第5章(3/6)
〇二〇〇時――午前二時。草木も眠る丑三つ時。
駛良の率いる予備役軍人たちは、旅団長奪還作戦を開始した。
と言っても、人員の大半は既に城内各所に散らばって陽動を行っている。そうやって〈叛乱軍〉側の戦力も分散させるという作戦。何の捻りもない初歩的かつ王道の手法だが――だからこそ敵側も正攻法で迎え撃たなければならない。
なおかつ、運気もまた駛良たちに味方してくれているようだった。というのは、
「事情は解らないけれども……彼らは今、通信魔法を使えていないようだね」
混乱に揺れる兵士たちを、旅団司令部の様子を窺える物陰に潜みがてら見つめながら、鷹寛が呟いた。そのようですね、と駛良もまた首肯する。
二室戸中尉が行方不明だ、などといった声も漏れ聞こえてきて、駛良は微かに眉根を寄せた。
ふと脳裏をよぎったのは大杉と伊藤の二人。――いや、これ以上は考えたところで無駄だろう。
今は目の前の作戦に集中しないといけない。
駛良は兵士たちから目を離すことなく、自らの率いる一個分隊――鷹寛ら七人の予備役軍人たちに命じる。
「この混乱に乗じて俺たちも旅団司令部に乗り込みます。――行きますよ」
そして、さっ、と音もなく駛良は駆け出した。
物陰から矢の如き速さで一直線に飛び込んできた駛良に、旅団司令部の門衛たちは目を瞠る。
遅ぇ――駛良は短く呟くと、即座に二人の門衛を無力化した。峰打ち。骨くらいは折れているかもしれないが、命に別状はないはずだ。
「進路確保」
駛良の合図と共に、予備役軍人たちも自動小銃――倉庫内から拝借したものだ――を携えて駆け寄ってくる。
一行はそのまま司令部の建物内へ突入。陽動作戦が功を奏しているのか、建物内に残っている兵士たちは数が少なく、また実力もさほど高くなかった。
「ここは私たちに任せて、君は先に行ってくれ」
交戦のさなか、鷹寛が駛良に言う。これが映画ならば不吉の前兆だったところだろうが、この場では言葉通りの意味に過ぎないだろう。駛良も現況ならば鷹寛たちに任せても問題ないと判断して、先を急ぐ。
進路を阻もうとする兵士たちを押し退けながら、上階を――旅団長の執務室を目指す。 ――思えば、この時点で既に違和感を覚えて然るべきだった。いくら陽動が行われているとはいえ、旅団長が軟禁されているにしては、警備が手薄過ぎると。
しかし駛良の関心は、旅団長以上に、同じく囚われの身である幼馴染の少女に対して向けられていたため、そこまで意識が働かなかったのだ。つまり、花鶏の身を案じるあまり、致命的な失態を演じてしまっていたのである。
尤も――早々と
やがて駛良は旅団長執務室の前に到達する。見張り役の兵士の姿はない。既に駛良に斃されて廊下に寝転がらされている兵士の誰かがその任を負っていたのだろう。
状況が状況とはいえ、将官を相手に礼を失してはならない。駛良は居住まいを正すと、丁寧に扉を叩く。
程なくして扉は内側から開かれた。と、そこに居たのは、
「……花鶏?」
「っ――、シロくん?」
仔馬の尾のように結われた髪をひょこひょこと揺らす少女だ。
警戒するような表情を浮かべていた花鶏は、駛良の姿を認めるなり、一転して目を丸くした。
どうしてここに、と花鶏が声を漏らすが、駛良は意に介さず花鶏の全身をくまなく眺め回す。
見たところ少女に縛られた痕などはない。顔色が悪いということもなければ、佇まいに不自然な点もない。ひとまず危害を加えられていたということはなさそうだ。駛良は安堵に胸を撫で下ろす。
と、花鶏は頬を赤らめながら、
「あの……そんなにじろじろ見られると、恥ずかしいんだけど――」
「気にするな。別に減るものでもなし」
咄嗟に軽口を叩いたが、直後、脳裏に昨夜の出来事が明滅する。考えてみればこれは、喧嘩別れしてから初めての会話ではないか。胸の奥から気まずいものが込み上げてきて、一瞬、息を詰める。
もしかすると、花鶏も同じことに気づいたのかもしれない。口を開き掛けて、すぐにはっとしたように駛良から目を反らした。
二人の間に、重苦しい沈黙が立ち籠める。それを引き破ったのは、部屋の奥から届けられた第三者の声だ。
「そんなところで立ち止まっていないで、早く中に入ってはどうかね」
はっとして駛良は声の主を振り向く。鷹揚な態度で執務机に向かっているのは、巌のような巨漢。この男が、と駛良はその大きな体躯に不似合いの静謐な気配に舌を巻く。
近衛独立混成旅団旅団長――真崎甚三郎少将。
髷を結わずに垂らした総髪を靡かせる、どこか古武士然とした様相の男だ。年齢は確か四十代半ばだったはずだが、年季の入った苔生す岩のような雰囲気を感じる。ただ、その無骨な顔立ちの中で、唯一耳たぶだけがふっくらと大きかった。縁起が良いとされる福耳だ。
筋骨隆々とした大黒天――端的に表すならば、そのような形容が似合う。
失礼します、と駛良は敬礼すると、音を立てずに室内に足を踏み入れる。
「お初お目に掛かります。龍敦憲兵分隊特殊捜査班班長代理、八神駛良と申します。……真崎甚三郎少将とお見受け致しますが、よろしいでしょうか?」
如何にも、と真崎は薄い笑みを浮かべる。口許こそ緩められているものの、双眸は炯々と鋭い光を放っている。これが幾多もの戦場を越えた武者の瞳か、と駛良は軽く気圧された。
「八神駛良……噂には聞いているよ。八神大佐の息子さんで、今は甘粕くんのところに居るんだってね。――して、儂に何用かな?」
「この叛乱を止めるべく、少将閣下のお力添えを頂ければと思いまして」
「……ほう?」
真崎は面白い冗談を聞いたような顔で不敵に笑みを深めた。瞬間、青天の霹靂とばかりに、駛良の体内を電撃が通り抜ける。つぅっと、こめかみを冷たい汗が伝う。
本能が全力で警鐘を鳴らしていることに、駛良は我がことながら戸惑いを覚える。思考が、理解が、追い着いてない。
どたどた、という複数の慌ただしい足音は駛良の背後から訪れた。花鶏の上げた「お父さんっ!?」という声から、鷹寛たち予備役軍人たちもこの執務室に辿り着いたのだと察する。
そうやって役者が出揃ったところで――真崎はくつくつと笑いながら立ち上がった。
止めるも何も、と真崎は口の端を吊り上げる。執務机の前に回り込み、後ろ手を組みながら、
「――この決起は、儂自身が計画したことなんだがなぁ」
そんな何気ない言葉と共に、今まで味わったことのないほどの威圧が駛良の両肩を押さえ込んだ。魔法でも何でもない――これはただの殺気だ。
しかし、動けなかった。にぃ、と嗤う真崎の顔を直視できなかった。
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