Oh, my God!! ~紙が無い~

うたた寝

第1話


 カラン……、っと。世界が終わる音が小さな個室に響いた。

 しかし不思議なもので、世界が終わる音がしたのに世界が終わる様子が無い。腕時計を確認すると秒針はちゃんと動いているし、個室の外からは人々の喧騒が聞こえてくる。どうやら世界はまだ終わっていないらしい。それを知った彼女は世界よ終われ、と強く願うが、残念なことに彼女にはまだ世界を終わらせるだけの力が無いらしい。

 いやもうほんと、何でもするんで世界よ終わってくれませんかねぇ、と彼女は中腰の姿勢のまま切に願う。このままでは世界は終わらんでも、彼女の世界は終わるのである。であれば道連れに世界を滅ぼしたいところだ。

 彼女は大魔王でも何でもない。ただの花の女子大生である。そんな彼女が何故これほどまでに世界が滅ぶことを望んでいるのか。それには深い、とは言い難い、しかし彼女からすればこれほどまでに世界を滅ぼす正当な動機など無いな、と思えるほどに深い理由があるのである。

 何が起きているのか、というと。


 紙が無いのである。彼女が入った駅内のトイレに。


 誰かが持っていったのか、使い終わったばかりで補充されていないのかは分からない。前者なら持っていた奴をぶっ飛ばしてやるし、後者なら持ってこない奴をぶっ飛ばしてやるところだが、個室から出れないのであればぶっ飛ばしようもない。

 何度見ようとトイレットペーパーホルダーは空だし、ちょっと荷物なんかが置けますよ、というスペースを見ても、替えのトイレットペーパーは無い。ウォシュレット機能も無い。おまけに和式。いい加減姿勢もキツイ。ついでに寒い。暖房が効いているわけでもないトイレの個室でお尻丸出しというのは中々冷えるのである。風邪をひくかもしれない。こんなアホな理由で風邪をひきたくはない。

 いや、百歩譲って風邪をひくのはまだいいが、それよりもマズいことがある。

 このままでは学校に遅刻する? いや、それはどうでもいい。そもそも時間ギリだなと思いつつトイレに寄ったのだからその辺は誤差の範囲だ。

 問題は、だ。個室から永遠に出れない可能性がある、ということだ。いや、流石にず~っと個室に籠っていれば、駅員か誰かが開けに来るような気はするが、逆に言うと、ずっと閉まっていておかしいな、と思ってもらえるまでは開けてもらえない可能性がある。

 このままこの姿勢と恰好でずっと? はははは。寒気が別の意味で止まらない。

 いや、待て、冷静になれ。冷静になるのだ。トイレットペーパーは無い。これはもう事実。現実逃避をしないで認めるしかない。では、何か他に、トイレットペーパーの代わりになる物は持っていないのか? これを考えていくことにしよう。

 まずポケットティッシュ。これはトイレットペーパーが無いと分かった時に真っ先に確認した。こう見えて(お尻丸出しで言っても説得力が無いが)女子力の高い彼女。ポケットティッシュはバッグの中に携帯している。しかし、今日バッグのポケットを確認してみると、そこには何も入っていなかった。え? 何で? はっ? 意味分かんなっ! と半狂乱になりかけた彼女だが思い出した。そういえばこの前使い切って補充しようと思っていたのである。その補充を忘れていたらしい。

 次。ティッシュと対をなす存在、ハンカチ。これはスカートのポケットに入っている(どうだ? 女子力高いと信じる気になったか?)。入ってはいるが、だ。これで拭くのはいかがなものだろうか? いや、ハンカチで拭くのがどうだろう? という拭く物として適切か、という話ではない。拭く物としての最適解であるトイレットペーパーが無いのだから、そんな悠長ななことを言っている余裕は無いのである。では何に抵抗があるのか? これ、実はプレゼントで貰ったハンカチなのである。人から貰った物でお尻を拭くのは流石に抵抗がある。渡した相手もお尻を拭くために渡してはいまい。まぁ、一応候補の一つとしては考えておくことにする。

 次。お札。キャッシュレス派ではある彼女だが、使えない所もあるため、現金も持ち歩いている。おかげで財布の中にはお札が入っているが、こんな高いトイレットペーパーがあるだろうか。最低でも一拭き千円はする。いや、そもそもお札ってそういう使い方していいのだろうか? 燃やすか何かは犯罪だったような気がするが、お尻を拭くのはセーフだろうか? 万が一犯罪だと、お札でお尻を拭いた罪、という恐ろしくユニークな罪で前科が付くことになる。嫌過ぎる。

 この個室内で見つけられそうな拭ける物はそれくらいだろうか。となると次の候補は、と。彼女は目の前の壁を見つめる。いや、正確にはその先、隣の個室を見つめる。そこにはトイレットペーパーがあるかもしれない。全部の個室にトイレットペーパーが無い、という可能性は……、無いとは言わないが、あまり考えたくはない。が、当然、隣の個室を確認するためには、今の個室から出なければいけない。お尻丸出しのまま個室の外に出る勇気は彼女には無い。紙ください、と叫んでみるか? いや、彼女は年頃の乙女なのだ。流石に恥ずかしい。

 やっぱこの個室でどうにかするしかないか、と彼女は現実逃避気味に腕時計で時間を確認する。あー、もう遅刻だなー、と意識をトイレから逃がしていると、彼女は腕時計ではなく、腕時計が付いている自分の手をじっと見つめる。……これでも拭けるよな? と、じーっと見つめる。……いや、無いだろう。…………いや、ダメだろう。………………でも、手って二本あるよな? 何で二本あるかって? それはな? ………………いやいやいや、ダメである。ダメではあるのだが、何か、後で洗えば良くね? とちょっと開き直ってきている自分が居る。

 いかん。このままでは自分の手で自分のお尻を拭くことになる。何か無いかなぁ……、と彼女はバッグを漁る。普段であれば教科書やルーズリーフなど、紙には困らないというのに(ちなみに、教科書で拭くことにはさして抵抗は無い。どうせ全部のページなど読まないのだ)、今日は時間割的に荷物が軽い日。それら拭けそうな紙は重たいから多分家に置いてきて、

 あっ……、と彼女は紙を見つけた。バッグから取り出した貴重な紙はクリアファイルに綺麗に入れられている。

 昨日、慌てて思い出し、夜更かしして仕上げた宿題のレポートが出てきた。

 昨今、手書きでそんなの書かせるなよ、とブーブー言いながら書き上げたものだが、今この瞬間に限っては都合が良かった。貴重な紙を持ってくるきっかけとなったのだ。

 貴重な紙ではあるのだが、いや、流石にこれは……、と思ったが、バッグを逆さまにして振ってみても、他に紙は無い。選択肢は、


・貰い物のハンカチ

・お札

・別の個室へ移動

・自分の手

・宿題のレポート


「………………」

 どうするのよ? 彼女。どうするのよっ!?

 彼女の選んだ選択とは……っ!!



「レポート回収するぞー」

「……あの、先生?」

「何だその情けない顔は。さてはお前忘れたなぁ?」

「いえ、やりはしたんですが、その……持ってくるのを……」

「あぁん? そんなのどうとでも、」

「いえ、本当! 本当です! 『神』にっ、いえ、『紙』に誓ってもいいですっ!!」

「何故言い直したのか分からんが……、って言っても未提出は未提出、」

「一応あのっ、ちゃんとやった証拠として写真もっ!!」

「何でそんな物を撮ってるのかよく分からんが……、まぁ確かにやってありそうだな」

「はい、あの、お別れ前の記念撮影を」

「お別れ?」

「いえっ、あのっ、何でもないですっ、はいっ」

「まぁ、じゃあ一応提出扱いにしてやってもいいけど……」

「ありがとうございますっ!!」

「ってか、これどこで撮ったわけ? 何か部屋とかじゃなさそうな……」

「秘密ですっ!!」

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