第2章(12/12)

 結果から言えば、五階から一階へと落下したにもかかわらず、駛良は無事だった。


 元より軍服に施された耐衝撃用の魔法が作用したほか、自働人形の頑丈な骨格を下敷きにしての着地だったため、駛良自身に伝わった衝撃はそれ越しの間接的なものに過ぎなかったためだ。もちろん自働人形の方は、もはや原型さえ留めていないほどに壊れ果てていた。


 とはいえ、駛良の身もまた、骨こそ折れていないものの、全身打撲は免れていないだろう。

 体中の魔力が根こそぎ本能に従って発動された治癒魔法に割かれているため、体力のみならず気力まで一気にごっそりと持って行かれてしまった。


 そして最上階で繰り広げられていた戦闘の余波が階下に及んでいなかったはずもなく、挙げ句の果て、その当事者たちが楼内の中央部である坪庭に落ちてきたともなれば、店中の人間たちの注目を集めてしまうことは必至だ。駛良たちを見下ろす人混みのさなかに、遠目ながら陸軍の高官が額に青筋を浮かべている姿が垣間見えてしまって、無意識に駛良は首を竦めた。


 結局、その場は伊藤の如才ない話術によって収められることとなり、駛良は痛む全身を鞭打つようにして、五階の貴賓室へと戻ってきた。


 最上階では、大杉が腹を抱えて笑っていた。いっそ斬り殺してしまおうかと思ったが、腕が上がらないので断念した。


「す、すまんすまん。まさかここまでやってくれるとは思わなくてよ――」


 目の端に浮いた涙を指で拭いながら、大杉は笑いを噛み殺しつつ言う。このような男を相手にして真面目な話をしなければならないという事実に、駛良はそこはかとなく頭の痛みを覚えた。


 ちっ、と舌打ちしながらそっぽを向くと、今度は綸子のむっすりとした顔に出くわす。

 それは、いつだったか公会堂の前で駛良に見せた敵意にも似ていた。ただ、今回は以前のように威勢良く噛み付いてくる様子はなく、口許を堅く引き結んでいる。


 騒がれると面倒なのは言うまでもないが、妙に物静かなのも据わりが悪い。


「言いたいことがあるならさっさと言え。……さっきもそう言っただろ」


 少女の返答は簡潔だった。


「別に」


 そのまま、ぷい、と顔を逸らして駛良を拒絶する綸子は、そんな態度と裏腹に、腕を組みながら、ぎゅっ、と振り袖の裾を握り締めている。ふるふると震え、指先が白くなるほどに、力強く。


 何やら激情を抑え込んでいる様子であるのは傍目にも解る。気にならないはずがない。


 が、今この場で話を聞き出すべき相手は他に居る。後ろ髪を引かれる思いはあったが、駛良は改めて視線を大杉に戻す。


 大杉はようやく笑いの発作が治まったようで、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、


「で、何だったか……ああ、そうだ。おれがナオミちゃんの死に際に居合わせた時の話だったな」


「死に際に居合わせた? 本当にあんたが殺したんじゃねえのか?」


「応よ。おれがあいつの死を看取ったのは、マジもんの偶然だ。……ま、誰の仕業かは大体想像が付いているけどな」


「は!? 誰だそいつは! つーかやっぱり勾田准尉は殺されたのか!?」


 落ち着け、と大杉は手を振る。その顔には相変わらず笑みが浮かんでいるが、しかしいつの間にか道化た雰囲気は消え失せていた。


「おまえにゃもっと大きな仕事があるだろ。ハルにゃん、だっけか?野枝ちゃんの友達の大尉にも頼まれたんだろう?」


 はっと駛良は息を呑む。思えば、それが最初の疑問だった。


 ――「後のことはお願いしますね」


 但馬は自らの命を絶つ直前、駛良にそう言い残していたのだ。また勾田が駛良を置いて単独行動を始めたのも、駛良がその発言を勾田に伝えた直後だったではないか。


「但馬大尉は……俺に何を期待してたって言うんだ」


 あの不自然な暗殺未遂は、まさか駛良をおびき寄せるためだけに仕組まれたとでも言うのだろうか。そんな莫迦な、と駛良は口許を引きつらせる。


「安心しな。そいつについては、ナオミちゃんがもう突き止めてるぜ」


 え、と駛良が疑念の声を上げたところで、騒動の後始末を終えたらしい伊藤が再び姿を現した。


「ちょうどいいぜ。野枝ちゃん、例のアレ、シロ助に渡してやってくれ」


 ほい来た、と伊藤は部屋の片隅――戦闘の被害を免れている安全な場所――に置いてあった自分の鞄から、何やら一品を取り出す。


 黒革張りの一冊の手帳だった。新品ではなくて、既に随分と使い込まれたもののようだった。


「この手帳が、何か?」


「それね、ハルにゃんの日記……というより手記かな」


「……ッ、但馬大尉の――!?」


 そう、と頷きつつ、伊藤は片眼を閉じる。その仕草には、普段のような悪戯っぽさの中に、どこか真剣味が込められているようにも感じた。


「ここにはあのが想いがしっかりと綴られている。それを知った君が今後どうするかは、あくまで君次第。……あたしたちは〈奇兵隊あたしたち〉で勝手に行動しちゃうけどね」


「…………」


 返答に窮してしまったため、駛良は無言のままそれを受け取った。決して分厚くはないのだが、言葉に表しがたい重みがある。想いの重さ、とでも言うべきものだろうか。


 と、不意にそこで一つの疑問が生じた。ある意味では当然の。


「これ、どうやって手に入れたんです?」


「あたしはエイちゃんから預かってただけ」


「おれもナオミちゃんから預かってただけだぜ? おまえに渡してくれってな。あいつが俺に頼み事をするなんて、あれが最初で最後だったな――」


「ああ、そういうことですか。………………いや、どういうことですか」


 順番に整理してみよう。


 あの夜――勾田が死した夜、大杉は勾田から手帳を預かった。

 大杉は如何なる理由でかそれを更に伊藤に預けた。

 駛良に渡すべき手帳を預かった伊藤は、今朝、今にして思えば狙い澄ましたかのような瞬間に駛良たちの前に姿を現した。

 そのまま伊藤は、駛良に託すべき手帳を隠し持ったまま、今に至るまで駛良たちと行動を共にしていたのであり――。


 つまり、これは。


「俺たちは……ずっとあんたたちに踊らされてたってことか?」


「ま、そーゆうことになるわな」


 大杉は涼しい顔をしながら嘯く。


 かちん、と鯉口を切る音が響いた。駛良が刀に手を掛けた音だった。


「そこに直れ悪党。その首叩き斬ってやる」


「やなこったい」


 ぶんぶんと刀を振り回す駛良と、ひょいひょいとそれを躱し続ける大杉。

 血気盛んな憲兵とそれを手玉に取る破壊活動家の対立の縮図が、そこに現れていた。


 それを指差しながら伊藤はけらけらと笑い、綸子は唇を尖らせたまま呆れたような目で男たちの戯れを眺めていた。


 不穏な気配の立ち籠める龍敦の片隅において、束の間訪れた平穏の一時だった。

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