始める。

 まだ泣きかけているせいで視界はにじんでいるが、どうやらテタルトスは何かに捕まっているようだ。

 まばたきをし、もう一度彼を見る。

 先ほど彼が言ったように鎖が体中に絡みついていた。

 そして、その鎖を操っているのは。

「伊豆守悠、生きてたの。」

「泣いている女の子をほったらかすのはねぇ。」

 その言葉を聞いて笑顔がこぼれる。

 今度は嬉し涙が出てくる。

「なに、彼はまだ生きていたのか!? どうなって…、うぐ!」

「ちと、黙っててくれないかなぁ。」

 悠は血で汚れた口をマントで拭く。

 そして、テタルトスの口を鎖で塞ぐ。

「まぁ、こんな様だからねぇ。美味しいところは世和にあげるよ。」

「はぁ? あたし動けないんだけど。」

「君の先輩から素敵なものもらってねぇ。」

 弱弱しく握られた紙切れが悠の手から離れる。

 ひらひらと舞いながら世和に近づく。

「お札? これって周香さんの?」

「そう。彼女は護符と言っているけど。」

 全て悟ったように世和は笑う。

 飛んできた護符をマリオネットに張り付け、灰にする。

 一枚で足りるか心配だったが、三体とも無事に消滅した。

 その途端世和は跳ね起き、鼻歌を歌いながら腕を回し始めた。

「さっ、今までの借りを返せるわね。あたしは命までは取らないから安心してちょうだい。」

「しょ、正気か。吾輩は今捕まっているのだぞ。そのようなハンデを負っているのに手を出していいと思っているのか。」

「さっき、あんたがあたしにしようとしたこと思い出しなさい。これの比じゃないほどひどいと思わない?」

「ぬぐぅ。吾輩もここまでか!」

 テタルトスは叫ぶが、それ以上何かが起きることはない。

 ただ、悪役としての結末を迎えるだけである。

「さあ、歯、食いしばりなさいよ。」

 意気揚々と世和は拳を握る。

 そして一歩左足を踏み出し、テタルトスを間合いに入れる。

「宇宙の果てまで飛んでいけーーー!」

「飛ばし過ぎかなぁ。」

 掛け声は悠に突っ込まれるが、邪魔をする者はない。

 奇妙な仮面ごと殴り、そのまま体重移動で吹っ飛ばす。

 じゃらんと音がし、鎖も彼からほどける。

 運が良いのか悪いのかと言いたいところだが、世和は悠がわざとほどいたと思った。

 本当に邪魔をするものが無くなったテタルトスは、窓ガラスを突き破り夜の運動場へ旅立った。

 わああぁぁぁぁと聞こえるのでまだ飛んでいるのだろうが、たぶん大丈夫だろう。

「あー、すっきりした。」

 手を腰にとり、世和は窓の外を見る。

 星が輝いていてさらにすがすがしい気持ちになる。

「そうだねぇ。あとで捕まえるのも君の仕事だけど。」

「あっ。」

 折角の気持ちも悠の一言で台無しとなる。

 だが、彼のおかげで勝てたのも事実。

 邪険には扱えない。

「傷口見せてよ。この間のお礼も兼ねて手当てするよ。」

「それはありがたい。血がドバドバ出てきて死にそうだからねぇ。」

「まだ大丈夫そうじゃん。」

 悠長な話し方のせいで悠は死にかけていることすら疑われる。

 だが、それが良いのかもしれない。

 世和は慌てることもなく、止血作業を行えるのだから。

「そう言えば、死んだと思ったけどよく無事だったね。あたし驚いて何も言えなかったよ。」

「普通に僕の名前呼んでたけどなぁ。」

「比喩じゃん、比喩。それよりもあれなの、生き返るとか神がかったものがあんたの能力なの?」

「そんな優れたもんじゃないよ。ただ、泣いている人より笑っている人が見たい、それだけだなぁ。」

「はぁ? 意味わかんない。」

「じゃぁ、まだ答えは教えれないなぁ。」

 彼は少し意地悪な笑顔をした。

 彼女は困りながらも笑顔を返した。




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