四 戦場に集う役者たち
シュウウゥゥゥン
自動ドアが開き、支部長室に入る。
少し籠った空気の臭いが鼻に突く。
先輩二人は何も感じてないようで、すんなりと室長の机に向って歩く。
先ほどまでめんどくさいだの、会いたくないだのと言っていたあの姿とは別人になっている。
ガサツな横ポニを揺らしながら下谷世和は二人の後を付いていく。
こうしてみると、いつもやる気のなさそうな蜂須賀八重も、穏やかな空気を出している竹中周香も凛々しく見え頼りになる。
東洋系の服装をしているのは珍しく、この格好が二人を立派に見せる補正をしているのかもしれない。
ただ、八重は羽織を着ているが服装自体は普通の洋服で、他と違うところと言えば長いマフラーを巻いているところか。
周香も陰陽師風ではあるが、袴ではなくミニスカで、黒のノースリーブも見えている。
しかし、この和洋折衷具合は彼女たちでなければ似合わないと思う。
歩く動作で揺れる上着やスカート、マフラーは見ていて惚れ惚れする。
その素晴らしい動きも机の前で止まる。
目の前の机には誰も座っておらず、後ろの壁にかかっている顔写真がよく見える。
「誰? あの人。」
世和が小声で呟く。
そんな彼女に周香は優しい笑顔で返す。
「あちらは中日本支部長さん。つまりここのお偉いさんね。この後出てくるから失礼のないように気を付けてね。」
「別に気にする必要はないと思うんですけどね。ただ年取っているだけで今の地位にいるだけの人ですから。」
「今日一の毒舌だね、八重ちゃん。また、羽田さん困らせちゃうよ。」
素っ気ない態度をとる八重に周香は苦笑いをする。
毎度のことながら八重は上司にあたる人物に冷たい態度をとる。
しかし、この真意を知るのは今のメンバーでは周香だけ。
世和はただ単に肩書で威張る人が嫌いなだけだと思っている。
「蜂須賀! 蜂須賀は来たのか!」
廊下から大声が聞こえる。
その声はだんだんこちらに近づき、そのあとなぜか小さくなる。
おそらく部屋を探して走っていたら、通り過ぎてしまったのだろう。
また声が大きくなったと思ったら、扉の前で声が一度聞こえなくなる。
シュウウゥゥゥンと扉が開くと、今までで一番の大きさで彼は叫びだす。
「蜂須賀! 来ているなら連絡くれ! あと、大遅刻で支部長が怒っているんだ! 何言われてもかばえきれんぞ!」
スーツ姿の彼は今日も大声で表れた。
スーツと言ってもただのスーツではない。
青地に魚の模様が入っているのだから、一瞬目に入っただけで吹いてしまう。
それは部屋にいた三人にも当てはまる。
「何なんですか、その格好は。いつも思うのですが、狙ってます? ならあなたは天才ですよ。」
「羽田さん、私もそのセンスには抜群だと思うよ。大坂に行っても十分通用するって。」
八重と周香は耐性があるからか何とか一言言えたが、チャイナ風の彼女は違う。
初めましてでこれを見せられたらお腹を抱えて転げまわるしかない。
世和は周りのことを考えられずに、ただ大笑いした。
それを見た彼、羽田は怒るでもなく恥じらうでもなく、部屋にはいてきて八重の前に立ち尽くす。
無言でその場にいるおじさんに、さすがの毒づいている彼女も声を掛けたくなる。
ただ、その内容はやはり八重らしかった。
「あの、羽田さん。もしかして悲しんでますか。そんなに酷いことを言ったつもりはないんですが、謝りますよ。」
下から顔を覗き込むが表情は身長差のせいでよく分からない。
ただ、顔が濡れたことで彼の心情が分かる。
「あ~、もう。いい年した大人が泣かないでください。自分の子供と同じくらいの子に慰められるんですよ。あ~、なんでわたしが。」
文句を言いながらも八重は羽田の頭を撫でる。
正確に言うと身長が足りないので生え際が後退したおでこあたりだが。
その効果があったのかは分からないが、急にいつもの彼に戻る。
「やめろ、蜂須賀! 大人を子ども扱いするんじゃない! いつも注意しているだろ、口の利き方には気を付けろと!」
「泣きやんだと思ったとたんこれですか! いつも思うんですが、感情の起伏激しすぎません!? それといつも敬意をこめて話すときは敬語を使っているんですよ。それなのに怒られるんですか。」
「そのやってますよ感がだめだと言っているんだ! それに今日も約束の時間をオーバーどころか忘れてただろと言うくらい到着が遅いじゃないか!」
「そんなこと言われたって、孤独者が襲ってきたから仕方ないじゃないですか。雷バチバチ人間に食料を万引きした男三人組、それに伊豆守悠と便木進の目撃情報ですよ。褒めて欲しいくらいですね。」
長々と続く会話を見ながら世和は周香に耳打ちをする。
「あの二人の関係って何? ただの上司と部下って感じじゃないけど。」
「あっ、それ聞いちゃう? 実は二人、恋仲だったんだよ。」
「えっ。年の差あり過ぎじゃない。あたしには考えられん。」
「最初は私も驚いんたんだけどね。ただ、二人の恋路は邪魔できなくて、応援し始めたの。でもあんなことが起きてから、二人の関係は壊れて…。」
「ちょっと、変なこと世和ちゃんに吹き込まないでください。」
何かが二人の目の前を通り過ぎると共に八重の突っ込みが入る。
飛んでいったものは壁に刺さっている。
クナイ、と言うべきか。
そんな形をした刃物が壁に刺さっている。
しかし、世和と周香の目線は自分を襲った凶器よりも、黒く染められたオーラを放っている主に向いている。
「わたしが誰と恋仲だった、って言いました? こんなおじさんを好きになるのは物好きだと思うんですが。それとも周香さんは好きだと。」
「…。八重ちゃん、いつもに増して強烈な怒りだね…。そんなに嫌だった?」
「当たり前ですよ。それとも周香さんは嬉しんですか。」
「五つ上までなら。羽田さんはないね~。」
また傷ついているけど、と世和が口をはさみ喧嘩は強制終了。
しかし、まだ二人の関係は明らかになっていない。
「ああ、羽田さんは四年前までパーティーのリーダーだったんですよ。その時に鍛えてもらいました。」
「私もそこに所属しててね。そのチームが昇格してから八重と二人で行動するようになったんだよ。」
「そこにあたしが今年から加わった、と。」
今まで聞かされてなかった上司二人の過去を聞けて、世和は少し感動する。
この二人はやっぱりすごいんだな。
「教育に一番手のかかったのが二人だったな! 格闘術もそうだが、生活力が全然だめでな! まさか、今でも炊事は人任せにしてないだろうな!?」
実はそうなのだが、世和は黙っておく。
感動したことも無かったことにしたが。
「それで。支部長とやらはいつ来るんですか。」
「支部長も同じこと言っていたぞ、蜂須賀!」
羽田の小言もどこ吹く風と受け流す。
「もうじき支部長は来る! 本当に粗相のないようにな!」
はいはい、とやはり八重は受け流す。
世和はさすがに緊張してきたので服装を直していたら自動ドアとは別の扉が開いた。
そこから先ほど見た写真とは全然違う人、と言うかただのコスプレおじさんが出てきた。
孤独者ではないから派手で奇抜な、少し恥ずかしがるような格好をするのが今の世だが、さすがにこれは違うだろう。
本当に、昔のアニメのキャラクターみたいな格好をしたバカだ。
そのバカな支部長は一言もしゃべらず、自分の座席に座る。
「久し振りだな、蜂須賀君。」
後ろに踏ん反りながら、ようやく口を開いた。
「そうですね。世和の就任命令を受け取った以来なんで、五ヶ月ぶりですかね。」
八重も社交辞令な挨拶を返す。
「それで、君達に仕事を頼みたいんだが。」
足を組み替えながら支部長は話す。
「孤独病のやつらがこの東清に集まっていることは知っているか。」
「無線で聞きましたね。ついでに今日も何人か捕まえました。」
「ならちょうどいい。そいつら全員殺してこい。それが君をここに呼んだ理由だ。」
いっこうに視線を合わせない上司のセリフに、八重はあからさまに嫌な顔をする。
「わたしもこの機関の一員なのでその仕事は精一杯努めます。ただ、殺しは仕事ではないので断らせていただきます。一斉検挙、くらいはしますが。」
「君はふざけているのか。」
「そう、見えますか。」
「ああ、この世に生きる価値がないやつら、それが孤独者だ。あんなやつら皆殺しにしてしまえばいい。それをやりたくないだと。君は本当に粛清会の一員か。」
「わたしからすれば、貴方の方が考え方が違うと思うのですが。まぁ、それは今に始まったことではないですね。きちんと東清に集まった彼らはどうにかしますよ。あとは現場監督に任せてください。」
「もう勝手にしろ。とっととこの部屋から出ていけ。」
激しい怒りをぶつけられながら八重たちは部屋を後にする。
周香が羽田のことを気遣うことを言ったが、それは彼の仕事。
また怒られながらも支部長に八重の素晴らしさを伝えて、処分を下されないようにするしか彼はできない。
ストレスが最も溜まりやすい役職。
それが上司と部下の間柄を取り持つ彼の立場だ。
しかし、ストレスなら八重にだってかなりかかっている。
それこそ十年くらい前の精神性交友関係障害者保護機関を知っているからこそ、こうも重圧が圧し掛かるのかもしれない。
握られた拳が震えながらも、八重は振り向いて周香と世和、二人の大切な仲間に指示を出す。
「これから OLW の本拠地に行きますよ。聞き出した情報が正しければ、そのような団体が旧・学校群に集まっているみたいですからね。そして全員捕まえますよ。もちろん死人は無しで。」
「アイアイサー、八重ちゃん。いつものように調子出てきたんじゃない? 今日も大量だといいね。」
「あたしは相手の状態なんてどうでもいいけど。」
励ます周香に対して、世和はどうでも良さそうに話す。
しかし、本心ではそうは思っていない。
それが分かっている八重は口元に笑みを浮かべて走り出す。
「さあ、行きますよ。彼らの心が満たされる人生を送らせるために。」
「おーっ!」
廊下を走るな
そんな張り紙を気にせず、周香も後に続く。
どこかで聞いたような。
世和は首を傾ける。
しかし思い出せなかったので、置いていかれないよう走り出した。
キラキラキラ
夜空に輝く星々が今日も淡い光を放つ。
中秋の名月も良く晴れ渡った空に浮かび上がっている。
そんな自然の明かりも届かないところに彼らはいる。
暗く、少し湿っぽい林の中で、木に登った男が一人。
その木の根元でもう一人の男が座っている。
「あそこが OLW の本拠地?」
「そうだ。旧・学校群、つまり小・中・高校と様々な学校が乱立していたところだぜ。今は学校の墓場と言われ誰も近づかない。」
へえ、と伊豆守悠は相槌を打ちながら双眼鏡で建物を見る。
壁に亀裂が入った学校を見て、お化けか何か出てきそうな雰囲気を感じる。
そんな彼の下で便木進は大きなあくびをして木にもたれ掛かる。
まだ昼間の疲れが残っているのだから、仕方ない。
悠と進は同じ年に生まれているが、進は早生まれ。
だから学年は一つ違いになる。
今やそれを理由にお前より簡単に疲れると進は相方によく話す。
聞いている方はかなり疑っているが、誰も確かめようがない。
「それで、どの建物にテタルトスはいるのかな。」
双眼鏡を持った彼はわき目も振らず、ただ、建物の窓を見続ける。
人影が多い所にいるのだろうと予想をしているが、それすら一向に見当たらない。
「一番近くのは小学校。大きさを考えてもそこまで人はいないだろう。となると、奥まったところにある高校が有力か。明かりはついていないが、人は居そうな気配はするぜ。」
「そう簡単に見つかるかなぁ。もう一時間くらいこんなことしてるよ。」
「まだ、十五分しか経ってないぜ。それに九時も回っている。だんだん寝ている奴がいてもおかしくないぜ。」
「こっちは連戦に続く連戦と言うのに。のんきな相手だ。」
「そう嫌味を言うな。おっ、見つけたぜ、奴らがいるところ。」
進は嬉しそうに立ち上がる。
そしてそのまま木をよじ登り、悠の隣に座る。
なぜ裸眼で二キロ先も見えるんだと思いながら悠は相方の顔を見る。
暗闇にいかつい顔が笑っている。
どんなもの以上にこいつが怖い。
そう思いながら彼は顔の向きを戻す。
「それで、どこにいるの。」
「一番奥の建物の右から十番目くらいの窓だ。中を覗くと蝋燭の明かりがついている。」
「…。分からん…。」
「そんなことはないぜ。だって…、わりい、左からだった。」
「便ちゃんは肝心なところを間違えるなぁ。本番でそれはやめてくれよ。」
苦笑いしながら悠は言われた窓を見る。
確かにほんのりと明かりが見える。
何か作業のようなことをしているみたいだが、暗い上に遠いので分からない。
さすがの進も何をしているかは分からないようだが、人々の動きで想像がつく。
しかし、なんでこんなに見えるんだ、進は。
と思いながら悠は彼の話を聞く。
「まずは悠。あの部屋には何人くらいの人がいる。
「三人くらいは確認できたね。」
「オレも五人は見つけた。そして机を囲んで何かを話しているように見えた。」
「夜食でも食べているんじゃない? こっそりと。」
悠の呟きに進は肩を落とす。
孤独者がそろって飯でも食うのかと言いながら、話を続ける。
「オレは何か会議をしているように見えた。それも机の上に乗っているものを指さしながら。ここから推測できることはいくつかあるが、間違いなく言えるのは上層部が集まっていることだ。」
「あいつがいる、と言うことか。」
悠の表情が変わる。
基本へらへらしているが、今日は冷たく、鋭い。
スーパーで別れた後、進は何があったか聞いていないため理由は分からない。
ただ、聡明な彼は何となく察している。
だからこそ、冷静に自分の考えを伝えなければならない。
悠が暴走しないためにも。
「確証はない、が確率は高い。」
この答えで良かったのか不安になる。
暴走こそしないが、感情的になる可能性は十分にある。
しかし、悠はそっか、と言って木から飛び降りた。
そして振り返って進を見る。
その顔はいつも通り、笑っていた。
「驚かすなよ、悠。一回ぶん殴らないといけないかと思ったぜ。」
「なぜ!?」
進も木から降りて悠と並ぶ。
だが、いきなり殴ると言われた悠は距離を取る。
「そんな驚くな、殴ったりはしないぜ。」
「いや~、そもそも殴られるようなことした覚えがないからなぁ。」
「なに、オレはお前が暴走したら殴ってでも止めようと思っただけだぜ。例えば、今から高校に乗り込むとか言ったらな。」
「あっ、それはやるつもりだよ。」
「おいおい、落ち着け。」
あっさり返事をした悠の腕を進は掴む。
本当にこのまま走って行きそうで、怖くなる。
子どもの面倒を見ているような気分だ。
しかし、彼は大人。
きちんと事情を説明すれば大丈夫だろう。
「いいか、ひさっしー。今からあそこに行くと言うことは敵の本拠地に乗り込むことだぜ。それを散歩みたいなノリで言われても困る。もっと情報収集と綿密な計画をだな、」
「僕ら二人でやるなら、それはやらないといけないのかもねぇ。」
「どういうことだ。」
進は目を丸くする。
自分たち以外のどこに人がいるかと慌てて探すが見当たらない。
まさか姿を消す能力でもあるのかと思うがそれは考えにくい。
孤独を解消するために生まれたのが自分たちの持つ能力なのに、透明になると言う孤独になりやすい環境を作るのはあり得ない。
だが、悠は勝ち誇った笑顔で学校の近くを指さす。
「先客だよ。しかも僕よりお祭りが好きらしい。」
初めは何を言っているが分からなかったが、進も状況が飲み込めた。
学校に向かってトラックが走っている。
しかも、それはしっかりと孤独者支援機関と書かれたトラックだ。
「粛清会があの人数だけで乗り込むつもりか。」
「僕はそう思うね。そしてこんな無茶に近いことをする人なら心当たりある。本当に彼女なら騒ぎに乗じるのもありだと思うなぁ。」
「確かにな。あいつらが目立ってくれれば、オレらは楽に侵入できるぜ。実際にそうなりそうだな。」
遠くから見守っている二人にもわかるくらい、トラックはスピードを出している。
そして、想像した以上の大きな音が聞こえた。
トラックが閉まっている門を突き破り、校庭の真ん中に停車したのだ。
それに気付いた人々が校舎から出てくる。
「じゃぁ、僕らも行こうか。」
この光景を見入っていた進に悠は呼びかける。
その流れで振り向いたいかつい顔にヘルメットを投げる。
「おいおい、まさかお前も同じように乗り込む気か。」
「花火は多い方が盛り上がるからねぇ。」
悠はバイクのスロットルを回した。
早く向かいたいと進を急かす。
「相変わらず、ひさっしーには振り回されるぜ。」
「そういう便ちゃんはいつも乗ってくれる。」
少し困った顔をしながら進はバイクに跨る。
二人を乗せたバイクは重みで少し沈んだが、動きに問題はない。
「しっかり捕まっててよ。振り落とされても置いていくからね。」
「オレを誰だと思っているんだ。安心して吹っ飛ばせ。」
頼もしい返事を聞いて、悠は遠慮なくバイクを発進させる。
ここは林の中。
木々が不規則に並んでいるが、紙一重でかわしていく。
そして、道なき道を進んで大ジャンプ!
崖下の道に向かって降下中。
「やっぱり、お前といるとろくな目には合わないぜ。」
「ならこの状況を楽しむしかないねぇ。あと、口は閉じた方が良いよ、舌噛むから。」
弱音を漏らす進と笑っている悠。
対照的な二人だが一緒に落ちていく。
かなりな高さから飛び降りたが、バイクは転倒することも故障することもなく、ワンバウンドして無事着陸。
そのまま夜の学校目指して走り出す。
天馬のように速く走るバイクは、テールランプの明かりを残して闇へ去った。
バキン バキバキバキ
鈍くも高い音を立ててトラックは校門を壊す。
時間は少し遡り、彼女たちが校庭の真ん中に着いた頃となる。
トラックに乗っていた三人、蜂須賀八重、竹中周香、そして下谷世和はあまりの衝撃に生きた心地がしていない。
だが、その心配は校舎から出てくる人々の数よってさらに膨らむ。
まばらに出始めていた人影もすぐに大群となる。
その様子はまさに流れの激しい川。
切れ目なく人々が校舎の出口から出てくる。
「ちょっと、孤独者ってこんなにいるの!? あたしたちの手に負えないよ。」
「この人数が校舎のどこに詰まっていたんですか…。」
肩を寄せ合いながら世和と八重は震えている。
周香も運転席から荷台に移動してくる。
「どうなっているの、八重ちゃん。こんな人数初めて見たよ。人間の限界超えているよ。」
涙声になりながら八重に抱きつく。
実は周香の方が年上なのだが二十歳を超えていると誰が年上か分からない。
それでも、抱きつかれている彼女からすれば多少の威厳は見せて欲しいものだが。
だが、この精神的な部分が強いからこそ八重はこの部隊の長に選ばれた。
他の要因もあるが、周香になくて彼女にあるものと言えばこれが大きい。
だからこそ、この場面の打開策も考えなければならないと思うのかもしれない。
「今、何人くらいに囲まれているんですか。上手くやれば手薄になっている校舎に乗り込むことも…。」
「え~、もう無理だよ。数千人単位で囲まれているんだから。」
「まじですか!」
慌てて外を見る八重。
ここが校庭の真ん中だったことを忘れさせるくらい、辺り一面人で埋まっていた。
「これは…、この世も終わりですね。」
絶望を彼女が覆った。
しかし、何気ない会話が世界を救うこともある。
「孤独者って、そんないるの。」
「全国に推定 50万人ぐらいかな。収容所にいる人含めたら 300万超えるけど。」
「えっ。一割くらいのやつらがここに集まっているってこと? そんなわけないじゃん。」
世和の声で八重は我に返る。
そうです。その通りです。
心の中で呟きながら、また窓の外を見る。
周香が言った人数はあくまで推定値。
孤独病と診断された人数ではない。
実際に診断されて保護機関に収容されていないのは一万人くらい。
その人達のほとんどがここに集まるはずがない。
なぜなら、千人くらいは属していて…。
おっと、これは機密情報でしたね。
にやりと笑い、八重は振り返る。
床に座り込んでいた二人に元気よく話始める。
「分かりましたよ。囲んでいる人数が不可解なくらい居ることが。」
「どういうこと、八重ちゃん。」
「どうにかできるもんなの?」
返事をする二人を手招きし、外を覗かせる。
相変わらず人は多いが、何もしてくる気配はない。
「まぁ、この人の顔を見てください。」
八重は近くの人を指さす。
パンチパーマの冴えない顔をした男だ。
「次にあそこの人を見て何か気付きませんか。」
「え、うそでしょ。どうなってんの。」
「そう言う事ね、この窮地のトリックは。」
鈍い世和はまだ困っているが、周香は晴れ晴れとした表情を浮かべる。
それは仕方ないことなのかもしれない。
場数を踏んでいる人の方がこの現象は理解しやすい。
世和が見て驚いたこと、それは同じ顔の人がいると言うこと。
しかもよく見れば、何人も同じ人がこの校庭にいる。
ずっと戸惑っている彼女に、八重は仕方なさそうに説明を始める。
「コピーをしたんですよ、誰かの能力で。」
「コピー? また変な能力。」
「きっとお友達が欲しくてこんな能力になったんでしょうね。まぁ、そこは置いといて。取り合えず、本物の人間は混ざっているか分かりませんが、車を囲んでいるのはお人形か幻影だと思います。」
「なら、イリュージョンかな。人形なら私たちを襲えるけど、してこないもんね。」
「なるほど。あたしたちはまんまと騙されていたわけか。」
全員が理解し終えたところで、作戦会議に移る。
司会は元気になった周香が担う。
「えっと、八重ちゃん。敵の正体が分かったところで今後の算段は?」
「そうですね。車から降りて校舎に乗り込もうと思うのですが、さすがに校庭の人達もどうにかしたいですね。一人残していくべきかと。」
「あたしは一番偉いやつをとっ捕まえたいんだけど。」
「私も無理かな。相手の人数も能力も分からないし、格闘技は苦手だから。」
「わたしは周香さんが適任だと思ったんですが。」
と言ってから八重は頷き始める。
何かを納得したのか、適任はわたしでしたねと言い直す。
「それでは二人には校舎内の人達を捕まえてもらいましょう。わたしはここに残って一暴れします。」
生き生きとした表情で八重は結論を述べる。
二人も頷きながらドアのそばによる。
「よし、行くか!」
「こっちはよろしくね。」
「任せてください。これでもリーダーですから。」
世和は気合を入れてドアを開ける。
重い仕切りがどけられるとそこは人の海。
ただ、本物でないと分かっていると何も怖くない。
飛び降りて校舎に向かって走り出す。
どういう仕組みか分からないが、増やされた人は煙となって消えていく。
おそらく、煙をコピー先とした能力なのだろう。
だから、攻撃と言った無駄な動きをしなくても前に進める。
「まったく、困った子ですね。」
一人残った八重はため息をつきながら荷台から降りる。
「本体を叩けば幻影なんて消えると思うんですがね。」
と言いながら左の方向を睨む。
そして、勢いよく何かを投げる。
それは風を切りながら煙でできたコピーを消していく。
何人、いや何十人もの人が煙となったと思えば、急に終わりが来た。
眼鏡をかけた男にそれは当たると、彼は倒れた。
「ビンゴ。流石はわたしです。」
八重が胸を張る。
それと同時に気持ち悪いくらい密集していた人はいなくなった。
能力によっても違うが大抵の場合、能力者が気絶したり死んだりするとその効力は消えてしまう。
そのことを知っていた彼女は真っ先にコピーの能力者に攻撃したのだ。
それで校庭に残った人数は 70人ほど。
これなら八重一人でも十分相手ができる。
それが確認できた周香と世和は校舎の中に入る。
下駄箱の所に何人かいたが世和が全員殴り飛ばしたので、すんなり入れた。
そして校庭では倒れた彼の所に向かう人、八重を囲みながら近づく人と別れる。
「ああ、安心してください。彼の命は奪ってないですよ、私のクナイはゴム製なので。ただ、脳震盪は起こしているかもしれませんね。」
それを聞いた人たちは急いで倒れた彼を校舎の中に運ぶ。
本当は頭を固定したりなんなりとしないといけないのだが、医者がいないここではそんなこと知っている人などいない。
「おい姉ちゃん。」
ガラの悪い格好の相手が八重に話しかける。
「そんなおもちゃで俺たちは倒せないぜ。大人しく捕まってくれたら可愛がってやるけどな。」
大笑いが飛び交う。
相手からすれば彼女は粛清会の一女性メンバー。
恐れることなど何もないのだろう。
それが気に食わない彼女はマフラーで口元を隠す。
それを見た相手は調子に乗り出す。
「何なら今から媚びていいんだぜ。俺たち孤独者を慰めるのが健常者だったもんな。しっかり、今もその義務を果たしてほしいもんだ。」
「それならわたしの怒りもどうにかして欲しいですね。」
「え? なんだっ…、げふっ。」
わざと耳に手を当て聞き返してきた一人が横に吹っ飛ぶ。
すと、着地した八重を見て人々は彼が蹴り飛ばされたと気が付く。
「手加減はしませんからね。生きていることに感謝と祈りを捧げてください。」
羽織がたなびいたと思うと、そこには言葉を発した彼女はもういない。
真後ろにいた男の真後ろに彼女は飛んでいて、頭を蹴り飛ばす。
そうかと思えば全く別の所に立っている人の腹部に膝蹴りを決め、また別の所の男の股を蹴り上げる。
移動の速さが尋常ではない。
まるで能力者だ、瞬間移動の。
襲われている孤独者たちは、心の中でそう思いながら倒されていく。
残り三十人くらいになったころか。
戦場に天使が舞い降りた。
スレンダーな腰つきと豊かに実った胸。
奇抜なドレスに身を包んだ女性が高らかに笑いながら現れる。
「オーホッホッホッホ。皆さん、なに苦戦なさっているの。ワタシが来たからには御安心なさい。」
何か感じ悪いですね。
そう思いながら八重は突如現れた敵をにらむ。
「そんなに睨んで。このワタシの美貌に嫉妬なさったのでしょう。なんでしたら、あなたの胸も大きくしてあげても宜しくてよ。」
「大きなお世話です。」
背後に瞬間移動した八重の回し蹴りをその女は食らう。
あばら骨が何本か折れる感触が伝わる。
もしかしたら内臓にも影響が出ているかもしれない。
「あなたはタブーを言いました。これはその報いです。」
鋭い眼光が解き放たれる。
しかし、蹴られた相手は何事もなく立ち上がる。
「どういうことですか!? 下手したら致命傷になるくらいの怪我なんですよ。」
「オーホッホッホッホ。この程度の攻撃、ワタシの能力の前では意味なし。なんせワタシは自分の体を自由に改造ができますの。殴る、蹴るなどの野蛮な攻撃などのダメージはすぐ消えますわ。」
「とんだ化け物ですね!?」
八重は目を開きながら、毒舌を吐く。
もっとも本人はそんなことを言っている意識などしてないが。
「化け物とは失礼ですわ。あなたの動きの速さの方が人外ですのに。」
相手も口元を手で隠しながら嫌味を放つ。
あざとく見えるが周りの男たちはそれで盛り上がる。
「さて、そんなあなたでも勝ち目がない状況になったのは間違いないですわ。攻撃が効かないワタシに、屈強な男ども。多勢に無勢とはこのようなことを指すのですわ。」
「そんなことありませんよ。先に周りを片付けて、あなたをじっくり痛めつければいいのですから。」
「あら、そんなことが許されるとでも?」
怪しい風が通り過ぎる。
八重の前に立ちはだかる彼女が何かしようと考えていることは間違いない。
だが、それは八重には分からないことだ。
もし、彼女に仲間がいれば周りの人たちを任して、自分は一人に集中すればいいのだがそれはできない。
できないはずだった。
彼らが来なければ。
激しいエンジン音とともにバイクが校庭に乗り込む。
「はいはい、どいて、どいて! ぶつかっても保険下りないからなぁ。」
突っ込んでくるバイクに皆道を開ける。
ちょうど八重の近くに道ができたのでバイクはそこを通りぬける。
彼女の隣を走った時、後ろに乗っていた男が飛び降りた。
鍛え抜かれた肉体に前あきの上着、今にも破れそうなズボン。
被っていたヘルメットを取るといかつい顔。
便木進だ。
そしてバイクの運転手は伊豆守悠。
そのまま校舎の中まで入っていったが、バイクで駆け巡るのだろうか。
「危ない、人が倒れている。降りて行こうと。」
そんな声とともにエンジンが切れる音がする。
乗ったまま廻るのは諦めたみたいだ。
「まさか、ここであなたに会えるとは思っていませんでした。便木さん、OLW に入隊しに来たんですか。」
「四年ぶりなのに冗談きついぜ、せっかく助けに来たんだからな。」
迷惑なライダーの動向を見守っていた人たちの視線を自分たちに戻る。
孤独病者と粛清会の人がなぜ知り合いなのか周りの人たちは分からない。
ただ、自分たちが分かっていれば会話は成り立つ。
「それなら手伝ってもらいましょうか。私はあの女を懲らしめなければならないので。」
「目つきが怖いぜ。」
「安心してください。終わったらあなたに相手してもらいますから。」
「それは勘弁してほしいぜ…。」
少しビビッて進の声は小さくなる。
しかし、八重はもう目の前の敵にしか意識がない。
「さあ、始めましょうか。」
「いい度胸ね。ワタシに歯向かうなど意味がないのに。」
こんなやり取りがあった後、戦いが始まる。
目にもとまらぬスピードで攻撃をする八重に対して、相手は体を改造しながら対抗する。
顔だった場所が腕になり攻撃を防ぎ、蹴りを食らって折れた首はすぐに治る。
正に超人対超人の戦いだ。
周りは手が出せず、ただ見守るしかできなかった。
「しょうがない。オレはオレの仕事をするぜ。」
進は苦笑いしながら指笛を吹く。
遠くまで響き渡る音に人々は聞き入った。
しかしそれは恐怖の始まりだった。
虎、鷹、牛…、様々な動物が校庭に集まる。
その正体は皆はく製。
彼が操っているのだ。
「OLW といったかな。馬鹿なことをするお前たちには痛い目に遭ってもらうぜ。いけ、死なない程度にな。」
一声かけた後、動物たちは周りにいた孤独者たちに襲い掛かる。
だが相手も相手だ、簡単にはやられない。
自分の能力を使って対抗する。
「これは意外と不味いな。」
進は周りを見渡しながら感想がこぼれる。
実際この状況ではどちらが勝つか分からない。
数的にはこちらが負けているのも不安だ。
「早く決着をつけてくれよ。ひさっしー。」
彼は校舎を心配そうな目で見つめた。
カッカッカッカッカッ
階段を駆け上る音が静寂な校舎に響き渡る。
広々とした踊り場を気に留める間もなく、階段に足を掛ける。
踊り場の由来は向きを変えるドレスを着た女性がまるで踊っているように見えることから名付けられたらしいが、今の彼もマントが踊っているように宙を舞う。
十二段ある段差を一段飛ばしで登り、彼は三階に着く。
「また三階かぁ。どうなっているんかなぁ、この建物は?」
登っても登っても三階以上に行けない不可思議な現象に、伊豆守悠は首をひねる。
本人の感覚だと八階にいるはずなのだが、窓を覗いてもそんな高さには至っていない。
一階まで下りてみてから登り直したりもしているが、三階でループが続いてしまう。
「誰かの能力か、仕方ない。この階から散策を始めるか。」
納得のいかない表情を浮かべながら悠は三階の廊下を進み始める。
こんな能力にして孤独が和らぐのかと思いながら一歩一歩踏み出す。
壁沿いになるべく音を立てず、気配どころか存在を殺す。
スライド式のドアが近づくと更に存在感を無くす。
扉が開いているなぁ。
不用心だと思いながら中を覗く。
普通の教室だった場所のようで、机や椅子が規則的に並んでいる。
ただ、埃や蜘蛛の巣、中には小動物に壊されたものもあり使われていたころの光景が思い浮かばない惨状になっている。
掃除してないってことは、誰も使っていないんだなぁ。
悠は少し残念そうに扉の前を横切る。
そのまま進むと同じ教室の扉があり、少し向こうに隣の教室のがある。
同じ部屋を覗いてもあまり意味がないので、向こう側のものに向かう。
再び空いている扉を覗くと、先ほど同じように汚れきった学び舎があった。
ここも何も収穫がないなと思いながら隣の教室も覗く。
相変わらず汚い部屋が存在していた。
「これは…、外れを引かされたかな。」
特に収穫も代わり映えもなく、ただ汚い部屋が並んでいる。
そのことが分かると少しやる気がなくなる。
「まぁ、能力者本人を見つけるしかないかぁ。」
ため息と同時に目線が落ちる。
汚れきった運動靴がよく見える。
履きなれていて気に入っていたのだが、また新しいのを買う時期が来たのかもしれない。
そんなことを思いながら正面を向く。
前に進むしかないから。
しかし、悠は足と前の中間にあったドアの鍵穴に視線が向いた。
「壊れている、いや壊されているねぇ。」
無理矢理開けようとしたのか、鍵が盛大に破損している。
何か強力な力でもぎ取ったようにも見える。
手を顎に当てまじまじと観察する。
「もしかして他のも、壊されているのか。」
ふと疑問が頭をよぎり、端の教室まで戻る。
確認してみると一つ目の教室も二つ目の教室も鍵が壊されていた。
二つ目のものはえぐり取られていて、かなり痛々しい。
しかも傷跡が新しいと感じる。
まるで先ほどまでここで誰かが作業していたように。
誰かいるのかもしれない。
それならこれは大事な敵の情報かな。
普段は進に言われて行う作業を一人でやってみる。
傷跡から推測できる敵の能力、もしくは持ち物。
よく見てみると色々分かってくる。
はずなのだが悠には限度があった。
強力な爪の持ち主が鍵をえぐり取ったようにしか見えない。
きっとここまでは皆出来るのだろうが、これ以上のことは分からない。
「やっぱり便ちゃんみたいにはできないか。」
苦笑いしながら悠はわざと呟く。
呟いたら進が来るような気がしたからかもしれない。
だが、現実はそうも甘くない。
あの怖い顔で笑いながら悠に声をかけてくることはなかった。
「さてと、先に進むか。」
悲しみを振り払うように声を出す。
しかし、それは失敗したと思った。
人の気配がしたからだ。
先ほどから思っている顔の怖い仲間ならばいいのだが、ここは敵のアジト。
当然敵が襲ってきたと思う方が自然だ。
気配を感じるのは少し先に行ったT字のところ。
この向きだとト字の曲がった先が正確な表現か。
迫りくる方も足音を殺し、ばれないようにしている。
何故気が付いたのか分からないくらい、敵はしっかりその存在を消している。
これが数少ない孤独者支援機関の収容所から脱獄した者が持つ運の強さなのだろう。
それぐらいしか悠が気付いた理由を挙げようがない。
だが本人は理由など気にしない。
それが運命だと思うしかないのだから。
左手に巻かれた鎖をほどきながらT字のかどに屈む。
曲がってきた瞬間に捕らえ、色々聞きだすつもりだ。
ここまで来ると、足音もしっかり聞こえる。
あと十歩くらいで悠の目の前に足が出るか。
スッ スッ
今にも消えそうな音でその人は近づいてくる。
あと五歩、四歩、三歩…。
…。
…。
あと三歩の所で音が消える。
いや、呼吸音や布が擦れる音はする。
見えない世界のことは分からないが、おそらく立ち止まったのだろう。
悠の存在を感じ取って。
そしてこの距離が悠の間合いの外だと分かって。
参ったなぁ。
状況とは裏腹にのんきな口調のまま感想を心の中で述べる。
鎖を使う彼はどのような攻撃もできるが得意なものはカウンター。
殴ってくる相手の腕に鎖を巻いて動きを止めることが代表のように、敵の攻撃にあわせて行動をとるのが性に合っている。
逆に今回のように動かない相手は困りものだ。
色々な理由があるが、一番は鎖の動きが見切られること。
簡単に避けられてしまう。
更に見えないところにいる相手だと攻撃が空ぶることも多い。
それは戦いにおいてかなりの隙を作ることになる。
別に悠にとって問題もないし構わないことなのだが、あまり気が乗らない。
ただ、相手が手を出さない以上こちらも出したくないだけなのだ。
優しいと取るかビビりと取るか、はたまた正当防衛と取るか、それを乱用してるだけの嫌なやつと取るかは人それぞれだが。
基本悠から手を出すことはない。
ずっとこの位置で屈みながら相手の動きを待つ。
三十秒が経過し、さらに三十秒が経つ。
それが何回も繰り返し、二分、三分となる。
空調のきかない暗い廊下で、彼は汗を垂らしながらその時を待つ。
九月の夜だからと言って残暑はかなり厳しい。
誰も測っていないが気温は二十度くらいか。
ほぼ密閉された校舎だと三十度近くまで上がっているはずだ。
ときどき、渡り廊下から吹く風が気持ち良いが、そう頻繁には来ない。
蒸れる環境の中、ただその時を待つ。
しかし、それは相手も同じ。
ときどき動く音はするが、おそらく汗を拭っているのだろう。
カウンターを仕掛けるタイミングではない。
どれほど時間が経ったかは分からない。
強いて言うなら、月が雲に隠れて再び姿が現れるまでの長いようで短い時間。
相手が一歩踏み出した。
しびれを切らしたのか、攻撃の準備が整ったのか。
もしかしたら、向こうもカウンター型で攻撃を仕掛けるよう仕向けたのかもしれない。
だが、悠にはそのようなことを考える頭は持ち合わせていない。
ただ、相手が動いた。
これだけで充分なのである。
なぜなら彼の間合いに入ったのだから。
攻撃しない相手を捕まえるのは癪だが、今はここで時間をつぶしている場合でもない。
サクッと相手を捕らえて、上の階に行けない校舎の問題とテタルトスの居場所を聞き出し、行動に移さねばならない。
そして今はそれができる。
千載一遇のタイミングを逃すまいと悠は動き始める。
敵の前に現れると同時に、
輪かは四重にしてあり、簡単には逃げられないようにしている。
あとは輪投げみたいに相手の体に入れば終わりだ。
しかし、勝利の女神は未だ微笑まない。
相手もカウンター攻撃で、彼の首元を狙って腕を振り下ろす。
同じタイプだったからこそ、攻撃のタイミングも全く同じだったのかもしれない。
武器の正体は分からないが身を守るしかない。
腕を引き、せっかく投げた鎖を自分と相手の間に入れる。
盾代わりとしてこの攻撃をしのぐ。
これが最善の策だとはだれも思わないが、反射的に動いたのだから仕方ない。
お蔭でお互い怪我することもなかった。
攻撃の振動が鎖から伝わらなかったが、間合いを取るために後ろへ飛ぶ。
何したのかなぁ。
正体不明の攻撃に不安を感じつつ、同じく後ろに飛び退いた相手を見る。
陰陽師のような服を着ているわりにはミニスカやノースリーブと、明らかに古今東西のファッションを取り入れている。
和服でもわかる体の凹凸と、菩薩のような笑顔。
しかし、腰まで伸びている長い髪が、その笑顔を隠している。
そんな彼女はスカートの裾を持ち挨拶をする。
「久し振りかな、伊豆守悠さん。まさかここで会えるとは思ってもいなかったけど、奇遇だね。」
「そうだね、周香ちゃん。四年前の三大財閥事件以来かな。そう言えば、そのあとすぐに昇進したらしいね、おめでとう。」
「いえいえ、悠さんこそその首の値をさらに上げたでしょ。孤独者冥利だと思うな~。」
「冥利になったら嬉しいねぇ…。」
久し振りに会った支援機関の人と他愛もない会話をする。
「進さんも来てるの? この校舎迷路よりも酷いことになっているけど。」
「彼なら校庭に置いて来たよ。今頃八重と仲良く暴れてるんじゃないかな。」
「なら大丈夫かな。」
優しい笑顔で彼女は頷く。
そして、世間話が終わった途端、武器を手にする。
短冊のように細長い紙を右手の人差し指と中指に挟んで構える。
紙には何か文字と模様が書いてあり、短冊と言うよりはお
「何か身構える必要がある?」
悠は腕を組みながら首を傾ける。
そんな彼に周香は、母親が子どもに何か言うように優しく語りかける。
「私は孤独者の殲滅の命令を受けて、ここに来たの。でも、捕まえる程度で済ますつもりだけどね。だから悠さん、捕まって。」
「それは困る。僕はここの一番偉いやつ殴りに来たからな。」
「それなら世和ちゃんがやっとくから。でも捕まる気はないよね。」
語尾が強くなったと思うと、彼女は手にしていたお札を投げてくる。
ただの紙だが、刺さると痛いし、切れると意外と大怪我になる。
結構武器として十分な効果を持つ。
しかし、その攻撃を悠は右腕で受け止めた。
格好良く言っただけで、実際は飛んできた紙をキャッチしただけだが。
「まさか僕と戦うつもりかな。相性が悪いからやめて欲しいんだけどなぁ。」
「え~、どうしようかな~。」
緊張感のない言葉のやり取りがされる。
お互いの闘志もぶつかり合うが、丸く、柔らかいので空気もゆるい。
違いがあるとすれば、悠のはスライムのように形がなく、周香のはグミのように弾力があることか。
そんなゆるふわなバトルが始まろうとしたとき、空気の読めない第三者が現れた。
「フッ、白き貴公子、
自己紹介通り、白いスーツを身にまとった美青年が廊下を歩いてくる。
長く前に伸びた金色の髪や胸ポケットに入った赤いバラなど、見た目にこだわっている。
「なんか変なの出て来たなぁ。」
「ぶっちゃけすぎだよ。見た目が受け付けなくて、関わりたくないと思っても言葉に出さないようにしないと、私みたいに。」
注意している周香も酷いことを言っているがこの場にいる三人は誰一人として気付かない。
言った本人も、言われた本人も。
ただ、この場の雰囲気が変わったことは確か。
それが良くなったか悪くなったかは分からないが。
一つだけ分かることは、田代城が二人にとって共通の敵だと言うこと。
「え~。OLW の幹部ならこっちを優先しないとだめだよね~。」
言っていることは残念そうだが、顔は笑っている。
やはり、捕まえる対象だとしても知り合いは手が出しにくいのだろう。
対して、田代もやる気が漲っている。
嬉しそうにバラの花をくわえながら、こちらにウインクする。
「先ずはお嬢さんが相手か。この田代、貴公子として子女には手を出さないが、手袋を投げられては仕方ない。誠心誠意込めて相手をしよう。」
「あいつ、戦う気満々だけど。周香本当に相手するの?」
「な~に? 悠さんは私ともっと遊びたいの。え~、困っちゃうよ~。」
「そう聞こえたならビックリなんだけどなぁ。」
「えっ? 違った?」
「ふっ。せっかく語っても相手にされないこの田代。無念な気持ちでいっぱいさ。」
だって相手にしたくないからなぁ~。
心の中で呟く悠と周香。
もし声に出していたら綺麗にハモっていただろう。
だがどんなに相手にしたくないと思っても、彼はここの幹部。
この迷路状態になっている校舎を作り上げた本人、もしくはその仲間なのは間違いない。
捕まえて聞きだすのは当然のことだろう。
しかも周香は仕事上、相手をしなければならない。
いやいやだが仕方なく前に出る。
「いやいやなら僕がやろうか。死人が出ても困るからね。」
「私がいくらか弱く見えても、それはないんじゃない。」
「心配しているのは相手だよ。」
「え~、なにそれ~。」
苦笑いしながら彼女はお札を手にする。
悠が何を心配しているかは分かるが、自分はそこまでするつもりはない。
少し興奮している相手を諫めるだけだ。
「ふっ。ようやくこの時が来たか。ならばこの田代の能力を紹介してやろう。この田代、能力はバラを鞭のようにすることができる。棘付きでかなり痛いのさ。先ほど見た君の攻撃では、この田代を倒すことなど到底出来まい。」
田代、田代うるさいなぁ。
と悠は思いつつ、後ろに下がる。
戦いの邪魔をしないためでもあるが、周香の攻撃範囲から抜け出したいが本心だろう。
さて、どうなるかな。
二人の行く末が気になるため、セーフラインまで下がった彼はこの戦いを見届けることにする。
「私の攻撃効かないのか~。」
「いかにも。ならば試してみると良い。」
「なら遠慮なく。」
生き生きと周香は田代に向かってお札を投げる。
しかし、そのお札は田代がくわえていたバラが植物の鞭となり、彼の巧みな腕捌きで次々と空中で壊されていく。
「この田代が言った通り。君の攻撃が当たることはないさ。」
「え~。ならこれはどうかな。」
陰陽師風の格好をした彼女はめげずにお札を投げる。
だが、それは白タキシードの男の鞭で薙ぎ払われる。
「何が変わったのか、この田代は分からなかったが。」
「それなら自分が持っているもの見たらいいよ。」
「なに!?」
視線を鞭に向けた田代が驚きの声をあげる。
何と自慢の武器が燃えているではないか。
植物性なのでこうなってしまったらもう何もできない。
「どう? これで私の勝ちじゃない。」
周香が大きな胸を張る。
しかし田代は鞭を投げ捨て、どこからかバラを取り出す。
「この田代、君の攻撃に驚いた。発火性の紙は想像に及ばなかった。しかし、この田代は体にバラの花を百は隠し持っている。そのような攻撃いくら受けようが影響はない。そして、」
自慢気に彼が鞭にしたバラを振る。
それと同時にバラが成長し、周香の袖を破る。
「この田代の攻撃、一見地味だが殺傷能力は高い。君がいつまで逃げれるかが一つ勝負だろう。」
「え~。困っちゃうな~。」
周香に負けじと田代も胸を張る。
そしてその周香は相手の攻撃も食らった影響もあるのか、全体的に疲れているように見える。
「この田代、一度始めた勝負は決着がつくまで続ける。後悔してももう遅い。」
攻めるチャンスと見たのか田代は次々と攻撃を仕掛ける。
でたらめに鞭を振っているように見えるが、確実に周香に当ててくる。
対する彼女も攻撃をかわしてはいるが、普通の鞭とは違い突起が付いている。
それが服や皮膚を裂いてくる。
美しく、白い肌から血が出る。
勢いよく出ることはないが、傷口から間違いなく赤いそれが流れている。
攻撃を避けるたびに汗と一緒に宙を舞い、床に落ちる。
「ふっ。勝敗はこの田代に分がありそうだが。そちらの男と代わる気はないか。それとも、このまま芸術作品として完成させようか。いや、田代はしたい。」
不気味な笑みを浮かべながら田代は攻撃を更に激しくする。
傍から見ると猟奇的な人物にしか見えない。
その相手をしている周香は体中余すところなく傷が付いている。
攻撃の受け過ぎで和服固有の口の広い袖は破れてしまって、その形を無くしていた。
服装もダメージジーンズよりも破れていて、その隙間から見える肌は血で染まっている。
相手が不気味なのもあるが、彼女も軽いとはいえ多くの傷を受けている。
確かに代わった方が良いのかもしれないなぁ。
悠はそんなことを思いながら一歩彼女に近づいた。
逆に言うと一歩しか近づけなかった。
「だめだよ、悠さん。勝負の邪魔したら。これから良い所なのに。」
彼女はいつも通り笑いながら、悠の援助を断った。
それと同時に攻撃してくる鞭が炎を上げる。
「何が起きている。この田代、お札を切った覚えはない。なのに急に燃えたぞ。」
「ホントだね。なんで燃えたのかな。それが分かればあなたは有利になるけど。」
突然のことに狼狽する田代に、周香は優しく語りかける。
だが、それが恐ろしく見える。
何も分からない自分と全てわかる相手。
戦術を立てるのにも大きな差が出るが、何より精神的な所でかなりの差が出る。
田代は分からない恐怖とも戦わなければならないのだ。
「さて、反撃開始かな。後悔してももう遅いよ。」
優位な立場に立てたからだろうか。
周香は生き生きと話しながら相手に向かって歩く。
その相手は冷や汗か、または脂汗を垂らしながら苦しそうな表情を見せる。
「くっ。この田代、奥の手を使って敵前逃亡とは屈辱だが仕方ない。見よ、奥義。赤く散るバラの花(フォル・ローズ)。」
どこに隠していたのか分からないが大量のバラの花を投げつける。
視界をそれで遮られ、音しか聞こえないが田代は走って逃げている、はずだ。
本当に百本も持ってたのか!?
悠はおかしなところで驚いているが、周香は慌てる様子がない。
ただ、笑みを浮かべながら指パッチンをする。
パチンと軽快な音が廊下に響く。
その音に反応したかのようにバラが燃え、一瞬にして灰となる。
見通しがよくなると、やはり田代は走って逃げていた。
意外と足は速く、世界記録が狙えそうなくらいだ。
「お~、速い、速い。人って見かけによらないなぁ。」
観客みたいな立場になっている悠が感心しながら周香の隣に並ぶ。
実際出て来たはものの、まだ客気分なので何もするつもりがない。
いや、何かすることすら忘れている。
隣にいる彼女もそれは感じているようだが、あとは自分で何とかなると思っていて気にしていない。
「逃げ足が速いのはびっくりだね。でも心配はいらないよ。」
見つめる相手に微笑みをかける。
ただ、笑顔に悪意はないが何かを企んでいるのは伝わる。
だが彼女は何も手を出さないし、出せない。
結果だけ見ればそうなのだから、この笑顔には罪はない。
「ふっ。ここまで来ればこの田代、逃げ切ったに違いなっ!」
振り返りながら二人を見た彼に悲劇が起きた。
大きな音を立てながら盛大に転んだのだ。
その格好に貴公子さはない。
格好だけならましなのかもしれないが、表情も余裕がなくなったのか崩れている。
それでも貴公子と名乗っただけあり、話し方だけは崩れない。
「くっ。何かが、何かがこの田代の足を引っ張った。何かが。」
話す内容までは貴公子ではなかった。
だが、起き上がろうとするのは当然なこと。
彼もしようとしたが、それは叶わなかった。
「え~、駄目だよ。私にここまでしたのに逃げるなんて。」
いつの間に追いついたのか、周香が彼の行動を阻止する。
腹這いに倒れている彼の背中に足を乗せ、体重をかける。
重心を押さえているのか、もしくは重たいからか田代は起き上がれない。
「誰か失礼なこと言ってない!? けどもう起き起き上がれないことは事実だね。」
彼女は足の下の人物に跨り、その上に座る。
そして彼の顔を覗き込む。
「ちょうど一つね、護符が残っていたんだよ。あっ、みんながお札って呼んでるのが護符なんだけどね。それはそうでもいいか。」
手にしているお札、もとい護符を田代の顔に近づける。
「なっ、何をする気だ。この田代に何をする気だ。」
「護符って燃えるでしょ。だからあなたに貼り付けたら綺麗に燃えるかなって。私を傷つけたんだから、そのぐらいの報いは受けないとね。」
「やっ、やめてくれ。この田代が謝るから。ゆ、許してくれ。」
「あなたに謝られてもね~。あなたしか謝る人もいないけど。」
そう言いながら彼女は護符を張りつけた。
ボッと大きな音が鳴り、盛大に炎が現れる。
それと同時に周香は逃げ、自分が燃やしたものを見つめる。
「盛大にやったねぇ。僕はどうしようもないけど。」
悠もようやく追いつき、悲惨な現場を眺める。
「本当にたいしたものだよ。あれほどの想像をさせて気絶させるんだから。」
燃えている現場は炎どころか火の粉一つ上がっていない。
燃え上っているはずの田代も、泡を吹きながら倒れている。
「でしょ。人の想像力で起きてもいないことを事実だと思い込むんだから。」
どうやら、周香は田代に護符を付けるところまでしたが、そのあとは場を離れただけ。
燃え上ると言うのは田代の妄想らしい。
それで気絶するのだから、よっぽど想像力が強かったのだろう。
つまり、誰も大怪我することなく、周香の勝利で戦いは幕を閉じたのだ。
「さてと、ここで残念なお知らせ。」
暗く静寂な廊下で周香が話を切り出す。
「私は彼を下まで運ばないといけないので、悠さんを捕まえることはできなくなったの。」
「それって残念なお知らせかい?」
「だって、立場上は任務が続いているんだよ。それをやらないって公言するのはね~。」
彼女は頬をかきながら田代を縛り上げる。
そして階段まで戻り、悠に別れを告げる。
「さて、私は校庭に戻るから世和ちゃんをよろしくね。」
「世和? あ~、彼女は君らの所の子なんだ。」
「そう、今校舎内をぐるぐるしてると思うから。勘でこの怪しい能力者を見つけているかもしれないけど。」
「それならありがたいね。僕も会いたい人がいるから。」
それじゃあ。
二人はそれぞれの道へ歩き出す。
周香は下に、悠はあるか分からない上に。
「さてと。」
一周して、次の階に着く。
「短い別れだったねぇ。」
上から来た周香と彼は会った。
しばらくこの現象は続いた。
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