第10話「猿に見間違えた話」
「デカくね?」
始まりはドライブ中。助手席に乗っていた友人のセリフだった。
両脇を山に囲まれた田舎道、吹き抜ける風が爽やかに感じる、初夏だ。
どうかした?と視線をやれば、友人はあ、ごめん。と我にかえったようだった。
「さっきさ、猿がいたんだけど」
こんな場所なのだから、猿なんて珍しくもないだろう。
言葉にすることはなかったが、友人も僕が言わんとすることが分かったようだった。
「遠近法がおかしいっていうか…。山の上の方に見えたんだけどさ、顔の位置がおかしかったっていうか…。妙にデカかったんだよなぁ」
腕を組みながら唸る友人は最終的に「標識かなんかと見間違えたのかな」と笑っていた。
だが僕は、遠くの木々と同じ高さでじっとこちらを見つめる猿の姿を想像して、薄寒いものを背筋に走らせていた。
▪️▪️▪️
《見間違い》というものは、およそほとんどの人間が経験したことのある現象だろう。
不可解なこと、奇怪なこと、およそオカルトと呼べるものもまた「幽霊の、正体見たり」と言うように、この見間違いで片付けられてしまうことが大半だ。
ただ、この言葉は「幽霊はいなかった」という結論のために用られるものであるが、僕としては、必ずしもそうは言えないということをここに記しておきたい。
人間は、あまりにも衝撃的なものを見た場合、精神的心傷の回避のため、防衛本能として脳が勝手にその光景を作り替えてしまう場合がある。
つまり、およそ自分自身では納得することのできない未知の脅威に遭遇した際に、脳がそれに近しい別の何かだと誤認してしまうのだ。
幽霊を見間違えたとして、それが「枯れ尾花」の場合もあれば、「幽霊以上に理解のできないナニカ」だったという可能性も、あるということである。
それを踏まえて、冒頭に話を戻そう。
▪️▪️▪️
あれから、僕の周りで「クソでかい猿」を見間違える人が増え始めた。
それは丸太だったり、看板だったり、自販機だったりと様々だったが、中には何に見間違えたのか分からずに終わったこともあった。
最近では暗がりにぼんやりと浮かんできた猿の顔が、結局お面を見間違えただけだったという、結論としてはどちらにしろ怖い話を、友人が笑いながら話してくれた。
見間違いならばそれでいいのだ。今のところ、これといった被害もないのだから。
本当にただの見間違いなのだろうと思う。
けれど一つだけ、一つだけ違和感を挙げさせてもらえるのならば。
…話は聞きこそすれ、僕は一度として、その猿を見間違えたことがない。
それが、ナニカが僕の周りをぐるぐる回っているのに、それに僕だけが気付けていないようで、ひどく居心地が悪い。
皆に見えている猿が見間違いなのかそうでないのか、僕にそれが見えないのは偶然なのかそれとも意図的なのか、はたまた僕にとっては見慣れた何かなのか。
もしくは、それは自分にとって
「視界に映すことも忌まわしいナニカ」
であるのか。
今はまだ何もかもが憶測の域を出ない、途中観察の段階だ。
何か進展があれば、その時はまたここに記そうと思う。
追記…
最初に友人が標識を猿と見間違えた山だが、あそこは昔から禁足地として有名であり、人が踏み入ることなど滅多にないそうだ。
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黒里麻言個人ブログ。《怪談の話》××××年/10月23日のページより抜粋。
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