第4章(4/7)

 大杉や伊藤と連れ立って駛良が訪れたのは、〈五稜郭〉からそう離れていない地下鉄の駅だった。混凝土コンクリートで塗り固められた無機質な空間。


 龍敦市は、行政上の管轄は帝都・東京府に属しながらも、地理的には神奈川県内の一角を占めているという飛び地である。だから地下鉄は市内と帝都の中央部を直結させる重要な交通手段だ。


 とはいえ帝都に赴くわけでもなさそうな大杉たちが、一体地下鉄に何の用があろうというのか。


「そうカリカリすんなって。今に解るからよ」


 大杉はそう言って、駛良に口を挟ませる余地を与えない。代わりに伊藤を一瞥したが、彼女もまた含み笑いするばかりで、まともに駛良の疑問に答えてくれそうな様子はない。


 謀られているのではないか。いよいよ駛良が殺気立ってきたところで、大杉たちはつと足を止めた。〝関係者以外立入禁止〟という標示の掲げられた扉の前だった。

 大杉は懐から小さな鍵を取り出すと、その扉の鍵穴に差し込む。すんなりと開いた。


「…………」


 その様子を駛良は口をへの字にしながらも黙認する。大杉たちが〝関係者〟であるとは微塵も思ってはいないし、幅広い人脈を持っていそうなこの破壊活動家に鍵の入手先を問い質すつもりもない。訊いたところでどうせ、蛇の道は蛇、とでも答えるだけだろう。


「おっと、おれがどこでこいつを手に入れたかは訊いてくれるなよ? 蛇の道は蛇って言うことで納得しておいてくれ」

「それはむしろ訊いて欲しいという前振りですか? なら容赦なくあんたの体に訊きますよ?」


「あらいやだ。この子ったらそんなことを言うんですわよ野枝ちゃんさん」


「困ったものですわねぇ、エイちゃんさん。誰にこんな悪い遊びを吹き込まれたのかしら」


 お上品な奥様ごっこを始めた大杉たちには、もはやまともに取り合う気さえ起きてこない。


「もう結婚しちまえよお前ら」


 そんな否が応でも緊張感を削がれるような会話をしながらも、駛良たちは従業員用通路を進む。


 徐々に駛良の表情に怪訝さが増していったのは、この空間の位置関係を推し量ってだ。方角と距離から考えて、既に〈五稜郭〉の地下に相当する区域に入っていてもおかしくない。


 と、異変に気づいたのは、それから間もなくのことだった。

 これは何だ・・・・・。一見何の変哲もない通路に対して、ふとそんな疑問が首をもたげる。


 通路に魔法を掛けて人を惑わすような仕掛けならば、つい先日も妓楼〈壱葉〉で目撃したばかりだ。しかしこの場所はその比ではない。

 むしろ――通路そのものがある種の魔法装置と化しているかのような。


 気づいたか、と大杉が訳知り顔で笑みを浮かべたので、駛良は困惑混じりに尋ねる。


「これは、一体――」


「安易に答えを求めてんじゃねえよ、おまえらしくもねえ。……まぁ、あれだ。おまえは今、幻覚を見せられてる。まずはそいつをどうにかしてみな」


 大杉の言葉に従うのは癪だが、自分でもそれを試すことが一番効率的だと認めざるを得ない。


 脳裏で術式を思い描きながら、すぅ、と駛良は音もなく息を吸う。体内を巡る魔力――駛良はそれを流れる風と感じる――が隅々にまで浸透し、五感を研ぎ澄まさせる。


 頭の目で見るだけでなく、心の眼でも視る。 ――〝世界・・に施された虚構が剥がれ落ちる・・・・・・・・・・・・・・


 その光景を前に、これは、と駛良は思わず声を漏らした。


「神社……?」


 無意識に紡ぎ出されたのは、そのような形容だった。


 混凝土コンクリート製だとばかり思わされていた通路は、その実、巨大な木造の回廊だった。それも釘を一切用いない木組みの構造物。咄嗟に神社を連想したのもそのためだろう。


 いや、実際にこれは神を祀る屋代であるのかもしれない。魔力の通っている木材はまるで生きているかのように瑞々しく、駛良はあたかも自分が巨龍の体内に迷い込んでしまったかのように錯覚する。


「〈五稜郭〉の地下に、どうしてこんなものが――」


 頭の理解が追い着かず、半ば呆然とした駛良の呟きを、そいつは違うぜ、とすかさず大杉が否定する。


「このお社の上に《・・・・・・・》〈五稜郭・・・を建てた・・・・のさ。順序が逆だ」


「何のために」


「もちろん、このお社を〝使う〟ためよ」


 女がそう答えた。伊藤は教壇に立つ講師のような笑みを浮かべると、


「神社の大まかな構造、駛良くんは知ってる?」


 敢えて即答しなかったのは、伊藤の言葉の含む意味にも気を回したため。やがて駛良は、そういうことですか、と小さく頷いた。


「この地下のお社が〝本殿〟であり、地上の〈五稜郭〉が〝拝殿〟――つまりはそういう構造になっているわけですね」


「あらら。もう解っちゃったのか。お姉さん、ちょっとつまらないぞ?」


「別にあなたを楽しませる趣味はありませんので」


 素っ気ない駛良の物言いに、呵々と大杉が愉快げに笑った。


 それからも大杉たちに随行する形で歩を進める駛良は、周囲に気を配りがてら、ふと疑問に思って尋ねる。


「これが神社であるのは良いとして……一体どのような神を祀っているんです?」


 というのも、回廊内には特定の神格を思わせる装飾が見当たらないためだ。その規模の巨大さを抜きにすれば、どこにでもあるような神社とまるで違わない。


 んー、と大杉も今度は少し考えるように唸った。


「強いて言うなら〝無銘〟ってところじゃねえの?」


「訊いてるのは俺ですよ」


「誰か特定の神様だけを祀っているんじゃなくて、〝神〟という概念そのものを取り扱っているのよ。森羅万象の根源たる〝機構システム〟という風にも言い換えられるかしら」


 伊藤の補足を受けて、駛良は〝拝殿〟の構造に思いを巡らせる。


「〈五稜郭〉――あの五芒星は、陰陽五行を司る祭壇も兼ねているっつうわけか」


 それに気づくと共に、どくり、と心臓が嫌な跳ね方をした。〈五稜郭〉ほどに巨大な祭壇を用いれば、一体どれほどの魔法を操ることができるのか。


 理論上、帝都を一瞬にして消滅させ得る大量破壊魔法を発動させることも不可能ではないはずだ。〈叛乱軍〉が占拠した〈五稜郭〉は、不壊の盾であると同時に、必滅の矛でもあったのだ――。


 誰が考えたのかなど知る由もないが、今度の叛乱計画は大胆ながらも的確だ。敵ながらそれは認めざるを得ない。いや、腐っても先の大戦を闘い抜いた帝国軍人の為せる業か。


 程なくして、ずっと変わり映えしなかった回廊にも変化が訪れる。

 通路の途中に地上へと至るのだろう階段が姿を現したのだ。ここまで来ると、さすがに大杉たちの説明がなくても事情を理解できる。


 はぁ、と駛良は諦めたように嘆息する。


「不思議には思っていたんですよ。あんたがどうやって検問所をすり抜けているのかって」


「ははっ!そりゃ、いくら天才肌のおれだって、正攻法で〈五稜郭〉の警戒網は抜けられねえからなぁ。だから見ての通り、こうやって抜け道を使わせてもらってるってことよ」


「かといって、この抜け道の存在を下手に公にしようものなら……むしろ俺の方が面倒になりそう、ということですか」


 裏にどういう事情があるのかなど知る由もないが、軍は地下の存在を隊員にも隠しているようだ。それを駛良が掘り起こしたところで、お褒めの言葉に与れるとは考えにくい。


「ま、そーゆうおまえの口の堅さに期待して、おれも手の内を明かしてるんだがな」


「かくして用済みのお二人をこのまま地下に葬り去れば完全犯罪も可能ですよね」


「怖え冗談はよせよ! ……冗談だよね、シロ助ちゃん?」


「だからシロ助ちゃん言うなっ」


「はいはい、どーでもいいことで騒がないの、男ども。早く地上に出るわよ」


 伊藤に促されて階段を上ると、魔法で隠蔽された出入り口に行き当たり、そこから外に出ると――そこは南東部第四区、つまり倉庫街に程近い一角だった。


 というか、ほんの数日前に勾田が殺害されたその現場のすぐ近くだ。


「あの日、あんたがここで勾田准尉を看取ることになったのは、こういう理由ですか」


「まぁ、な」


 大杉は言葉少なに頷く。ほんの一瞬とはいえ、悼むように目を伏せる大杉の姿を、駛良は見逃さなかった。


 ちっ、と駛良は小さく舌打ちする。見逃せていれば、〈五稜郭〉への潜入を手助けしてもらったこの借りを、必要以上に重く感じずに済んだのに。


 気持ちを切り替えるように、駛良は敢えて軽口を叩く。


「何はともあれ助かりましたよ、大杉サン。お礼がしたいので、後日、またここで待ち合わせしましょう。分隊屯所にでも案内しますよ」


「残念だったな。おまえらの知らねえ〈五稜郭〉の出入り口は他にもあるんだぜ。おまえにゃまだおれは捕まえられねえよ」


 そう言って大杉は呵々と笑う。つくづく食えない男だ。


 そしてひとしきり笑ったところで、大杉は「さて――」と年長者の顔をしながら駛良を見下ろしてきた。


「ここから先は別行動だ。おまえに大事な用があるように、おれにもおれの用事がある」


「憲兵の君としては、あたしたちを野放しにしたくないんだろうけど……まぁ状況が状況だし? ただ、少なくとも今この瞬間は、あたしたちはあなたたちの敵ではないつもりよ」


「身勝手な理屈を並べるな犯罪者ども。……けど、あんたたちのお陰で助かったことも事実だ。それだけは礼を言っておきます」


 駛良は、ぺこり、と軽く頭を下げた。大杉は照れたように頬を掻いた。


「ま、助け合いは人間関係の基本だしな。つーわけで、おまえもさっさと行けよ」


 言われずとも、と駛良は大杉たちに背を向けて、軽く駆け出す。

 が、ふと足を止めて、背後を振り返った。


「最後に一つだけ訊かせてください。……どうして、俺に力を貸してくれたんです?」


 大杉はきょとんとした表情を浮かべた。鳩が豆鉄砲を食ったよう。

 しかしすぐに、ふっ、と相好を崩した。

 

「どうしてって、そりゃ――〝そうしたかったから〟に決まってるだろ」


 自由。そんな言葉が駛良の頭の中に飛び込んできた。


 嗚呼、これが大杉栄という男の生き方なのか、と急にすとんと理解できてしまった。このような人間だからこそ、貴族という身分や武官という職業が窮屈で仕方なかったのだろう、とも。


 もちろん、だからといってその反体制運動を是認するつもりは毛頭ないが。


 駛良は再び前を向いて走り出す。今度はもう振り返らない。

 大杉のような糸の切れた凧に、駛良はなれないし、なりたいとも思わない。自分が必要としているのは、その場に留めさせてくれる重石のような存在だ。


 ――花鶏。だから彼女だけは、絶対に喪いたくない。


 逸る気持ちを飼い慣らしながら、少年は夜の街を駆ける。

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