第5章(4/6)

 ただその場に居るだけで、相手を竦ませてしまえるほどの存在感。これが数多の激戦を―― 未だ伝説として語り継がれる旅順攻囲戦をも生き残った猛将か。


 格が違う。


 長身の真崎が、中背の駛良を見下ろす。


「気張れよ、小童。ここで儂を食い止めることができれば、貴様の勝ちだ」


 闘いの幕が切って落とされたのは、いつの時点なのか。それを見定めることは難しいし、あまり重要でない。


 駛良はただひたすら真崎を睨み付け、真崎はそれを柳に風と受け流す。下手をすれば児戯にも等しい光景であるが、二人の間に流れる空気は触れれば斬れてしまうのではないかというくらいに緊迫していた。


 そんな駛良の背後では、予備役軍人たちが――鷹寛がいち早く行動を起こしている。


「行くよ、花鶏。ここは危ない」


「待って、お父さん! このままだとシロくんが――」

「解ってる。だから今はここを離れないといけないんだ。他人を庇いながら闘えるほど、あれは容易い相手ではない」


「そんな……シロくん、シロくーんっ!」


 駛良の名を連呼する花鶏の声が徐々に遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。


 遠い喧噪に取り囲まれながら、束の間の沈黙が下りた旅団長執務室内。


 ふっ、と真崎は悪戯っぽい笑みを零した。


「女を泣かせるとは、貴様もなかなか罪作りな餓鬼だな」


 それは心外ですね、と駛良もまた真顔で返す。


「別に泣いてませんでしたよ、あの女」


「そうか」


「そうです」


 それが、合図だった。


 予備動作もなく放たれた駛良の抜刀は、自分史上最速と自負できるほどのもの。

 しかし真崎はそれを、執務机を掴み上げて・・・・・・・・・迎撃した。それも、片手で、だ。


 常識の埒外にある真崎の挙動に、さすがの駛良も対応が間に合わず、そのまま吸い込まれるように執務机の斬り付けてしまう。


 それと同時に、執務机に施されていた魔法もまた斬り裂いた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。そんな確かな感触。


 目を瞠る駛良の視界の中で、執務机に偽装された外観・・が剥がれ落ちて、それが本来の姿を露わにさせる。 ――大矛。


 机の天板ほどもある巨大な刃を備えた、長柄の矛だった。


 真崎は大矛を手にするなり、自慢げに鼻を鳴らす。


「儂が自らこれを振るうのも久々でな、少々準備運動に付き合ってもらうぞ」


 言うなり、巨刃が振り下ろされる。駛良は咄嗟に横に飛んで回避したものの、大矛が生じさせた風圧を叩き付けられる。床にはばっくりと細長い穴が穿たれていた。


 何だ、これは。驚愕と困惑が駛良を襲う。一連の動作には、一切の魔力を感じなかった。


 真崎は自身の膂力と大矛の斬れ味のみで、この事態を引き起こしたのだ。


 一方、その真崎はどこまでも余裕綽々といった様子であり、


「室内で使うには向いていないんだが、まぁ肩慣らしくらいにはなるだろう」


 これで本調子ではないだと、と駛良はおののくが、表情には出さない。

 虚勢だと見抜かれるだろうが、それでも不敵な笑みを形作る。精一杯、自分を騙す。


「閣下より直々にご鞭撻を頂く分には、それでも勿体ないくらいですよ」


「そうかい?なら、これはどうだ」


 大矛が横薙ぎに振り抜かれる。刀を垂直に構えて受け止めるが、駛良の踏ん張りよりも遥かに大きな爆発力がそのまま駛良の体躯を吹き飛ばす。壁に衝突する直前、咄嗟に受け身を取れたのは、もはや奇蹟に近い。


「ところで――」


 再び真崎から会話の口火が切られる。


「貴様も士族の一員だというのに、なぜ我々の決起を妨害するのかね。同じ武家士族である以上、我々の目標は決して貴様にとっても悪い話ではないと思うのだがね」


 どうだろうか。息を整えがてら、駛良は頭の片隅で思いを巡らせる。


 士官階級に求められているのは、身分の高さでなく質の高さだ。いくら席が空いているからといって、質の高い平民を押し退けて質の低い士族を着かせるようでは、帝国軍は遅かれ早かれ弱体化していってしまう。


 それに、と駛良は口許に流れる血を拭う。


「こういうやり口を、俺は好みません」


 気に食わなければ叛乱を起こす、などというその歪んだ道理など、駛良は認めない。


「武家士族の人間として〝武〟を誇示することに何の不都合があろう?」


「もっと単純な話ですよ。血にまみれた幸せだなんて、どう考えても生臭くて敵わないでしょう」


 駛良の皮肉に、くつくつと真崎は喉を鳴らす。


「血にまみれることがそんなに嫌かね? しかし考えてみたまえよ。君も経験してきた〝戦争〟とは、元来そういうものだっただろう?」


 自分が生きるために他人の命を踏み躙って、今こうしてここに立っているのだろう――と真崎はまるで見透かしたかのように言う。


 実際、駛良の頭の中に伊江奈喜古の姿がよぎっていた。彼女が最期に見せた笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。


 なおも真崎は続ける。


「敵はおろか同胞の屍体さえも踏みしめてなお、威風堂々と振る舞う。それこそが貴族に課せられた義務だろう。違うかね?」


 違わない。駛良自身、全く同じ考えの持ち主だ。誰かを守って死ぬばかりでなく、誰かに守られて生きることも大切だと、自分自身気づいたばかりだ。


 けれども――何かが違う・・・・・のだ。喉に小骨が刺さったような違和感。自分でも未だに正体を掴 めないそれが、真崎の言葉に頷くことを拒否させている。


 あんたには、と駛良は血反吐を吐くような思いで言葉を紡ぐ。


「あんたには、ないんだ。少なくとも俺にはそれ・・が感じられません」


「面白い。何がかな?」


 尽くすべき言葉はまだ見つからない。だから端的に、結論だけを述べる。


「正義が、だ」


 少なくとも、その一言で充分だと思ったから。〝正義〟という言葉には、それだけの力があるから。


 果たして真崎の笑みは、彫刻のように一切揺るがなかった。


「ならば証明してみせろ――貴様の言う〝正義〟とやらを」


 真崎が言うなり、駛良の体は為す術もなく大矛の腹が駛良の体を掬い上げられ、そのまま窓を突き破って外に放り投げられる。


 え、と言葉を漏らす暇さえなかった。見上げた夜空では、三日月が意地悪く嗤っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る