第5章(2/6)

 夜半。二室戸の姿は〈龍敦塔〉の三塔が一つ――要塞としての中枢機能が集中する、通称〝中央棟〟にあった。


 赤みがかった茶色かつ左右対称の、言うなれば〝凸〟の字そのままの形をした巨大な建物。

 その突き出た塔屋が、その実、神を祀る社であることは、城内でもあまり知られていない。


「尤も――知られていないからこそ、こうやって私が行動しやすくて助かるのですが」


 訳もなく独り言ちたのは、思いのほか興奮しているためか。我ながら、らしくない。


 しかし――これから行おうとしていることこそが、二室戸にとっては本題だ。今度の叛乱劇など、彼個人にとってはそのための手段に過ぎない。


 建物内の通路を進むにつれて、徐々に大きくなっていく音。


 かちかち、きりきり。

 きりきり、かちかち。


 歯車が噛み合い、回る音だ。


 やがて二室戸が辿り着いたのは、塔屋の真下に相当する空間。無数の歯車が規則正しい音を奏でる、超大型の自働計算機を鎮座させた広間だ。


 二室戸が笑みを深めると同時、ひゅう、という口笛の音が聞こえた。


 おやおや、と二室戸は背後を振り返る。そこに二人組の闖入者が居たことを、二室戸はあまり驚かずに受け容れた。

 もとい、この二人ならば或いは――と、心のどこかで予想していたからかもしれない。


「ご機嫌よう、大杉さん、それに伊藤さん。妙なところでお目にかかりますね」


 紅白に染め抜いた櫂を携える傾奇者の男と、舶来の洋装に身を包んだ女だ。


 応よ、と大杉もまた不敵な笑みを浮かべる。


「仲間の宴会にお呼ばれしてたんだが道に迷っちまってな……そしたらお前さんがもっと楽しそうなこと企んでるじゃねえか。そうと来たら、もう邪魔するしかねえだろ?」


「そーゆうこと。ごめんねぇ、二室戸ちゃん。あたしたち空気読めなくて」


 伊藤もまた、まるで悪びれることなく、けらけらと笑う。

 これは困りましたねぇ、と二室戸もまた二人に調子を合わせてからからと笑った。


 それこそ本当に宴会の一角で繰り広げられていそうな光景だった。叛乱将校と破壊活動家たちが一見誰も寄り付かなさそうな場所に集っている、という異常さを抜きにすれば。


 ひとしきり笑ったところで、大杉が不意に顔をしかめる。


「つーか誰も突っ込み役居ねえのかよ。こういう時こそシロ助の出番じゃねえの?」


「仕方ないよ、エイちゃん。あの子が立ち向かわなければいけない相手は別に居るんだから。……ま、あたしらとしてもその方が好都合だし」


 そうだな、と大杉は口角から犬歯を覗かせる。ごうん、と櫂が翻される。


勾田直実ナオミちやん……おれの大事な友達の命を奪った奴にゃあ、きっちり落とし前を付けねえといけねえからな」


 大杉は櫂を馬上槍ランスのように突き出す。その隙に、さっと伊藤が動いて、稼働する自働計算機に駆け寄る。大杉が睨みを利かせているため、二室戸はそれを制止することができなかった。


 やれやれ、と二室戸は顔に微苦笑を滲ませる。


「心外ですねぇ。私はあなた方に危害を加えるつもりはないというのに」


「ほう? ならてめぇはここで今から何をしようとしてたんだ?」


「神の創造――」


 二室戸が口を開くよりも早く、背後から答えが返された。伊藤の漏らした言葉だった。かたかたと自働計算機の鍵盤を叩く音がする。


「エイちゃん……そこに中尉さんね、なかなかどうしてぶっ飛んだことを考えてるわよ。旅団の人たちを使って、新しく神様を造っちゃおうと、そう考えているのよ」


 微かに震えている伊藤の声に、大杉は訝しげな顔をしながら耳を傾けていた。


「どういうこったい」


「簡単な話ですよ。私はただ、人類を救済する神を造りたいだけです」


 にっこりと二室戸は笑う。これについては、むしろ大杉の理解を得たいとも思うところだ。

 なぜなら二室戸がこのような発想に至ったのは――かの尼港の地に救援軍として駆け付けたその時なのだから。


  ――「なるほど。我らの崇める神に人類ひとを救う機能ちからはない、ということですか」


 かつて二室戸は尼港でそう確信した。だから人類を救済できる機能を有した神を人の手で造り出そうと、そう思い立ったのだ。


 あー、と大杉は、二室戸に櫂を突き付けたまま、困った様子で頭を掻く。


「おれは神学関係にはあまり強くねえんだけど……カミサマってのはそうほいほい造れるものなのか?」


「理屈としては難しくないはずよ。場所が場所であるだけに」


「伊藤さんの仰る通りでしてね。ご存じと思いますが、〈五稜郭〉はまさにそうした大規模な儀式を執り行うための〝祭壇〟を兼ねて建造されたものですし、術式の維持に必要な演算能力もこの自働計算機を用いれば何ら問題になりません」


 ちなみに〝魔法〟に必要不可欠である魔力についても、この巨大な祭壇を通じて自然界に遍在するものを集めることで賄うことができている。


 と、そこで「だけど――」と伊藤の声に懐疑の念が宿る。


「この術式、一体何なの? 人間の意識を、繋げようとしている……?」


 大杉の顔が露骨に歪められる。大方、誰もが考え付くような物騒な想像でもしているのだろう。


「別に人間の意識を統合してどうこうだなんてことは考えていませんよ。これは言ってしまえば、情報収集がてら彼らの手……もとい意識を借りているだけのことです」


「つーとアレか? 他人の頭ん中を覗き見するのがてめぇの趣味っつーことか?とんだ出歯亀野郎だな」


「まさか。個々人が考えていることなどに私はいちいち興味を持ちませんよ。知りたかったのはもっと大きなこと――ああ、お二人は〝阿頼耶識〟という言葉はご存じですか?」


 大杉は二室戸越しに伊藤を窺った。


「人間の意識――あたしたちが〝意識〟って呼んでいるものの奥にある最深層のことね。ほら、エイちゃん、欧州の学者さんが〝集合的無意識〟ってのを唱えてるでしょ? あれと似たようなものよ」


「するってーと……おいおい、おまえさんの言う〝情報収集〟ってのはまさか――」


 大杉が息を呑みがてら引きつった笑みを浮かべる。

 それに二室戸は、むしろ万感の思いさえ漂わせながら、ええ、と深く頷く。


「〝人類の総意〟たるものに訊ねてみたかったのですよ。人類の救済とは、如何にして為されるかを。……こればかりは、さすがに私の独断で決める訳にはいきませんからね」


 誰をも公平に取り扱うその見方は、貴族と平民の垣根を取り払おうとする大杉の思想にも通じるものがあるのではないかと二室戸は思うのだが、残念なことに、大杉は理解で居ないものを見る目で二室戸を凝視していた。


「っつうても、集合的無意識から〝総意〟ほどのものを引き出すにゃあ生半可な処理容量じゃあ……ああ、だから〝意識を借りている〟のか」


 大杉の言う通りだ。たった一つの問いかけとはいえ、〝総意〟と呼べるほどの指標を抽出するには一人や二人の頭脳では足りない。これは二室戸にとっても大きな課題だった。


 だが――運命の悪戯か、或いは力なき神の手助けか、その〝手段〟は向こうから訪れた。

 そう、今度の士族叛乱である。


「我ら決起部隊は総勢およそ千五百名余り。これだけの人間の意識を借りられれば、どうにかなるのではないかと思いましてね」


「加えて〝決起部隊〟という共犯意識の強さが更にあなたにとっては好都合なわけね。この叛乱を成功させるという一点において、誰もが同じ方を向いている。――集合的無意識に触れる ための土台が、出来てしまっている」


「でもって、そこで得られた回答をおまえさんの造ろうとしているカミサマにそのまんま植えつけちまうって算段か。都合良く出来過ぎていて反吐が出そうなくらいだ」


「そういう次第でして……そろそろ私も次の段階に進みたいのですが、よろしいですか?」


「ははっ。駄目に決まってるだろ」


 ずい、と大杉の櫂が突き出される。それを二室戸は紙一重のところで躱す。否、櫂の角がわずかに掠めて、頬に薄く赤い一線が引かれる。


 と、二室戸は自働計算機を目掛けて駆け出す。


 が。

 足に糸のようなものが絡み付いたかと思ったその瞬間、ぽん、と体が全く別のところに跳んでいた。おや、とどこか間の抜けたような声が漏れてしまう。


 二室戸は霊覚を通じて視る。室内には魔力の糸が張り巡らされていた。その源を辿ると――。


「えへへっ、もうバレちゃったか」


 さすがね、と女は本気とも冗談とも付かない顔で笑った。陳腐だが、女郎蜘蛛、という言葉が脳裏を過ぎった。


「魔力で編まれた、触れると明後日の方向に跳ね飛ばされる糸……ある種の結界魔法ですね。但馬大尉の入れ知恵ですか?」


「そ。これくらいならあたしにも真似できるかなぁって思ったら、案の定できちゃった」


「どうだ? 俺のカミさん・・・・も負けてねえだろ」


「あなたがそう思うならば否定はしませんが……しかし客観的に見れば私の造る神の方がもっと高性能だと思いますよ」


「そういうこたぁ実際に造れてから言え。造らせねえがな」


 大杉の櫂を避けようとして、再び足が糸に触れてしまう。お陰で出入り口の付近――自働計算機から最も遠ざかった場所に追いやられてしまった。


 やれやれ、と二室戸は小さくかぶりを振る。

 こうしている間にも伊藤は自働計算機の鍵盤に指を走らせて、術式の解体を始めている。それを守るのは大杉。敵ながら悪くない戦力配置だ。


 つまり、大杉をどうにか無力化しないことには、伊藤の下へも辿り着かせてもらえないようだ。


「――君が行く、道の長手を繰り畳ね、焼き滅ぼさむ、天の火もがも」


 二室戸が呪句を紡ぎ出すと共に、広間に爆炎が墜ちる。

 一面にして炎に覆われる世界。その高熱だけで肌がちりちりと焼けるほど。さながら広間そのものが地獄の釜を煮立たせる竈と化したようだ。


 大杉もまた炎の中に呑まれ、


ァ――ッ!」


 偉丈夫の腹の底から、獅子の如き雄叫びが響き渡ると共に、地上を焼き払う炎もまた一掃される。広間では、まるで何事もなかったかのように、自働計算機が規則正しい音を立てている。


 けっ、と大杉はつまらなそうに唾を吐き捨てる。


「大した幻術だな。ナオミちゃん――勾田准尉もそうやって突き落としたのか」


 くすり、と二室戸は笑みを溢す。


「病は気から、などという言葉があるように、人間の肉体というのは割りと精神の作用を受けやすいものでして。たとえ幻の中でも〝自分が高所から墜落した〟という認識を植え付けられてしまえば、現実と幻想の齟齬を埋めるために、肉体の方にも同じ衝撃が反映されるのですよ」


 その点、大杉は幻に意識を呑まれることなく、ばかりかそれを喝破してさえみせた。なかなかどうして怪物じみた精神力の持ち主だ。


 いや、それほどに強固な精神の持ち主だからこそ、既存の概念を打ち砕く思想家として目覚めることができたということなのか。


「一つ、訊かせろ」


 櫂を構えながら、つと大杉が真顔になる。


 何なりと、と二室戸は軽く応じた。大杉に魔法戦を挑むことは、二室戸にとって相性が悪いようであり、だから他に攻略の糸口がないかと探すべくと時間を稼ぎたいところだった。


 真剣な声音のまま、大杉が続ける。


「おまえさんはどうして、神なんてものを造り出そうと思った」


「…………」


 二室戸の顔からわずかに笑みが薄まった。軽くは応じられない問いかけだったから。


 青年将校は静かに息をつき、おもむろに口を開く。


「伊江奈喜古のような悲劇を、二度と繰り返させたくないからですよ」


 大杉の顔が怪訝そうに歪んだ。二室戸の口から今は亡きかの少女の名前が飛び出したことが意外だったようだ。


 実際、二室戸自身も伊江奈には直接の面識があるわけではない。ただ、その無惨に打ち棄てられた亡骸を目撃しただけだ。あの過酷な戦場においては、仲間の遺体を弔う猶予さえ得られ なかったのだろうことは、現場の状況から想像に難くなかった。


「とはいえ、だ――」


 大杉が苦味の混じった声を漏らす。

「んなもん、あの頃にゃごくありふれた・・・・・・・悲劇に過ぎなかっただろうが」


「だからこそ――ですよ。そう、少々状況に特別なところがあったとはいえ、あの少女の死自体には、何ら特別なことはなかった。快勝した青島だろうが、惨敗した尼港だろうが、一個人の死の軽重は比べられません。……そんな異常な価値観が罷り通ってしまっていたことが、私にはどうしても許し難かった」


 戦争が起きれば人が死ぬのは当然だと、誰もそれを疑問に思いはしない。思う暇さえ与えられない。そのような道理が、この世界には在ってしまっている。


「大杉さん。私たちはきっと、似た者同士なのですよ。あなたがこの国を作り替えようとするように、私は世界の仕組みそのものに手を加えたい。人が、人らしく生きられるように」


 多くは望まない。ただ無辜の市民が幸せな生涯を享受できさえすれば、それでいい――。


 その時の二室戸の心に宿っていたのは、まず間違いなく慈愛だった。他の人間がどう形容するかは解らない。しかし二室戸自身は、それを慈しみだと信じて疑わなかった。


 そして大杉は――深々と嘆息を漏らした。あのなぁ、と彼はどこか幼い子どもに諭すような顔をしながら二室戸に語りかける。


「人造の神だか何だか知らねえが、そんな得体の知れねえもんに救われなきゃいけねえほど、人類おれたちゃ弱かねえんだよ」


「………………はい?」


 微かに二室戸の目が見開かれる。いきなり何を言い出すのだ、この男は。


 へへっ、と二室戸は一転して今度は無邪気な子どものような顔で笑う。


「まぁ、実を言うとおまえさんのような奴は好きだったりする。人間の盲目的行為は大好きだ。精神そのままの爆発とかもう辛抱たまらん」


 けどな――型に嵌められるのは性に合わねえんだわ、と大杉はなおも身勝手な理屈を紡いだ。


「おれはただ自由でありてえだけなんだよ。他人の敷いた軌道の上で形ばかりの幸せを手にれるなんざ真っ平ご免だな」


 言うだけ言うと、大杉は呆気にとられる二室戸に櫂を叩きつけた。

 がつん、という衝撃と共に目の前で星が弾ける。


「お疲れ~、エイちゃん。こっちも術式の解除終わったよ~」


 そんな伊藤の声を最後に、二室戸の意識は仄暗い深淵の奥底へと沈み込んでいったのだった ――。

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