第4章 想いの行方

第4章(1/7)

 特殊捜査班班長代行である駛良のところへ龍敦警察署が襲撃されたという情報が降りてきたのは、龍敦憲兵分隊が鎮圧部隊を編成する段になってからだった。


 襲撃者は近衛独立混成旅団の一部隊であるという。〈叛乱軍〉の仕業だと直感した駛良は、 特殊捜査班として鎮圧作戦への参加を即座に志願。不在の甘粕に代わって指揮を執る分隊副長もこれを認め、駛良たちは城外へと繰り出すことになった。


「まさか、お城の外で事を起こすなんて……」


 と、緊張に顔を強張らせる綸子に、駛良は短く告げる。


「土橋伍長。お前は城内ここで待機だ」


「…………は?今、何て?」


「だから、お前は待機。当たり前だろう、研修中の半人前を実戦に連れて行けるか」


 なおも綸子は不平不満を喚き立てていたが、駛良は一切取り合わず、残りの班員たちと共に鎮圧部隊に合流した。


 時刻は午後六時。未だ雪の降り止まぬ中、鎮圧部隊は〈叛乱軍〉に占拠された龍敦警察署を包囲。かくして同胞に銃口を向け合うという異様な光景が生まれた。


 署内には逃げ遅れた職員たちが人質として囚われており、憲兵分隊としての可能な限りその身柄の安全を確保しなければならない。粘り強い交渉が開始される。

 その傍ら、駛良たち特殊捜査班も施設内への浸透を試みる。斥候能力に長けた班員による直の情報収集。結果、署内の〈叛乱軍〉は機関銃を運用するための通常の歩兵が大半であり、魔法を操る魔導歩兵などはごく少数に留まると判明した。

 思いのほか呆気ない――その事実に駛良は安堵でなく強い焦燥感を覚えた。


 これは陽動に過ぎないと、そう気づいたが時既に遅し。


 その報せが指揮所に届いたのは、やがて午後七時を迎えようかという頃合い。憲兵分隊が出払って治安維持能力が低まっていた〈五稜郭〉――その中枢たる〈龍敦塔〉一帯が近衛独立混成旅団によって唐突に封鎖されたのだという。


 分隊副長は怪訝に眉をひそめるばかりだったが、駛良はそれが〈叛乱軍〉の本当の狙いだとすぐさま察知した。

 駛良は、警察署の奪還に特殊捜査班ほどの戦力は必要ないと分隊副長を説き伏せて、班員たちを引き連れて〈五稜郭〉に取って返す。


 しかし。


 その巨大な城門は堅く閉ざされ、駛良たちの帰還を無情にも拒絶していた――。



 ◆



 午後五時。柱時計の時報に覆い被さるようにして鳴り響いた警報音に、つと花鶏は顔を上げた。不安や焦燥に駆られて胸が高鳴る。


〈五稜郭〉において鳴らされる警報は、城内に危機が訪れていることを知らせるものと、治安維持要員に非常呼集を掛けるためのものと、大きく分けて二種類がある。先ほど鳴ったのは後者の方だ。花鶏たちの身が危うくなるという事態を告げるものではない。


 とはいえ、大急ぎで呼び出されるからには、どこかでそれ相応の有事が発生しているからであり。ましてや先日は但馬陽や勾田直実が亡くなったばかりだ。


 また、誰かが命を落とすのだろうか――。


 と、脳裏に幼馴染の少年の仏頂面が浮かび上がり、無意識に花鶏は唇を尖らせた。

 あの莫迦は喜び勇んで早死にしかねない。どこか遠くを見るような目をしながら、嬉々とし て己の決死の覚悟を謳っていた昨夜の姿を思い出すと、未だに沸々と怒りが込み上げてくる。


 けれども同時に、花鶏は理解もできてしまった。

 駛良の中ではまだ――戦争は終わっていないのだと。


 体は確かに本土に戻ってきている。しかしその魂はまだ、戦地に囚われたままなのだ。


「ねえ、お父さん」


 厨房に呼びかけると、どうしたんだい、と鷹寛はひょっこりと首を出した。既に営業時間を迎えているが、まだ客の姿はないためか、気軽に雑談に応じてくれそうな雰囲気だ。


「お父さんはさ、その……思ったりする?華々しく散ることが格好良いとか何とか」

 鷹寛にしてみれば唐突な質問だっただろう、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに得心がいった様子で頷いた。


「駛良くんのことだね」


 見抜かれていた。いや、自分でも隠し通せているとは思っていなかったが。


 鷹寛は布巾で手を拭きながら厨房を出て来ると、顎に手を当てて考え込む。思いのほか真面目に取り合ってくれているのは、花鶏のためなのか、それとも駛良のためだったりするのか。


 この人も何気に経験豊富なんだよね、と花鶏はぼうっと父親の姿を見つめる。


 鷹寛は日秦戦争や世界大戦を闘い抜いてきた歴戦の精兵だ。下士官の位にこそないものの、実戦経験だけで言えば駛良など比にもならない。

 言い換えれば、それだけ数多くの死線を乗り越えてきたということだ。当然、散りゆく命をいくつも見送ってきたことだろう。


 やがて鷹寛は微苦笑にも似た形に口許を歪ませる。


「彼はきっと……許されたいんだよ」


「許されたいって、何を?」


「自分が生きていることを、だろうね」


 鷹寛は確信めいたように言うが、花鶏にはいまいちしっくり来ない。

 生きていることに――生き残ったことに、誰かの許可が必要なのだろうか。


 すると、鷹寛は花鶏の中の疑問を酌み取ったようで、


「なら言い方を変えてみようかな。駛良くんは後悔しているんだと思う、周りの人たちを助けられなかったことに」


「…………」


 その感覚は、花鶏にも想像が及んでしまった。理解できる、とまで自惚れはしないまでも。

 自分の力が及ばなくて悔やんでしまうことなど、いくらでもある。昨夜の件とてそうだ。ついかっとなって怒鳴り散らしてしまったが、もっと違った言い方ができたのではないかと、自分を責める気持ちがないわけではない。


「後悔に苛まれて……だからその罪滅ぼしに死にたいって思っている、のかな。シロくんは」


「死を望んでいるわけではないと思うよ。ただ、彼なりに考えた〝自分を生かしてくれた戦友たちに報いる方法〟が、たまたまそういう形を取ってしまったというだけだろう」


「考え抜いた末にそうなるっていうんだから、やっぱりシロくんは莫迦だよ」


 花鶏は唇を尖らせる。けれども、そうやって怒りの矛先を突きつけたところで、何の問題の解決にもならない。


 お父さん、と花鶏は頭一つ分ほど高い位置にある鷹寛の顔を見上げる。


「わたしにできることって、何かあるのかな」


「駛良くんのために、かい?」


 花鶏は一度頷きかけたが、すぐに首を横に振った。


「ううん。わたしがそうしたいの。あんなシロくんを見ているのは、わたしが嫌だから」


「まるで駛良くんみたいな口振りだね」


 からかうように鷹寛が言うので、花鶏は微かに頬を赤らめながら鷹寛を睨み付けた。


 幼馴染である駛良とは長い付き合いなのだから、多かれ少なかれ影響は受けるものだ。そこに特別な意味など、あってなきが如しだ。

 もちろん花鶏にとって駛良は大切な人だ。特別な存在でもあるのだろうと思う。ただ、そこに付けるべき名前をまだ知らないだけ。知る必要があるとも、思っていないだけ。


 駛良と花鶏の関係は、駛良と花鶏のものだけだ。それを他人の言葉でとやかく縛られる道理はない。


 決意に頬を引き締める花鶏を、鷹寛はまるで過去を懐かしむかのように穏やかな面持ちで見つめながら、おもむろに口を開く。


「話を聞いてくれること。分かち合ってくれること。――傍に居て、くれること」


 主語が変わっていることには、すぐに気づいた。

 それはもしかすると、かつて鷹寛が望んでいたことなのかもしれない。娘の知らないところで弱さを見せていた父親の知られざる素顔だったのかもしれない。


 ほぅ、と花鶏は静かに息をつく。


「簡単なようで、難しいね」


 少なくとも今の花鶏にはできていないことだ。話を聞かず、一方的に撥ね除けて、挙げ句の果て逃げ続けている。正論を振りかざしただけで、全く駛良自身と向き合えていない。


 だから、と花鶏は思う。また改めて、きちんと駛良と話そう。彼が罪だと思っているものに、共に向き合おう。

 伝えよう。駛良が花鶏の幸せを願うように、花鶏もまた駛良の幸せを願っているのだと。


 ぐっ、と拳を握り締めると、ふふっ、という笑い声が頭上から降ってきた。


「いい笑顔だね。昼間は少し強張ってたよ」


「それは看板娘失格だね……面目ないです。――ありがとうね、お父さん」


 どういたしまして、と父もまた柔らかな表情で頷く。


 と、そこで鷹寛は花鶏から目を離すと、依然として客の入っていない店内を眺め回す。


「おかしいね。普段ならそろそろ誰か来るはずなのに」


 もちろん警報が鳴らさなければならないほどの事態が起きている以上、全てが平常運転でないことは窺える。しかし外出禁止令が出されているわけでもなしに全く来客の気配が感じられないのは、少し奇妙に思えた。


「ちょっと外の様子を見てくるよ。花鶏はここで待っていなさい」


 そう言って鷹寛は厨房へと引き返していった。いちおう営業時間内なので、裏口から外に出るつもりなのだろう。


 その矢先、からんからん、と正面の扉に付けられた鈴が鳴る。はっとした花鶏は振り返り、瞬時に営業用の愛想笑いを取り繕う。


「いらっしゃいませ! ……あ、綸子ちゃんだ」


 どうも、と軽く会釈したのは、最近知り合ったばかりの駛良の同僚である少女だ。

 憲兵隊に身を寄せる少女がこの場に現れるということは、先ほどの警報は駛良たちに関係のあるものではなかったのかもしれない。


 綸子が何やら強張った笑みを浮かべているところに訝しさを覚えないでもなかったが、それよりも駛良がなかなか姿を見せないことの方が花鶏にとっては気懸かりだった。


「……シロくんは? 今日は一緒じゃないの?」


「や、八神!? あー、ええ、あいつはちょっと別行動してて……そう、それで私がここに来ることになったのよ!」


「そう、なんだ?」


 まるで今思いついたかのように聞こえたのだが、何やら必死の様子である綸子にひとまず話を合わせておく。この手の人間には、下手に口を挟まない方が話が進みやすい。


「それで、綸子ちゃんの御用というのは?」


「うん、そのことなんだけどさ。ちょっと外に出て、話さない? お店の前でいいから」


 店内とて今は無人なのだから、内緒話をしたいならこちらの方が打ってつけだと思わないでもなかったが、無理に引き留める理由もなかったので、綸子の提案に従う。


 綸子の背を追って建物の外に出ると、


「……っ!?」


 武装した兵士たちが、屋内からは見えない死角に潜む形で、花鶏たちを取り囲んでいた。いや、花鶏をおびき出すことが綸子の役割で、彼らの狙いは花鶏ただ一人か。

 兵士たちの顔を見回すと、来店客として見知った顔も交じっている。不退転の決意に満ちたその表情は、決して店の中では見たことのなかったものだが。


 やがて、店を出る時からずっと背を向けていた綸子が花鶏を振り返る。その顔には諦めの混じった笑みが浮かんでいた。


「そういうわけだから……とりあえず一緒に付いてきてくれるかな。私も花鶏ちゃんには危ない目に遭って欲しくないから」


 ごめんね、と微かに震える声で呟く綸子に、花鶏はどうしてか逆らう気が起きなかった。

 場違いな感想かもしれないが、この少女を放っておけなくなってしまったのだ。


 彼女もまた、ここではないどこかに心を囚われているのだと、見抜けてしまったから。

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