13 どんぶらことかいう謎の擬音


 とっても麗らかな休日の昼下がり。

 ぽかぽかお天気のこんないい日、僕の目の前ではケルベロスとヒュドラが大スペクタクルなう。


 メーデーメーデー。

 死んでしまいます。


 どうしてこんな事になったかっていうと。


 休日というのは仕事をしない日というのを学習した僕は、暖かな陽気に誘われて散歩に出掛ける事にした。

 僕の住んでる第三層の住宅街は、小さな緑地とか公園とかがいっぱいある。そんなところにわざわざ行かなくても、街路樹も花壇もそこら中にあるからどこを歩いてても楽しいんだけど。

 今日はそうじゃなくて、ちょっと遠くの大きな緑地に行くことにした。


 移住者用のパンフレットにも載ってて、行ってみたかったんだよね。

 生い茂る木々と、そこを縫うように整備された遊歩道。広がる芝生、流れる川、大きな湖。

 こんなところ、日本じゃなかなか行けないぞ。それがすぐに行けるところにあるだなんて、さすが天界。住みやすい街ナンバーワン。

 家族連れやカップル、老若男女とちょっと見た目じゃ判断できない人たちが思い思いにのんびり過ごしているそこはとっても気持ちのいい場所だった。


 大きな湖、その湖畔。キッチンカーで買ったサンドイッチのようなものを食べて。お日様あびて、ぽかぽかして。

 ああー、風がきもちいいなぁ。こんなにのんびりすることなんて、仕事をし始めてからはもちろん、その前にもなかった気がする。


 そんなわけで、たぶんちょっと浮かれていた僕は普段なら絶対に乗らない手漕ぎボートなるものに乗ってみることにした。


 そう、これがまず間違い。


「うちのボートは転覆防止魔法つきだよ!」

「わァすごい!」


 それはとっても魅力的。なんてったって僕、泳げないんだ。体を動かすのは好きなんだけど、運動はあんまり得意じゃない。そのなかでも水泳は本当に苦手なんだよね。

 そんなわけで、溺れないという安心感を得た僕は意気揚々と凪いだ湖面に漕ぎ出した。

 大冒険のはじまりだ!

 ……とマァそんな事もなく。

 でも、力の足りない僕でもえいさほいさとオールを動かしていれば陸地は徐々に離れていった。

 おー、すごい。はじめてにしては上々。

 ある程度の所で漕ぐのをやめて、オールを固定。ぽかぽかのお日様の光を浴びてのーんびり。

 あー、僕マジでなにもしてない。こんなのはじめて。



 どのくらいそうしてただろう。

 もしかしたらちょっとウトウトしちゃってたかも。そしてふと気づいた。ボート、揺れてる。

 ぐるりと見回して、原因はすぐにみつかった。


「……わァーー……」


 貸しボート屋さんの反対岸で、でっかい犬がばっしゃばっしゃと水浴び中。

 どのくらいでかいって? うーん、家かな……。

 あとね、頭が三つある。見間違いじゃなければ。


 地獄の番犬、ケルベロス。


 わァ……はじめて見た……当たり前だけど。

 ていうかマジで実在してたんだ。そして普通に公園で水浴びとかするんだ……。犬かな……犬か。うん、犬だな。

 まわりの人たちは特に気にする様子もない。ということはこれは日常の景色という事だね。ここで生活していくなら、慣れないとなぁ……いずれね……。


 とにかく、湖面はじゃぷじゃぷしてるし、ボートはひっくり返る心配はないとはいえ船酔いの心配が出てきた。もう充分楽しんだから戻ろう。そう思ってオールを持った時だった。


 ひときわ大きい波がきた。


「うわぁ!」


 じゃっぷん、と大きく揺れたボートになんとかしがみつく。転覆防止は落っこちるのまで防止してくれる訳じゃないからね!連続で来る波にびびりながら顔をがんばってあげた。


 ケルベロスが、湖にむかって唸ってる。


 なにごと。

 唸っている先、湖面が揺れる。水が膨れる。ぽこりと小さく盛り上がったそこはどんどんと大きくなっていく。

 流れる水、唸る獣、揺れるボート。

 ざざざと大きな音を立てて膨らんだ水が弾けとんだ。黒く、大きい。見上げるほど。


 怪蛇、ヒュドラ。


 蜥蜴のような身体に九つの蛇頭を持つ水棲の怪物。その蛇のうち、真ん中は不死。突如として湖から姿を現したヒュドラは天を衝くほどの巨体。見上げる首が痛くなる。真っ黒な身体の後ろの整備された公園と澄みわたる青空のせいでまるですべてが冗談のよう。


 クソコラかな?


 人はこれを現実逃避と呼ぶ。


 鎌首をもたげて威嚇するヒュドラの先には三つ首の猛犬ケルベロス。そこだけがまるで地獄か終末。互いの圧で空気が歪む。水が渦巻く。


 はい、ここ重要です。


 水が渦巻く。これ。

 みんな僕の状況を思い出してみて? 僕ね、ボートに乗ってるの。オール? そんなもんとっくの昔に流されました。んで、水が渦巻くってことはボートは動くわけ。ヒュドラを中心にして。その渦の方向がどっちかによってまぁ僕の運命は決まる。


 ボートの船首が動く。

 ヒュドラとケルベロス、その間に向かって。

 

 でしょうね!!!!


 そりゃそうなるよね知ってた知ってた。まぁ反対方向に流れたところでそっちにはヒュドラの尻尾が待ち構えているからどのみち同じなんだけどね。

 つまり?


 死。

 

 お父さん、お母さん。先立つ不幸をお許しください(にかいめ)


 そんなことを思っている間にもボートはどんぶらこどんぶらこと流れ流され地獄へ向かう。誰ですかボートから脱出しろって言った人は。僕泳げないって言ったでしょ。それにこんな大波の渦潮、誰が泳げるってんだ。それでもざっぱざっぱ荒れ狂う波にも転覆しないボートは流石。わぁ、魔法ってすごーい……。


 目の前ではケルベロスが牙を剥き、ヒュドラの頭が揺れる。双方、臨戦体制。蛇の頭が一斉にぐっと後ろに下がる。獣の身体が低くなる。瞬間。


「ひッ」


 ガチン!牙の合わさる音。

 がばりと開いたヒュドラの口が、ケルベロスの真横で勢いよく閉じる。跳ぶ巨体。そこに滑る牙。ガチン、ガチンと何度も何度も音がする。


 僕はそこへ向かってどんぶらこ、どんぶらこ。


 ヒュドラの猛攻。九つの首が息つく間もなく襲いかかる。それをケルベロスが躱し、いなし、跳躍する。真上に跳んで、ふりかかる牙を躱す。そのまま頭に着地。ぶん、と振るわれた首にケルベロスが跳ばされる。そこへまた別の首が迫る。


 どんぶらこ、どんぶらこ。


 空中戦。器用にその巨体を捻ったケルベロスは牙を躱しその首に真横から噛みつく。見るからに凶悪な肉食中の牙。それがヒュドラの首をひとつ噛みちぎった。


 どんぶらこ、どんぶらこ。


 落ちる首。ずん、と音を立てて地に伏せどんぶらこ。他の八つが怒りに染まる。もはや止められるものなどどんぶらこ。しゅたりと地に降り立ったどんぶらこもまた血に狂ったようにそのどんぶらこをぎらつかせる。しばしどんぶらこ、先に動いたのは狂犬。その鋭い爪をどんぶらこ、地に伏せたままの首をどんぶらこに跳躍。狙うはどんぶらこの根元。しかしどんぶらこもまたどんぶらこ。どんぶらこしていたどんぶらこもまたどんぶらこしはじめ……。


「どんぶらこはもういいよ!!!!」


 どんぶらこなのは分かってるから!確実に死に近づいていることくらい分かってるから!!どんぶらこがどんぶらこでゲシュタルト崩壊してる暇なんてないんだよ!


 その時、ふと空が陰った。


 僕は絶望にどんぶらこしながらも顔をあげる。

 上を見上げ、そして。


「もーやだーーーー!!!」


 叫んだ。

 上空に現れた第三勢力は、鷲の頭に巨大な翼、獅子の身体。


 グリフォン、参戦。


 その獣とも鳥ともつかない巨大なキメラは空中で一鳴きすると、まっすぐに滑空。こちらに向かって。二体の怪物には見向きもせずに。


「ひ、」


 目があった。わりとマジで。


 目があったということは、狙いは確実にどんぶらこしている僕ということで。そんなことを考えている間にも距離はどんどんと縮まっていく。逃げようにもすでに遅い。もはや視界いっぱいにグリフォンが迫って、その鷲の口をがぱりと開ける。


 あ、死ぬ。







「……タ、……コータ、起きて」

「……う……?」


 なんだか頭がふわふわして、からだがぽかぽかする。

 あれ、僕……どうしたんだっけ?


「あ、起きた」

「マリーちゃん……?」


 目の前には、僕を上から覗き込むマリーちゃんが逆さまになってる。さらりと綺麗な白金の髪がカーテンのよう。えーと、どういう状況?


「大丈夫?」

「う、うん……あれ、えっと……」

「コータ、あれ」

「あれ……?うわぁ」


 マリーちゃんの指差す方向に頭をむけてみれば、そこにはバカみたいにでかい怪獣が三体。ケルベロスと、ヒュドラと、グリフォン。


 思い出した。僕はケルベロスとヒュドラの怪獣大戦争に巻き込まれてそこにグリフォンがやってきて……。


「グリフォンがね、コータを助けてくれたんだよ」

「あ、そうなの。てっきり僕食べられるものだとばかり……」

「うん、まぁ助けるときに口に入れたから」

「あっ食べられはしたんだ?」


 つまりあのグリフォンは僕を助けるために大口あけて降りてきて、そのままバクッとして陸地にペッしたという事らしい。


「……それ一歩間違えたら死ぬやつ……」

「コータもう死んでるよ」

「それはそうなんだけど」


 よいせ、と起き上がる。マリーちゃんは僕の背後。あれ、ってことはつまり。


「膝枕……?」


 えっ僕こんな美人女子高生に膝枕されてたの!?そんなまさか、人生いままで一度もそんな心ときめくイベントなんてなかった僕が。よりによって、女子高生に!?


「ついでに回復かけといたよ。痛いところある?」

「回復?」

「うん、私これでも聖女だから」


 そういえば、ボートに身体をたくさん打ち付けたしグリフォンにはぱくっとされたけどどこも痛くない。むしろものすごく調子がいい気がする。


「マリーちゃんって凄いんだねぇ……ありがとう」

「どーいたしまして」


 聖女様に回復魔法をかけてもらっちゃった。

 すごいぞ、できれば起きて見ていたかった。


「ただ……やっぱり呪いの気配はしないんだよね。私そういうの分かるはずなのに。おかしいなぁ」


 の、呪い? 僕に?



 

「だってコータ、働いてないと死ぬ呪いがかかってるよね?」

 

「……そういうのじゃ……ないです……たぶん……」




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