第4章(6/7)
闘争の場は、否応なしに一つの問いを突きつけてくる。
生きたいか。逝きたいか。二つに一つ、どちらを選ぶのか――。
しかし駛良自身はそれを選んでいる自覚があまりない。ただ目の前の敵を斃すことだけに必死で、他のことを考えている余裕などないからだ。
少なくとも尼港ではその一心で闘い抜いていた。強くない自分は、なり振りなど構っていられないから。
だからだろうか。駛良はふと、場違いにも、綸子に対してどこか懐かしみのようなものを感じてしまっていた。
むろん駛良の内心など知る由もなく、綸子は必殺の意志と共に攻撃魔法を撃ち放ってくる。
「――ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」
この場において幾度となく多用されている火炎放射。おそらく綸子が最も得意とする攻撃法なのだろう。炎龍の巨躯が広間の調度を焼き払いながら駛良に迫る。
これがまだ実に巧みだ、と駛良は密かに関心を覚えている。炎龍がもたらすのは熱や衝撃ばかりではない。その爪牙を躱すために、否応なしに姿勢を崩させられる。結果、万全の態勢で技を撃つことができなくなってしまう――。
綸子がこれを頭で考えて行っているのであれば大した戦術眼だと賛嘆できるし、考えなしに素で行っているのだとしても、それはそれで類い稀な戦闘の才能の持ち主だと驚歎し得る。
これほどの実力者が先の大戦において本土に留め置かれていたことが悔やまれてならない。
いや、もしくはその隠された実力を見抜いた上で、いずれ訪れていたかもしれない本土決戦に備えていたのか。
「……ったく」
自然と嘆息が漏れた。綸子の眉宇が怪訝そうに歪む。
「ここまで闘えるくせに――その気になれば出世街道を悠々と進めただろうに、どうして叛乱なんざに手を貸している」
「決まってるでしょ。守りたいもの――守らなくちゃいけないものがあるからよ」
踊り子のように体をくねらせながら炎龍を操る綸子。駛良は蛇行を繰り返しながらも彼女への接近を試みる。まるで針の穴に糸を通すような精密さで炎の隙間を潜り抜けながら、少しずつ間合いを詰めていく。
「貴族の矜持、ってか? はっ、んなもん犬にでも喰わせておけば良かっただろうに」
目の前に、綸子の人差し指が突きつけられた。まるで拳銃を模したような手の形。銃口に見立てられたその指先から、小さくも研ぎ澄まされた火球が紡ぎ出される。
駛良が首を横に倒した瞬間、炎の弾丸が頬を掠めた。
ふざけないで、と絞り出された声は少女らしからず静かだ。
いや、違う。激発寸前のものを抑え込んでいる――そんな声音だ。
「名誉? 権益? 違うわ。私が守りたいのはそんな虚飾じゃない。私は、貴族として――選ばれし家柄に生まれついた者として、民の先頭に立ちたなければならない」
それが貴族の義務というものでしょう、と綸子はどこか悲愴めいた様子で語る。不敵に、しかし歪に笑う。
駛良もまた、釣られて口の端を笑みの形に歪める。
「義務、と来たか……。ああ、言われてみればお前、意識が高そうなところが度々あったな」
だから、と少女の眦から一筋の雫が流れ落ちる。それはすぐさま蒸発してしまったものの、駛良は綸子が不意に流した涙を見逃さなかった。
「だから、真っ先に死ぬべきは
初めて耳にした綸子の本音に、駛良は目を瞠った。そんな理由で叛旗を翻したのかと。
軍の上層部が推し進める平民の積極的登用――それを〝奪われる〟ことでなく〝守られる〟ことと捉えるなどとは、想像だにしていなかった。
だのに、と綸子の声に火が付く気配。
「どうして……私や貴方がここでのうのうと生きていてっ、喜古ちゃんは遠くで死なないといけなかったのよ!?」
その叫びは、怒りか、それとも嘆きか。
ただ確実に言えることは、綸子もまた、かの少女の死に影響を及ぼされた一人だということ。 ――駛良と、同じく。
ぎり、と駛良は奥歯を噛み締める。自分が綸子と同じだと認めざるを得ないことが業腹だった。相容れざる敵でありながら、その覚悟の強さに敬服しそうになってしまったことも。
少し迷った末に、駛良は口を開く。
「伊江奈一等兵は、俺を庇った傷が原因で死んだ」
綸子の顔がくしゃりと歪んだ。駛良もまた突き放すような笑みを浮かべた。
「俺は伊江奈一等兵に生かされた。俺の命は伊江奈一等兵の命だ。だから――」
綸子の表情が徐々に憎悪の色に染まっていくのを見つめながら、駛良もまた頬を引き締める。
「俺は、伊江奈一等兵の代わりに、お前を止める」
「あんたが喜古ちゃんを騙るなァアアア――――ッ!」
術者自身をも巻き込む勢いで火球が爆裂する。床と天井に大穴を穿つ勢いで炎の柱が噴き上げた。
駛良は咄嗟に振るった剣でその威力を少しばかり減殺させることができたが、独りでに治癒魔法が起動して身体の修復を開始していることを肌で感じる。では綸子の方はどうだったのか。
ぐしゃり、と瓦礫の中で人影が揺らめいた。すぐには治りそうにもない火傷を負った少女が、内装の残骸で汚れるのも構わずに、なおも殺意を孕んだ瞳を爛々と輝かせていた。
鬼だ、と駛良は直感する。その胸に宿るは義憤か復讐か。何にせよ人の心を忘れてまで何かに取り憑かれてしまった鬼が、そこに立っていた。
「あんたは喜古ちゃんじゃない」
喉も焼けたのか、綸子の声は掠れている。
「あんたが喜古ちゃんに生かされたって言うのなら……私だってそう。喜古ちゃんが代わりに死んでくれたおかげで、私は本土で生き延びることができたの」
にぃ、と少女の顔に狂気に冒された笑みが浮かぶ。
反吐が出そうになるほどに醜い笑顔だった。ここではないどこかしか見えていない眼だった。
「私の戦争は、まだ終わっていない」
「何を……」
「ずっと考えていた。喜古ちゃんに生かされたこの命を――生き残らされたその罪を、どうやて贖えばいいのかって」
どこかで聞いたような台詞だった。だから続く言葉も予想できてしまう。
果たして少女は、いっそ恍惚としてさえいる表情で己の確信を口にする。
「私はきっと、ここであんたを止めるために生まれてきたのよ。刺し違えてもあんたをここから先には行かせない。――私たちの正義を、あんたなんかに阻ませない」
そんな少女の覚悟を見届けた直後のことだった。すとん、と駛良の心の中に何かが収まったのは。
急に、唐突に、何の前触れもなく。少なくとも駛良にはそうとしか思えないほど突然に、駛良は理解した。 ――花鶏が駛良に対して憤った、その真意に。
嗚呼、と失笑を漏らしてしまいそうになる。花鶏もまた
それは、もはや悪意とさえ呼べるほどのもの。生かされた尊い命を、あろうことか徒花とばかりに散らそうとする醜い執念。
たった今、駛良が綸子に対して覚えたものと全く同じものを、花鶏は駛良の中に見出してしまったのだろう。
だからあの心優しい少女は、彼女なりの方法で、懸命に少年の命を救おうとしたのだ。現にあの時の花鶏の言葉がなければ、駛良は綸子の――そしてかつての自分自身の愚かさに気づけなかっただろうから。
つくづく女に生かされてばかりだ、と駛良は内心で苦笑する。同時に、彼女らの託してくれたものが今になって心の中に沁みる。
生かされたこの命を、どうやって使えばいいのか。今ようやく、答えを得た。
だからまずは手始めに、同じ愚を犯す目の前の同胞をどうにかしなければならない。
正義っつったな、と駛良は挑発的に言葉を投げる。実を言うと、己の命さえも軽んじてしまっていた駛良が何よりも重んじるそれを綸子が口にしたことが、少し気になっていたのだ。
「教えてやる。正義ってのは、誰の目から見ても正しいから〝正義〟っつうんだよ」
綸子の顔が訝しげに歪む。けれど駛良は気にしない。届くかどうかなど解らないが、それでも届けようとすることが、彼なりに信じる〝正義〟のあり方だからだ。
「刺し違えてでも俺をどうにかする? 寝言は寝て言えド阿呆。てめぇの命を粗末にすることのどこに正義がありやがる」
完全に過去の自分を棚に上げているが、それはそれ、これはこれ、だ。過ちを正して前に進んでいるのだ、今更文句を言われる筋合いなどない。
はっ、と少女もまた嗤う。
「だから何? よしんば私が間違っていたとして、あんたにそれを糾す権利があるって言うの?」
「権利はねえが……義務ならある、と思う」
もとい、それこそがこれまでに犯してきた過ちに対する償いだ。花鶏が駛良を救ったように、今度は駛良が綸子を救わなければならない。
「ぐだぐだと説教する趣味はねえから、一回しか言わねえぞ。耳穴かっぽじってよく聞いておけよ、土橋。――
ややもすれば、駛良を生かすために死を受け容れた伊江奈や、駛良に未来を託すべく自死を決めた但馬もまた、正しくはなかったのかもしれない。その行為がもたらしたものの意味はまた別として、当人のあり方として、それを受け容れてはいけないのだと思う。
現に、伊江奈の死は駛良や綸子をも巻き込もうとし、但馬の死は勾田や花鶏を傷付けた。人に己の死に様を選ぶことができないのだとしても、それを認めてはいけなかったのだ。
足掻け。抗え。――生き抜く覚悟を持て。
だから駛良はもう迷わない。この先何が起きようとも、絶対に自分自身の意思で死を選びはしない。否、死してなお生き抜いてみせようぞ。
「闘うことをやめろとは言わねえ。けど、だからって生きることまで諦めてんじゃねえよ。そんな安い覚悟の奴に、俺は斃せねえよ」
挑発的な笑みを浮かべる駛良とは対照的に、綸子の顔からは表情が消える。
「言ったわね。私にあんたが斃せない?その言葉、そっくりそのままお返しさせてもらうわ。 ――ただ剣を振り回す以外に能のない男が、私を斃せるだなんて思い上がりも甚だしいわよ」
発されたのは、静かだが、しかし泥のように重い声。
そして機械の奏でる音かと聞き紛うほどの速さと精密さで呪句が紡ぎ出される。
「――ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」
一見無造作に振り払われた綸子の腕からは膨大な魔力が迸り、灼熱の炎を具現させる。
これまでにない特大級の魔炎。駛良の全身をすっぽり呑み込んでしまえるほどの巨大な顎門。
躱すことはおろか、斬ったところでその余波に炙られることを免れない。
ならば、方法は一つだ。駛良は納刀すると同時に、だっ、と炎龍の鼻面を目掛けて駆け出す。
「封神流剣法、三の型一番――」
道がないならば、自ら斬り開けばいい。剣技によって抉られた僅かな間隙に潜り込めば、少なくとも一身に炎を浴びるよりも痛手は少なくて済むはずだ。
神速の抜刀から生まれる歯、破魔の理。
「――――――《
清涼な一陣の風が、白刃の閃きと共に吹き抜けた。
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