二 集え、東清へ

 チュンチュン チュチュン


 雀の声が響きわたり、目を覚ます。

 朝日が窓の外から申し訳なさそうに差し込んでくる。

 ふと伸びをしながら息を吸い込むと、イグサのにおいが体に入ってくる。

 あまりにも平和な朝なのでいつものように洗面台に向かうが、体の節々が痛み始める。

 あ~、そう言えば襲われたんだったなぁ。

 眠い顔を鏡に映した伊豆守悠は昨日の夜を思い出していた。

 金髪の少女を肩に担ぎながら逃げ回り、何とか追っ手を撒いた。

 それからこの宿に向かい、着いたのはもう十時を回っていた。

 そのあとは傷の手当てをして、宿周りの安全を確認してから寝た。

 大体それが十二時で今が五時半だから、彼にとっては寝足りないような、もう十分なような、なんとも微妙な時間なのである。

 しかも今年で二十八歳。

 疲れも一晩では取れなくなり、昔はよくもまぁ、劣悪な環境で逃げまわっていられたと感心している。

 顔を洗い、大きなあくびをしながら手を拭く。

 そして、寝ぐせの付いた頭をかきながら布団に戻る。

 自分が寝ていた、汗で少し湿っぽくなっている布団にもう一人の宿泊客がいる。

 彼女こそ、昨日悠が担いで連れてきた少女。

 鎖を巻かれて傷ついた右手は今、包帯が巻かれている。

 金色の髪はリボンをほどき、くしゃくしゃになっている。

 寝顔はとても可愛らしく、昨日さんざん睨んできた顔とは別のように思える。


 コンコン


 古びた窓から音が聞こえる。

 建てられてから幾年もったっている民家みたいな宿だが、お化けが出ると話は聞いたことがない。

 徘徊する婆さんは出るらしいが。

 悠を賞金首とも気づかない受付の言うことなので、彼はあまり信じていない。


 コンコン


 再び音がしたので窓に近づくと一匹の燕がいた。

 燕は筒状のものを背負っており、悠はその鳥が何者か分かった。

 窓を開け、燕を部屋の中に招く。

 その燕は丁寧に一礼してから入ってきた。

「やあやあ、ご苦労さん。」

 悠は燕に話しかける。

 燕は筒を悠に渡し、あくびをしてから窓辺で寝始めた。

 そして代わりに、布団で寝ている少女が動き出した。

「ん? ここどこ?」

「やあ、起こしちゃったみたいだねぇ。」

「なんで伊豆守悠がいるの!?」

「君は寝ると記憶がリセットされるのか。」

 慌てている彼女に対して悠は呆れ気味に言葉を返す。

 しばらくはこの状態が続いたが、彼女は自分の右手を見て大体のことを思い出した。

「昨日は散々なことしてくれたわね。おかげで右手痛いし、こんなところに連れてこられるし。」

「手は一ついい勉強したと思いな。ただ、連れてこられることに文句を言われるのは心外だなぁ。」

「はぁ? あの状況でも一人で帰れたし。何の問題もないもん。」

「一般人には手を出さない。これを守っている君にそれができるとは思わなかったんだけど。まぁ、まだ文句があるなら聞くけど。」

 悠の言葉に彼女は言い返せなかった。

 実際、囲まれた状況で襲われたらどうしようもできない。

 それを助けてくれたのだから感謝すべきなのかもしれない。

 ただ、彼女はそれをしたくなかった。

「まぁ、なさそうだからいいか。それより下に食堂があるんだけど、一緒にどうだい? 何なら奢るけど。」

「要らない。」

「ダイエットか? なら朝食を抜くんじゃなくて、夕食の量を減らすことだな。まぁ、しなくてもいいと思うけど。」

「違うわよ。」

 悠の誘いに彼女は怒りながら返す。

「なんであたしが孤独病の人と一緒にご飯食べないといけないのよ。うつったらどうしてくれるの。」

「孤独病はうつる病気じゃないけどなぁ。まぁ、世間体もあるか。お嬢ちゃんの分も僕が払っとくからあとで行きな。旨いかは知らないけど。」

 奇妙な笑い声を出しながら悠が扉を開ける。

 ギィ、と音が鳴り少し不快感を覚える。

「待ちなさいよ。」

 彼女が呼び止める。

「昨日から思ってたけどお嬢ちゃんってやめてくれる。今年で十九になるのに子ども扱いされてるようで不愉快ね。」

「僕から見たら十分子どもなんだけどなぁ。」

「うっさいわね。とにかくやめて。」

 彼女は怒りながら部屋の外に出ていた悠に近づく。

 ほどいた髪に黒のノースリーブとミニスカートの彼女は少し色っぽかった。

 たしかに少女扱いして、お嬢ちゃんと呼ぶには大きすぎる。

「ん~、やめるのはいいが呼ぶのに困るからなぁ。名前教えてくれない?」

「はぁ!? 孤独病者に名前教えるってどういうことか分かってんの! 超能力で何されてもいいと思っている自殺願望者がやることよ。」

 悠の誘いに彼女は大声を出す。

 今、宿に他の客がいなくて良かったと悠は思いつつ、会話を続ける。

「じゃぁ、どうしようもないな。お嬢ちゃんでやっていこうか。まぁ、名前を教えてどうのこうの話はいろいろ言いたいけど。」

「何? 文句あるなら言いなさいよ。あたしみたいに。」

「そんな怒なくてもなぁ。まぁ、名前を知ることによって使える超能力はあんまり聞かないからね。世間が事件によってビビりすぎだなと思うなぁ。」

「へぇ、ならあんたの能力はもっと全然別と。」

「まあね。当てれたら教えるよ。」

 腕を組みながら質問する少女に悠は笑いながら答える。

 誰か当ててくれないかなぁ。

 心のどこかで彼は思っているが、周りからすればただの迷惑なやつに過ぎない。

 しかし、彼女は即答で返す。

「鎖、でしょ。」

「あー、よく言われるけど違うなぁ。これはちょっと訳ありだからね。」

「何それ。教える気ないんでしょ。」

「お嬢ちゃんの名前と同じと思えばいいんじゃない。僕の方が質が悪いけど。」

 そう言って悠は扉を閉めようとした。

 しかし、寝起き姿の彼女はそれを精一杯止める。

下谷しもたに世和せわ、これでいいんでしょ。」

 少し睨みながら金髪の彼女、世和は悠に名前を明かした。

 そして、彼が立ち去る前に言いたいことも付け加える。

「朝ご飯を一人で食べるなんて孤独者みたいじゃん。あんたしか話相手いないから、準備待ってなさいよ。」

 世和は慌ててチャイナドレス風の服を着に部屋の中へ戻る。

「あれをツンデレと言うのか?」

 悠はきょとんとしながら呟いた。



 ジュウウウウ


 美味しそうな匂いと音が食堂に広がる。

 少し古ぼけた、もとい味のある食堂には机が三つほど並んでいる。

 その奥に調理台があり、今そこで60くらいのおじいさんがせっせと目玉焼きを焼いている。

 見た目こそベテランそうだが動きはぎこちない。

 不安そうに悠と世和は椅子に座って待っている。

「あの爺さんがあたしたちのご飯作ってんの? なんか砂糖と塩間違えそう。」

「まぁ、それはそれで面白いと思うけど。」

 悠はそこまで不安ではなかった。

 世和も食べれるものが出てくれば良いと思っているので、悠ほどでないにしろ不安は少なかった。

 それよりもあのおじいさんにカップルと言われたことが不満になっている。

「ん~? どうした? そんなしかめ面してたら飯も不味くなるぞ、世和ちゃん。」

「あんた、わざと名前呼んでるでしょ。」

「気に障ったなら失礼。どうもこういうことが多くて。」

「学習したらいいんじゃない。あたしはそれについては怒ってないけど。」

 世和は頬杖を突きながら悠の相手をする。

 彼が意外とおしゃべりでだんだん嫌気がさしてきた。

 正直、おしゃべりな女子並みにキツイ。

 貧乏ゆすりを無意識に始めてしまう。

 その様子を見て悠もさすがに場の空気を変えなければと思った。

「世和が興味ありそうな話しようか。」

「もうどうでもいいわよ。」

「昨日の夜の戦いなんだけどさ。」

 座りなおした彼の言葉に世和は反応する。

 視線もずらしていたのを彼の顔に戻す。

「僕ら、どうして襲われたのかな。」

 腕を組みながら世和に疑問を投げかける。

 彼女も姿勢を直しながら答え始める。

「それは簡単でしょ。あたしが粛清会の一員であんたは孤独病者。それだけで襲われる理由になるんじゃない?」

「それならどちらだけでいいんじゃないか。わざわざ戦っているのを邪魔してまですることでもないだろ。」

「相手が孤独病者でしょ。ならあたしを狙うのは当然。それにあんたは相当な値の付いた賞金首。そんな人を倒したら嬉しいに決まってるでしょ。」

「なるほどね。」

 その賞金首は笑いながら答えた。

 自分にかなりの値が付いていることではない。

 持っていきたい結論に近づいているからだ。

 なので、さらに近づく質問を続ける。

「たまたまあの場で始まった僕らの闘争に孤独者が居合わせて、ちょうどいいから倒そうかなと思って手を出したと?」

「何が言いたいのよ。」

「あの場にいたのは最低二人。ただ、動きのぎこちなさを考えると三人はいるね。そのうち二人は何かしらの能力を持ち、一人は世和を狙った。なら三人とも孤独だと思っていいだろう。なら、あの賑やかな通りに僕を含め孤独病者が四人もいたことになる。そんな偶然があると思うかい。」

「あるから、あそこで戦いに参加することができたんでしょ。」


 はぁ。


 悠が大きなため息をつく。

 そして少し頭をかきながら口を開く。

「なら質問を変えよう。あの場で四人ともが戦いに出てくる理由はなんだ。僕は偶然世和と会ったからとして、他の三人はないと思うな。」

「だからさっき言ったでしょ。あたしとあんたが倒せたらいいなって思ったんでしょ。」

「賞金が付いてるかは別にして、皆追われてる立場だぞ。他の粛清会の人もいるかもしれないのに、わざわざ戦うより逃げる方が賢明だと思うなぁ。」

「だから何が言いたいのよ。まさか、三人が結託していたと言いたいわけ。」

 悠の回りくどい話し方のため世和はイライラしてきた。

 彼はその怒りに気づかないが、答えを返した。

「まぁ、そうなるんじゃない。結託にしては雑過ぎると思うけど。」

 世和は混乱した。

 独りぼっちだから孤独病になるのだ。

 そんな人達がどう、力を合わせることができるのかと。

「あー、やっぱりそうなるか。ならヒントを出そうか。」

 悠は別に当たり前のことなんだけどなと思いつつ、世和に語る。

「孤独病者だからって仲間がいないわけじゃない。現に僕がそうだからねぇ。まぁ、これは珍しいから気にしなくていいよ。もう一つ力が合わせれる方法は、誰かが彼ら一人一人に話を持ちかけること。現実にやるなら、交渉が上手な仲介者がいるかリターンが非常に嬉しいものかだな。孤独者が結託して何かするなら、この二つだと思うよ。」

「何? あんたは病気のやつ集めてあたしたちを襲わせた奴がいるとでも言いたいの。」

「まあねぇ。」

 悠もようやく世和に言いたいことが言えて満足する。

 その世話はただ唖然とするしかなかった。

 これまで孤独者が力を合わせるなんて思いもしなかったから。

「まぁ、今度君の上司にも聞いてみなよ。物分かりがいい人なら何か答えてくれると思うよ。」

 世和は上の空でしか返事ができなかった。

 ちょうどその時、シェフのおじいさんが朝食を持ってきてくれた。

 少し焦げているベーコンと目玉焼きがメインの定食。

 もちろん朝なので量は少ないが、白米やみそ汁、納豆とどこか日本古来の食事を連想できる組み合わせとなっている。

「この後はお二人で仲良く…。」

 そう言って、シェフは食堂を後にした。

「何考えてんだ? あの爺さんは。」

 悠が目でシェフを追うが、扉の向こうに行ったのでその先は諦める。

 仕方なく世和の方に戻すが、彼女はまだ固まったままだ。

「冷めてもおいしくないんで、食べようか。」

 彼はいただきますと呟いて、少し焦げた朝食を食べ始めた。

 向かい側の少女も食べ始めたが心ここにあらずの状態。

 焦げていることには気が付かなかった。

 そのあとも世和はぼんやりとしながら食事を食べ終え、悠に部屋まで送ってもらった。

 もともと同じ部屋なので、悠にとってはあまり苦労もないが。

 ただ、いつまでもぼんやりされていると不安なので少し頭を抱える。

 そんな気配を感じたのか、部屋に残って寝ていた燕が悠のもとによって来る。

 ここは妾に任せるのじゃ。

 まるでそう言ったかのように悠に目配りをし、呆けている彼女のもとへ飛んでいった。

 体に当たりそうなところまで突っ込み、そのまま急上昇する。

 世和からすればいきなり下から顔の前を何かが通ったことになる。

「!? えっ、何…。今何が起きたの?」

 彼女はあまりにも驚いたため尻もちをつく。

 そのまま辺りを見回して、頭の上を飛んでいる燕を見つけた。

「あぁ、朝迷い込んだ鳥か。びっくりした。」

「おー、ようやく呆け収まったか。」

 肩を下ろした世和に悠が待ちくたびれたかのように話し出す。

「いつまでもあんな感じならチェックアウトも出来ないからねぇ。さっ、荷物まとめてもうそろそろ行こうか。」

「あたし、あんたに連れてこられたから手ぶらなんだけど。」

「そいつは失礼。なら、僕がちゃっちゃと準備するんで、ちくとそいつと一緒に遊んで待っててくだされ。」

 改まったものの言い方をした悠が指さしたのは燕。

 指名された当の本人が一番驚いている。

 それを見て笑いながら彼は旅支度を始めた。

 さすがに世和もいきなり燕と遊べと言われても困り、取り合えず指にとまらせた。

「このこ、なに?」

 鳥に本人のこと聞いても答えてくれないので、手を動かしている彼に聞く。

「あれ、燕知らない? 春に南からくる渡り鳥。僕が小学生の時は体育館の扉のトコに巣を作ってたけどな。九つも離れれば時代も変わるか。」

「そんなこと聞いてないわよ。ツバメくらい、私も家の軒下で巣作ってるの見たわ。そうじゃなくて、なんでツバメがこんなとこにいるのって聞いてんのよ。」

「なんだ、そっちか。彼女は伝令役でね。仲間が僕に連絡を寄越すときに手紙を筒に入れて運んでくれるんだ。皮肉なもんだね、自由を象徴する燕が飼い鳥なんだから。」

 悠はため息を一つついて荷造りを続ける。

 しかし、世和は何も答えれなかった。

 悠の仲間のこと。

 つばめがペットとして飼われていること。

 手紙を運んでいること。

 など疑問があふれてきて処理速度が追いつかない。

 もう、頭の中はパニックである。

 ボンッ

 ついに世和は爆発した。

 それに驚いた悠は慌てて彼女の方を見たが、苦笑いして首をひねった。

「やっぱり孤独者に仲間がいるは理解されにくいか。」

 そしてまとめた荷物と一緒に彼女を担いで宿を出る。

 そして、裏手に止めてたバイクのもとへ向かう。

 これでもきちんと普通自動二輪車の免許を取っているので、運転をしても何も問題ない。

 免許をどうとったかは本人以外の人は知らないが。

 頭がオーバーヒートしていた世和もようやくクールダウン出来た。

「えっ、あたしまた担がれてる。」

「もうチェックアウトの時間だったからな。頑張って連れてきた。」

 驚いてる彼女に悠は答える。

「まぁ、もう問題なさそうだね、ならここでお別れかな。世和ちゃんなら僕がいなくても仲間のもとに戻れるでしょう。短い付き合いだったけど楽しかったよ。じゃあ。」

 悠は担いでいる世和を下ろし、別れの挨拶をする。

 彼女も雰囲気で手を振り始めるが大切なことを思い出す。

「待て待て待て。あたしはあんたを捕まえに来たんだ。何サラッと逃げようとしているの。」

 大慌てで悠に向かって走り出す。

 しかし彼はもうヘルメットを被り、いつでも出発できる状態になっていた。

「そんじゃ、もう行くから。飛び乗ろうとして失敗しても責任取れんから。」

 大きなエンジン音と共にバイクは走り出した。

 そしてあっという間に世和の視界から消えた。

「あ~、もう。初めて逃げられた。」

 彼女の叫び声が響き渡った。

 悔しくて地べたに座り込む。

 君の心が満たされる人生を。

 そんな言葉が風に乗って流れてきたことに気が付くことはなかった。



 ザザザーザザーザザザザザザー


 アンテナを伸ばしきったラジオが何かを伝えようと頑張っている。

 暗い室内にディスプレイが何台も置かれているが、今は一台も電源が入ってない。

 他には冷蔵庫や電子レンジなどが設置してあるが、住むには少し悪環境と言わざるを得ないくらい家具は少ない。

 しかし、部屋自体は汚くないので誰かが掃除しているのだろう。

 そんな部屋の長椅子に一人の女性が寝ている。

 淡い寒色系の髪が肩を隠すぐらい伸びているが、横になっているのではっきりとした長さは分からない。

 服装は黒のノースリーブとミニスカートとどこかで見たことがある。

 体のラインは女性だがあまり胸の膨らみは目立たない。

 顔も幼さが残っている感じだが、大学生くらいには見える。

 そんな彼女の顔に窓から入った太陽の光が当たる。

 その眩しさに気が付いたのか、彼女は起きた。

「ああ、もう朝ですか。まったく、いつも憂鬱な気分にさせてくれますね。」

 大きく伸びをして、椅子から降りる。

 寝ぐせが付いているが彼女は構うことなく冷蔵庫に向かう。

 日課の朝アイスを食べるため冷凍庫を開けるが、ここで彼女は悲劇に見舞われる。

「…。中が冷えてない、ですね…。」

 グチョグチョに溶けたアイスと氷だったと思われる水が、生ぬるい保管庫に入ってた状態になっていた。

 ショックで言葉を失ったが、昨夜の出来事を思い出せば仕方ないことだ。

 気を取り直してコーヒーを入れるためにケトルの電源を入れる。

 カチッ

 スイッチの手ごたえはあるが、電源ランプは付かない。

 コンセントが繋がっているか確認したらきちんとささっていた。

「これもダメになっているやつですか。」

 彼女は諦めてまた寝ることにした。

 長椅子にバサッと倒れこみ、小言を二、三言、呟こうとした瞬間扉が開く。

「ただいま~。あれ、八重やえちゃん起きてたの?」

 長い銀髪に隠れかけている優しそうな顔。

 目の前の彼女とは対照的に健やかに、凹凸がはっきりとわかるように育った体。

 その体を陰陽師のような服装でまとっているが、スカートやノースリーブ型の着物、袖は後付けと現代でも映えるようになっている。

「残念ながら寝ましたよ、周香しゅうかさん。家電が動かなくてやる気をなくしました。」

 八重と呼ばれた、もともと家にいた彼女は口を尖らせた。

 それを見た銀髪で、周香と呼ばれた彼女は八重にのしかかる。

「そんな拗ねられても困るよ。八重ちゃんに頑張ってもらわないと車内の家電全替えよ。」

「あー、そんなに胸押し付けて嫌味ですか。もうわたし仕事しませんよ。ラジオは動くので後は一人で頑張ってください。」

「えー、電波届かないの知っていってるでしょ。それだと車を移動させないといけなくなるよ。」

 八重に抱きついた周香がそのまま起き上がる。

 そして何とか八重を椅子に座らせる。

 その八重はまだ頬を膨らましている。

 だんだんいろいろ不満に思えてきたようだ。

「周香さん。わたしはトラックを改造してキャンピングカーみたいにすることは賛成でした。それで、今まで旅を楽しんできましたし。これからもそうでしょう。」

「そのために色々頑張ったもんね。」

「でも雷に打たれて機能ストップってどういうことですか。しかも孤独者の能力ですよ。直すのも買い替えるのもそいつのやることですよ。」

「だいぶ、ご立腹だね。」

「それにあの新人、昨日出て行ってから全然連絡ないじゃないですか。おかげで移動もできない。もうやってられませんよ。」

「それ、本人の前で言っちゃう?」

 八重は周香の一言で我に返った。

 部屋の、正確にはトラックの荷台の入り口に新人が立っていた。

 金髪にガサツなポニーテール、チャイナドレス風の戦闘服に少し破れている袖。

 下谷世和だった。

「あー、お帰りなさいです、世和ちゃん。」

 彼女を見つけた八重は何事もなかったように挨拶する。

「ボロボロですが何かあったんですか。連絡くれれば迎えに行きましが。」

「よく言えるわね。ホントに色々あったから、全部話したいけど。」

 世和は涙混じりに二人に訴えた。

「そうねぇ、落ち着いて話してもらう? 飲み物何もないけど。」

 周香は座布団を円形に並べ、皆を座らす。

 そしてそのまま司会役となる。

「それでは精神性交友関係障害者保護機関蜂須賀班の会議を始めるね。では世和ちゃん、何があったか教えて。」

「毎度思うのですが、いい加減過ぎませんか。その振り方。」

 周香のセリフに八重が突っ込む。

 しかし、世和は何があったか早く話したくて、気にせず言い始める。

「えっと、伊豆守悠に会って、それでよく分からない孤独病のグループに襲われて、伊豆守と宿まで逃げた。それで、傷の手当てをして一夜明けたから帰ってきた。それでね、それでね、あいつが訳分からない話してたけど、」

「話がトントン拍子でよく分からないんですけど。」

 色々話したい世和を八重と周香は何とか一つ一つ丁寧に聞き出して、彼女の身に何が起こったか理解した。

「とりあえず災難でしたね。悠と戦いグループとも戦い、最後はお持ち帰りと。」

「あたしが宿で何かされたって思ってない? 八重さん、それは絶対ないから。」

「分かってますよ、それは。あなたの身の上話は何度も聞きましたから。」

「ちなみに、私たちはここで世和ちゃん待ってたら雷落とす孤独者に会ったよ。おかげで車に積んでた家電が全部だめになっちゃった。」

 八重が腕を組みながら返事をするのに対し、周香は嬉しそうに自分たちのことを話す。

 何故嬉しいのか、その意味をその場にいなかった世和には分からなかった。

 しかし、彼女はそんなことよりも聞きたいことがある。

「家電の話よりあたしが一番聞きたかったこと聞いていい?」

「家電も大事ですよ。私が一晩掛けてパソコン直そうとしたのに、結果はこの様ですが。」

 八重が電源ボタンを何度も押すが、パソコンは一行に起動しない。

 それを横目に周香は何が聞きたいのと、世和に話を振る。

「孤独病のやつらって、仲間がいたり、協力したりするの?」

「「あー。」」

 世和の質問に八重と周香は何かを悟ったように声を出す。

 そのあと声を出した二人はお互いを見たが、八重が仕方なさそうに話を切り出す。

「世和ちゃんはどうして私たちと一緒に行動しているのですか。」

「それは、上からの命令?」

 はぁ。

 八重がため息をつく。

 それを見た周香が合いの手を出す。

「なら世和ちゃんはどうして保護機関に入ろうと思ったの?」

「決まってるじゃない! 孤独病のやつらを全員捕まえるためよ。」

「捕まえるだけなら一人でもできるね。でも、会員になったんだよね。どうしてかな?」

「それは皆でやった方が早いし、危険も少なくなるし、色々都合がいいから。」

「そうだよね。」

 周香は優しい笑顔を何も分かってない金髪の少女に向ける。

 その彼女は何をしたらいいか分からず、目をぱちくりとする。

 そんな様子を見て今日何度目か分からないため息をついた八重が答えを言う。

「孤独病者も同じ、なんですよ。」

「へ?」

「彼らも団体行動した方が良いことあるからするんですよ。」

「それ、おかしくない?」

 世和は朝食の時と同じで頭が混乱してきた。

 孤独な人たちがどうして団体行動をとれるのかが分からない。

 独りぼっちがどうして、一人じゃなくなるのか。

「あなたは一つ勘違いをしてますね。」

 八重が座りなおす。

「別に彼らは独りぼっちじゃないんですよ。」

「えっ、でもあいつら孤独病なんでしょ。」

「そうですね。彼らは孤独を感じているから精神性交友関係障害と診断されます。しかし、孤独を感じる人は独りぼっちの人だけなのですか。」

 学校で多くの注目が集まっていても、目標に向かっては一人でしか走ってない人。

 会社のチームで作業をしていても、自分一人しか頑張ってないと思う人。

 また明日と言って友人と別れた後、家に一人しかいない人。

 好きなものに打ち込むほど周りは離れ、ネットの世界にしか話相手がいない人。

 誰かが隣にいるのに気づけない人。

 そう、誰かが周りにいるのに、本人は孤独だと感じる。

 そして、それがこじれるとだんだん病気となる。

「大抵の人は集団に自分の居場所があるんです。しかし、それを見失ったとき人は孤独を感じ、どれほど多くの友人がいても孤独病になるんです。」

「追加して言うと、孤独病の人も集団行動をとれる人は多いよ。だから、集団で行動する機会があればすると思うよ。世和ちゃんを襲った人たちみたいにね。」

 周香も補足をする。

 仲間が欲しいだけかも、とも。

 ただ、世和は分かったようで分からなかった。

 回りに人がいるのに孤独を感じることを。

 そして、特にこのことを。

「伊豆守悠は仲間がいるのに、孤独を感じてるの? そんな人が多くいるってこと? 何なの、あいつは周りが見えてないってこと? バカじゃないの。」

 思わず声が大きくなった。

 その答えを周香は知らなかった。

 しかし、八重はそっと呟いた。

「彼には彼の考え方があるんですよ。」

 儚いものに思いを寄せている声だった。

 何を知っているの?

 世和がそう言おうとしたとき、無線機が声を発した。

蜂須賀はちすか八重、応答せよ。」

 粛清会本部からの連絡だった。

 三人ともいきなり流れてきて驚いたが、八重は慌てて機械に駆け寄り返事をする。

「こちら八重。用件は。」

「東清で孤独病者が集まっている噂を入手。そこで蜂須賀班は事実確認を行うこと。また、事実であればその理由の把握に努め、集まった病者を確保せよ。」

「無理難題ぶっかけますね。」

 呆れ気味に八重は返事をする。

 しかし、無線機は反論を聞かない、と言って切れた。

 彼女はしばらく何もしなかったが、急に振り返って指示を出す。

「これから東清に向かいます。まぁ、そこで何をするかは行ってみて決めましょう。」

「なら、すぐに出発する?」

 と聞きながらも周香は運転席に向かう。

 小型とはいえトラックを運転できるのは彼女しかいない。

「そうしましょうか。」

 八重は一言で返す。

 そして間もなく部屋が乗ったトラックが動き出した。

 しかし、世和は時間が止まったように考えていた。

 孤独者のことを。

 悠のことを。



 ブウウウン ブン ウウウウウーン


 エンジン音が山に通された道に響き渡る。

 二つのタイヤとアスファルトが擦れあい、火花が散る。

 隣を走るトラックを追い越し彼はまた、走行車線に戻る。

 フルフェイスのヘルメットを深くまで被り、伊豆守悠は正体を隠しながら高速道路をバイクで駆け抜ける。

 世和からひょうひょうと逃げ、そのままここまで来たのである。

 それにしても面白い子だったなぁ。

 彼は会ったのがずっと前だったような感覚に陥りながら、そっと笑みをこぼす。

 彼は基本出会った人みんなに面白いと形容するが、彼女はその中でも群を抜いて面白かったようだ。

 喜怒哀楽の激しさ。

 それが面白いと思い、そして、どこか羨ましいとも思った。

 彼自身も幼いころは人並みに喜び、怒って悲しんで、楽しんでいた。

 いや、怒りは少なく哀することは特別多かった記憶がある。

 それがいつの頃か泣くことを忘れ、怒ることは消え、そっと微笑むだけの人生を送っているだけになっている。

 いや、まだよく笑っているか。

 どこかに面白さを求めているからなぁ。

 悠は口角を上げ、スロットルを回す。

 そして、またどこかで世和に会えないかなと思う。

 彼は孤独病だが、別に他人に対して嫌気がさしているわけではない。

 逆に周りの人を大切な存在、大事な仲間と思っている。

 人付き合いが嫌いなわけではなく、気の合った仲の人々とは群がることもある。

 初対面の人には奥手、いわゆる人見知りみたいになることも多い。

 ただ単に猫を被っているだけなのかもしれないが。

 誰かと過ごしたい。

 その願いがあることは確かだ。

 その願いがあるにも関わらず、実際に動かないからなのか、彼は小学生の高学年から一人でいることも多い人生を送ってきた。

 その頃から自分は独りぼっちかもしれない、と思うこともあった。

 ただ、小学生がそのことを正解と決めるには無理だった。

 ただ、可能性の一つに過ぎなかった。

 それを自覚したのはもう少し後だが別の話。

 とりあえず、彼は一人が嫌なのは確かなので、誰かといることはものすごく嬉しかった。

 そして、久し振りに誰かと楽しい時間を過ごせた。

 下谷世和。

 奇抜な格好が多い今日でも目立つ格好をしていた彼女は、きっと今後も輝き続けるのだろう。

 自分には決してできない。

 ふと、彼の意識が思考の世界から現実に戻ってくる。

 あ~、気を付けないと事故になるからなぁ。

 再びトラックを追い越しながら、彼は呟く。

 抜かしきったところで路肩の看板が目に入る。


 東清 270km


 長いなと思いつつ坂を上る。

 偶然なのか必然なのか、悠の目的地も東清である。

 今朝、燕が運んできた筒の中に手紙が入っており、それを見て彼は動き出した。

 送り主は仲間の便木進たよりぎすすむ

 東清の近くに住む彼は悠の孤独者仲間。

 孤独なのか群がっているのかよく分からないが、仲間である。

 そんな彼が送ってきた手紙にはこんなことが書いてあった。

 今の東清の辺りに孤独者が集まってきていて、表なり裏なりで騒ぎを起こしている。

 さらに、何か大きな事を起こす噂を耳にする。

 今すぐ来て欲しい。

「まぁ、孤独者を大勢集めて起きるのは悪いことだよなぁ。どんなこと考えているんだ、僕とは違う世界に生きている人達は。」

 独り言が口に出る。

 しかし、悠は気付かず、答えを考えながらバイクを走らす。

 正直な話、その辺にいる見ず知らずの人に何か協力を求めても、手伝ってもらえる方が珍しい。

 ましてや孤独者だ。

 よっぽどの理由がないと動かないことが多い連中である。

 となるとその理由か。

 孤独者が喜びそうなことでもやるのか。

 皆を孤独病にしてもいいが、ウイルスじゃぁないからなぁ。

 心次第でどうこうなるものに手の出しようはない。

「仕方ないなぁ。行って何をしているか見てみるか。」

 粗方悪いことだから止めるんだろうな。

 そのために便木も呼んだんだろうし。

 どこか嬉しそうに、どこか呆れたようにため息をつく。

 さてさて、あと四時間で着くかな。

 ひとつ目標を立て運転に集中すると、周りが変わっていることに気が付いた。

 寒気、いや冷風か。

 夏だと言うのに寒さが全身を襲う。

 風が吹いて体温が下がるだの、山の中だから気温が下がるだのと言ったレベルではない。

 何かがおかしい。

 いつもなら、この道は交通量が少なくて楽に走れる道なのに。

 何がいつもと違う。

 悠はその正体を探した。

 そのためバイクのスピードは落ちていき、ついに下限速度まで来た。

 その時、おかしなものを見つけれた。

 自分と一定距離を保った後続車。

 抜かしてもいいのにきちんとついてくる。

 サイドミラーに映ったその車は黒色のワンボックス。

 そして助手席にはライフルを構えた人影。

 これら全てを見て、悠は悟った。

「昨日の連中かぁ。」

 少しやる気がなさそうに呟き、スピードを上げる。

 しかし、もう銃の射程距離に入っていたようだ。


 キーン


 高い音と共に左のミラーが吹っ飛ぶ。

 運転に支障はないが、気分はよくない。

 次はお前の番だと言われているようで。

 まぁ、体に当たらなくて運が良かったと思うしかないな。

 苦笑いをしながらスロットルを回す。

 しかし、ここは山道。

 道は曲がりくねっていたり、カーブが急激過ぎたりとなかなかスピードが出せない。

 そんな環境でも彼は制限速度を超えるどころか、ぐんぐんスピードを上げていく。

 まるでオートレースのように颯爽と高速を駆け抜ける。

 後ろのワンボックスも彼を見失わないようにと必死に追いかけてくる。

「なかなかやりますな。」

 感心している悠に右カーブが迫ってくる。

 しかもかなりカーブがきつく、距離も長い。

 バイクを限界まで傾けても曲がりきれそうにない。

 遠心力でそのまま壁の方まで車体が流れる。

 そして激突!

 とはならず、悠を乗せたバイクは走り続けた。

 傾斜している壁に上手にのり、高い位置に移動しながらもさらにスピードを出す。

 続く黒き車も車高が高いにも関わらず、ドリフト走行でこのカーブに進入する。

 甲高い音が響き渡り、よりドライバーに緊張感が生まれる。

 悠は傾いた世界で転倒しないようにバランスを取りながら、長く、長く続く右カーブの終わりを目指す。

 その終わりは次なるカーブ、つまり左カーブの始まりでもある。

 山の形に沿うように道路を造ったら、この様なカーブが続く道になったのだろう。

 そして、それが不幸となった。

 彼がカーブの終わりも見えてきて、壁をゆっくり降りている時、前を走っている車の影が見えた。

 さらに近づくとそれは絶望にしか見えなかった。

 大型のトラック。

 壁を降りかけている悠にどう抜かせと言うのか。

 どう頑張っても今のスピードだと突っ込む未来しか見えてこない。

 さすがに彼も怯んでバランスを崩しかける。

 しかし、悠はそのまま突っ込むことにした。

 勢いをつけてトラックに近づく。

 その距離がもうバイク一台分くらいしかなくなるまで。

 その時、壁に飛び出ているところ、いわゆる突起がありタイヤがその上を通る。

 バイクは宙へと浮きながら、巨大な壁となっているトラックに向かっていく。

 それでも壁を跳び越すことはできない。

 悠はハンドルを上に引き、何とか高さを出そうとする。

 すると運よく前輪が荷物を入れる所の天井部に引っ掛かった。

 その後落ちそうになるがスロットルを回し、トラックの上まで登りつめる。

 一方、悠を追いかけてきていた黒のワンボックスカーも負けてはいなかった。

 恐ろしいほど長い右カーブにはドリフトで対応した。

 車高が高いため車の重心も上の方に来る。

 つまりバランスがとりにくく、何度も左側へと倒れそうになるがドライバーの腕が素晴らしかった。

 倒れそうになるたびに細かいハンドル捌きで持ちこたえ、この長いカーブを走り抜ける。

 しかし、前にトラックがいることは悠の時と変わらない。

 彼らからすれば突然現れた巨大な壁に、どう立ち向かうか考える時間すらない。

 何とかよけようと追い越し車線に移り、抜かそうとする。

 しかし、ちょうど右カーブから左カーブへと移り変わったところで、車のバランスが上手にとれない。

 ついに左のタイヤが地面から離れた。

 右側に傾き、不安定になったワンボックスカーはこの状態でトラックの追い抜きにかかる。

 浮いた左タイヤをトラックに擦り付け、バランスをとる。

 トラックの運転手からすればとんでもない相手だが、どうしようもない。

 時間にしてわずか5、6秒で追い越しに成功する。

 そして傾いていた車体も元に戻り、四輪で高速道路を走り出す。

 また、カーチェイスならぬ、バイクチェイスが始まるかと思えばそうはならなかった。

 ワンボックスカーは悠を見失ったからだ。

 激しい音とともに走るバイクは確かに小柄で見つけにくい反面、音に頼りながらだと分かりやすい。

 しかし、エンジン音はどこからも聞こえず、フロントガラス、ミラー、どこ見ても賞金首を乗せたバイクは見当たらない。

 それもそのはず、悠はなんとこの黒い車の上に乗っていたのだから。

 バイクに跨りこれからどう動こうかと考えているが、何せ風の抵抗が強い。

 ふら付き、足を交互に車の天板につくので、金属音が響く。


 バキーン


 今まで以上に強烈な音が風に乗って流れていく。

 それと同時にヘッドライトが崩れていく。

「ばれたか。」

 悠は少し慌てながら呟く。

 どうやら、チェイサーにこの車の上に自分がいることがばれたようだ。

 おそらく、今回の狙撃はそれを確認するものだったんだろう。

「さて、どうしようか。このまま乗っていてもまた撃たれるだけだからなぁ。」

 どこかのんきそうな言葉が、口からこぼれる。

 これが彼の特徴なのかもしれないが、それは置いておこう。

 突然、車が蛇行を始め、余計バランスを取りにくくする。

 さすがの悠も耐え切れず、バイクと共に道路へと落ちた。

 バイクがクッションとなり大怪我をすることはなかったが、それでも体のあちらこちらに傷ができ、痛みを覚える。

 しかし、彼は痛がる暇はない。

 黒の車が何をしでかすか分からない以上、相手が動かないようにするしかない。

 右手に巻いてあった鎖を投げつける。

 これで車を捕らえられたら楽なのだが、現実はそんなに優しくない。

 傷つけるだけで精一杯だ。

 そのままブーメランのように戻ってくる。

 車はこの程度の傷でどうもならないことが多いが、悠の狙ったところがたまたま、走行に支障が出る所だった。

 右後ろのタイヤ。

 ここに当たり見事パンク。

 ベテランドライバーでもさすがに上手に舵が取れず、そのまま壁に激突した。

 激しく燃え上がる車だった塊。

 乗っていた人たちも共に燃え上がったと思いきや、そうではなかった。

 ひらりと二つの影が舞い降りる。

 一人は派手な格好の老人。

 ベージュの中折れハットと黒のサングラス、赤のカッターシャツとみているだけで目が痛くなる。

 それでもごついパイプたばこは嫌でも目に入る。

 もう一人は軍服の青年。

 体の線が細く、顔もかなりの美形。

 何故孤独者なのか分からないくらいの雰囲気を出している。

 悠は二人の無事を確認出来て胸を撫で下ろす。

 さすがに死人が出るのは後味が悪いからだ。

 その思いが胸にいっぱいになるや否や、その存在を探す。

 脱出したのは二人。

 昨日の夜悠と世和を襲ったのは三人。

 この三人も悠がそう思っているだけでどこにも保証がないが、彼はそう思っている。

 人を操る人物、狙撃の腕を持つ人物、気温を低くする人物。

 この三人を想定している。

 狙撃手が寒さの能力の持ち主かもしれないが、悠理論だと別々の人物である。

 だから、その三人目を探している。

 何かをされる前に。

「あらぁ、妾をお探しなのかしら。」

 突如、後ろから声がかかる。

 粘りっ気のある女性の声。

 振り向くと黒のドレスをまとった声の主がいた。

 拳銃をこちらに向け、狂った笑顔を向けてくる。

 それと同時に世界が寒くなった。

「お嬢ちゃんが、気温を低くできるのかい?」

 悠が自分の考えが合ってたのか確認しようと話しかける。

 彼女は再び笑いながら返事をする。

「そのとおりだわ。直接触れば一気に冷えますのよ。」

「ならあっちの爺さんが人を操れるのかな。」

「そこまで答える義理は妾にはございませんわね。」

「確かに。」

 少し悲しそうになった彼女に、悠は笑って答える。

 それは彼女の返事がイエスと言っているも同然だからだ。

 ならば、どうすればあの爺さんの術にかからないか、か。

 何かいいアイディアを考えながら車の方にいた二人を見ると、こちらに歩いてきていた。

「まいったなぁ。まぁ、こうなるか。」

 三人に囲まれた孤独者は窮地に追い込まれたが、本人はあまり気にしていない。

 それよりも操られないことばかり考えている。

 他のことはどうにかなると思っていることすら、今の彼にはない。

 それを感じ取った黒ドレスの彼女は悠に近づきつつ話しかける。

「妾が眼中にないとは、痛い目に合うしかありませんわね。」

 右手を突き出し、呪文のようなものを唱える。

 明らかに雰囲気が変わり、その場にいる全員が彼女を見る。

 そして、詠唱が終わり彼女は一歩踏み込む。

「止まれ、寒原かんばら。」

 低い声が場を支配する。

 動き出していた彼女も、右手に意識を向けていた悠も驚く。

 声の主は軍服の男。

 鋭い目が寒さを生む人に向けられる。

「おめーこそやめんか、瀬黒せぐろ。」

 しわがれた声もその場に入ってくる。

 ド派手な爺さんがパイプ煙草を口から離し、白い煙を吐き出す。

 それからにやりと白い歯を悠に見せる。

「安心しな。おれにはおめーを操ることはできねえからな。」

「それは聞けてありがたい。」

 悠も負けずに笑顔を向ける。

 フルフェイスのヘルメットのせいで何も見えないが。

「それで、妾は早く引き金を引きたいのですが、いつまで待たせる気なのかしら。」

 彼女はせっかちなのか、少しいらだちながら会話に入ってくる。

 それを見て軍服の男はため息をつくも、強い意思を表す。

「仕留めるのは、俺だ。」

「まあまあまあ、待ちな若いの。折角だからこやつにやり残したこと聞いてからでも遅くはないだろうからな。」

「チッ。」

「あなたが言うのだから仕方ありませんわね、八百万やおよろずさん。」

 三人の会話が終わり、空気が少し変わる。

 殺伐としつつも、どこか心にゆとりが持てるような感じだ。

 だからこそ、悠は落ち着いて立っていたのかもしれない。

「さてと、話を戻していこうかのう。」

 サングラスを光らせながら爺さんは話を切り出す。

「何かやり残したことないか。コーヒーの一杯くらいなら奢ってやるがな。」

「聞いてるわりには安い夢しか叶いそうもないなぁ。」

「おれはそんな大それたことできねえからな。こんな病気になってるやつの中では友達も多かったがな。」

「それは羨ましい。」

「おめーも十分だと思うがな。望むなら代わってやってもいい。」

「それは遠慮するよ。」

 相変わらず煙を吐く爺さんに対し、悠は即答する。

 迫害を受け、賞金首になった人生だが、それでも誇りを持っているからだ。

 提案したグラサン爺さんは少ししょんぼりしながらも会話を続ける。

「で、何かあるか。やっときたいこと。」

「そうだなぁ。お三方のことは知りたいかなぁ。何者にやられてるくらいは分かりたいからね。」

「あら、妾の生い立ち方知りたいのかしら。」

「アホ。」

 黒いドレスの裾をひらひらさせながら彼女に、軍服はつっこむ。

「俺らがどんなパーティーか聞きたいんだろ。」

「そうでしたの。」

「全く、若いのは気楽でええの。」

 爺さんは笑いながら遠い日を思い出すように空を見た。


 あれは大体一週間前。

 それは届いた。

 宅急便で送られてきた小包。

 紙袋から出てきたのは封筒と手のひら大の箱が五つ。

 何かのいたずらかと思ったものの気になり、先ずは封筒を開けてみる。

 封筒の中には二枚の手紙が入っていた。

 一枚はネットで拾ってきた地図。

 中心部に印が打ってあり、そこに何かがあるのだろう。

 そしてもう一枚には新聞のような細かい字が印刷されていた。

 頑張って読んだが、要約するとこんな感じだ。


 吾輩のプレゼントは気に入ってくれたかな。

 仕事の前払い料だと思って受け取って欲しい。

 さて、その仕事だが、明日地図の印をつけたところで話したい。

 勿論断っても良い。

 その場合でも前払いは返さなくて構わない。

 では、明日の正午に会えることを楽しみにしている。


 やたら上から目線な相手だと思いながら、プレゼントが入っていると思われる箱を開けてみる。

 ラッピングがかなり派手だが、重さは片手で持てるくらいだ。

 あまりにも綺麗なラッピングなので解くのがもったいなく思える。

 しかし、中身も気になるので開けると、半分想像通りで、もう半分は意外な物だった。

 生まれて初めて見る札束。

 それが一つでも言葉が出ないのに、五つもあるのだから開いた口が塞がらない。

 ただ、これを手にしたら誰もが向かいたくなるだろう。

 地図の場所に。


 あくる日の正午。

 地図の場所に向かうと、そこは崩れかけているビルだった。

「こいつは相当年紀入ってんな。おれと同い年かもしれんな。」

 中折れ帽にサングラス、赤いカッターシャツに手にはパイプ煙草の爺さんは崩れるのを心配しながら建物内に入った。

 当然電気は来てなく、ライターで辺りを照らしながら奥へ進む。

 埃まみれで汚く、好んで来そうな人を見てみたいくらい、ひどい状態だった。

 しかし、床に一筋だけ埃が付いていないところがある。

「こいつに続け。そう言ってやがるな。」

 爺さんは話した拍子に誇りを吸い、咳き込む。

 その後も、文句と咳を口から出しながら道標に沿って奥へ進む。

 それは階段横の部屋に続いていた。

「ちっきしょう。重たい扉だな。」

 ずずずと重い音を立てながら、引き戸が開かれる。

 中を覗くと、ろうそくの明かりが部屋を照らしていた。

 そんな怪しげな部屋には先客がいた。

 一人は軍服を着た青年。

 もう一人は黒のドレスの女性。

 孫がいれば同世代くらいか。

 そう思いながら爺さんは部屋の中心へと向かった。

 それに気づいた二人は、まるで親の仇のように彼を睨む。

 能力を使うか、と爺さんが心の中で呟いた時、部屋は明るくなった。

 蛍光灯に明かりが灯り、奇麗な部屋が現れる。

 そして中心部には今時珍しいブラウン管テレビ。

 砂嵐が流れている。

 しかし、三人とも急に部屋が明るくなり目をやられた。

 最も、爺さんはサングラスをしているのでそのダメージは小さいが。

「レディースアンドジェントルメン。」

 急に音が部屋中に流れる。

 砂嵐だったテレビに黒い人影が映っている。

 おそらくその人物が喋っているのだろう。

 ただ、声こそ男だが正体は分からない。

 その影は笑いながら謝り始める。

「皆さん失礼。この明かりはサプライズプレゼントだと思ってほしい。さて、先ずは来てくれてありがとう。これからの仕事はどうしても孤独病と言われている人にしか頼めないから、吾輩は今とても感動している。さてさて、これから君たちに仕事を与えようと思うのだがその前に、八百万君。まさか二人を操作してはないだろうね。」

「チッ。してねーから安心しな。」

 思っていることが当てられて少し悔しがる赤シャツの老人。

 それをどこから見ているのか分からないが、テレビの影は笑いながら話を進める。

「さてさて、先ずはメンバー紹介をしよう。先ほど吾輩の質問に答えたのが八百万やおよろず陽十郎ようじゅうろう氏。聞いての通り、人を操ることのできる孤独病者だ。」

 ふう、っと八百万は煙草の煙を吐く。

「続いては軍服の男性。かれは瀬黒せぐろじん。彼も孤独者で、いつも鞄にしまっているライフルで獲物を狩っている。命中率は低いそうだが期待している。」

 瀬黒は舌打ちしながらそっぽを向く。

「最後に紅一点、寒原かんばら紗綾さや。温度を下げる能力を持っていて、孤独な者の中でもかなりの異端である。」

「誉め言葉として受け取っておきますわ。」

 粘りっ気のある声で、寒原は返事をする。

「そして依頼主は吾輩、OLWのテタルトス。以後お見知りおきを。」

 一礼をした黒い影だが、拍手は起きない。

 それどころかいつ殺し合いが始まってもおかしくないくらい、殺伐としている。

「こんな空気だが早速仕事の話としようではないか。吾輩からお三方にする願いは一つ。伊豆守悠の首を取ること。場所や方法はい問わないが期限だけは決めよう。彼が東清に来る前に片づけて欲しい。」

「俺らに、人を殺せと言うのか。」

 瀬黒が口を開く。

 誰もが聞けば断りたくなる内容だ。

 いくら孤独者として世間から迫害を受けていても、普通の人と同じ環境で生きていたこともあるのだからこのような感覚を持っていて当然である。

 現に、寒原もその様な話でしたらと、断りの文言を述べている。

「三人それぞれに五千万払う、と言ってもまだ断りを述べるか。」

 テレビがそういった瞬間、三人の表情が変わる。

 それが驚きの者もいれば、喜びの者もいるのはどの世界も同じ。

 特にこの年寄りにはあまりにも嬉しい話だった。

「おれはこの話を受けよう。なに、伊豆守悠と言えばかなりの額が付いた賞金首だが、頭使えば勝てる相手だろ。」

「それは心強い。それで後のお二方は。」

「妾は気に入りませんわね、お金で買収されたようで。ただ、人を限界まで追い詰めることはやってみたかったですわ。のって差し上げましょう。」

「やはりあなたを選んだ吾輩に狂いはなかった。流石は寒原氏。瀬黒氏はいかがで。」

「俺は殺しはしない。ただ、バカにされるどの腕でないことを証明してやる。」

「おや、命中率の話のことであるかな。それは失礼。ただ、全員合意が取れたと言うことで話を進めさせてもらおう。と言っても、詳細はテレビの下にある資料を呼んでくれとしか言いようがないのでな。では、皆さまの健闘を祈る。」

 テタルトスが映っていた画面は再び砂嵐となった。


「こうしておれらはパーティーを組み、おめーの命を狙っているってわけだ。」

 八百万は煙草をくわえながら盛大に笑う。

 もう、仕事が終わったかのような喜びだ。

 もともと悠に勝ったつもりだからこそ、やっときたいことを聞いて、この様に色々話しているのかもしれない。

 実際、ターゲットを三人で囲んでいるのだから勝敗はついたも同然だろう。

 そんな状況でも悠は腕を組みながらうなずく。

「なるほど。一週間でできた即席チームなわけか。なら、動きがちぐはぐしていても仕方ないなぁ。」

 長い話の最初の部分しか覚えていない。

 もう少し重要なことがあるはずだが、今の彼にはあまり大切ではなかったのだろう。

 それが、暗殺を請け負った三人には気に入らなかったようだ。

 殺気を隠そうともせず、ただ悠を睨む。

 殺しに来たことを知らすため。

 そして、寒原が口を開く。

「妾がしたいこと聞いてらっしゃった? あなたを壊したくてわざわざ出向いたのですわ。綺麗な悲鳴を期待しますわ。」

 指が引金にかかる。

 少し震えているのは緊張しているからか、それとも興奮のあまりか。

 ただ、間違いなく発砲した。

 しかし拳銃からは激しい音はしない。

 その代わり、軽くなっていた。

 上半分が奇麗に切り落とされているのだ。

「こんな近くで銃なんか使うなよ。慌てて手まで切るところだったからねぇ。」

 鎖が宙に舞い、その中心に悠がいる。

 それはどこか、神々しく、実力差を思い知らせるものとなった。

「あ~、ついでにそっちのも切ったけど、怒らないで欲しいな。僕もさすがにこんな所では死にたくないからね。」

「…!」

 瀬黒は驚きながら振り返る。

 担いでいたはずのライフル銃の先端が無くなっている。

 ガチャーンと耳が痛くなる音が響き、慌ててそちらを見る。

 そこには切られて無くなった銃の先端が、ちょうど地面に落ち砕けているところだった。

「まじか。おれら、意外と追い込まれてねえか。このままならあの鎖の餌食だ。」

 八百万の一言でもう二人も驚きが感情から無くなる。

 残ったものは恐怖。

 この一言に尽きるだろう。

 それほどターゲットの伊豆守悠は広いリーチに加え、正確に攻撃ができる実力を示した。

 さらに彼はいたって落ち着いた様子。

 ヘルメットを被っているにもかかわらず、頭をかく。

 そして、バイクを起こし、エンジンをかける。

 何度かふかし動くことを確認してから、バイクに跨り出発の準備をする。

 その間に三人は彼を襲うことができたが、体が動かなかった。

 自分の首も銃のようになるかもしれないと思うと、息すらできなくなる。

「あっ、そうそう。」

 出発前のライダーが思い出したかのように話す。

「お金が欲しければ孤独者粛清会に僕が東清に行ったと伝えればいい。それだけで僕の賞金の十分の一は手に入るから。じゃぁ、君たちの心が満たされる人生を。」

 言い終わるとスロットルを回し、走り始める。

 すぐに燃え上がっている車の横を通り、消えて行く。

「よくわからんガキだ。」

 フーっと煙を吐き、八百万は彼を見送った。

 その後ろから寒原と瀬黒ももう見えない彼の姿を追っていた。

 しばらくこの状態が続いたが、次の車が来た頃にはいなかった。

 それぞれ何か思うものを持って帰ったのだろう。

 九月の夏はもう終わりを迎えた。

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