第2話 この娘では無いよな?
またしても、東洋の蛮族にやられた。
しかも年端も行かない若い少女に!
苛立ちを隠し切れず、貴族院議員のダモニー伯爵はそばに立っていた部下の獣人に持っていた新聞の号外を投げつけた。
「揃いも揃って役立たずどもめ!」
水牛のような角を頭から生やし、恰幅が良く、黒い燕尾服を着た獣人の部下は黙ってそのまま立っていた。
「何故だ?何故あの雌猿は邪魔をする?号外を見たか?全くもって忌々しい!」
獣人はゆっくりと屈みながら、ぶつけられた号外を拾い上げた。
見出しには「止まらない紅雀」と書かれ、昨晩、対紅雀に張った罠をものの見事にすり抜けた事が書かれていた。
「直ぐに弁護士を手配し、裁判所にも手を回します。捕まった奴らはいずれ解放されるでしょう。その際に詳しい話を聞けると思います。」
獣人は低い声でゆっくりと告げた。
「フン!役立たずに聞いてどうする?他に策は無いのか?」
ダモニー伯爵は獣人を睨みつけながら言った。
「東洋には毒をもって毒を制すると言う言葉があるそうです。私に伝手があります。それを使わさせて頂けませんか?」
伯爵は冷たい目で獣人を見ると言った。
「フン!やってみろ!」
少女は目を覚ました。
もう陽は登っているはずだったが、王都オストの空は良く雲に覆われ、晴れる日は少ない。
今日も曇っていて、窓は明るいが暖かい陽は入って来なかった。
気温は上がらず、空気は少しひんやりとしている。
少女は毛布にくるまりながら起き上がると、そのままクロゼットに向かってモソモソと歩いて行った。
毛布にくるまりながらクロゼットの扉を片手で開け、中から肌着を手繰り寄せると、体を包んでいた毛布を床に脱ぎ捨てた。
「う〜!寒〜い。」
毛布の他には何も身に着けていなかった。
白い肌がそのまま空気に晒される。
彼女は寝る時は、寝巻きも着ずにそのまま服を脱いで寝てしまうのだ。
襲われたら・・・と言う心配は彼女には無い。
何しろ幼い頃からの修行の成果で、少しでも異変を感じるとすぐに目覚め対応してしまうのだ。
少女は肌着を手に持つと、そのまま身に着け洗面所へと入って行った。
そして洗面器に溜まった水で顔を洗い、櫛を取り出して髪を解きながらボソリと呟いた。
「どこかでお風呂を借りようかな・・・」
それよりも・・・今回は罠を張られてしまった。
タカオにはミキオ達とは別行動と伝えたが、実は共同戦線・・・と言うより同じチームとして動いている。
だからミキオが裏切ったと言う事は無い。
問題は情報部が依頼して来た内容だ。
どこでどうやって罠が仕込まれたのか調べ無ければならない。
今夜にでも忍び込んで見ようか?
紅雀と呼ばれた少女は魔術学校に暫くいたお陰で、忍術の他に魔法も使える。
因みに、魔術学校では主席を取り神童と呼ばれていたが突然出奔した。
必要以上に目立ち過ぎてしまったのだ。
彼女は魔術学校で学んだ経験を活かして、魔法を使って屋根や隣室から階下や別室の会話を盗み聞きする魔法が使える。
しかし魔法を使う盗聴は、腕の良い魔術士が近くにいるとバレる可能性がある。
他に忍術を使い、遠くから口の動きを見て会話を知る事も出来る。
今回は・・・忍術で調べるかな・・・。
だとしたら昼に行動した方がいい。
お風呂はその後で良いかも。
子綺麗だと返って怪しまれてしまう。
どうせ今日はタカオに会う事は無いだろうし。
そう決めると、紅雀は早速行動を開始した。
タカオは目が覚めた。
思ったよりも早い目覚めだ。
もっとゆっくりと寝ていても良かったが、何となく起きてしまった。
普段着に着替えて部屋を出て、洗面所に向かい顔を洗い、階下にある店まで降りて行った。
店に降りると既にミキオが厨房にいて仕込みをしているようだ。
「おはようございます。」
「はい、おはよう。」
タカオは店の椅子に座った。
曇っているせいで少し暗いため、一部のガスランプが付いていた。
「朝ごはんだ。」
そう言ってミキオはトーストとベーコンエッグ、それにサラダをテーブルの上に並べた。
「す、すみません。後で店を手伝います・・・そう言えば、ツバキさんは?」
「ツバキか?今、市場に買い出しに行っている。10時ぐらいに戻って来るだろう。」
「そうですか・・・」
そう言いながら、タカオは焼いたばかりのトーストにバターを塗り、ハチミツをかけながら夕べの事を思い出した。
罠か・・・。
ぼんやりと紅雀の姿を思い出した。
紅か黒だと思ったら白だった。
意外だったな・・・・・ではなくて!
あの目、どっかで見た覚えがあるんだがどこだっけ?
タカオはラッキー・・・は置いておき、何か記憶に引っかかる物があって思い出そうとした。
しかし、すぐに諦めた。
思い過ごしのような気もしたからだ。
それよりも、何故ミキオさんは夕べの結果を聞いて来ないんだ?
「ミキオさん。」
「何ですか?」
「夕べの結果を何故聞かれないんですか?」
「既にこれで知ってしまったのでな。」
そう言って、ミキオはテーブルの上に号外を乗せた。
あ、本当に号外になってる・・・。
タカオは半ば呆れたような気分になった。
王都オストには大都会を二分する大河、シセマッテ川が流れている。
その川のほとりには議会があり、さらにその奥には官庁街が広大な緑地を持つ公園と並ぶ様にして建っていた。
そんな公園のベンチに1人の見窄らしい老婆が座っていた。
髪は白髪で皺が濃く、一見すると東洋人にも南方系にも見える不思議な雰囲気だった。
痴呆が入っているのか、それとも元々の性格なのか、不機嫌そうに辺りを見回し、そして人が通る度に何か文句らしい事をブツブツと呟いては静かになり、また人が通ると文句を呟き静かになりを繰り返していた。
その場を通り過ぎる者達は迷惑そうな顔をするか、顔を合わせない様に無視して足速に通り過ぎて行く。
やがて老婆は疲れてしまったのか、コックリ、コックリと居眠りを始めた。
そんな老婆が座っている反対側の位置に、情報部の建屋が林を挟んで建っていた。
時々その建物からはスタッフが出て来ていて、その中に水牛の角を持った獣人がいた。
「ダモニー伯爵は紅雀を殺せなかった事で、非常にお怒りだ。何とか手を打たなければならない。」
ブーファは声を潜めて隣に立っている男に言った。
「それで我々にどうしろと?」
燕尾服にシルクハットを深々と被り、白い手袋にステッキを持った男が獣人ブーファに聞いた。
「もはや暗部の魔道士達では手に負えない。そちらの伝手を頼りたいのだが。」
「仲良しになりたいのか?それとも喧嘩したいのか?」
シルクハットのつばを手で持ちながら男は聞いた。
「仲が悪い友人を紹介して貰えないか?」
「ほ〜ッ。余程追い詰められたようだな。しかし仲の悪い友人は気が進まないと思うぞ。」
「相手が煩い猿でもか?」
男はシルクハットの下から獣人を見ながら言った。
「奴は言うだろうな『まだ時期尚早だと』」
「金は弾む。」
「・・・・・。」
男は目を細めて言った。
「聞いて見よう。だが期待はするなよ。奴は非常に慎重だ。また追って連絡する。」
「・・・分かった。」
シルクハットの男はニヤリとすると言った。
「ところで・・・お前さんも不用心だな。」
「何の事だ?」
「この会話、聞かれてるぞ。」
そう言うと、突然男は老婆に向かって棒手裏剣を打った。
老婆は直ぐに身を躱し、後ろに向かってバク転してベンチの影に隠れた。
ダ、ダ、ダ、と言う音がして棒手裏剣がベンチに刺さった。
紅雀は直ぐに煙幕を張りその場から逃げた。
そう言う事ね。
でも、まだ餌に食い付いたとは言えない・・・。
もう少しだけ、伯爵を虐めて見ようかしらね。
それよりも、身バレさせないように気をつけないと・・・。
紅雀は逃げ込んだ下水道を走りながら考えた。
時刻は10時になった。
タカオはモップを両手に持ちながら、店の床を拭いていた。
「ただいま〜。寒ーい!お風呂に入りたーい!」
そう言いながら、ミキオの娘ツバキが戻って来た。
両手には買い出しの成果か、大きな紙袋を持っている。
この娘では無いよな?
タカオはツバキを見ながら思った。
「ん?何か?」
「いや、何でもないです。何でも。」
そう言いながら、タカオはモップで店の床を拭くのであった。
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