第3章(4/10)

 夕暮れの冷たい陽射しが、特殊捜査班事務室の中に注ぎ込まれていた。


「これから、どうするつもりなの」


 綸子の問いかけに、駛良はたくあん味の棒付き飴玉を咥えながら、ん、と生返事する。綸子ははっきりと顔をしかめたが、今更気にする駛良ではない。


「甘粕大尉も、明日は帝都に出張してしまわれるのでしょう?その分、憲兵隊の守りも薄くなるのよ?ちゃんと解ってるの?」


「んー」


 苛、と綸子が眉宇を寄せるのも構わず、駛良は茫漠と思索に耽っている。


 そんな駛良の手許には、綸子の手で開錠された但馬の手記が広げられている。そこには、概ね先刻二室戸が口にした通りの内容が、但馬の推測かつ予想として書き綴られていた。さすがは通信兵大尉と言うべきか、凄まじき情報分析能力だと駛良は舌を巻いた。


 ただ、手記の末尾に記された一文――おそらく先日の暗殺未遂事件を決行する直前に書いたのだろうその言葉だけは、別種の意味を持って駛良に重くのし掛かってきた。


 ――「貴官が〝正義〟を全うされんことを」


それは、但馬が死の間際に駛良に遺した言葉と全く違わぬものであり。 なればこそ、駛良の採るべき道はたった一つしかない。


「これからどうするか、だって?決まってるだろ。俺はただ、正義を全うするだけだ」


  元よりそれが駛良の信条だ。先の大戦以来――あの戦場を以来ずっと、それだけを胸に誓って、今日まで生きてきた。

  だから明日もまた同じ道を歩むだけだ。


  遠く、午後の課業終了を告げる喇叭が鳴り響く。それを合図に駛良は立ち上がる。


「お疲れ。お前もちゃんと兵舎に帰れよ」


  わざわざ念を押したのは、そこが近衛独立混成旅団――二室戸ら叛乱を企てる者たちの根城 でもあるからだ。彼ら〈叛乱軍〉の規模は不明だが、綸子の隣人がその〈叛乱軍〉の一員であ っても全く不思議ではないのだ。


 ちょっとっ、と綸子は血相を変えて立ち上がる。


「〝正義を全うする〟って、貴方一体何をするつもり――」


「安心しろ、連中には気づかれねえように巧く立ち回るさ。それに、お前こそこの件からはも う手を引いた方がいい」


 半ば本心からの忠告だった。ずっと二室戸と身近に接してきた綸子だからこそ、彼女の中にどのような爆弾が仕込まれているか知れたものではない。それが起爆されれば、駛良のみならず綸子自身にも危害が及ぶだろうことは想像に難くない。


 おそらく二室戸が言外に示唆した人質たちの中には、この綸子も含まれているのだ。


「正直、お前のことは好きじゃねえけど、かといって俺の所為で危ない目に遭われるってのも、寝覚めが悪いからな」


 ついでに、綸子が何かをしたところでかえって墓穴を掘ってしまうのではないかとも心配しているのだが、それについてはわざわざ口に出さない。


 そんな駛良の内心はつゆ知らず、かあっと頬を紅潮させると、


「なっ――、余計なお世話よ!」


 赤面と共に放たれた憎まれ口を背中で受け止めながら、駛良は屯所を後にした。


 その足で向かった先は〈龍敦塔〉――〈五稜郭〉の中枢たる三棟の庁舎が並ぶ区域だ。


〝敵〟の本拠地である旅団司令部を目前にすると、さすがに身構えてしまうものがある。

 但馬が二室戸たちの造反を告発しようとしていたように、何も近衛独立混成旅団の全てが〈叛乱軍〉というわけではなさそうだが――それは逆に言えば、誰が敵で誰が味方かさえ判然としないということだ。


 或いは、正門の前で仁王立ちしている衛兵もまた〈叛乱軍〉の一員であり、たまたま前を通りかかった駛良をそれとなく監視しているのかもしれない――そんな妄想が頭を掠める。


 衛兵の視線を感じながらも、あくまでただ単に通りかかっただけ――実際本当にここを通らざるを得なかっただけだ――を装いながら、駛良は隣接する白亜の建物へと近づく。


 塔屋を含めれば合計七階建てにもなるという巨大な構造物。その内実は、陸軍省や海軍省などの出先機関が入居する合同庁舎だ。


 一階の受付で入館の手続きをしがてら、目当ての人物に面会を申し入れたい旨を取り次いでもらう。事前に約束を交わしていたわけではなかったが、相手はあっさりと許可を下ろした。

 もとい、そうでなくては困る。断られても、直接乗り込んでやる腹積もりだったが。


 受付からは腕の中に収まる程度の小さな自働人形を貸し出された。防犯や機密保持のために館内は意図的に迷宮化されているらしく、このような〝案内役〟がなければ遭難しかねないのだとか。


 小人の後を追いながら、建物の中を上ったり下ったりとぐるぐる連れ回された末に、ようやく目的の部屋へと辿り着く。


 部屋の名前が書かれた標札に並ぶ文字は――陸軍参謀本部情報総局第五局分室。


 駛良が部屋の前に立つと、姿形のない手に全身を撫で回されるかのような感触。その後、扉は独りでに開いた。趣味の悪い防衛設備だ、と駛良は眉宇を寄せた。


 室内は、その主の性格を大いに反映して、整然と片づけられていた。特殊捜査班事務室の煩雑さとは大違いで、思わず班員たちに見習わせてしまいたくなったくらいだ。


 しかし、いやいや惑わされるな、と駛良は首を横に振る。この場では隙を見せたくない―― と少年は事務机に向かって書き物をする中年の男を半ば睨み付けるように見つめる。


 短髪でやや骨張った顔立ちの男。武官らしい無骨な印象も然ることながら、難解な命題に立ち向かう哲学者のような学者然とした雰囲気もまた纏っている。そういう男だ。


 と、男は机上から目を離すことなく駛良に言う。


「黙っていないで、さっさと用件を述べたらどうだ」


 その高圧的な態度に、む、と駛良は口をへの字に曲げる。


「ここに来るのは正直業腹だし、あんたに頼るのも釈然としねえけど、他に使えそうな人脈もなくて――」


「御託を述べている暇があるのなら帰れ」


「あんたに頼みがあって……いえ、お願いがあって参りました、お父様」


 唇を尖らせながら、慇懃無礼も甚だしく言ってのける駛良。

 そこでようやく、父親は息子を振り返った。


 男の名は、八神俊成。陸軍きっての情報機関に籍を置く作戦将校だった。

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