第五章かくて少年は正義を全うする

第5章(1/6)

「眠っただけか……」


 駛良は安堵に胸を撫で下ろした。急に黙り込んだ綸子が、よもや死んでしまったのではないかと少し焦ってしまった。


 ひとまず手持ちの呪符を使って綸子に応急処置を施すと、今度はぼろぼろになった洋風茶屋〈でろり庵〉の中の家捜しを始める。鷹寛のことだから、どこかに救急用の道具などがあるのではないかと考えたのだが、案の定、厨房の一角にそれはあった。

 金庫かと見紛うほどに頑丈な救急箱の中から止血剤や鎮痛剤を取り出すと、手早く自分や綸子の身に投与する。火傷に効く軟膏も入っていたので、ありがたく使わせてもらった。いずれも魔法仕掛けの軍用品だ。


 と、綸子が軽く目を開けた。


「……随分と手慣れてるのね」


「尼港では衛生兵さえ生き残れなかったからな」


 無駄口叩く暇があるなら寝てろ、と駛良は素っ気なく言ったが、なおも綸子は淡々と続ける。


「旅団司令部よ」


「何がだ」


「花鶏ちゃんの居場所」


「…………」


 どうして、という問いかけにあまり意味があるとも思えなかったので、敢えて呑み込んだ。

 代わりに、


「そうか。情報提供、感謝する」


 綸子から返されたのは寝息の音だった。先ほどの礼が伝わったのかどうかも怪しい。

 一通りの延命処置を終えたところで、さて、と駛良は改めて救急箱を振り返る。


「旅団司令部も気になるが……その前に、まずはこいつ・・・だな」


 そう言って駛良が取り上げたのは、救急箱の片隅に差し込まれていた一通の封筒。


 中身を検めると、〈五稜郭〉の全景を写し取った見取り図が入っていた。簡素な地図とはいえ、縮尺が正確である以上、これも普通に機密情報であるはずのだが、鷹寛は一体どこから手 に入れたのだろうか。大方、蛇の道は蛇、といったところなのだろうが。


 それはさておき、だ。見取り図の一角には、何の説明もなく赤丸が描かれていた。南東部第四区――倉庫街だ。


 思わず苦笑が漏れてしまった。つくづく自分は倉庫街に縁があるようだ。それとも城内で最も人気のない地域だから、かえって誰もが好んで利用してしまっているのか。


 ともあれ、まずは倉庫街に向かおう。鷹寛はきっと、そこに隠れ潜んでいるはずだ。


 予備の詰襟を羽織って、改めて防備を整えた駛良は、〈叛乱軍〉らしき衛兵たちの目を盗みながら、先へ進む。こういう時、黒い軍服は夜の闇に紛れやすくて便利だ。


 第四区に入って少し進んだところで、気絶させられ寝転がらされている兵士たちの姿を見つけた。ご丁寧に縄でふん縛られており、誰かの助けがないことには身動きを取れないだろう。


 もちろん駛良も見なかった振りをして、その横を通り過ぎる。


 虚空から声が飛んだのは、それから間もなくのことだった。警戒しながら駛良の様子を窺ってくる気配。


「合言葉は?」


「〝少年よ大志くんを抱け〟」


 迷いなく発したその言葉は、鷹寛の残した地図の中に書き記されていたもの。何度か書き直された痕があったが、相手が警戒を解いた辺り、きちんと最新の情報に更新されていたようだ。


 暗がりから姿を現したのは、野良着に身を包んだ一見どこにでも居そうな男。しかし場所が場所であるだけに、その正体は容易に想像が付く。


 予備役軍人――鷹寛と同様に平時は軍務以外の副業を兼職する者らだ。


 男は駛良を認めるなり、おや、という顔をした。


「あんた、憲兵かい? まだ捕まってない奴が居たんだな」


 駛良が答えるよりも前に、割り込む声があった。


「彼は特別だからね。私たちほどではないが、それなりの修羅場を潜り抜けてきた子だよ。ついでに言うと、下士官だから今この場に集まっている中で一番階級が高いことになるね」


 慌てた様子で敬礼する見張りの男に駛良も返礼しがてら、そのもう一人の男の方を振り向く。


「鷹寛さん……やはりご無事でしたか」


 探していた姿を見つけて、駛良は相好を崩した。鷹寛もまた頬を綻ばせる。


「君もね、駛良くん。その内、ここに辿り着くんじゃないかとは期待していたけど、本当に来てくれて助かるよ」


「それはどうも。……で、ここは予備役軍人たちの集合場所ということでいいんですか?」


「ああ。有事に際しての備えは私たちなりにもやっていてね。まさか内部から事件が起こるとはさすがに思っていなかったが」


 と、そこで鷹寛は声を潜めると、


「ところで……花鶏の行方について、君は何か知っているかな?ちょうど私が外に出ていた時に事件が勃発したものだから、店に戻った時にはもう誰も居なくて――」


「聞いた話によれば、花鶏は今、旅団司令部に居るそうですよ。口振りからして、危険な目に遭わされているわけではないと信じたいところですが」


 そうか、と鷹寛はほんの少しだけ安心した様子で首肯した。


 鷹寛に案内されて、駛良は予備役軍人たちの屯しているという一際大きな倉庫に辿り着いた。


 そこには、およそ数百名もの男たち――ごく稀に女も混じっている――が集まっていた。憲兵として城内を警邏しがてら顔見知りになった相手などもちらほらと見受けられる。

 もちろん〈叛乱軍〉が〈五稜郭〉を占拠できるほどの規模であることを考えると、この人数はそう多くないのかもしれない。が、それでも孤軍奮闘するよりはずっと心の支えになる連中だ。


「〈叛乱軍〉の連中が予備役の存在を忘れているとは思いませんが……それにしてもこれだけの人数が逃げ切れていたというのも、なかなかどうして凄いことですね」


「そう驚くことでもないはずだよ。私たち平民は、末端の兵士として常に最前線を走り抜けてきた。危険を察知する嗅覚やそれを回避する対応力は、むしろ私たちの方にこそ分がある」


 鷹寛の声には、予備役軍人なりの自負が感じさせられた。


 現に予備役軍人たちは、現役軍人たちで構成されている〈叛乱軍〉の目を掻い潜って、この場まで逃げ延びることに成功している。だから駛良はそんな彼らに敬意を抱かずにはいられなかった。


 ふと、胸の奥で灯が点る。希望の光だ。


 正直、最初は花鶏さえ奪還できればいいと思っていた。その後は甘粕の帰還を待つなり何なり、〈叛乱軍〉の目的を完遂させない程度の時間稼ぎさえできればいいと。


 しかし――もしかすると、勝てるかもしれないと、そう思った。

 自分たちの手でこの叛乱を鎮圧できるのではないかと、そんな予感が脳裏をよぎった。



「紹介しよう。彼が憲兵分隊特殊捜査班の八神駛良憲兵伍長だ。中には知っている人も居るだろうけどね」


 鷹寛を中心に予備役軍人のまとめ役たちが円陣を組んで、作戦会議が行われていた。その中で駛良は、いきなり名目上の指揮官として抜擢された。とはいえ無理もないことだ、下士官の最下位とはいえ、あくまで兵士に過ぎない予備役軍人たちよりも階級は上なのだから。


 鷹寛の言葉を受けて、駛良は一歩前に進み出て敬礼する。


「八神伍長です。若輩者ですが皆さんの足を引っ張らないよう努力します」


「とか何とか言っているけど、無自覚に人使いが荒いところがあるから、皆も心して欲しい」


 鷹寛の茶々に一同が笑う。それはどちらかというと、駛良の緊張をほぐすためのものだったのかもしれない。


 会議は鷹寛が進行役を務めることで滞りなく進んでいく。


 この反攻作戦、元より正攻法で勝てる戦いではない。戦力が違い過ぎる。だから自ずと奇襲や奇策が前提になるのだが――駛良が考えたのは、ある意味では最も〝正しい〟方法だった。


「旅団長――真崎甚三郎少将を救出しようと思います」


 駛良の提案に、場がどよめいた。鷹寛が「皆、静かにね」と声を掛けてから、駛良に続きを促す。


「俺は〈叛乱軍〉が蜂起する以前に、その構成員を名乗る将校からの接触を受けました。その時の口振りからして、彼が〈叛乱軍〉の統率――ではないにしても、比較的中心に近い位置に居るものと思われます」


「つまり、そいつらが旅団長を封じ込めて部隊を動かしてるってことか?」


 予備役軍人の問いかけに、駛良ははっきりと頷く。


「だろうと思われます。また動かされている兵士たちも、その大半はあくまで〈叛乱軍〉に与する上官の命令に従っているだけで、自分たちが今どのような立場に置かされているのかも自覚していない可能性が高いです。だから――」


「だから、旅団全体の長である真崎少将に直接言葉を賜ることで、下の人間の動きを止めてしまおうと、そういうことだね」


 駛良の言葉を鷹寛が引き継いで、簡潔にまとめる。予備役軍人たちの間にも得心がいったような気配が浸透する。言うことは同じだが、やはり新参者の駛良が口にするよりも、信頼を得ている鷹寛の発言の方が重く受け止められるようだ。致し方ないこととはいえ。


 しばし沈黙の時間が流れる。駛良の提案をそれぞれ考えているようだ。

 やがて、


「ま、悪くないんじゃねえの?」


「そうだね。一点突破するとして、旅団長の救出というのは悪い手とは思えない」


「難しいことは解らねえが、上がそう言うんならどうにかしてやるさ」


 次々と同意の声が得られて、ほっと駛良は胸を撫で下ろす。


 しかし、ふむ、という含みのある声はすぐ横から聞こえた。鷹寛はなおも真剣な顔で考え込んでいた。


「鷹寛さん、何か問題でも?」


「問題……いや、そうと言うほどのものではないよ。これはただの私の直感だから」


 ただ、と鷹寛は周囲には聞こえないよう、そっと駛良だけに耳打ちする。かの旅順攻囲戦をも闘い抜いている真崎少将が、そう簡単に敵の手に落ちるとも思えない――思いたくないだけだよ。


「旅順……真崎少将もそう・・でしたか」


 駛良は片目を眇める。軍人たちの間で戦歴がある種実力の目安として用いられることは当然のことだが、中でも旅順攻囲戦の存在は、駛良たちの父親世代の間では半ば伝説として扱われている節がある。


 もちろん駛良もその激戦の記録は把握しているし、その戦いが並外れていないなどと主張するつもりは毛頭ない。が、だからといって過剰に持ち上げられるのも如何なものかと思ってしまうことも否定できない。もしかすると、俊成――駛良の父親もまた、その旅順戦の生還者であるから、俊成に対する反感が飛び火してしまっているだけなのかもしれないが。


「あまり重く捉えないでくれるとありがたいかな。私の考え過ぎかもしれないし」


「いえ、いちおう肝には銘じておきますよ」


 むしろその真崎をも封じ込めることのできる戦力を、〈叛乱軍〉は擁しているのかもしれない。一方、ただ単に真崎が衰えているだけだという可能性も否定しきれないので、そちらであって欲しいと願うばかりだ。


 ともあれ、話は旅団司令部に攻勢を掛けて真崎を救出するという方針で纏まりつつあった。

 既に日付も変わろうかという頃合いだったが、倉庫街では闘志が燻っていた。

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