第13話「階段の0段目」
友人に、黒里麻言という男がいた。
高校から大学までの付き合いで、なんだかんだ今でも交流が続いている。
しかしだからといって特別馬が合う訳でもなく。なんならあの頃の俺は、学生のくせに変に大人びたあいつを、スカした野郎だと思っていた。
だから、そう、あの時じゃんけんで負けなければ。俺はあいつと話すこともなかったんじゃないだろうか。
◾︎◾︎◾︎
高校生になって初めての梅雨だった。
分厚い雲のせいで朝から薄暗がった教室の中は、放課後になってますますその陰鬱さを増している。
こんな天気の日はさっさと帰ってしまいたいのだが、今日ばかりはそうもいかない。
「資料室から次の授業に使う教材を探し出してきてほしい」
始まりは、そんな日本史を担当する教師の言葉だった。
帰りのHRが始まろうというタイミングで教室に顔を覗かせた教師は、クラスの不満の声を気にもとめずそれだけ言い残すとさっさと引っ込んでしまう。
その後。部活がある者、委員会がある者、その他放課後に用事のある者以外でのじゃんけん大会の結果、俺は見事チョキで敗北し。
___隣の黒里麻言は、確かあいつはグーで負けていた気がする。
はなからやる気のなかった俺は黙々と本棚を物色している黒里をちらと盗み見る。
出席番号17番。□□中学校出身。オカルト研究会とかいうおかしな部活に入っている。クラスの中でも目立つような存在ではないが、根暗というわけでもなく、穏やかな気性からか男女問わず頼られているのを目にしたことがあった。
もっとも、自分は入学してからろくに喋ったこともないのだが。
それ故、この退屈な捜索作業中に口にする話題も見つけられず、ただでさえ静かな空気の中に黒里が本を取り出して戻す音だけが響いている。
その動作をぼーっと眺めていると、不意にバッと、黒里が振り返った。
見ていたことに気づかれてしまった。サボっていたのがバレてしまった。なんて言い訳しようか。
そんなことをぐるぐると考えながら、何も言えずに黒里を見返す俺に、しかし当の本人はまるで同様に気がついていない様子で、手に本を持ち綺麗に笑った。
「あったよ」
___
目的を達成した俺たちは、手分けして教材を抱えると資料室を後にする。あとはこれを職員室まで届ければ終わりだ。
資料室から1番近い階段へ向かおうとした俺を、黒里が止める。
「知ってる?この学校の七不思議の一つに、『0段目の階段』ってのがあるんだ」
「この校舎の1番端にある二階と一階をつなぐ階段。日当たりの関係かいつも薄暗いでしょ?あそこ、別の世界と繋がってるんだって。
だからこんな天気の悪い逢魔時にあそこの階段を降りると、別の世界に続く0段目を踏めるんだって」
「そこ、今から行ってみない?」
お前そんなの信じてるのかよとか、0段目ってそれ1階に着いてるだけじゃんとか、こっちの階段の方が職員室に近いのにとか、馬鹿馬鹿しいとか怖いとか早く帰りたいのにとか。
全部、あいつの悪戯をする前のような、年相応のくしゃりとした笑みに吹き飛ばされてしまった。
ーーーこいつも、俺と同じガキなんだって。
それを知れたのが、なんだが妙にホッとしたからかも知れない。
___
「じゃあ。行くよ?」
黒里の声に右足をゆっくりと持ち上げる。
件の階段は、噂が立つのも頷けるくらい光が届かなくて、俺たちを飲み込もうとあんぐりと口を開けているようにも見えた。
そんな得体の知れない暗がりの中へ、互いに無言で、けれど降りる速さだけは揃えるように踏み込んでいく。
あと十段、あと五段、あと三段。
さっさと終わらせたいのに、反して足は硬くなるばかりで、隣にいる黒里に合わせるのが精一杯だった。
教材を抱える手に力が入る。ただの噂だとは分かっているのに、人のいない学校はどうしてこうも恐怖を煽るのだろうか。
あと一段。これを降りれば、無事に一階に辿り着く。
そんな当たり前のことを、どうしてこんなにビクビクして___
ぐにゃり。
足の裏に明らかに廊下のコンクリートとは違う感触が伝わるのと同時に、俺は多分何事かを叫んでいたと思う。
しかし、自分の声に構う余裕もなく、俺はその気色の悪い感触のものから足を退けることに躍起になっていた。
そして___「足を踏み外した」
重心が傾いて、浮遊感に襲われて、自分の下に、ただただ真っ黒な闇が広がっているのが見えた気がして。
そして、腕を掴まれた。
「大丈夫?!」
腕を掴んでいたのは、黒里だった。
彼の驚いたような表情を見て、ついでコンクリートの冷たさが、床についていたもう片方の手から伝わってくる。恐る恐る周囲を見れば、そこは見慣れた学校の階段下だった。
どこを探しても、気色の悪い感触の正体のようなものはないし、ましてや穴など空いているはずがない。あるのは、周囲に散らばってしまった教材達だけだ。
その後、教材を拾い集めながら黒里に聞いてみれば、俺が1階についた途端突然悲鳴をあげて転びそうになったのだという。
危ないと思ったから、教材を放り投げて俺の腕を掴んだのだと。
こちらを心配そうに伺ってくる黒里は、嘘をついているようには思えなかった。
ならあれは幻覚だったのだろうか?見間違いや勘違いだったのだろうか?
そう判断するには、あの感触が、見た景色が鮮明すぎる。
わけが分からないが、一刻も早くその場所を去りたくて少々乱雑に資料を抱え上げた。
それからは職員室に教材を置き、昇降口を出るまで互いに無言だった。
「…ごめん」
だから、脱いだサンダルを靴箱に突っ込んでいた俺は、ぽつりとこぼされたような声にそこで久しぶりに黒里の顔を見る。
申し訳なさそうな、しょげているような。自分が誘ったことを後悔しているのだろうか。
「別に」
お前関係ねーし。
実際本当にそう思っていたはずなのだが、それ以上言葉が続かなかったのは心のどこかで怖い思いをさせられたという感情があったのかも知れない。
だからまあ、後日教材が一つ足りないと発覚した時に、あいつに取りに行かせたのは許してほしい。
…「落とした」のは俺かも知れないが。
◾︎◾︎◾︎
というのが。俺と黒里の関わったきっかけのようなエピソードだが、実の所、この時点では俺はあいつともう関わらないだろうなと思っていた。
だって、怖い思いしたくないし。
それが何故、ここまで交流が続いているかは、また別の機会があったら話そうと思う。
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