第3章(2/10)
特殊捜査班事務室に戻ると、綸子が熱心な様子で新聞に目を通していた。
かと思いきや、ちらちらとしきりに駛良に視線を投げかけてくる。どうやら、自分はちゃんとこうして日頃から新聞を読んでいるのだぞ、とでも主張しておきたいようだ。
「土橋」
駛良が呼びかけると、綸子はわざとらしく一拍ほどの間を置いてから、
「何かしら?私は今、新聞を読むのに忙しいのだけれど」
「そうか。昨日の新聞に随分と熱心なことだな」
「にゃっ!?」
綸子は大慌てで日付を確認するが、
「ちゃんと今日のじゃない! 図ったわね、八神!」
「図るも何も、昨日も新聞を読んでたなら最初から騙されないだろ?」
「き、昨日の朝は気分を変えて《日刊新時代》を読んでたのよっ!私だってたまには大衆紙くらい読むのよ!悪い!?」
その《日刊新時代》を綸子が読んでいなかったから、昨日の会話が生まれたのだが、これ以上からかって旋毛を曲げられては困ると判断して、駛良は「別に悪かねえよ」と頷くに留めた。
それはさておき、と駛良は話題を切り替える。本来の用件はむしろこれからだ。
事務机に備え付けられた、鍵の掛けられる抽斗の中から、一冊の黒革の手帳を取り出すと、
「但馬大尉の手記の解析――もとい封印の開錠を頼みたいんだが、できるか?」
「…………」
今度の間は、きちんと何かを考え込んでいる様子だった。
綸子は新聞を折り畳むと、駛良の方を見ずに言う。
「条件があるわ」
「条件?」
綸子は椅子に座ったまま、今度は体ごと駛良の方に向き直ると、人差し指を一本立てた。
「貴方に訊きたいことがあるの。尼港包囲戦を生き残ったっていう、貴方にね」
妙な雲行きになってきた。ここでいきなり尼港包囲戦の話題が蒸し返されるとは想像だにしていなかった。
ふん、と駛良は鼻を鳴らすと、綸子の斜向かいに位置する自分の席に座る。
「つべこべ言わずさっさとやれ。話ならその後でしてやる」
「嫌よ。貴方が先に話しなさい」
「これは命令だぞ?」
「命令違反で私を処罰したところで、貴方の仕事が遅れるだけではなくて?」
「ああ言えばこう言う……」
苦虫を噛み潰したような顔で駛良は呻いた。
かといって、ここでつまらない意地の張り合いをしたところで、捜査活動が滞る一方であるというのも事実だ。
「貸し一つってことで手を打ってやる。それで? 何なんだ、そこまでして俺に訊きたいことってのは」
すると、綸子は何やら歯痒そうな表情を浮かべながら、おもむろに口を開く。
「
瞬間、駛良の体を電撃が走り抜けた。比喩だ。それくらいの衝撃を覚えた。
「この名前に、聞き覚えはある?」
「……それがお前とどう関係あるんだ?」
声が震えそうになるのを、必死に抑える。どくり、と心臓が嫌な跳ね方をする。
綸子は唇を尖らせると、
「質問してるのはこっち。……まぁ、今の貴方の顔を見れば、大体の答えは想像が付くけど」
「伊江奈伍長だろう? ああ、確かに知ってるよ。同じ部隊に居た」
「……ッ! じゃ、じゃあ貴方はあの人の――」
「待てよ。そっちの質問に一つ答えてやったんだ、ならこっちの質問にもちゃんと答えろよ」
む、と綸子は鼻白んだが、すぐに抵抗は諦めた様子で、
「喜古ちゃんは、私の幼馴染よ。四つくらい年上の、お姉ちゃんみたいな人だった」
駛良の記憶が確かならば、伊江奈喜古は享年十八だ。尼港包囲戦当時は一等兵だったが、かの戦闘で殉職した将兵たちはその全員が二階級特進になっている。
それで、と綸子は俯き加減になりながら声を絞り出す。
「貴方は知ってるの?喜古ちゃんの、その、死に様を――」
答えを返すまでに、少しだけ時間を要した。
「仲間を庇って、その傷が原因で亡くなった。名誉の負傷だって、本人は笑ってたがな」
綸子からの返事はなかった。ぎゅっと目をつぶり、両手の拳を強く握り締めている。何かを堪えるかのように。それが涙なのか、はたまた別のものなのかは、駛良には知る由もないが。
ややあって、ありがとう、という答えが返ってきた。
「聞けて良かった。覚悟が固まった」
「覚悟って……何のだよ」
すると綸子は、はっとしたように目を瞠り、
「こ、こっちの話よ! 貴方には関係ないでしょ!!」
そこまで露骨に隠されると、かえって訝しく思えてくる。駛良は口がへの字に曲がる。
こんこんこん、と扉を三度ばかり叩く音がしたのはその時だ。
どうぞ、と駛良が応答すると、庶務掛の女性兵士が顔を覗かせた。
「八神伍長、並びに土橋伍長。近衛独立混成旅団の二室戸蓮杖中尉がお二人に面会を希望されていらっしゃるのですが、こちらにお通ししても?」
「二室戸中尉が?」
ちらりと綸子を窺うが、彼女はぶんぶんと首を横に振った。心当たりはないようだ。
二室戸の意図は読めないが、かといって断る理由もない。駛良は女性兵士に了承の意を伝えた。
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