第2章(2/12)

 決意を新たにしたところで、やはり事件の捜査が行き詰まっている現実は変わらない。

 昨日までに〈五稜郭〉城内のめぼしい箇所は一通り調べ尽くしたので、今日は城外――龍敦市街にまで手を伸ばしてみようということになっていた。


 駛良と綸子が待ち合わせたのは、北西部第六区に設けられた通用門だ。


〈五稜郭〉は高さ二十メートルにも及ぶ城壁にぐるりと取り囲まれており、その上空も不可視の結界に覆われている。なので内外を出入りするためには、正門や通用門などの〝正規の出入り口〟を利用しなければならない。


 検問所に向かうと、ちょうど綸子が外出手続きをしているところだった。


「きっちり五分前。厭味なくらい時間に正確な男ね」


「余計な待ち時間はそれだけ〝無駄な時間〟だからな」


 とは口では言っておくものの、この時間ぴったりに着いたのは偶然だ。わざわざ訂正するほどのことでもないので、黙っているが。


「今日は市街地に捜査に出るということだけど……何か宛てはあるの?」


「宛てというか、ひとまず人捜しだな。少なくとも勾田准尉の不審死について事情を知っていそうな奴に、一人だけ心当たりがある」


「だ、誰……?」


検問所こんなところで名前を出すことは憚られる奴さ」

 

 手続きを終えて検問を通過すると、その先の停車場に、折良く市中へと向かう乗合馬車が停まっていたので、これに乗り込む。郊外にある〈五稜郭〉と龍敦市の中心部は、徒歩で移動す ると三十分ほど要するが、馬車を使えば十分と掛からない。


「ところで土橋。但馬大尉が勾田准尉と交際していたこと、お前は知っていたか?」


「にゃ!? 何よその話!」


「やっぱり知らねえか。まぁ、とにかくそういうことらしい。裏はまだ取っていないが、いちおう花鶏から聞いた話だ」


「花鶏ちゃんが嘘をつくはずがないって? あののこと、随分と信頼しているのね」


「これでも長い付き合いだからな。自分てめえのことには鈍いが、人を見る目だけは確かな女だよ」

 

 そうこう話している間に馬車は龍敦市の中央駅へと辿り着いた。

 大きな黄色い煉瓦造りの駅舎の前で馬車を降りる。


 駅前の道路を歩く駛良と綸子の間には、知り合いにしては遠く、他人にしては近いという、即かず離れずの距離を保っている。無意識の為せる業だった。


 先日の集会の監視任務以来、二人の距離感はこのような感じだ。仕事仲間として行動を共にするし、必要な言葉も交わす。しかし無用な馴れ合いは避ける。それは同僚としては自然なことなのだろうが、お互いに隔意を持っている自覚があるからこそ、心に妙な凝りを残してしまっている。


 ただ己の正義に殉ずることだけを是とする駛良と、軍人としての――貴族としての誇りを蔑ろにすることを非とする綸子。そんな価値観の違いが、二人の間に埋めがたい溝を生じさせてしまっていた。

 それはきっと、優先順位の違いに過ぎないのだろう。駛良は正義を為すためならば泥を被る ことさえ厭わないが、綸子とて貴族としての誇りを守り通すために道理を曲げてしまうこともあるのかもしれない。両極端なのはお互い様だ。


 けれども――だからこそ相容れない。譲れないのだ、自分たちが重んじるものを。


「……ねえ」


 駛良が物思いに沈んでいると、不意に呼び止められた。「ん?」と反射的に応じてから、その声の主が綸子だと気づく。


「いい加減教えなさいよ。貴方が今から捜そうとしている相手」


 答える前に、駛良はそれとなく周囲の気配を窺う。誰かが軍服姿の駛良たちに聞き耳を立てている様子はないと確認した上で、ぼそりと「大杉栄だ」と答えた。


「え?……え!? おおす――ふぐっ」


 その名前を大声で叫ぼうとした綸子の口を慌てて塞ぐ。選民意識が高い割りに、その仕草は一々抜けたところが多い女だ。急に口許を遮られて綸子は目を白黒させる。


 静かになったところで駛良が手を離すと、綸子に上目遣いに睨みつけられる。


「いきなり何をするのよ! 舌を噛んで死んじゃったらどうするつもりだったのよ!?」


「安心しろ。人間はその程度じゃ死なねえ」


 ましてや治癒能力の高い魔導師ともなれば尚更だ。


 しかし依然として綸子はぎゃーすかわーすかとうるさい。もう放って置いて一人で捜査に赴こうか――と駛良が半ば本気でそう考えた頃だった。


 パシャリ、という機械音と共に光が明滅し、二人は弾かれたように振り返った。

 どこかで閃光弾が炸裂したのかと疑ったのも束の間、洋装の若い女が駛良たちに写真機を向けていた。有り体に言って、物凄い美女がそこにいた。


 肩に掛かるくらいの、短くもなければ長くもない髪。けれども睫毛は長い。目もぱっちりと大きい。鼻筋もすっと整っている。銀幕も女優だと紹介されても信じてしまうかもしれない。


 無遠慮に写真機を向けてくる女は悪びれた様子もなく、


「あ、こちらのことは気にせずにそのまま続けて下さ~い。憲兵が天下の往来で痴話喧嘩……面白い記事になりそう!」


「痴話喧嘩じゃねえ。ついでに記事にもすんな」


 にゃあっ、と駛良に噛みつこうとする綸子を適当にあしらいながら、駛良は記者らしき女に訂正を求める。


 えぇー、と女は露骨に不満げな顔を見せる。かと思いきや、憲兵の横暴だー、と棒読みながら大きな声で叫ぶ。ぎょっとした様子でこちらを振り返る通行人たち。


「おいこら」


 綸子を黙らせるべく首の関節を極めながら、女にもまた睨みを利かせる。しかしそれ以上は踏み込めない。衆人環視の中で手を上げようものなら、まさに彼女の思う壺だ。


 けらけらと女記者はひとしきり笑ったかと思えば、するりと女は駛良に近づき、


「冗談で~す。あたしたちは友達で~す!ねぇ、くん?」


 耳元で女に自分の名前を囁かれて、はっと息を呑む駛良。そうして関節技が緩んだ隙に綸子は抜け出して、けほけほと咳き込みながらも恨みがましい目で駛良を見上げる。


 しかし駛良はそんな綸子など一顧だにせず、


「何者だ、あんた」


「ふふっ。見ての通り、ただの女記者だけど?」


 その言葉を受けてというつもりもないが、駛良は険しい目で女の出で立ちを観察する。


 この女記者のような装いを、俗に〝高襟ハイカラ〟と言うのだろう。明るい色の上衣カーディガン襞飾りフリルのあしらわれた白い襦袢ブラウスに、袴よりもやや丈の短い臙脂色の腰衣スカート。近年、平民の間で流行しているという〝職業婦人〟をそのまま絵に描いたような印象だった。


「見ての通りも何も、あんたみてぇな広報官に覚えはねえぜ」


「そこは素直に〝どこの記者だ?〟と尋ねてくれても良かったんだけどなぁ。お姉さんとしては、そういう不器用なところも可愛げだと思えて嫌いじゃないけどね」


「どちらの記者さんんでしょうか? 取材は広報部を通して頂けると助かります」


「おや、存外素直に態度を切り替えたわね。冗談よ、ちゃんと名乗ってあげるから」


「…………」


 依然として疑いの目を向ける駛良。その傍ら、すっかり蚊帳の外に置いてきぼりにされている綸子は、おろおろと憲兵と女記者の間で視線を彷徨わせている。


 やがて、女は妖艶な笑みを浮かべる。何の手品か、軽く振った指先に二枚の名刺が出現する。


「あたしは記者をやってる伊藤野枝。――ね、憲兵たちとは知らない仲じゃないでしょ?」

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