15 傷ついた仔犬を保護したような気持ちと言われても



 面倒事ってどうして終業間際にくるんだろね。


「申請お願いしまーす」

「はーいお預かりしまーす」

「すみません、申請お願いします」

「お預かりしますねー」

「私も申請を……」

「はいはーい」

「これも……」

「はーい……?」

「あの、申請を」

「えっと、」

「お願いします」

「あの、」

「申請です」

「ちょっと待って?」



「……これは残業だろうな」

「あれ、でも今日ビルの点検でこの後停電じゃなかった?」

「そうですわね。今日は定時で全員帰宅とお達しがあったはずですわ」

「うーん、明日みんな残業できるかしら?」

「はい、大丈夫ですよ」

「みんな悪いねぇ。じゃあ今日はここまでにして明日頑張ろうねぇ」



 というわけで、翌日。

 ちょっとでも残業時間を減らそうとみんなでハイスピードで仕事をこなしたけど、それを上回るペースで届く申請。

 なんでみんな一気にくるかなぁ!タイミングが重なっちゃう時ってあるよね、それが今ですありがとうございますぜんぜん嬉しくないね。


 定時。きんこんかんこん鐘が鳴って、まわりの部署の人たちが帰り支度を始めたけれど、僕たち異世界課はまだまだ申請書の束と格闘します。


「ん?コータどこ行くんだ?」

「タイムカード切ってくるね」

「ん?」

「え?」

「は?」

「コータくん、今日はまだ帰れないのごめんね」

「え、はい。残業ですよね」

「……んん?」

「えぇ?」

 

 全員の頭の上にはてなマークが飛ぶ。

 あれ、僕なんか変なこと言ったかな。


「残業の前にタイムカード切らないと」

「なんで?」

「なんでって……残業代がついちゃうから……?」

「そりゃ残業するんだからつくだろ」

「え?残業代って都市伝説でしょ?」


 そんな存在、さすがに信じないよー。

 ほら、帰りかけの隣の部署の人たちも、話が聞こえたみたい。すごい顔でこっちみてるよ。

 ね、そんな未確認物体、非実在青少年みたいな存在が本当にあるって言われたらそんな顔しちゃうよねえ。


「コータくん、とりあえず座ろっか」

「え、でも早くしないと」

「コータさん、お座り」

「わん」


 チーフに促され、シャルロッテちゃんに冷たく言われ観念して座りなおす。ひぃん。美人の圧が怖いよぉ。

 ていうか僕のトイプー扱いが加速してない? 気のせい? そうですか……。


「あのね、コータくん。残業代はあります」

「残業代は……えっ嘘だぁ」

「うーん。じゃあ嘘かどうか確かめてみたらどうかしら? 今日タイムカード押さなければ給料日には分かるわよ」

「ううん……でも僕、痛いの嫌です……」

「痛い?」

「だってタイムカード切り忘れたら殴られるじゃないですか。そんな痛い思いするくらいならちゃんとタイムカード切ったほうが――――」

「誰も!!!!殴りません!!!!!」

「ひょわ」


 びっくりしたぁ。

 チーフそんなおっきな声出るんだね。


「あのね、タイムカードはちゃんと出勤時と退勤時に切るの。ちゃんと決まってるのよ。残業したらきちんと残業代は出るの。出なきゃおかしいの。それについてこの会社では誰も怒らないし、絶対に殴ったりしないから安心して仕事していいのよ」

「そういえばコータさ、毎朝来ると絶対いるじゃん? どんなに私が早く来ても絶対いるけど、もしかして朝早くきてたりしない?」

「あっうん、だって残業しないなら朝来るしかないから……」

「コータくん、IDカードの番号何番かなぁ? そうそう扉にピッてするやつの番号ねぇ」

「この会社、夜勤のやつもいるからずっと入れるもんな」

「盲点でしたわね」


 課長がどっかに内線かけてる。ID番号でドアの開閉記録照会ってなに? なんで?

 そんな間に僕はチーフとマリーちゃんとシャルロッテちゃんとランスくんに撫で回されてる。もみくちゃですよ。

 隣の部署の人は青ざめてるし、新たに申請書出しに来た人が「俺たちが……こんなにたくさん申請を出すから……」って絶望してるんだけどなんで。それお仕事だからちゃんと持ってきていいんですよ。


「コータ、お菓子食べる? 作ってきたんだけど」

「え、いいの?」

「みんなの分もあるから」


 マリーちゃんの手作り、つまり美人女子高生の手作り……すごい、なんて贅沢なんだ。

 手渡されたマフィンからはシナモンの香り。かじりついたらじんわり甘い。りんご入ってる。おいちい。


「相変わらずお菓子作りが上手ですわね」

「まぁね~。ランスはこれね、チーズとベーコン」

「サンキュ。わざわざ悪いな」

「そんな手間じゃないからね。チーフと課長も」

「ありがとう。いただくわね」

「マリーちゃんのお菓子美味しいから嬉しいねぇ」


 残業のおともに、ってお菓子を作ってくるなんて気遣いがさすがすぎる。そういうところが聖女さまなんだろうなぁ。


「僕も残業の準備はしてきたけど、食べ物は持ってこなかったなぁ」


 だってこの身体、別に食事は必要ないからね。普段食べてるのは、なんていうのかな、習慣? 必要ないけど食べれるからね。味覚はあるし。


「コータは何を用意してきたの?」

「寝袋」

「ねぶ……なんで……?」

「だって駅閉まっちゃうでしょ?」

「???」


 そんな首をかしげられても。だって駅は遅くても二三時くらいまでしかやってないから。


「いや使わねーよ寝袋なんて」

「はっ……そっか、そうだよね……残業するからには朝までちゃんと仕事しなきゃね!」

「違う、そうじゃない」


 みんな頭抱えちゃったや。なんで?


「あのね、どんなに遅くても駅が閉まる前には終わるのよ」

「えっ早……それ残業に入らなくないですか?」

「定時過ぎたらそこから全部残業って言うのよ……」

「なんて異世界ギャップ……」

「違うから」


 後日、「異世界課に元奴隷で酷い扱いを受けていた日本人がいる」って社内で噂になったらしい。

 解せぬ。 



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