第3章(10/10)

 夕暮れも近づこうかという頃。駛良と綸子は当て処もなく城内を彷徨っていた。


 いちおう近衛独立混成旅団の訓練予定なども調べてみたが、特に不自然な点はなかった。むしろ一部の連隊が訓練のために城外の演習場に出張っているらしく、城内の戦力が減っていることに微かな安堵を覚えたくらいだ。


 しかしだからといって油断はできない。一見〈五稜郭〉の中は平時と変わらなそうであるが、二室戸の監視が隅々まで行き届いているという事実を思うと、すれ違う一人一人がいちいち怪しく思えてしまう。


 まるで無数の敵に取り囲まれながら孤立させられているかのよう。

 そんな感覚は、同時に駛良に古い記憶を呼び起こさせる。すぐ傍に綸子が居る所為もあってか、一人の少女が脳裏にその姿を甦らせてしまう。


 ――伊江奈喜古。


 頬にそばかすを散らせた、美人ではないが不思議な愛嬌のある女だった。

 平民出身の志願兵であったにもかかわらず、駛良よりも年上だというだけで、彼に対しては何かとお姉さんぶった態度で接してきた相手。正直、当時は少し鬱陶しさを覚えていた。


  ――「人はね、駛良くん、皆何かしらの使命を持って生まれてきたと、あたしは信じてる」


 けれども完全に無視することができなかったのは、その言葉が度々はっとさせられる示唆を含んでいたから。


 ――「使命を終えて初めて、あたしたちは死の安寧に与ることが許されるんだと思う」

 

 不思議な人生観だと思うと同時、そう宣うこの女自身の死に様はどのようなものになるのだろうかと、好奇心とも悪意とも付かない興味を抱いてしまったこともまた事実だ。


 なあ、と駛良は退屈げに視線を泳がせている綸子に声を掛ける。綸子ははっとした様子で


「ち、ちゃんと見張ってたわよ」


 と言い繕うが、駛良はそれには取り合わず、


「お前、自分が生まれてきた意味……もとい使命とかって、考えたことあるか?」


 瞬間、綸子の目が据わった。


「それ、喜古ちゃんの口癖よね」


 存外に鋭い。駛良は首を竦める。


「つーかお前にもそういう話してたのかよ。てっきり戦場の熱に浮かされて妄言を吐いていたのかと思ったぜ」


「莫迦にしないで。喜古ちゃんは鼻持ちならなかった私に生きる道を授けてくれた人なのよ。もはや女神と讃えてもいいくらいね」


「今も充分鼻持ちならねえが……つーかお前と伊江奈一等兵って普段どんな話をしてたんだ。大真面目な顔しながら女神とか言い出す奴に碌なのを見たことがねえぞ」


 失礼なっ、と綸子が目を三角にして怒り出す。


「喜古ちゃんは本当に凄いのよ! 両親の顔も知らない内に孤児院に入れられたらしいんだけど、そんな不遇な環境にもかかわらず、いつも明るく振る舞ってた」


「はっ、そんな話を出されりゃ俺たち貴族様にゃ返す言葉がねえだろうが」


「だから茶化すなっ。そんな喜古ちゃんが軍隊に入ったのも、衣食住が揃っててしかも孤児院に仕送りまでできる理想的な職場だったからよ。それに――」


 と、そこで綸子は目を細める。込み上げる激情を噛み殺すような、そんな間を置いて、


「それに、命を落としてなお、軍人恩給がちゃんと孤児院に支払われ続けているもの……」


 なるほど、と駛良は神妙な面持ちで頷いた。

 一等兵程度の恩給など高が知れているだろうが、それでも喜古は死してなお孤児院に〝仕送り〟を続けているのだ。その肉体は滅べども、彼女の遺した想いは未だに生き続けていた。


 だから、なのだろうか。駛良は喜古の末期を思い出す。


 喜古を死に至らしめたのは、駛良を庇って負った傷だった。勝手に駛良を弟扱いしていたお姉さん役は、銃火の飛び交うさなかであっても、弟の身を想う姉を演じきった。


 ――「あたしはきっと、君を守って死ぬために、生まれてきたんだよ」


 そう言って、駛良に微笑みかけながら、喜古は逝った。己の使命を満足げに受け容れながら。


 今にしても思う。どこまでも身勝手な女だったと。


 勝手に姉弟を演じて、勝手に禅問答を仕掛けてきて、そして勝手に駛良を守ることに命を捧げて――。あまつさえ、駛良が喜古にもらったものを返す機会さえ与えてくれなかったのだ。


 と、そこまで考えたところで、ふと既視感めいたものを覚えた。似たような理屈を、別のどこかで訊いたような――。


 しかしその正体に思い至るよりも先に、視界の片隅をよぎったに白い薄片に気を取られる。


 手繰り寄せられるように空を見上げると、分厚い灰色の天蓋が、しんしんと雪を降らせていた。おそらく今年最後の雪だろう。


 ああ、と駛良は唐突に思い出す。当時は日付の感覚が曖昧になっていたので忘れがちになっていたが――かつて尼港の地で伊江奈喜古が死神に抱かれたのも、ちょうど三年前の三月二十五日だった。時刻もちょうど、こんな夕暮れの頃合い。


 まるで持ち主の後を追うかのように、喜古の持っていた安物の時計もその針を止めたのが印象的だったから、こちらはよく覚えている。


 あれは午後五時のことだ。


 何気なく駛良は懐中時計を取り出して、時間を確かめる。

 秒針が静かに時を刻み、やがて十二の位置で長針と秒針が重なる。


 女の悲鳴めいた甲高い警報音が鳴り響いたのは、まさにその瞬間だった。




 龍敦市中――〈五稜郭〉城外にある龍敦警察署が近衛独立混成旅団麾下の部隊の襲撃を受けたという報せが、龍敦憲兵分隊にもたらされるのは、それから間もなくのことである。

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