第3章(3/10)

 程なくして二室戸は現れた。軍帽と外套を脱ぎながら入出してきた上官に、駛良と綸子は起立して敬礼する。


「おはようございます、八神伍長。土橋伍長もお変わりないようで」


 そう言って返礼したのは、どこか狐を思わせる優男だ。その顔には今日もやはり胡散臭い薄ら笑いが浮かんでいる。


「中尉殿は、本日はどのような御用向きで?」


「ちょっと探し物をしていましてね……ああ、それです。やはりあなたの手に渡っていましたか」

 

 そう言って二室戸が指差したのは、駛良の手許にある黒革の手帳だった。


 二室戸の笑みが深まると同時、駛良の背筋に氷塊が滑り落ちたかのような感触が走った。得も言われぬ警戒感が首をもたげたことに、他ならぬ駛良自身が戸惑いを禁じ得ない。

 こめかみを冷や汗が伝うのを感じながら、駛良は引きつった笑みを浮かべる。


「二室戸中尉は、これが何かご存じで?」


「ええ。但馬大尉の手記ですよね。彼女が時折何かを書き付けていたのは、私も気づいていましたから」


 ふふっ、と二室戸の浮かべる柔和な笑みは、いっそ場違いとさえ思えてくるくらいだ。


「その様子から察するに、どうやらまだ中身は検めていらっしゃらないようですね。さて、どうしましょうか」

 

後半はただの独り言だろう。二室戸は駛良の応答を待たず、ふむ、と独りでに頷く。


「八神伍長がそこまで辿り着いている以上、が露見するのも、もはや時間の問題でしょう。ええ、では私の口から直接お話させてもらうことにしましょうか」


 椅子、お借りしますよ、と二室戸は空いている椅子を引き寄せて腰を落ち着ける。


「お二人とも着席されて結構ですよ。少し長い話になりますからね」


 ああ、ですがその前に、と二室戸は思い出したように言う。


「人払いをお願いできますかね?これからする話は、他の人に聞かれると少々まずいものでして」


 そんな〝まずい話〟を聞かせられることに逡巡を覚えないわけではなかったが、もはや毒を食らわば皿までという気分で、駛良は無言で従った。


 扉の横の壁に掛けられた、紫色の砂時計を引っ繰り返す。さらさらと砂が落ち始めるるのを確認すると、


「この砂が落ち切るまで、室外の人間はこの場所を認識できなくなります」


「認識阻害と思考誘導の術式ですかね? 人払いの結界としては初歩的ですが……まぁこれで良しとしましょうか」


 即座に施された仕掛けの正体を看破した二室戸は、やはり並大抵の魔導師ではないようだ。


 一体これから何が始まろうというのか。駛良は綸子と顔を見合わせる。綸子の瞳もまた困惑に揺れていた。つくづく蚊帳の外に置いてきぼりにされている感の否めない女だ。


 二人がそれぞれの席に座したのを見届けて、二室戸は「さて――」と口を開く。


「単刀直入に申しますと、我々は現在、武力蜂起を目論んでいまして」


 優男はあっさりとそう告げた。駛良は咄嗟に頭の理解が追い着かず、


「は?」


 そんな間の抜けた声が漏れた。ぽかん、と開いた口が塞がらなかった。

 ですから、と二室戸は苦笑交じりに噛んで含めるような調子で言葉を紡ぐ。


使と、そう考えているのですよ」


「……ッ!?」


 言葉が漏れるよりも早く、全身が総毛立つのを感じる。ひっ、と綸子の息を呑む音さえ聞こえた。そうまではっきり言われると、もはや聞き違えようもなかった。


 叛乱――その二文字が駛良の脳裏で明滅する。


 加えて言えば、先ほどから二室戸は〝我々〟という一人称を用いている。つまりこれは、決して二室戸個人の考えに留まるものではなく、ある程度纏まった勢力の企んでいるものという こと。


「何の、ために?」


 声が震えるのも構わず、憲兵の少年は叛逆の徒に尋ねた。

 むろん、と二室戸は決意に満ちた笑みを浮かべる。


「――我々が武家士族であり続けるために」


 薄らと二室戸の細目が開かれた。瞼の隙間から覗いたのは、まるで底なし沼のような深みを孕んだ瞳。

 どうしようもなく、この男は本気だ。理屈を越えた直感が、そう声高に叫ぶ。


 ちなみに、と二室戸は宝物を隠し持つ子どものような顔で嗤う。


「この計画に但馬大尉は参画していなかったのですが、どこからか嗅ぎつけてきたようでして……自分の手に負えないとなるや、あのような真似をしでかして、こうしてあなた方の注目を寄せさせた次第だったのですよ」


 その言葉に、駛良ははっとする。


 但馬が旅団長の暗殺を試みたとされるあの夜、不思議と彼女からはそれが失敗に終わったことに対する未練のようなものを感じ取ることがなかった。むしろ最期に駛良に見せた笑顔には、何やらやり遂げた後の晴れやかささえ感じられたほどだ。


 まさか、と駛良の肌が粟立つ。ただ憲兵の目を自分に――延いてはその指揮下にある二室戸に向けさせるためだけに、但馬はあの大事を引き起こしたのか。


 ――「後のことはお願いしますね」

 

 駛良たち憲兵に、二室戸の思惑を潰させるために、自らの命を擲ったというのか。

 と、そこで連鎖的に駛良はに至る。


「ちょっと待て……もしかして勾田准尉が殺されたのは――」


「ええ、彼はその手記を通じて我々の存在に辿り着いてしまいました。だから早々とご退場願ったのですよ」


 反射的に手が腰に帯びた打刀へと伸びる。

 が、それ以上は体が動かなかった。まるで金縛りに遭ったかのように、首から下が微動だにしない。


「先ほど、私の眼を見ましたよね? あの時に仕込ませてもらいました」


 初歩的な魔法ですよ、と窘めるように二室戸は言った。

 ならば綸子の方はどうだと、駛良は視線だけで彼女を見やる。


 しかし――いや、やはり、と言うべきか――場慣れしていない綸子は、何の魔法に掛けられたわけでもなく、身動きが取れなくなってしまっているようだった。隊附実習の短い間とはいえ、自身の指導に携わった上官に弓を引くことに抵抗を覚えてしまっていたのかもしれない。


「そうそう、土橋伍長が憲兵分隊ここに出向させられることになったのも、私の口添えがあったからでして――」


 二室戸は綸子に笑いかける。


「あなたの日報はよく書けていました、土橋伍長。おかげで龍敦憲兵分隊の動きが手に取るように解りましたとも」


 一拍ほどの間を置いて、綸子ははっとした表情を浮かべる。


「あの日報は、隊附実習のために書いていたものでは……?」


「もちろん、その意味もありますよ。ただ、〝情報〟というのは額面通りに受け取る以外にも、様々な用い方ができるということです。これは通信兵としても覚えておいた方が良いですね」


 これで話は終わりだとばかりに、二室戸は軍帽と外套を手に立ち上がった。

 壁際に掛けられた紫色の砂時計も、残り時間が少なくなりつつある。それを横目にしながら、二室戸は依然として身動きが取れない駛良たちを肩越しに振り返る。


「今更言うまでもないことだとは思いますが、今日あなたにお話しさせてもらったのは、これ以上は我々の為すことに首を突っ込まない方がいいという、忠告の意味合いがあるものでして」


「ふざけんな。憲兵として見過ごせるかっ」


「威勢が良いのも結構ですが……用心されることですね。この〈五稜郭〉の中で目を光らせているのは、何もあなた方憲兵隊だけではない――」


 何を、と駛良はかろうじて視界の片隅に引っ掛かる二室戸を必死に睨み付ける。

 くすり、と二室戸は笑みを零す。


「妙な気は起こされないことですね、八神伍長。あなたの行動如何によっては……あなたの親しい方々にまで災難が降りかかるやもしれませんよ?」


 かっ、と駛良は目を見開いた。有らん限りの殺気を込めて、視線だけで二室戸を射貫く。

 それを二室戸はそよ風当てられたが如く涼しい顔で受け流しながら、それではご機嫌よう、と特殊捜査班事務室を後にした。ばたん、と扉の閉じられる音と共に、金縛りも解けた。


 と、駛良は二室戸の後を追って弾かれたように廊下へ飛び出す。

 しかし、そこにはもう、狡知に長けた狐の姿はどこにも見当たらなかった――。

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