第1話 紅雀

その晩は珍しく晴れて、大きな赤い月が夜空に浮かんでいた。

街のガス灯には火が入れられて夜道を照らし、家々には明かりが付き、パブには酔っぱらいが屯していた。

一見、その大都会は全てが上手く回り、人々は幸せに暮らしているように見えるが、反面その繁栄から取り残された者達もいる。

そのような者達は暗部と呼ばれる場所に追いやられ、そう言った場所では、ガス灯が灯されない暗い裏道で、殺人、強盗、強請りたかりが当たり前のように行われている。

そんな希望と失望が入り混じる大都会の大きな尖塔の上で、一人の少女が眼下に広がるオレンジ色に光る都会の灯を眺めていた。

その少女は黒い大きな瞳を持ち、口元を真紅の布で覆い、黒く長い髪は大きな紅いリボンでポニーテールのようにして束ねている。

服装は黒い振袖のような、しかし裾の丈はスカートのように短く、袖は真紅に染まり、着物の縁と帯も深い深紅に染まっていた。

足には縁に紅いラインの入った黒いニーソに踵の高い黒いショートブーツを履いている。

背中に大刀を背負い、腰の帯に手をかけながら、少女は暗部の方を静かに眺めた。

やがて、何かを見つけたように目を細めると、そのまま尖塔から飛び降り姿を消した。



朝になった。


黒い鉄の骨組みによって丸く作られた巨大な屋根がずっと奥まで真っ直ぐに伸び、その屋根の中心にはあかり取り用のガラスが嵌められ、そこからオレンジ色に光る朝日が招き入れられてホームを明るく照らした。

ホームには朝日を浴びながら真っ黒な煙や真っ白な蒸気がうっすらと流れ、ワインレッドやダークグリーン、それにディープブルーなど色とりどりに塗られた客車とそれを引っ張る黒い蒸気機関車が幾つも停車している。

旅装束の旅行者が重そうに荷物を抱え客車に入って行き、紺色の服を着た熊耳のポーターが大きな荷物を肩に担ぎ、青色の制服を着た犬耳のボーイは急行の一等車の前に立って金持ちの相手をし、黒いシルクハットに燕尾服を着た紳士が新聞を脇に抱えて急ぎ足で歩き、多種多様な人々がホームを行き交い、雑多で騒然とした雰囲気を晒していた。

そんなホームの上で、新聞売りの少年が号外を配っている。

見出しは「紅雀再び現れる!」だった。


アグアロ駅はエレタニア王国の王都オストの中心からやや南に位置する巨大な駅で、1日に何本もの列車が到着し多くの人が行き交った。

そんなアグアロのプラットホームに、真っ黒な煙を吐き白い蒸気を傍から吐き出した蒸気機関車が焦茶色に塗られた客車を引っ張ってゆっくりと入って来た。

ギイギイと言う音を立てながら列車がブレーキをかけてゆっくりと停車すると、それぞれの車両から乗客が、ある者は疲れた表情で、ある者は希望に満ちた表情をしてホームに降りて行った。

その中に1人の若者がいた。

黒髪、黒目で顔立ちは東洋系にも見えるが、彫りがやや深い。

彼は紙を片手に持ち、キョロキョロと周りを見ると、両肩に担いだバックパックを背負い直して出口に向かって歩いて行った。



アグアロ駅から辻馬車で10分ほど行った大通りの脇には5階建以上の煉瓦作りの建物が続き、人通りも多く、大都会ならではの風景が続いている。

しかし、その大通りの喧騒から一歩外れて脇の小道に入ると、小洒落た閑静な住宅街となり、大通りとは違う世界が広がっていた。

そんな一角に小さなカフェがあった。

特段流行っている様には見えないが、かと言って客がこなさそうな寂れた雰囲気でも無い。

そんな店の前に、一頭立ての黒い辻馬車が1輛止まった。


「ありがとう。多分ここだと思う。はい、これお駄賃とチップ。」

「まいど〜」


そう言うとシルクハットを被った狐耳の馭者は料金とチップを受け取り、手綱を取ってピシッと馬を叩くと、カタカタと音を鳴らしながらその場を去っていった。


「ここだよな・・・」


そう言って若者は、扉のノブに手をかけ中に入って行った。


カランカランカラン・・・・・。


ドアにつけられた鈴が鳴った。

その直後だった。


ガラガラガッシャーン!


突然大きな音がした。

若者は驚いて音が鳴った方を向いた。

そこには、白い大きなエプロンをして、薄い菫色のカーティガンを着た女性従業員が立っていた。

髪はプラチナブロンドで長く、髪の後ろは編んで束ねていて、大きな銀縁の丸いメガネをかけていた。

度が強いのか、かなりレンズが厚いメガネで、更に光が反射して目の表情は良く分からなかった。

服装は老人が好んで着そうな服を着ているが、良く見ると少女のようだ。

どうやらお盆と一緒に、載せていた皿を床に落としたようだ。

店内に客はおらず、テーブルの後片付けをしていたみたいだ。


「すみません。驚かせてしまいましたか?」


そう言って若者は頭を下げた。


「・・・・・」


女性は何も言わず深々と頭を下げると、黙々と床に散らばった物を拾い始めた。


「なんだ、なんだ?」

「何、今の音!?」


奥から新たに二人ほど人が出てきた。

一人は恰幅が良く、瞳は黒で髪は白髪混じりの黒髪で、顔は四角くやや老けた男性だった。

彼は白いシャツに黒いベストを着て、首には蝶ネクタイをつけ腰にはエプロンをしていた。

もう一人は長い黒髪を二つの大きな白いリボンでサイドを止め、黒い大きな瞳を持った15〜16歳ぐらいの少女だった。

少女はフリルのついた白い大きなエプロンをして、黄色のブラウスにやや幅広いスカートを履いていた。


「珍しいな・・・お盆を落としたのか・・・」


男性が呟いた。


「それよりもパパ、お客様よ。」


そう言って少女は若者の方を向いた。


「あ、失礼しました。どうぞ、空いている席へ・・・。」

「あ、いえ、自分は客では無いんです。お世話になった育て親からここに来るように言われて来たのですが・・・」


そう言って若者は男性を見た。


「・・・もしかして・・・ジェイソン・・・君ですか?」

「!?ああ、ええ、その通りです。」

「失礼しました。私、ジェームズ・リュウと申します。こちらは娘の・・・」

「メアリーです。よろしくお願いします。」

「改めて、ジェイソン・チャンです。こちらこそよろしくお願いします。」

「で・・・ここにいるのが従業員の・・・・・ローラです。先程は失礼しました。」

「いえ。こちらこそ驚かせてすみません。よろしくお願いします。」


そう言ってジェイソンと名乗った若者は日本式のお辞儀を深々とした。


「・・・・・」


ローラと呼ばれた少女?は、無言でお辞儀をすると再び床の上に散らばった皿の破片を片付け始めた。


「ジェイソン君。立ち話もなんですので、どうぞ奥へ・・」

「あ、はい。」


そう言われて若者は奥へと案内され、個室に通された。


「ようこそ・・・と言いたいが、すまんなこんな狭いところで。」


ジェームズはそう言って戯ける仕草をした。


「いえいえ、そんな事はありません。前は今にも崩れそうな小屋に住んでいたので、ここは天国のようです。」

「は、は、は!これでも天国かね?娘のためにももっと広い所が欲しいと思っているんだがね・・・・・所で君の真名は?」


ジェームズは途端に真剣な顔つきとなった。

ジェイソンと名乗った若者は男を睨み返した。

一瞬にして冷んやりとした緊張がその場に走った。


「先にそちらが名乗るべきでは?」


男は若者を睨んでいたが、やがてフッと笑った。


「失礼した。さすが、先代頭領のご嫡男だ。私の真名はミキオ・シラサギと申します。先程いた少女は私の娘でツバキと申します。」

「私こそ失礼しました。真名はタカオ・クサマです。死んだ師匠の言いつけでここに来ました。」

「師匠か・・・奴は死んだのか・・・いつ?」

「1ヶ月程前です。病気で死にました。」

「確かかね?」

「ええ。毒殺ではありませんでした。」

「そうか。」


ミキオは暫くタカオを見ていたが、そのうちツバキがお茶を持ってきた。


「緑茶で良かったかしら?」

「ええ、良いですよ。あと和菓子もあれば・・・って居候する身で我儘ですね。」

「構いませんよ。饅頭で良いですか?」

「いいです!久しぶりなんで、嬉しいです!」


そう言って、タカオはお茶を啜った。


「ミキオさん。先程のローラって子は?」

「ローラ?ああ、あの子はただの従業員です。ただし、我々の秘密は多少知っています。けれども心配ありません。大丈夫です。口は非常に固いです。私が保証します。」

「じゃあ、我々が王国の影に所属している事は?」

「え、ええ。まあ、ハッキリと伝えていませんが、知っているとは思いますが、彼女は絶対に喋りません。信じてください。」


いいのか?


そう思いながら、タカオは出された饅頭を頬張り、お茶を啜った。


「今日はゆっくり休んで・・・と言いたいが、着いて早々に申し訳無いが、早速あなたの腕を見たいので仕事を手伝って貰えますか?」

「良いですけど、誰か一緒に来て貰えるのですか?」

「いや、一人です。」

「着いたばかりでこの街の事を全く知らないのに?」

「大丈夫です。来る前に予め確認は取っているのでしょう?」


ミキオはニヤリと笑った。


「ええ、まあ・・・」


そう言って、タカオはミキオから仕事内容を聞いた。



夜になった。


時刻は深夜の2時過ぎ。

殆どの者は寝床に入り、酔っぱらいは道端で酔い潰れ通りの歩道で酒瓶を片手に持って寝転がっている。

ガス灯の灯りが石造りの建物を下から照らし、上には星を伴った黒い夜空が広がっている。


ガス灯に照らされた建物の上に一人の少女が立ち、下を行く一人の若者を見ていた。

少女はその若者の素性を知っているし、腕も知っている。

放って置いても、ある程度は大丈夫だと言う事も分かっている。

だが、放って置けなかった。

理由の一つは彼が狙われている恐れがある事。

もう一つの理由、それは私情だ。


少女は気取られ無いように距離を取りながら、若者の歩みに合わせて屋根から屋根へと移動した。


タカオはミキオから、街のスラムで暗躍する犯罪組織のトップが持つ重要証拠の奪取をいきなり頼まれた。

これは王立情報部からの依頼で、その犯罪組織が上院の貴族と手を組んでしまった為に放置出来ず、彼らを潰すために依頼してきたのだ。

ミキオからは詳細は聞いていた。

どこからか仕入れた情報で、その犯罪組織のトップの行動からアジトの内部まで事細かく説明を受けた。

タカオは目的を達成すべく、これまで修行した術で姿を消し、また幼い頃から身に付けた走法で音も無く走って目的の建物に近づいた。

タカオが建物に近づいた時だ。


少女は異変に気付いた。


静かだけど、微かに気配を感じる・・・。

それも多く・・・いる・・・。

まさか!?

もう正体がバレた!?


少女は急いでタカオの元に走った。


タカオは万が一術が解けても大丈夫なように、この街に良くいる貧乏人の姿をして建物に近づいていた。

だが様子がおかしい事に気がついた。

誰も居ないはずの建物の周りに、数名の術士の気配を感じた。

それも自分と同じ忍びでは無く、魔術士の気配だ。

タカオは建物まで近づいたが、建物に入るふりをして突然振り返った。

その時だった。


「死ね!」


声と共に突然4方向から火魔法が撃ち込まれた。

咄嗟に閃光と煙幕の術で姿を消し、脇に飛び退いた。

しかし、別方向から今度は銃が放たれた。


「しまった!」


そう思った瞬間だった。


「危ない!」


若い女性の声がして、いきなり体が何かで引っ張られ建物の影へと放り投げられた。


「???」


タカオはすかさず受け身を取って建物の影に隠れると、様子を伺った。


「狙いは私よ!そっちは隠れて隙を見て逃げて!」


いきなり背後に少女が立っていた。


いつの間に?

自分を出し抜くとは!?

いや、一人だけ可能性がある。

まさかだが・・・。


「べ、紅雀!?」

「ええ、世間ではそう呼ばれている見たいね。自分でそう名乗った事は無いのにね。」

「これは罠か?まさかシラサギさんが!?」

「違うわ。彼は巻き込まれたのよ。恐らく、私を誘き出す為に情報部の誰かが偽情報をシラサギさんに渡したのよ。」

「君は・・・?」


紅雀と呼ばれた少女はタカオを静かに見た。


「シラサギさんとは別に単独行動しているわ。時々被るけどね。今は取り敢えず逃げて。ここは私一人でなんとかなるわ。」

「そんなの俺のプライドが許さない。これでも忍びの術を修行して来た身だ。ここは共同戦線を張らしてくれ。」


紅雀はタカオをじっと見ていたが、目をニッコリとさせると言った。


「私にもプライドがあるの。なのでここでゆっくり見学しててもらえます?危なかったら助けてください。」

「そんなに自信があるのか?」

「ええ。号外が出る程にはね。」


タカオはため息を吐いた。


「分かった。ここで見学させてもらうよ。」

「ありがとう。」


そう言って、少女の姿はその場から消えた。


紅雀はまず屋根に隠れている狙撃手から叩く事にした。

袖から小さな鍵爪の付いた縄を取り出すと、縄の先端に付いた鍵爪をぐるぐると回して上に放り投げる。

縄は音も立てず、建物の上部に届いた。

少女は縄を引っ張り引っかかった事を確かめると、あっと言う間に屋根まで登ってしまった。

そして狙撃手の背後に音も無く迫ると、刀を静かに抜き振り下ろした。


ゴト・・・。


狙撃手は静かに倒れた。


次に少女は術士を狙った。

まずは他の屋根に隠れている者からだ。

少女は先程使った縄の途中まで降りると、今度はブランコのように自身を揺らし、そして隣の建物に乗り移った。

そしてゆっくり距離を置きながら術士に近づき、腰につけていた袋から棒手裏剣を一個取り出し、術士に向かって打った。


「グアーッ!」


術士が叫び声を上げてその場に倒れた。


「クソッ!そっちか!」


そう言って、ほかの術士が一斉に火魔法を建物に向かって放った。


少女は直ぐに縄を伝って地上に降りると、刀を持ってそれぞれの術士に向かって行った。

ドサッと言う音を立てながら、1人、2人とそれぞれの術士がその場に倒れ込んで行った。

そして最後の術士に向かって、少女は手裏剣を打って倒すと、辺りは静かになった。


「お見事・・・また号外が出るかも・・・。」

「あなたが警察を呼べば出るかも知れませんね。」

「ところで、何故止めを刺さない?」

「人殺しは極力避けているんです・・・。」

「理由を聞いても?」

「・・・いやな物は嫌なんです。それよりも手伝って貰えますか?この人達を縛り上げます。」

「分かった・・・手伝うよ。」


タカオは不思議に思って紅雀と呼ばれている少女を見た。

口元を隠しているので、顔全体は分からないが、少しかわいいように見えた。


いや、その前に・・・あの目、どこかで見た?


「あんまり、ジロジロとこちらを見ないで、さっさと縛って貰えますか?それとも私の足が気になりますか?」

「違うわい!」


そう言いながら、タカオは縛るのを手伝った。


縛り終えて気がつくと、いつの間にか紅雀は消えていた。


???

どこへ消えた?


そう思っていると、遠くから警察が走って来るのが見えた。

タカオは隠蔽の術をかけて自分もその場から立ち去った。



翌日。


アグアロ駅のプラットホームでは少年が再び号外を配っていた。

見出しは「止まらない紅雀」だった。

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