第2章(11/12)
ずどん、という轟音が楼内を揺るがした。
爆発か、敵襲か、という声が下の階で口々に漏らされている。
違ぇよ、と駛良は皮肉っぽく笑みを浮かべた。今のはただ、遊女の体当たりを真正面から受け止めた時に生じた音だ。
花魁姿の自働人形は、その細身から受ける印象に反して、思いのほか膂力や脚力が優れていた。その突進を打刀で防御したは良いものの、勢いまでは殺しきれず、駛良ごと襖を突き破って、廊下をも横断し、吹き抜けになっている階下を覗く欄干に引っ掛かって、ようやく止まった。
というか、ここで止めなければ駛良が五階の高さから真っ逆さまに墜落しているところだった。九死に一生を得たところで、どっと冷や汗が流れ落ちる。
遊女の美貌が、今にも唇が触れそうな距離で、駛良の顔を覗き込んでいる。これが本物の花魁であったならば、男子冥利に尽きるところだったろうが、作り物の顔が迫ってきたところで、不気味さしか抱けない。
その不快な密着状態を脱しようと、駛良は自働人形の体を蹴り飛ばす。反動で背をもたれていた欄干が軋んだが、今度もかろうじて落下は免れた。
仰向けに倒れた自働人形が、完全に身を起こすのもまたず、駛良は刀の鋒を前に突き出して構えて、そのまま走り出す。
と、上体を起こした自働人形の右手が跳ね上がり、その掌が刺突を受け止める。人骨よりも頑強な鉄骨が刃の勢いを塞き止め、そのまま軌道を逸らす。
しかし為されるがままに技を受け流させる駛良ではない。胴体にこそ命中させられなかったものの、遂には鉄骨の掌を貫いていた刀が、そのまま遊女の右腕をもぎり取っていた。
鉄鎖や歯車が引き千切られるに際して、悲鳴じみた不格好な音が上がる。しかし遊女の笑みは全く崩れない。他の表情を浮かべる機能など最初から付いていないのかもしれない。
ぎぎぎ、と人形の首が回り、再びその硝子細工の瞳が駛良を捉える。眼球の部分によって対象の位置を認識している点は、人間と変わらないようだ。
人形の背後――貴賓室の中では、よく見ときな、と高みの見物を決め込んでいる大杉が綸子に声を掛けていた。
「これが尼港を生き残った奴の〝本気〟さ。全力にゃあ程遠いだろうが、これだってそうそう滅多に拝めるもんじゃねえと思うぜ」
何を勝手なことを、と駛良は頭の片隅で思う。〝これ〟も何も、駛良はいつだって本気だ。
戦地だろうが本土だろうが、戦いの中で手を抜いたことなど一度もない。
もとい――手を抜いてでも敵に勝てるなどという自負を、駛良は持ち合わせていないのだから。
だっ、と自働人形が駆け出す。片腕を失っているためか重心が安定していない。が、その分軽量性が増したため、以前よりも早くなっている。
「……ッ!?」
ばかりか、残った左手をも撃ち放ってきたかと思いきや、索条で繋がれたそれを鎖分銅の要領で操り出したではないか。
胴体に気を取られていたため、撃ち出された拳への対応が遅れる。時間にすれば一瞬にも満たない程度だが、戦闘においてはそんな寸刻さえ争われるのだ。
駛良の側面から抉り込むように迫った鉄拳を、柄頭で打ち落とす。と、返す刀で肉薄する遊女の体を斬り付ける。浅い。内部機構にまでは届いていない。遊女の振り袖がはだけて、何の装飾もない平板な肌を明らかにさせただけだ。
自働人形は後退するが、それと同時、開かれた人形の左手が飛び跳ねて、刀身の中程を掴み取る。
「なっ……こんにゃろ」
人形の握力は思いのほか凄まじく、むしろ駛良が刀に掴まっているかのような態だ。
遊女は無感動な笑みを浮かべたまま、左腕を大きく振るう。刀に掴まっている駛良を、そのまま天井に叩きつけるつもりなのだろう。
が、それは駛良にとっては好都合だった。
駛良の振るう剣は封神流剣法――俗に〝天狗の剣法〟とも謳われるその流派は、まるで翼を持っているが如くの、変幻自在の体術を内包している。
駛良は空中で身を捻ると、再び突き技の構えを取りながら天井に着地、そのまま足の撥条を利用して、頭上の自働人形を目掛けて飛び込む。
遊女は微笑みと共に駛良を見上げたまま、全く身動きしなかった。人間ならば驚きに目を瞠ったまま動きを止めてしまったかもしれない場面、むろん人ならざる人形にそのような感情はないが、演算処理に行き詰まれば一旦動作を停止してしまうのも道理だ。
果たして駛良の放った刺突は、今度こそ自働人形の胴体を正面から貫いた。骨格を突き破り、内部の歯車を食い止める感触が刀越しに伝わる。
突撃の勢いはそれだけに留まらず、今度は駛良が遊女の体を欄干に追い立てる。
――と、三度にも及ぶ衝撃を受け止めてきた欄干は、ここに来てようやく耐久力の限界を迎えることとなった。
ぐしゃり、という鈍い音と共に、かつて欄干だったものはただの木片へと成り下がる。
え、と駛良は間の抜けた声を漏らすが、時既に遅し。
自働人形諸共、少年は吹き抜けになっている虚空へと投げ出された。
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