第20話「やまびこ」

峠であった土砂崩れのせいで、帰り道が無くなってしまった。


ごうごうと音を立てて吹き荒ぶ風と大粒の雨をもってしても、今回の嵐はまだ始まったばかりらしい。

今夜が山だと告げる車のラジオに耳を傾けながら、黒里は「経費でいけるかな…」と峠の手前にあった村の宿屋に向かっていた。

行きで通りかかったそこに灯が点いていることに安堵しながら、なるべく雨に濡れないようにと、素早く車のドアを閉める。


「_____」


不意に後ろから声をかけられた気がして、思わず振り返った。


しかし、そこには何もない暗闇が広がるだけで。

風の聞き間違いだろうと、旅館へと黒里は足を向け直した。



___


旅館側は既に峠の通行止めを知っていたようで、黒里が姿を表すと「災難でしたねぇ」とタオルを持って出迎えてくれた。

他に宿泊客のいない宿屋内は少しだけ薄暗かったが、部屋には清潔感があり、用意された夕食も申し分のないものだった。


風呂に上がったところで一升瓶を抱えた老人に引き止められた。家族経営だと聞いていたから、おそらく受付にいた女性の父親なのだろう。

___久しぶりの来客だから是非もてなさせてほしい。

そう笑う老人の言葉に素直に甘える。黒里は年配の人の話を聞くのが嫌いではなかった。


酒と会話を交わしていくうち、話題は怪談へと移っていった。

黒里がそういうものを記事にして仕事をしているのだと告れば、老人は幼い頃にあったことだと、ある不可解な体験を話してくれた。


▪️▪️▪️


その日は、数人の友達と、山へ遊びに行っていたそうだ。

虫を捕まえたり木の実をつまんだりしていると、1人の友人が突然一つ隣の山へ向かって「おーい」と手を振り始めた。

その声はぶつかり、反響するとやまびこになって返ってくる。普段と何一つ変わらない現象であるのに、それが酷く恐ろしく感じられた。


「おい、お前ぇ誰さ呼んでんだ」

「誰って、あそこに、………あれぇ?誰がいだんだっけな」


友人の肩を掴んで止めさせると、当の本人はキョトンとした顔で首を傾げている。

その場は友人が見間違えて馬鹿なことをしたと笑い話となって終わったが。

この話には続きがあった。


その友人が、姿を消したのだ。

彼の姿が最後に目撃されたのが、その山だったという。



それから、時折山で不思議なことがあった。

彼が消えた山の方から、「おーい」と声が聞こえてくるのだ。

「それ」が初めて起こった日、その場に居合わせた猟師の男が「誰かいんのかー?」と大声で呼びかけてみたそうだが、返ってくるのは抑揚も変化もない「おーい」という声だけだった。

更には、返ってくるはずの自分の声さえも、「おーい」というもの変わっていて、気味が悪くなった猟師はその場から急いで逃げ出した。


次の日、別の友人が山で姿を消した。

それからは、やまびこが「おーい」という言葉しか返さない日があると、その後必ず誰かが行方不明になるようになった。

山神の祟りだ、最初にいなくなった友人の呪いだと村は大騒ぎになり、その現象が起こった日には、しばらくの間山に行くことが禁止になった。


それでも、被害は続いたそうだ。



▪️▪️▪️


「まぁ、最近は山に入るもんもいなくなったし、ここ数年そんな話聞いてねぇな」


そう言って、老人はぐいと酒をあおった。

一瞬、沈黙が降りる。




                           「おーい」




ガラス窓の向こうから、確かにそう聞こえた。


目に見えて動揺した様子で声のした方を見る黒里をよそに、老人は成程なぁとしきりに頷く。




「今年が俺の番だったのかぁ」






そう言って、彼は立ち上がった。

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