第3章(5/10)
帝立陸軍参謀本部情報総局。
組織上はあくまで参謀本部の下部組織に過ぎないが、その実態は独自の特殊部隊をも擁する強力な情報機関だ。
設立時期は約二十年前の日秦戦争後ということで、古くはないが新しくもないといったところ。尤も、だからこそ余計なしがらみに囚われることなく軽快に行動することができていると いう側面もあるのだろう。
八神俊成――駛良の父親は、その中で事務方として特殊部隊の運営に携わっているらしい。
らしい、というのは、駛良も詳しいことは知らされていないからだ。もっと言えば彼の妹たちは父親の所属が情報機関であることさえ知らないだろう。つまりはそういうことだ。
「お前が私に頼み事か……明日は雪でも降るかもな」
「もうすぐ四月とはいえ、いちおうまだ三月だ。雪くらい降ったっておかしくねえだろ」
相変わらず冗談が下手な男だ、と駛良は嘆息を漏らす。
俊成は書き付けていた冊子を閉じると、体ごと駛良に向き直る。
まずは座れ、と促してくるので、駛良は軍帽と外套を引っかけがてら、手近な椅子を引き寄せて腰を落ち着けた。
「それで、頼みというのは何だ。わざわざ
「まぁ急いでねえことはねえけど、この場所を選んだのは他にも理由があって――」
二室戸は〈五稜郭〉内の各所に目を光らせていることだろうが、常日頃から隠し事をしている場所というのもやはりあるわけで。その点で、この参謀本部情報総局の保秘性は〈五稜郭〉どころか帝国有数のものさえあるほどだろう。内緒話をするには打ってつけの空間だ。
とはいえ、俊成を頼ることに駛良としては悔しい気持ちがないわけではない。よりにもよって、という感じだ。内心歯噛みする思いながら、
「士族が叛乱を目論んでいるだなんて話、親父は聞き覚えはあるか?」
駛良は直裁に尋ねた。少なくともこの男は、叛乱に与するような人間ではないと、そういう信頼だけは確かにあるから。
果たして情報機関の職員は、ただ小さく眉をひそめただけだった。
「戦後の軍政改革に反発が多いのは確かだな。彼らは士族の誇りだ何だと口にしているが、既得権益を奪われることを恐れているというのが本音だろう」
「…………」
「何だ、知らなかったのか?」
「か、改革のことくらいは知ってたっつーの!それよりも何だよ、その既得権益がどーたらとかいうのは」
ふむ、とここで俊成は少し考え込むような仕草をした。
「言われてみれば、我が家は利権争いとはあまり関わりを持たないようにしていたからな、その手の話にお前が疎いのも致し方ないことではある」
だが、と俊成の表情は軽く難色を示す。
「仮にも憲兵科に籍を置く者として、隊内の情勢を把握できていないのは怠慢だな」
「う、うるせえ! 父親面してる暇があったら、さっさと本題に入れよ」
息子の暴言に対して、特に父親が気分を害した様子ことない。俊成のこういう部分が好きではないのだ、と駛良は軽く唸る。
気を紛らわせるために、懐から棒付き飴玉を取り出して、口に咥える。たちまち舌の上にたくあん味が拡がり、仄かに気分が和む。
と、俊成は今度は何やら物言いたげな様子だったが、諦めたように首を横に振ると、
「お前の悪食は横に置いておくとして……まずは確認だ、今度の改革の最大の要点は何だ?」
「悪食言うなっ! ええと……〝平民をもっと採る〟って話だろ」
新聞でも度々取り上げられている問題なので、その答えはすんなりと出て来た。
平民の積極的登用――それはこの〝戦後〟だからこそ浮かび上がってきた考えだ。
駛良たち武家士族は、その名の通り、軍事を司ることで特権階級を保持している。その興りは中世にまで遡るとも言われているが、武士の権威は近代化した今なお衰えることなく続いている。
もちろん日増しに巨大化していった常備軍の全てを武士だけで賄うことは不可能だった。だから、近世以前は兵農分離が徹底されていたものの、先帝の治世においては平民の間から志願兵を募ることを解禁した。その代わりに、士官階級を武家士族の聖域とすることで。
「そう、将校の地位は士族にとっては〝聖域〟だ。お前の上官だった勾田が、殉職後二階級特進しても准尉止まり――士官の位は与えられなかったようにな」
「けど、平民出身の将校だって居るには居るだろう?」
「それは一部の例外だ。制度上不可能ではないとはいえ、限りなく狭き門でもある。――が、今度からはその規制が大幅に緩和される」
「そこは仕方ねえだろ。人手不足なんだから」
状況が変わったのは、先の大戦を経てからだ。人類史上初めてとなる、世界規模で繰り広げられた未曾有の大戦。欧州の火薬庫が引き起こした大爆発。
八洲帝国の参戦は、元は同盟国の要請に従ってのことだったとはいえ、極東の島国が動き出したことで、結果的にユーラシア大陸全土に緊張を走らせてしまったことは事実だろう。
人類史を焼いた爆炎はあちこちに飛び火し、巡り巡っては駛良がシベリアに出征させられる事態を招いた。そこにどのような経緯があったかなど、駛良にとってはもはや些細な問題だ。
彼の中でそれは
ともあれ帝国の関わった戦争は累計八年にも及ぶ長いものとなった。当然、そこには相応の死者数も蓄積されているわけであり。
「死んでいくのは何も末端の兵士だけではない。むしろ戦場を己の死に場所と見定めている士族の将校たちこそ、こぞって死地に飛び込んでいったものだ」
かつて旅順でもそうだった、と俊成はどこか遠くを見つめるような目をする。
そう言えば、この男は日秦戦争に際しては旅順攻囲戦に加わっていたのだ、と駛良は不意に思い出す。駛良の経験した尼港包囲戦と言えども、旅順戦を凌ぐものではなかったと言われているほどの、帝国の戦争史に深い爪痕を残す大激戦。
現場を知らない論客の勝手な言い分だとは承知しているが、それでも何やら父親と比べれば大したことがなかったと言われているようで、息子としては反発を覚えずにはいられない。
俊成は駛良に視線を戻すと、何事もなかったかのように話を続ける。
「結果、戦後の現在、士官階級は人材不足にあえぐことになっている。上昇志向の強い連中には格好の機会だろうがな」
「だからその不足分を補うために平民出身者の将校を増やすことにしたんだろう? 何か問題でもあるのか」
「むろんどこにも問題はないさ。一見したところではな」
そんな持って回った言い回しに駛良が首を傾げると、解らんのか、と俊成は肘を突きながら両手を組み合わせる。
「〝聖域〟が侵されている――と、不平士族はそう考えているんだよ」
む、と駛良は息を詰めた。物は言い様と言えばそれまでだが、しかし仮にも士族の端くれである駛良として、その気持ちは確かに理解できてしまった。
もしも、帯刀が貴族のみならず平民にも許されるようになったら――そのように考えれば、成る程改革に反対する士族たちの気持ちも容易に想像できるようになった。
「人間は意思を持たない機械ではない。したがって組織運営の理屈には時に非合理も付き纏う。……が、今度のこればかりは、非合理を呑み込むわけにはいかんだろうな」
「だから、実力行使に打って出るって、二室戸中尉はそう言ったのか――」
駛良の呟きを聞き咎めた俊成が眉宇を寄せる。
「二室戸――近衛独立混成旅団の将校だな?あれは叛乱を企てているのか?」
「ああ。本人が俺にそう言ってきた。……って、どうして親父はこんな話を聞かされてもそんな平然としていられるんだ」
「先帝の時代に志願兵制度が導入された時も反発は大きかったと聞く。その事情を踏まえれば、誰かが行動を起こすことくらい、予想できて然るべき範疇だろう」
むしろそこまで想像が及んでいなかった駛良の方が未熟なのだと窘められた。悔しいが全く以てその通りなので一切反論の余地がない。
ならば恥は掻き捨てとばかりに、駛良は重ねて俊成に問う。
「親父なら、こういう時、どうするんだ」
さあな、と存外に俊成の返答は素っ気なかった。駛良は面食らう。
「私の専門は外事だ。国内事情は門外漢だよ。――当然、この件に際して特殊任務部隊を動かすつもりはないし、それだけの権限が私に与えられているわけでもない」
いっそ容赦ないほどに俊成は断言した。それは、聞きようによってはまるで、
「まるで……この件にがっつり関わっている俺がどうなっても、あんたは気にしねえと言わんばかりの口振りだな」
嗚呼――やはこの男はそうなのだと、駛良は半ば諦めの心地と共にそんな言葉を吐き捨てた。
すると俊成は片眼を眇めて、
「これはお前の問題であって、そこに私の意思が介在する余地はない。私がどう思おうが状況は何も変わらん。お前がそんな弱気でどうするんだ」
「へいへい、ご忠告痛み入りますよ、ってんだ」
駛良はがたりと音を立てて椅子から腰を上げると、出入り口の扉を振り向き様に椅子から軍帽と外套を掴み取る。
駛良、と父親の声が息子の足を縫い止める。しかし振り返ることはしない。
俊成の声にもまた、それを気にした様子は一切窺えず、
「知っての通り、お前が憲兵科に配属されるよう持ちかけたのは私だ。それはお前が憲兵に適任だと考えたからだ」
何を、と駛良は内心で反発する。このような時だけ、まるできちんと息子を見ていたと言わんばかりの台詞を並び立てるとは。
「いいか、駛良。お前はただ自分の正義を貫き通すだけでいい。軍という巨大な組織の中で、それができるのは憲兵科ただ一つだ」
駛良は返事することなく、ただ黒衣の裾を靡かせながら部屋を後にした。
廊下では小さな自働人形が駛良を待ち受けていて、再び少年の前を先導して歩き出す。
誰ともすれ違わず、ただ一人と一機の足音だけが響く空間の中で、ふと駛良は思い起こす。
駛良と俊成がすれ違うようになってしまったのも、あの大戦がきっかけであったと。
開戦初期のことだ。帝国の緒戦に駛良たち兄妹の父と母は共に出征し、そして父だけが帰ってきた。母は死体さえ帰宅することが敵わなかった。――なお、彼らの所属していた部隊を指揮していたのは、他ならぬ俊成自身であり。
母は父に殺された――駛良はそう考えている。真相は定かでないし、そこに悪意があったとも思っていない。だが、それが勝利のために必要な犠牲だったとしても、父は母を切り捨てることを選んだのだ。その事実に変わりはない。
ちっ、と駛良は舌打ちする。胸の奥で燻るもう一つの感情に気づいてしまったから。
俊成のしたことを許すつもりはない。ただ、それはそれとして――もしも母が死地に飛び込むことを本望としていたならば。帝国の未来を守るために、自らの命を差し出すことも厭わなかったのだとすれば。
それはきっと、何よりも意義のある死だ。母のことを誇りにさえ思ってしまえるほどに。
だから、そのような死に様が――羨ましい、と。
駛良はそう思ってしまうことを躊躇えなかった。
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