三 故郷、東清

 ピンポーン


 インターホンが鳴り、家の中から大きな足音が聞こえてくる。

 隣の犬が吠え、一瞬驚くが、何もしてこないのでそのまま家の主が出てくるのを待つ。

 空は茜色に染まり、今日の終わりをだんだん告げている。

 色々な出来事があったなぁ、と思い出に浸っていると玄関が開いた。

「久しぶりだな、ひさっしー。また悪名に磨きをかけたらしいな。裏の世界ではお前が伝説になってきてるぜ。」

 筋肉質の上半身を隠そうとしない大男が彼を出迎える。

 髪を短く切られた頭にも筋肉の様子が分かり、すれ違った子どもどころか大人まで恐怖で泣き出しそうだ。

 下半身もズボンで隠されているがよく鍛えられていて、いつか破れてしまわないか心配になる。

 そんな男の名は便木進。

 友人が会いに来てくれて喜びながら扉を開けたため、蝶番の調子が悪くなった。

 そして、ひさっしーと呼ばれた彼の友人も挨拶を返す。

「相変わらず面白い情報持っているねぇ、便べんちゃん。まっ、これからしばらくお世話になるよ。」

 フルフェイスのヘルメットを抱え、体中に鎖を巻き付けた男、ひさっしーのこと伊豆守悠も笑顔になる。

 ひさしだからひさっしーは分かりやすいあだ名だが、便木をべんちゃんと呼ぶのはあまりいない。

 悠が進の名字を『べんぎ』と呼んだことが始まりだったはずだ。

「あとバイクはいつもどうり、裏に止めたけど良かったかな。」

 悠が挨拶もそこそこに愛車の話をする。

「ああ、別にいいが柿の木の下は止めな。今年は熟したのがよく落ちてくるぜ。」

「おいおい、まだ実は青かったけど。」

 そんな何気ない会話をしながら進は悠を家に上げる。

 東清の北東部に位置するベットタウンに建てられた進の家だが、かなり広く間取りも多い一軒家だ。

 悠のような客が二、三人来ても十分に部屋が足りる。

「それにしてもはく製が多いなぁ。ん、また見たことない動物増えてる。また狩ってきたのこの鹿?」

 応接間に通された鎖の孤独者は長らく来てなかった友人の家の変化についていけず、あれこれと見て回る。

 家の主も当たり前のように隣に並んで、自分のコレクションの説明を始める。

「こいつは鹿じゃなくて牛の仲間、ガゼルだ。角が枝分かれしてないのが牛と鹿の見分け方だぜ。キリンも牛と遠い親戚だ。」

「へぇ、ほんと物知りだねぇ。」

「こいつは動物園から貰った一匹だ。オレだって何回も狩りはいけないぜ。」

「まぁ、それもそうか。」

 勢いよく話す進に対して、悠はやや口数が少なくなる。

 その後も新しく仲間になったはく製の紹介を続け、椅子に座るまで四十分ほどかかった。

 ただ、これが恒例行事となっているため、おそらく次回もこうなるだろう。

「それで。」

 椅子に深く腰掛けた悠が話を切り出す。

「毎回言うけど、紅茶の一杯くらいは出した方が良いと思うよ、便ちゃん。」

「それなら心配ご無用だ。今回はきゃんと練習させたから期待して見てってくれ。」

 向かい側に座った進は自信満々に指パッチンをする。

 すると扉がひとりでに開きだした。

 いや、屈んだ人、ではなく四足で歩く動物が部屋に入ってくる。

 濃い黄色に黒の線がはいった身体。

 獰猛な顔つきの猫、虎だ。

 背中にはお盆を乗せ、紅茶を運んできている。

「どうだ、ひさっしー。前回みたいに溢さず机に置いてくれる。瞬きするんじゃないぜ。」

 怖い顔が笑顔になっても怖いが、進は満面の笑みで虎を見守る。

 悠もあぁ、ほんとうと相槌を打ちながら様子を見る。

 そして緊張感が高まる中、虎は無事お盆を二人が囲んでいる机に置いた。

「へぇ! 大したもんだね。これは驚いたよ。」

 悠は珍しく大はしゃぎする。

 進も少し照れながらも胸を張る。

「だろ。こいつも何回も練習しては失敗ばかりだった。それがここまで来たんだぜ、映画化しても十分だろ。」

「ショートドラマで良いと思うよ。役者が揃えば、だけど。」

「相変わらず毒づいてんぜ。そこがひさっしーの魅力だけどな。」

「それはどうも。それで、彼女は紅茶を入れてくれるのかな。」

「まさか、それはセルフサービスだぜ。」

「やっぱり?」

 悠は少し期待したが、当然の返答に苦笑いする。

 対面に座る進は気にせず紅茶をカップに注ぐ。

 高い位置から注ぐと空気が混ざって美味しくなるが、彼の場合ほとんど溢している。

 次の課題ができたなと、悠は呟く。

「それで、今度こそ本題に入ろうと思うんだけど。」

 もらった紅茶をすすりながら客は話を切り出す。

 彼を呼んだ本人も一口飲む。

「孤独者が集まってきていることだろ。」

「そう、だからここまで来た。まさか、ガセネタじゃないよなぁ。」

「安心して聞きな。今の東清は明日案内してやるから、概要だけになるぜ。」

「逆に安心できないけど。まっ、お願いするよ、何が起きているのか。」

「そうだな。ひさっしーは今何を知っている?」

「便ちゃんが教えてくれたことかな。孤独者がここに集まって何かしようとしていることくらいだね。まぁ、褒められたことしようと集まったわけではないと思っているけど。」

「さすが、話が早くて助かるぜ。」

 進の口角が上がる。

 悠は腕を組みながら座りなおす。

「簡単に言えば内乱を起こすつもりらしいぜ。そのために必死こいて仲間を集めてやがる。オレが聞きだした情報は下端のやつだから詳しくは分からんが、五、六百人くらいはいるらしい。オレやひさっしーが呼ばれてないのは気に食わんけどな。」

「そりゃー、仲間にならないと分かっているからなぁ。今までやってきたこと振り返ると、孤独者にも嫌われそうだからねぇ。」

「確かにそうだぜ。」

 悠の皮肉に二人で大笑い。

 大事を起こしてきた二人だが、当の本人達にとっては笑い話にしかならない。

「で、この後どうする。」

 急に悠が真面目なトーンで切り出す。

 その変わり身に進もすぐに答える。

 何年も付き合うと彼の捉えがたい性格もついていけるらしい。

「分かっているから来てくれたんだろ。明日案内がてら始めようぜ。」

「誰がボスか知らないけど止める。二人じゃあ心細いが、頑張るしかないか。」

「期待してるぜ、賞金王。」

「上に三十人はおるから王は無理かなぁ~。」

 これで二人の事務的な話は終わった。

 この後は、悠が進の家に居候するので部屋の案内や夕御飯の話しを始める。

 話はあらぬ方向に飛んでいくが、これがいつも通りだ。

 世間話ではないが二人にとってはその程度の会話である。

 ただ、話疲れてもきたので、ご飯の準備に入る。

 と言ってもカップ麺にお湯を注ぐだけだが。

「健康には悪いなぁ。」

「明日から本気出すから、任せとけって。」

 またまた~と茶化す悠に進が軽くどつく。

 進にとって『軽く』なので、突かれた方はたまったもんじゃない。

 現に悠は転がっていった。

「いや~、ひどい目に遭った。」

「悪かったな。」

「そうそう、今ので思い出した。今日、来る途中で転んでバイクに肘撃ったんだよね。」

「へえ、お前が転ぶなんて珍しい。」

 進が意外な出来事に驚く。

「それが面白い三人組に襲われたねぇ。たしか OLW に頼まれたとか言ってたかな。」

「OLW? なんだそりゃ。」

「さぁ、ただ、僕を東清に行けなくしたかったらしいから、今回のことに関係があるかもしれない。」

「OL みたいな名前のやつらがか? もう少し情報が欲しいな。」

 悠の話を聞いて進は腕を組む。

 見た目は筋肉バカだが、頭はキレる。

 おそらく自頭は悠の何倍も良い。

 比べられる対象はバイクでトラックの上を走るくらいトリッキーなことを考える頭脳の持ち主だが。

 その参謀の役割も果たせる友人のために、悠は何か思いだそうとする。

「あっ、OLW のメンバーの名前を聞いた。」

「まじか。孤独者リストに載ってる名前だったか。」

「いや~、横文字。たぶん、組織内の呼び名じゃないかなぁ。」

「思い出せるか。いや、思い出せ、ひさっしー。」

「物覚え悪いやつに期待されてもなぁ。テ何とかス、だったかな。何とかは美味しそうな印象だったな~。」

 なぞなぞのような感じで、悠も進も頭を抱える。

 ただ、悠は忘れるもんはしょうがないと、思っている部分もある。

 だが、進は諦めない。

 自分の持てる知識をフル活用する。

 しかし、何も思いつかず、時間が過ぎていく。

「もう少しヒントになりそうなことはないのか。」

 だんだん焦りも見えてくる。

「ケーキが近い気がする。モンブラン、ミルフィーユ、ショコラ…。何だと思う?」

 悠はさじを投げた。

 しかし、このヒントが役に立った。

 進が嬉しそうに悠を見る。

「おっ、何か思いついた? レアチーズ? ホイップクリーム?」

「混ぜるな、分からなくなるだろう。」

「いやー、それで忘れられても困るなぁ。」

 頭をかきながら悠は話を続ける。

「それで、肝心の答えはまだ覚えてるかな?」

「問題ない。答えはタルトだ。たしかに美味なお菓子だぜ。」

「ふ~ん、タルト。生地が歯ごたえあって美味しいやつか。よく分かったね。」

「もともとある言葉だから助かったぜ。テタルトス、ギリシア語で第 4 を表す言葉だ。」

「へぇ~、ギリシャの。物知りだな、便ちゃんは。」

「もっと褒めてもいいんだぜ。」

 進は白い歯をのぞかせる。

 その輝き具合は眩しすぎる。

 悠は見続けることができないので、何とか話をさせて口から歯を出ないようにさせる。

「取り合えず、相手はよく分からん名前のやつがいるのか。敵の情報がないのに何かしようとするのは嫌だなぁ。」

「やつの実力が分からないからそう悲観することもないぜ。群れたがる孤独者は能力もそこまで特殊でも強力でもないからな。」

「結局、すべて明日か。」

「そうだな。集まっているやつらと OLW の関係、相手の実力、本拠地。この三つはハッキリさせたいぜ。」

「よし、なら今からはご飯だ。」

 悠は立ち上がり、カップ麺のお湯を切りに行く。

「カップ焼きそば勢は忙しいな。」

 進は割り箸を片手で割り、少し伸びたラーメンをほおばった。

「しまった。お湯入れるの忘れてた。」

 台所に放置していた食事の惨状を見て、悠は泣いた。



 ピッ ピッ ピッ ガチャ


 目覚まし時計が仕事をするが止められる。

 爽やかな朝に似つかわしく、嫌なオーラが布団から漏れている。

 それは畳まで侵食しそうで、腐らないか心配になる。

 それに対して隣の布団はもう空っぽになっていて、人がいた温もりしか残っていない。

 二人の性格、と言うより生きてきた環境の差が表れている。

 まだ寝ているのが、便木進。

 孤独者には珍しく持ち家に住んでいて、今日ものんびり朝の攻防を繰り返している。

 対してもういなくなっているのは伊豆守悠。

 ホテルや宿に泊まっていることもあるが、公園や河川敷で野宿することも多い。

 そうしたところで生活をしていると、大きな音や不審な気配などで目を覚ますことが多くなる。

 今日も目覚ましの音で起こされ、仕方なく活動を始めた。

 と言ってもテレビでニュースを流しながら新聞を読む、と見事なだらけっぷりである。

 ときどき、虎がかまってほしそうに寄ってくるので、背中をなでたりしてかわいがる。

 その甘え方はまさに猫。

 体が大きすぎるだけでペットとして飼うのは案外ありかもしれない。

 特に、進の家の虎に関してはペットとして最適だろう。

 食事もトイレのしつけも何もしなくていい。

 なぜならこの虎は…。

「おはようだな。ひさっしー。」

 目をこすりながら、進が挨拶をする。

 虎にマウントポジションを取られた悠はもがきながらなんとか返事をする。

「朝は相変わらず弱いみたいだね、便ちゃん。ついでに彼女どかしてもらっていいかな。そろそろ腕が折れそう。」

「お前こそ相変わらずヤワじゃないか。はく製で腕が折れそうなら本物だとバッキバキになってるぜ。」

 大爆笑しながら進は指パッチンをする。

 すると悠に乗っていた虎は大人しく主のもとに帰る。

 彼の足元で喉をゴロゴロするがその音は聞こえない。

 鳴らす喉がない、と言う表現が一番正しいだろう。

「はく製って言うけど、ほんとは本物の虎だったってことはないのか?」

 悠が起き上がり、首をかしげる。

 その行動に対して、進は怖い顔の口角をあげながら答える。

「それはないぜ。なんってったってオレの言うこと聞いてくれるのはオレ自身がはく製にした動物だけだからな。」

「自信満々に答える内容ではないと思うなぁ。」

「そんなことないぜ。もうこの街のハトは全部オレ製だからな。」

「おぉ、それは怖い。すぐさま僕の場所も敵の居場所も分かってしまう。」

「すまん、盛った。」

 進は頭を下げて、少し居心地が悪そうにその場を離れる。

 盛るのは構わないんだけどなぁ、と悠は思いつつ、残されたはく製の虎の顎の下をなで始める。

 会話にもあったようにこの虎ははく製である。

 この虎を始め、家中にあるはく製が進の手作り品、つまりは彼によって命が与えられる。

 それが彼が孤独者になって得た能力である。

 虎の他には燕も彼のお気に入りの一つで、悠へのメッセンジャーとして活躍している。

 そのほかにも街中にいるらしいが、なんせ動くはく製なので見分けがつかない。

 ただ、情報収集に関しては思ったより活躍できてないので、それほど多くの数が放たれているわけではなさそうだ。

 ちなみに弱点は水。

 カビが生えたりなんだりと、相性が悪いらしい。

 だから雨の日の活動は向いていない。

 天気の話が出てきたので、ふと悠は外を見る。

 雲こそあるが、洗濯物がしっかり乾くくらいの晴天。

 折角の天気なので、一日中外にいたいくらいだ。

「そうだ、便ちゃん。」

 悠が洗面台とにらめっこしている進に大声で叫ぶ。

「モーニングいかない? 久し振りに食べたくなった。」

 どこか、子どものような無邪気な喜びが声になっていた。

 進は見えない悠の顔を想像しながら OK と返事した。



 カッチ カッチ カッチ カッチ


 左ウインカーがリズムよく光っている。

 長かった高速道路ともようやくお別れである。

 雨が降っていた県境とは違いこの辺りはよく晴れている。

 料金所を通りぬけ、目的地までもう少しだと改めて実感する。

 時間は朝の八時半。

 丁度、悠と進がモーニングに向かっている時、彼女たちも車でご飯の話しで盛り上がっていた。

「やっぱり東清と言えば揚げ物ですよ。特に海鮮揚げに独特のたれをかけた東清丼は絶対外せませんね。」

「え~。朝から揚げ物は胃に悪いよ~。私はやっぱり、名物のモーニングがいいな。」

「ご飯なんて何でもよくない? 見た目が悪くなかったら味もそこそこ良いと思うけど。」

 トラックをキャンピングカーに改造して、全国を回っている三人組、蜂須賀八重、竹中たけなか周香、下谷世和だ。

 三者三様の好みや考え方があり、朝ご飯はなかなか決まりそうにない。

 取り合えず、次に見つけたそれっぽい店に入ることにした。

 しかし、決めてからが長い。

 どこまで走っても見つけることができなかった。

 正確に言うと、こんな朝早くからやっている飲食店などほとんどない。

 何回目かの信号を左に曲がり、ようやくファミレスを見つける。

「どこにでもあるところになりましたね…。」

 八重がぼそりと呟く。

 だが、せっかくのご飯だ。

 八重と周香は嬉しそうに店に入っていく。

 ご飯にそれほど魅力を感じない世和だけは、そのテンションについていけない。

 よく考えたらあの二人は少し年上だからいい歳だと思うが、どうやら心は乙女のようだ。

 そのわくわく感を胸に席へ案内され、そのままメニューとにらめっこする。

「何にしましょうかね?」

「期間限定がいいんじゃない。世和ちゃんは何か食べたいものある?」

「別に。あたしのも勝手に選んでよ。」

「そう言って、前激辛カレー頼んで怒ったじゃない。」

「それはあたしは悪くない!」

「懐かしいですね~。」

 意外と盛り上がるメニュー選びを楽しむ三人。

 色々話したあげく、ドリア、パスタ、パンケーキを頼むことにした。

 その後も談笑を続けるが、急に電話がかかってくる。

 八重の携帯がマナーモードにしているはずなのに音楽が鳴り響く。

「あ~、何なんですか、もう。」

 腹を立てながら通話ボタンを押す。

『蜂須賀! 東清に来たんだろ! なら連絡の一本くらいよこせ!』

「…。誰ですか…。」

『俺だ! 精神性交友関係障害者保護機関中日本支部情報管理部長の羽田はねだだ! 分かって言っているだろ!』

「お久しぶりですね。元気にしてました?」

『お蔭さんでストレスの毎日だ! 支部長がお前はまだかまだかとしつこい! あとどれくらいでこっちに着くんだ!』

「今からご飯なので、あと三時間くらいですね。」

『お前は飯にどんだけ時間を掛けんだ! いいか、移動を含め一時間半で来い! 頼むぞ、蜂須賀!』

 八重に何も言わせる間もなく電話が終了する。

 大声の会話が終わり、どことなく耳が淋しくなる。

「主君とは別の意味で、良い人なんですけどね。」

 携帯をしまいながら、八重は独り言を呟く。

 それを見ながら周香は笑顔で話始める。

「その様子だと羽田さんから?」

「そうですね。一時間半後には支部長に会わないといけないみたいです。」

「えっ、支部長。あたし、そのくらいの階級の人学校以来なんだけど。」

「別に偉いわけではないですよ。さっ、美味しくご飯食べて、三時間後に向かいましょう。」

「え~。羽田さんまた倒れるよ~。」

 八重はよほど支部長に会いたくないようで渋るが、周香は羽田を気遣う。

 ただ、本心は支部長に会いたくない、だが。

 少し憂鬱な雰囲気になっていたが、料理が届き晴れやかになった。

「さて、いただきましょうか。」

「はい、いただきます。」

「周香さん、それフライング。」

 世和の突っ込みで食事が始まった。



 スサササササー


 そよ風が通り抜け、秋口の匂いが運ばれてくる。

 太陽は真夏と変わらず暑い熱を浴びせてくるが、どこかその距離が遠くなっている気がする。

 暑さのあまりかいてた汗も、もうじきさよならするんだなとしみじみ思う。

 東清のセミは恥ずかしがり屋なのか日中に鳴くことは珍しい。

 だからこそ、どことなく耳に淋しさを覚える。

 きっと、賑やかな祭りが終わった後の静寂と同じなのだろう。

 こんな気持ちになるのは。

「そう、結局人は皆、孤独なのさ。」

 昔聞いたようなセリフが口から出る。

 これが今の自分を作っているのかもしれない。

 ふと笑みをこぼしながらマントを羽織った壮年、伊豆守悠は歩く。

 隣を歩いていた世紀末風の服装の便木進も怖い顔で笑いながら呟く。

「みなが逃げたわけではない。だが、自分しか残っていないのも事実だ。そう、それが孤独と言うものだ。」

 ふと、二人の視線が合う。

 お互い声を出しながら笑い合う。

「便ちゃん。まさか君が情緒的なセリフを吐くとは思わなかったよ。」

「ひさっしーこそ。いつもへらへらしているお前がセンチなこと言ってびっくりしたぜ。昔のことを思い出したか?」

「まぁ、この街に来るとどうしても思い出すね。」

 見渡す限り家が建っているのだが、その風景こそが悠を物思いにふけさせる。

 今も昔も変わらず東清中心部のベットタウンであるこの街こそ、悠が子供時代を送ったところだ。

 ただ、今では区画整備や建物の老朽化による建て替えで、そのころの面影を全く残していない。

「そんなことより、一仕事しようか。サクッと集まってる孤独者に説教して、世の中何もなかったことにしようよ。」

 無理矢理口角をあげて、悠は歩き始める。

 その隣を進は歩くが、どんな言葉をかけてやればいいのか分からない。

 ただただ、歩くだけとなる。

「なあ、便ちゃん。」

 重い沈黙を悠が破った。

「孤独者探すだけなのに、どうしてこんなに見つからないかな~?」

「それはそうだろ。そもそも孤独者が歩いている方が珍しいぜ。お前みたいに一人で堂々と歩いているやつなんていないからな。」

「そういうものか。」

 肩を落としながら悠は答える。

 進の答えはツチノコや雪男を探しているようなものだと言っているのと同じだ。

 自分は普段から一人で歩いているので、同じような孤独者もいると思っていたが、どうもこちらの方が少数派らしい。

「なら、どうやって見つけようか。独りぼっちのやつ見つけたらすぐ終わると思っていたのにな~。」

「ならスーパーやショッピングモールに行くのはどうだ。そこなら生活するのに必要な物を買いに来たメンバーがいるだろ。」

「なるほど。でも、人前に出るのすら嫌がるんだろ? 買いもんに来るのか?」

「ご飯だけはどうしようもない。通販すら孤独者を生み出すと言われて今や幻になったこの世界を考えれば、自分達で入手するしかないだろ。」

 そう言われたらそうだねぇ、と悠は返す。

 昔から通販を使わない悠にとっては、孤独を抱えた人たちが使っていることすら知らなかった。

 もちろん、便利なので孤独病に関係なく老若男女が使っていたが、どうやらそのメリットよりも孤独者のことが優先されたらしい。

 道理で、最近宅配トラックが減ったわけだ。

 腕を組みながらマントの孤独者はうなずいていた。

 ごっつい孤独者は隣でいつ話の続きを言おうか困っていた。

 だが、都合がいいことにT字路の突き当りに着き、必然と会話が生まれる。

「ここはどっちに曲がる?」

 やはり、会話の発端は話しかけづらい雰囲気を出してた悠だった。

 しかし、進はすぐに答えを出さなかった。

 そっと、目を閉じ考える。

 そしてまた開く。

 傍から見ている悠にとってはほんの二、三秒の出来事だが、進本人にとっては十分くらい考え事をしていた感覚だ。

「右だな。そっちのスーパーに獲物がいるはずだぜ。」

「大した自信だねぇ。明日から占い業でも始めたら儲かるよ。」

「いや、オレはあいつの脛かじるぜ。」

 すがすがしい笑顔で進が返す。

 彼女も楽じゃないんだけどなぁ、親でもないのにいつまで脛齧られるんだろう。

 と悠は思うも、思うだけで何もしない。

「まぁ、行ってみようよ、その店に。」

 マントの孤独者は苦笑いしながら道を進んだ。

 右に曲がった後も進が道案内をしながら目的地のスーパーに向かう。

 近づくにつれ騒ぎ声、いや、はしゃいでいる声が聞こえてくる。

 子どもの元気な、無垢な声。

 その理由はスーパーの前に着いて分かった。

「小学校か。懐かしいねぇ。」

「そうか? オレはそんなこと思わないぜ。」

「僕はいろいろ思い出すよ。良かったことも、悪かったことも。」

 悠の目はどこか遠くを見ている。

 ただ、悲しいものを見ている目だった。

 何かあったんだなと、進は思うも聞かない。

 彼自身にも人に話したくない過去がある。

 特に、お互い孤独者だ。

 踏み込んではいけない領域、孤独病になった理由に関わることが広がっていると感じた。

 何とも言い難い顔をしながら、ただ、近くに立つことしかできなかった。

「万引きよー!」

 女性の悲鳴のような声とともに、スーパーから大声が聞こえてくる。

 二人とも意識が自分のもとに戻り、店の入り口を見る。

 ガラス張りのドアが大きな音をたてながら崩れていく。

 その残骸を跳び越しながら三人組の男が出てくる。

 そして一人遅れて出てくるが、ガラスで滑って転ぶ。

「気を付けろって何回言ったと思うんだ。俺っちが助けるから二人は先に行ってるんだ。」

「アイアイサー、兄貴。」

 大きな袋を持った二人が駐車場に向かいながら叫ぶ。

 それに応じるように車が動き出した。

 きっと彼らの仲間が待っていたのだろう。

 手際が良いのか、悪いのかよく分からないグループである。

「迷惑な客だな。」

 悠が呆れながら手を腰にとる。

 それを見た進は慌てながら隣人の肩に手をやる。

「お前のんきすぎんだろ。」

「いやぁ~、万引きはいけないと思うけど。僕らで捕まえるつもりで?」

「違う。いや、合ってるけど違うぜ。オレの予想は東清に集まっている孤独者が食料を調達しにスーパーに来ていると言ったろ。買うって言ってないぜ。つまりあいつらはオレらが捜していたやつらかもしれないんだぜ。」

「あ~、それで捕まえたいのか。」

 合点がいくのが遅い悠に困りつつも、進は指示を出す。

「車はオレが追いかける。お前よりオレの能力の方が通用しそうだからな。だからあの二人は頼んだぜ、ひさっしー。」

 言葉の後ろの方はもう駆けだしながら言っていた。

 車を追いかけるには時間が勝負だ。

 どれほどスピードが出ていない間に追いつけるかがカギになる。

 たぶん鳥のはく製が活躍するんだろうなぁ。

 悠は心の中で呟きつつ、彼を見送る。

 しかし、すぐに頼まれたターゲットに目をやる。

 転んでどこかを切ったのか、血が出ているナヨナヨした子ども。

 その子を起こしているロングコートの青年。

 見た目こそどこにでも居そうな『一般人』だが、見ていてなんとなく分かる。

 同類だと。

 イラついたのか怒りながら子どもを抱きかかえる青年に、悠は話しかけながら近づく。

「欲しかったものは手に入れれた? まぁ、でも、きちんとレジに行かないと犯罪になるからなぁ。気を付けないとひどい目に合うよ。」

「うっさい。俺っちは OLW の一人だ。俺っちに文句言うとどうなるか分かっているんだろうな…。」

 勢いよく出ていたセリフも急に出てこなくなる。

 彼もだれが話してきたのか分かったようだ。

 高額の賞金がかかっている孤独者の一人、伊豆守悠だと。

「ちょっと、大人しくしてくれないかなぁ。仲間がいろいろ聞きたがっていてね。それとも文句言ったらどうなるか教えてくれるのかな。」

 悠は進と同じように、いやより丁寧に話しているつもりだった。

 しかし相手にはそれが怖く見えたのだろう。

 体中が震え、抱いていた子を下ろす。

 何回か深呼吸をして、自分自身を落ち着かせようとしている。

 そして何かを決心したのか、目力が入る。

「俺っちたちの仲間にならないか。」

 唐突の申し出に悠は瞬きを繰り返す。

 何かの心理戦かもしれないが、そのようなことは悠の頭には思いつかない。

 ただ、何の仲間? と聞き返すことしかできなかった。

 相手はまだ震えながらも、言葉を絞り出す。

「俺っちたちは OLW の一員だ。テタルトスと言う人から孤独者に連絡があったんだ。世界を孤独者だけにしようって。」

「世界を、孤独者に?」

 状況が飲み込めない悠のために、震える彼は説明をする。


 三ヶ月くらい前、テレビを見ていると変わったコマーシャルが流れていた。

 何でも孤独者にしか見えない特殊なコマーシャルだと、映っていた黒い影は話していた。

 その影はテタルトスと名乗り、全孤独者に訴え始めた。

「孤独者の皆さん。この世界はおかしいと思わないか。」

 高々と声をあげるが、周りのリアクションはない。

 それでも次々と言葉がテレビから流れる。

「今まで必死に生きてきたのに、孤独者となりたかったわけではないのに、そのレッテルを張られ、迫害されているではないか! そして、粛清会なんてものを作られ、吾輩たちを狩り、殺そうとしているではないか! おかしい、おかしすぎる。なぜ吾輩たちが彼らから怯え、逃げ、恐怖に襲われないといけないのか。」

 確かにそうだと、ロングコートの青年は思った。

 それに気が付いたかのように、黒い影は笑った。

 実際は笑ってないが、見ている彼はそう感じた。

「しかし、吾輩はそんな世界を変えようと思った。多くの人が吾輩たちを迫害するのは吾輩たちが何者か分からないからである。つまり、常人は孤独者のことは分からないのである。」

 青年は自分に向けられているかのように聞き入っていた。

 それどころか、うなずいたり相槌を打ったりしている。

 そして、黒い影はそれが分かっているかのように間を取りながら話を続ける。

「だから吾輩は考えた。そして答えが見つかった。常人が吾輩たちのことが分からないのなら、彼らも孤独者になればいい。そう、世界中の人々が孤独病になれば誰も吾輩たちを迫害しない。なぜなら彼らも同じ孤独病患者なのだから。」

 迫害をされない。

 つまり、恐怖に脅えて、細々と暮らさなくていい。

 そう思うと涙が出てきた。

 おそらくこれが感動なのだろう。

 もう何年も味わってなかったので思い出せない。

 ただ、この黒い影の虜になったことは間違いない。

 だからこそ、彼のセリフが青年を動かした。

「さあ、皆さん。吾輩と一緒に世界を孤独者にしようではないか。孤独者は集まれば強い。吾輩は東清で待っている。皆で世界を変えよう!」

 青年は周りを気にせず走り出していた。


「分かったか。これがテタルトスの考えだ。だから俺っちたちの仲間にならないか。」

 後ろの方が弱弱しくなったのは、自信がなくなったからだ。

 それでも何とか踏みとどまる。

 悠は自分が悪者みたいになっているなと思いながらも、彼の誘いに返事をする。

「仲間には、ならないね。」

「!? なぜだ。もう何にも脅えなくてすむ世界になるんだぞ。」

「確かに粛清会は怖い。何もしてないのに命を狙ってくるからねぇ。ただ、だからってテタルトスのやり方は間違っている。だから、僕は仲間にならない。」

 落ち着いた、半分いつもの緊張感のない口調でマントの孤独者はコートの青年に歩み寄る。

 だが、それは途中で止めることとなった。

 彼が抱えていた子どもをガラスが無いところに置き、道路に飛び出した。

「伊豆守悠。どうしても仲間にならないと言うか。ならば、『なる』と言うまで痛めつけるぞ。これが最後の忠告だと思え。」

 声も、体も、特に足が震えながらも青年は叫んだ。

 だが、燃え上がる闘志は本物。

 悠を仲間にしない選択肢はないようだ。

 その誘われた本人は熱くなった青年に困ってしまい、頭をかきながら道路へ出る。

「無理するなよ。実力差は自分がよく分かっているだろ。僕を仲間にするのは無理だ。」

 何とかイササカをやめようと悠は説得を試みる。

 しかし、相手は矛を収める様子はない。

 そして、この一言で戦いは始まった。

「俺っちが足りない実力は、俺っち自慢の能力でカバーする。だから関係ない。断ったことを後悔してももう遅いぞ。」

 手を天に突き出し、来いと叫ぶ。

 すると晴れていた空に急に黒い雲が集まる。


 ポツ ポツ


 冷たいものが降ってくる。

 最初は数滴程度だったのがいきなり激しくなる。

「雨か。」

 悠が降ってきているものが何か気が付いた時には、もう視界が悪くなっていた。

「これは、何も見えないなぁ…。」

 思わず呟いた一言も雨の音に消されてしまった。

 何も見えず、何も聞こえない。

 おそらくこの状況を造ることで足りない実力をカバーしているのだろう。

 厄介だなぁ。

 そう思いながら悠は一歩右に動く。

 店の中に入れば雨に打たれることはないので、この戦いの流れを変えれるかもしれない。

 だが、そんなことは皆が思うことだ。

 だからこそ、先手を打たれた。

 文字通り、右の拳によるストレートパンチを打たれた。

 顔面にかなりの勢いで食らい、数メートル吹っ飛ぶ。

 道路にたまっていた水に突っ込み、マントどころか着ていた服が全て濡れる。

 痛みをこらえて起き上がるも、鼻から血が出ていることに気づき、動きが止まる。

 何とか食いしばって現状を打破する方法を考えるが、後ろに気配を感じ体が固まる。

 それと同時に強烈なけりを浴びる。

 これはまずい。

 悠も何とか対抗しようと、ふらふらになりながらも立ち上がる。

 そして気配を感じてはカウンターを繰り出す。

 最初のうちは手ごたえがなく、いや、攻撃を食らっていたのでほとんど意味がなかった。

 しかし、だんだん慣れてきたのか相手の攻撃が当たる前に自分の拳が当たるようになった。

 その回数が増えるにつき、雨も弱まる。

 相手の姿が認識できる頃には、悠も青年も泥と血で汚れきっていた。

「なかなかやるねぇ。」

 悠が口を拭いながら呟く。

 本当は相手に聞き取れるくらい大きな声で言いたかったのだが、虫が鳴くくらいの大きさの声量でないといけない程ダメージを食らっていた。

「俺っちはお前が不思議だ。」

 青年も何とか聞き取れるくらいの声量で話す。

「お前は俺っちたちと同じ孤独者だ。人々に恨まれ、怖がられ、罵られる。あげくの果てに粛清会を作り死ぬまで恐ろしい目にあわされる。そんな世界に何も思わないのか? 変えてやろうと思わないのか? どうして、俺っちたちの仲間にならない。」

 彼の話声は聞きとりにくかった。

 泣きながら話していたからだ。

 だから悠は優しく微笑みながら答えを返す。

「僕だってこの世界には色々言いたい。なんなら、自分を異物として見られるのではなく一人の人として生きていたころに戻りたい。」

「じゃあ、なんで仲間にならない。俺っちたちとこの世界を孤独者だけにしてしまえば、お前だって世界が変わると思っているはずだ。」

「世界を孤独者だけにする、だから僕はその話に乗れない。」

「どういう事だ!」

 青年は驚きが隠せない。

 自分と同じ境遇のはずなのに、さらに痛めつけて考えを変えてもらおうとしたのに、彼自身はまだ自分を曲げない。

「どういう事なんだ、伊豆守悠。」

 泣きながら彼は叫ぶ。

「簡単な話だ。」

 マントの孤独者は微笑む。

「世界を孤独者だけにすれば、確かに僕らは襲われることもなくなるだろう。だけどそんな世界を望んでいない。僕は、孤独病が知れ渡る前の、皆が何も恐れていない時代になることを望んでいる。」

「その世界に、お前の居場所はあったのか。いや、なかったから孤独者になったんだよな。なら何で、昔の世界を望む。」

「それでもあの頃が好きだったんだよ。」

「なん、だって…。俺っちは、俺っちには分からない。なんであの頃がそんなにいいんだ!」

 青年は泣き叫びながらしゃがみこむ。

 ただ、それは仕方ないことなのかもしれない。

 悠も孤独を感じていた人物だが、その感じ方は『普通』とは違うからだ。

 そのことを知らない青年はただ、嘆くしかなかった。

 自分の愛せなかった世界を愛する孤独者に出会ったことに。

 そんな彼に悠は手を差し出す。

「自分の居場所がなかったのか?」

「…。」

「自分の居場所が無かったからって、他の人も孤独者にして居場所を無くそうとしたいのかい? そんなことよりも、僕は自分の居場所を見つけれる人になって欲しいね。」

「俺っちは…、俺っちは…。」

 心が悠と OLW で揺れる。

 青年は出された手を取ろうか取ろうまいか、大きな選択に迫られた。

 OLW には共感したことがたくさんある。

 だからこそこの東清に来たのだ。

 自分が感じてきた辛さを、苦しみを、皆が味わえば世界が変わる。

 そう信じてここまで来た。

 それに対して、特異中の特異の存在である伊豆守悠。

 彼の言っていることは無理だ。

 なぜなら、それはできなかったからだ。

 自分の居場所があれば孤独病にならなかったし、今こうして苦しむこともない。

 だから彼を否定してやりたい。

 しかし、彼が言うとなぜかできそうな気がする。

 今までなかった自分の居場所を見つけられる。

 そう思ってしまう。

「僕ら孤独者にないのは勇気だ。ただまぁ、君の背中くらいなら押せる。」

「いずもり、ひさし…。」

 思わず手を取った。

 いや、こうなることを青年自身が望んだのかもしれない。

 その答えは誰も分からないが、一つだけ分かることがある。

 伊豆守悠は温かい。

 繋がった手からそう感じ取れた。

 しかしそれはたった一瞬で終わった。

 力が抜け、その場に倒れこむ。

 痛いとも感じる間もなく、意識は、いや、命が無くなった。

 握っていた手がいきなりすり抜け、悠は茫然とする。

 青年の体に刺さっているナイフを見て、初めて何が起きたか分かる。

 彼は殺されたんだと。

「誰だ。ナイフを投げたのは。」

 何とか言葉を絞り出す。

 現実に心が追い付かないが、感情でナイフが飛んできたと思う方向に振り向く。

 怒りと悲しみを持った目線の先には、青年の仲間の子どもがいた。

 にやりとした笑顔。

 不気味さしか感じさせなかった。

「少年、君がやったのか。」

 悠は夢であってほしいと願いながら質問した。

 珍しく、現実が受け入られない。

 だが、さらに夢のような事が起きた。

「彼は我輩たちの情報を話し、さらに裏切ろうとした。これはもはや手を下すしかないではないか。」

 見かけによらず大人の男の声で少年は話し出す。

「だが、安心してほしい。君もこれから彼が向かった所に行くのだから。もっとも、吾輩には天国か地獄かは知る余地もないがね。」

 ハッハッハッと高らかに笑う。

 どこか上から目線のこの話し方。

 悠は直接会ったことはないが、最近よく話を聞く。

「テタルトスか。」

 お化けや UMA を見てしまった感じで呟く。

 実際この場にはいないと思っていたのだから、これらと同じ存在なのかもしれない。

 少年は狐以上に悪だくみをしている笑顔で悠に近づく。

「如何にも。吾輩が OLW のテタルトスである。と言ってもこの体は単なるマリオネットだが。だから攻撃しても人形が壊れるだけで意味はない。逆に言うと吾輩も直接君に手を下すことができないのだがね。」

 首をぐるぐる回転させながら笑う。

「さあ、これでチェックメイトだ。」

 テタルトスは、いや彼のマリオネットは何も持っていない手を突き出す。

 それと同時にナイフが悠の方に飛んでくる。

 気が付かなかった。

 いや、持っていたことが分からなかったが正しいのかもしれない。

 いきなり手を出しただけでナイフが五本も飛んでくるのだから、避けようもない。

 勢いよくナイフは悠に当たった。

 だが、キンッと音を立てて落ちていく。

「残念ながら、僕の体には鎖が捲いてあってね。」

 静かに、だがはっきりと悠は話し始める。

「そんな子供だましみたいな攻撃は効かないんだよ。そして、」

 何かを投げるモーションをとる。

 バッキと鈍い音とともに人形の頭が壊れる。

 腕から解けた鎖が一瞬で人形に当たり、壊したのだ。

「お前には絶対痛い目に遭わせてやるからな。」

 目を赤くしながら叫んでいた。

 楽しみにしている。

 どこからかテタルトスが言ったような気がした。

 ただの空耳かもしれない。

 だが、その答えを出すのは意味がないのかもしれない。

 荒れている呼吸を整え、悠は服装を直す。

 そしてマントを手でたなびかせ、故人のもとに向かう。

「帰ろうか。」

 話しかけてみたが、当然返事はない。

 しばらく横たわっている彼の隣で立ち尽くす。

 本当はずっとそうしていたかった。

 しかし、彼はお尋ね者。

 警察や粛清会からは逃げなければならない。

 パトカーのサイレンが今回の別れの合図だ。

「さよなら、だな。」

 そう言って彼はスーパーの前から立ち去った。

 道路には雨でできた水たまりとは別に、新たな水たまりができていた。


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