第8話「靴が片方無い話」

「その家で見つかる死体は靴を片方履いていない」


オカルトとは関係の無い、とある仕事の打ち合わせの帰りだった。

家路に着くために先方のビルから出たのは二十二時過ぎのことで、夕食を取り損ねた黒里は、道中気がつけばふらふらと見知らぬ食堂に吸い込まれていた。

日替わり定食のアジフライを頬張っっていた彼に、お茶を淹れながら定食屋の女将は場違いな話題を投げかけてくる。


キョトンとした黒里の表情に気が付いた女将はにこやかに手のひらを電話の形にすると、耳の側で軽く振ってみせた。

その仕草に、黒里はああ…。と納得した様子を見せ気まずそうに頬をかく。

先ほど通話していた同僚とのやりとりを聞かれていたらしい。祭り好きなあいつは声もでかいから、禁足地の島で行われるとある祭りに参加できると、意気揚々と話す声が聞こえてしまっていたのだろう。


余程話好きなのか、女将はそのまま近場にある心霊スポットについて話してくれた。


曰も由来も分からないが、その廃屋ではよく人が自殺する。

加えて、その死体は必ず靴を片方しか履いていないのだそうだ。

みんな不気味に思って、今は誰も寄り付かない。

…そんな不可解で奇妙な家が、あるらしい。


興味があれば、行ってみるといい。

女将はそう告げると軽く会釈をし、ほんの少し違和感のある足取りで店の奥へと消えていく。

親切にも場所の案内を書いてくれた紙を見ながら、黒里は最後のたくあんを飲み込んだ。


▪️▪️▪️


駅へ向かう途中、少しだけ道を外れた人気のない住宅地の更に奥、雑木林を抜けた先に、件の廃屋はあった。

静かに撫でる風の音しか聞こえない。時間は日付を丁度超えたところだろうか。

ペンライトの小さな光に浮かび上がったその建物は、想像よりもずっと手入れの行き届いた印象があった。窓ガラスは割られているし、錆びついた玄関を見れば人が住んでいないことは明らかだったが、今までに見たそういう場所の中では、かなりマシな方である。

ダメ元で玄関のドアノブを捻ってみれば、嫌な音を響かせながらも問題なく中に入ることができた。

流石に靴を履いたまま家の中に入ると、ライトで足元を照らしていく。

靴が片方足りない部屋はどこだろうか。


「………は?」


自分が目的を持ってこの家を彷徨っていることに気が付いた黒里は、そこで足を止めた。

「靴が片方足りない部屋」とは、なんだ?

そんな話、一言も聞いてはいない。

瞬間、嫌な汗が滲むのが分かった。

どうやら自分は、「呼ばれて」しまったらしい。


そう思っているうちにも、黒里の足は家の奥へと向かい、一つの扉に手をかけていた。

そして、開いていた。


___結論から言えば、そこには靴を片方無くした死体ではなく、おびただしいほどの靴が転がっていた。


スニーカー、上履き、ヒール、長靴。

使い潰されボロボロのものから、新品同様に見えるものまで、性別も年代もバラバラであろう何者かの靴が、おそらく「片方だけ」転がっている。

その中でも一際古いつっかけサンダルが目に入ったところで、黒里は静かに扉を閉めていた。

今度こそ自分の意思で、その家を後にする。


これ以上は、いけない。

長年オカルトというものを追いかけてきた黒里の経験値が、そう告げている。

家を出た途端に、打って変わってやかましく鳴き始めた虫の音が何よりの証拠に思えた。

これ以上。詮索することも想像することもしてはいけない。

だから、あんな時間にやっていた食堂のことも、今思えば不自然にしか感じられない会話の内容についても、飲んだ味噌汁の味でさえ、これ以上考えてはいけない。

だから、



黒里は意図的に、女将の足元を思い出すのをやめた。


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