第4章(5/7)

 夜の〈五稜郭〉――北西部第六区は、しん、と静まり返っていた。


 薄らと雪に覆われた白い地面を、黒い軍靴が踏みつけていく音だけが鈍く響く。棒付き飴玉を咥えた少年だ。


 要塞の中央部で管制されている外灯こそ光を点しているが、軒を連ねる建物はどこもかしこも暗いままだ。

 皆が息を潜めているというよりも、そもそも人の気配がしない。鼠が逃げ出した後の、空っぽの巣穴であるかのよう。


〈叛乱軍〉に捕らえられて、どこか一箇所に集められているのかもしれない。駛良はそう考えたが、それでも足を止めることなく洋風茶屋〈でろり庵〉を目指す。


 自分の目で確かめないと気が済まない――そんな感傷があることは否定しないが、もちろんそれだけの理由ではない。あの店の主は豊田鷹寛――二十年来の戦歴を誇る精兵だ。そんな傑物が為す術もなく敵兵に捕らえられるとは考えにくい。


 もしも難を逃れることができているのであれば、鷹寛のことだ、きっと駛良には解る形で何かしらの連絡手段なり手がかりなりを残しているに違いない。


 やがて〈でろり庵〉の収まる一角へと足を踏み入れる。住み処として馴染んでいたその建物が、今はびっくり箱のようにおどろおどろしく感じさせられる。


 周囲への警戒を厳にするが、店の周辺を警邏する兵士の姿や、遠方から駛良を狙い澄ますような殺気などは、ひとまず感じられない。


 であれば、何かが起こるとすれば店の中か。駛良はあらかじめ抜刀しておきながら、そっと店の扉に手を掛ける。


 突入、と同時に、索敵。

 店内に素早く視線を走らせると――対面席カウンターの片隅に一人の少女が腰を落ち着けていた。


「……土橋?」


 仕事柄、駛良は相手の顔をよく覚えている方だ。だから暗がりの中にあって、その見慣れつつある横顔を見間違えることはなかった。


 綸子は、ふぅ、という吐息を漏らした。待ち侘びたとでも言わんばかりに。


 駛良もまた、半ば無意識に呼吸を整える。心臓の鼓動が訴えるのは、味方を発見した安心感ではなく、敵に遭遇した危機感。――駛良の脳裏において、警鐘が打ち鳴らされていた。


「土橋……お前はどっち側・・・・だ?」

 

 駛良の発した剣呑な声に、今度は綸子も返してくる。そしておもむろに口を開くと、


「何となく、こうなる予感はあったのよね」


 その声だけで駛良もまた察する。やはりこの女は〝敵〟――〈叛乱軍〉側だと。


 理屈というよりは直感だ。もっと早く見抜けていればと悔やむ気持ちもあるが、もはや後の祭り。今はただ目の前の敵を排除することを考えなければならない。


 打刀を中段に構える駛良に対して、綸子はつまらないものを見るように目を細める。


「本当に判断が速いわね。嫌みったらしいくらい」


「その昔、即断即決しねえと死んじまうようなところに居たからな」


 だから、と綸子の声が一層低まる。少女の体内で魔力が練り上げられる気配。


「そういうところが嫌いだって言ってるのよッ!」


 臨界。少女の叫びがそのまま形を成したかのような煉獄の業火が駛良に襲い来る。

 最短かつ最速の軌道――一直線に放たれた炎の槍を、駛良は咄嗟に脱いだ外套で受け流す。


 しかし、織り込まれた防御魔法によって魔炎をやり過ごせたものの、衝撃と共に即席の盾は持ち去られてしまう。


「……これまた随分な威力だな」


 生身の人間が受けていればひとたまりもなかっただろう。耐火性能に優れているはずの防御装備は、炎龍の顎門に呑み込まれたまま姿を消してしまっていた。


 ぺっ、と駛良の口から飴の棒が吐き捨てられる。その紙製の棒さえ即座に龍の爪に引っかけられて焼き滅ぼされてしまうのだから、綸子はなかなかどうして芸が細かいというか、むしろ思った以上に厭味な女だというか。


 敵兵とはいえ相手は同胞――可能であれば生け捕りにしたいところだったが、下手に手加減をすれば自分が犬死にしかねない。こちらも殺す気で臨まなければならない。


 刺突を撃つべく刀を構えながら、駛良は静かに問いを綸子に放つ。


「多くは聞かねえ。が、一つだけ答えろ。花鶏はどうした?」


 やっぱり花鶏ちゃんのことが気になるんだ、と綸子は鼻で笑った。


「答える義務はないわね。力尽くで吐かせてみたら?」


「死人に口なし……ってこの場合はちょっと違うか。死んでから訊いても遅えから今の内に尋ねてるんだよ。知らねえなら正直にそう言え。おにーちゃん、怒らねえから」


「誰が〝おにーちゃん〟か! あと私を殺すだなんて――思い上がりも甚だしいのよッ!」


 咆吼と共に炎で形作られた龍の顎門もまた大きく口を開く。


 と、駛良もまたその瞬間、軍帽を脱ぎ、綸子目掛けて投げつける。綸子がその帽子に気を取られるのを確認するよりも早く、駛良は駆け出す。同時、体内で練り上げた魔力を刀身に纏わせる。


「封神流剣法、一の型九番――《いわとおし》」


 それは一見何の変哲もない刺突。綸子も本命の攻撃に気づきはしたものの、特大の魔炎の中に真正面から飛び込んでくる駛良に特段の警戒はしていないよう。無策を嘲笑うかのように、その口角が厭らしく吊り上げられる。


 綸子は予想していなかったことだろう。よもや炎が斬られる・・・・・・などとは。

 

 別段難しいことはやっていない。魔法を斬る魔法――封神流剣法とはそういうものだというだけの話。刀を振るう以外に能のない駛良が、最前線で闘える理由だ。


 威力こそ大きいものの、無造作に放たれるだけの炎龍など、恐るるに足らない。ただ、意表を突かれてなお咄嗟に身を捻って突撃を回避した綸子の反応力には、少しばかり目を瞠るものがあったが。経験に裏打ちされない、全くの才覚の為せる業――これが天性の賜物か。


 軽い嫉妬に駆られながらも、返す刀でその首筋を狙う。至近距離。余程のことがなければ外さない。


 ところが得てして余程でないことも起きるのが実戦の常だ。少年の剣が迫るよりなおも早く、少女の唇が滑らかに回る。


「――オン・マリシエイ・ソワカ」


 不意に、その姿形が陽炎のように歪む。魔力を帯びていない剣に幻は断てない。


 戦術を誤ったつもりはない。あの場で魔力を再び練る間を稼げば、その隙に綸子は距離を取ってしまっていたことだろう。どの道、この一合では綸子の首を断てなかった。


 ならば、と駛良は体内に宿る爆風を外界へと接続する。魔力を帯びて強化された身体が、幻から実体へと立ち戻っていく綸子に追い縋る。


「封神流剣法、一の型六番――《えん》」


 逆袈裟を以て少女へと肉薄する。しかしまたしても綸子は呪文を唱える。


「――オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ」


 瞬間、駛良の剣速を上回る勢いで、するり、と綸子の体が斬撃の軌道から脱出する。再び空振りさせられる駛良の刀。


 そのまま駛良の間合いから脱する綸子を、今度は追わずに見送る。無駄撃ちを続けたところで体力と魔力を消耗する一方だからだ。


 仕切り直すように身構える綸子に、駛良は今度は言葉を投げかけてみる。


「すっげぇ今更だが……お前、どうしてここに居るんだ」


「何よそれ。禅問答?」


 眉宇を寄せる綸子に、違う違う、と駛良は首を横に振る。


「俺を待ち構えるようにこの店に陣取ってた理由だよ。……いや、絶対俺を待ってただろ、お前」


 綸子ははっきりと顔をしかめた。自意識過剰な男め、とでも言いたげな目をしながら、


「二室戸中尉の命令よ。貴方を引き付けておくことが、元から私に与えられていた役目だから」


「つまり俺を足止めしておきたいだけの理由があるってことか」


 駛良はごく当然のようにその結論に辿り着いたのだが、綸子は虚を突かれた様子だった。どうやら〈叛乱軍〉には綸子にも知らされていない裏の事情がありそうだ。


 くっ、と歯噛みした綸子は駛良の足下に炎弾を撃ち込んでくる。駛良にこそ直撃しなかったものの、床には黒い焦げ目が焼き付けられた。


 ふと周囲を見回してみれば、二人が暴れている余波が店内のあちこちに刻まれてしまっている。

 事が事であるだけに、叛乱を鎮圧した暁にはこの店にも何らかの補償が下りるだろうが、だからといって、無闇矢鱈に壊して楽しい気持ちはしない。


「俺を待っていたのはいいとして……この店を選んだのも、二室戸中尉なのか?」


 いいえ、と綸子は首を横に振る。ばかりか、どこか自慢げな笑みを浮かべると、


「これは私の判断。貴方のことだから、きっと花鶏ちゃんのことを心配してここに来るだろうって、そう思ったの。そしたら全く予想通りで、ちょっと自分でも凄いって興奮しちゃうくらいよ」


「その程度で俺を出し抜いた気になってんじゃねえ」


 言いつつ、はぁ、と駛良は嘆息を漏らした。結果論とはいえ綸子に〈でろり庵〉を紹介したのは間違いだったのかもしれない。


 駛良は頭を抱えながら、上目遣い気味に綸子を睨め付ける。


「お前が花鶏を巻き込んだのか」


 自分でも意外なほどに低い声が出た。びくり、と綸子が身じろぎした。

 しかし退きかけた少女の足は、予想外に踏み締められる。


「それは……見解の相違よ。不本意だけれど、さっきの質問に少しだけ答えてあげる。花鶏ちゃんは無事よ。貴方と私の闘いに巻き込ませないために、安全な場所に移ってもらっただけ」


「物は言い様だな。が、どちらにせよ俺がお前を斃さねえといけねえってことに違いはねえわけだ」


 いいだろう、と駛良は獣が牙を剥くように口角を吊り上げる。


「お望み通り、力尽くで吐かせてやるよ。――戦争舐めんなよ、箱入り」


「私にだって……闘う理由がちゃんとあるの。――私はこれでも士官候補生よ、ただの伍長」


 殺意の込められた斬撃と瞋恚の炎が、空中で交錯する。

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