第1章(4/11)
〈奇兵隊〉――それは帝立陸軍にとっては少し特別な意味を持つ名前だ。
有り体に言えば反体制武装組織である。どこの国にも、そういう連中はいるものだ。
だが〈奇兵隊〉が他の組織と一線を画して語られるのは、まずその首謀者が特殊という事情がある。
帝国の戦争史に残る惨劇を乗り越えた男が、今度は自らの祖国に対して牙を剥いている。まるで悪い冗談としか思えないような話だが、つまるところ〈奇兵隊〉とはそういう経緯で生まれた組織なのであった。
室内の張り詰めた空気に対しても萎縮することなく、駛良は向かい側の席に座る二人の顔色を素早く伺う。
いちいち顔に出やすい綸子は、全く予想外の名前が飛び出したと言わんばかりに、目を白黒させている。これが演技だとすれば、大した役者だ。
反対に、全く以て腹の底が読めないのが二室戸という男。彼の浮かべる笑みは、この部屋に入ってきて以来、一向に崩れる様子がない。それはもはや無表情も同然だ。
二室戸は勾田の抉るような視線を真正面から受け止めていたが、やがてくつくつという笑い声を漏らした。おかしくて堪らないと言わんばかりに。
「ほーう、随分と余裕そうだな? 二室戸中尉」
「これは失敬。さすが、日頃から隊内の犯罪に目を光らせている憲兵の方ともなると、発想の柔軟性が我々などとは一線を画していると感心してしまったものでして」
「皮肉か?」
「本心ですよ。――ええ、なので私もこれ以上隠し立てするのは止めにします」
二室戸がさらりと言ってのけたので、駛良はおろか勾田までもが虚を突かれた様子で息を呑んでいた。
「……と、言うと?」
勾田が静かな声で問うた。それまでの目に見えて殺気立った感じは鳴りを潜めて、狙い澄ますかのように慎重な気配が醸し出される。
「認めますよ。但馬大尉は〈奇兵隊〉の人間と懇意にしていたようでした」
「うぇえええっ! そ、それ本当なんですかっ、中尉殿!?」
思わずといった様子で声を上げたのは綸子だ。二室戸は士官候補生の少女を宥めるように手を振ると、
「と言えども、それはあくまで大尉個人の話。私やここに居る土橋伍長とは一切関係がありませんよ。そこはご留意頂きたいですね」
二室戸の隣で、綸子もまたこくこくと首振り人形よろしく激しく頭を上下させる。自分の身の潔白を証明するためならば悪魔にさえ魂を売り渡してしまいそうな勢いだ。
勾田は釈然としない様子で、じろりと二室戸を睨めつける。
「……じゃあ、どうして今まで黙っていた?」
強面の憲兵による詰問を前にしても、優男の表情は例によって穏やかで、
「痛くもない腹を探られるのは専らご免ですから」
こうまでも飄々と言ってのけられると、勾田も言葉に詰まってしまったようだ。
見れば、綸子もまた疲れたように頭を抱えている。腹芸が苦手そうな少女であるだけに、二室戸のような掴み所のない人間と付き合うことには苦労しているのかもしれない。ここに来て
初めて、綸子に同情する気持ちが駛良の中に湧いた。
それからも勾田は、二室戸から何かしら有益な証言を引き出せないものかと踏ん張っていたが、結局は暖簾に腕押しだった。のらりくらりとした二室戸の物言いに、よく小一時間も食い下がっていられたものだと、駛良は妙なところで勾田に感心してしまうばかりなのだった。
やがて課業終了を告げる正午の喇叭が聞こえてきたところで、二室戸たちに対する事情聴取も一旦切り上げることになった。
「お疲れ様です。我々にできることでしたら、何でも協力しますよ」
「私も異存はありません。但馬大尉の真意は私も気になりますから」
いけしゃあしゃあと言ってのける二人組に見送られて、駛良たちは旅団司令部を後にした。
何だかんだで灰汁の強い二人組に当てられて、酷く疲れた気分だったが、それでも一つだけ確認しておかなければならないと、駛良は重たい唇を押し開ける。
「……旅団長には話を聞かないんですか?」
駛良の問いかけに、ちっ、と勾田は舌打ちする。
「いくら憲兵でも、下士官風情が少将閣下のところへ押しかけるわけにはいかないだろう」
それもそうですね、と駛良は安心して頷いた。今の勾田ならば誰彼構わず突撃してしまいそうだと駛良は心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
〈龍敦塔〉の敷地から完全に外迩出たところで、勾田は一旦立ち止まり、背後の庁舎群――その中にある旅団司令部を振り返る。
「あの二人……何かを隠してるな」
同感ですね、と駛良は頷いた。
「今度の暗殺未遂事件に関係があるのかどうかは解りませんが、少なくとも憲兵に踏み込まれると都合の悪い部分があったようには思われます」
二室戸の立ち回りは巧みで、一見したところ、その胡散臭そうな雰囲気に誤魔化されてしまいそうになる。が、目を凝らしてみると、内実は解らないまでも、薄ぼんやりとした輪郭のようなものが浮かび上がってくるのだ。
「土橋伍長の立場が気になるところですね。〝動機〟の面では揺さぶれそうな余地がありましたが、〈奇兵隊〉関係の話題には疎かったように見えます」
「存外本当にあれは何も知らない、という可能性があるぞ。むしろ憲兵を前にしても全く物怖じしない中尉の方が異常なんだよ」
勾田の口から意外な言葉が飛び出してきたので、駛良は思わず目を丸くした。
「物怖じさせている自覚があったんですか」
「どーゆう意味だ、八神伍長?」
言葉通りの意味ですよ、と駛良は首を竦めた。
「いずれにせよ、近衛独立混成旅団についてはもう少し調べてみる必要がありそうですね」
「だな。さて、鬼が出るか蛇が出るか――」
にぃ、と凄絶な笑みを零す憲兵の姿に、すれ違う通行人たちが一様におののくが、当の勾田は気にする素振りさえ見せない。
と、そんな凶相を浮かべる憲兵を指差しながら呵々と大笑いする声があった。
ぎょっとして駛良が振り向くと、そこには声の大きさも然ることながら、見た目もこれまた大層派手な偉丈夫が立っていた。
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