第1章(3/11)
旅団司令部は、〈龍敦塔〉――要塞内の中枢施設が集められた三棟の庁舎群――の一角に所在している。地上三階建ての上に二階建ての塔を頂いた赤煉瓦壁の建物がそれだ。
庁舎内に入ると、途端に張り詰めたような雰囲気を肌で感じた。然もありなん、昨夜は旅団所属の将校が旅団長の暗殺を目論むという事件が起きたばかりなのだから。それでも目に見えて動揺している様子まではないのは、腐っても〝近衛〟を冠された精鋭たちである証か。
受付で身分を明かすと、二人は応接間へと通された。
待たされている間、一等兵の階級章を付けた若い女性兵士がお茶を汲んできたが、目つきの悪い二人組の憲兵を前にすると、びくりと肩を震わせた。少なくとも駛良には他意がない分、多少の申し訳なさも覚える。
「……安い茶葉だな。〝近衛〟が聞いて呆れる」
「
どうにも気が急いている様子の勾田が痺れを切らしそうになってきたところで、再び応接間の扉が開いた。入ってきたのは、二十代半ばほどの若い男と、駛良と同い年くらいの少女だった。
駛良たちが立ち上がって敬礼すると、旅団所属の二人組も返礼してくる。
先に口を開いたのは、薄ら笑いを浮かべた若い男。獣毛のようにふわふわとした髪質と、狐のように細められた眼が特徴だ。どうにも得体が知れない、というのが駛良の抱いた第一印象。
「お待たせしました。通信隊隊長代行、
二室戸に促されて、髪の長い少女が一歩前に出て再び敬礼する。
「士官候補生の
つんと澄ました感じの、要するにいけ好かない感じの女だ。造作は整っていて、有り体に言って美人なのだが、駛良の好みではない。まだ花鶏の方が可愛げがあるだろう。
しかし、綸子の黒髪が僅かに赤みがかっていることに、駛良は小さく息を呑んだ。それは彼女の孕む魔力の濃さを示すものだからだ。
その若さで士官候補生であり、しかも近衛旅団の通信隊で隊附実習を行っているとなると、駛良と同じく武家士族――魔導師の家系の出身であることは間違いない。なおかつ当人は極め て優秀な能力を誇る才媛なのだろう。
と、駛良の視線に気づいたらしい綸子が、ふふん、と自慢げに鼻を高くする。
一方、勾田は対面の二人に着席を促すと、自身もまた彼らに値踏みするような視線を向けながら腰を落ち着かせた。そして、くいっ、と眼鏡の
「どうも。俺は勾田直実軍曹。こっちは八神駛良伍長だ。――で、つまらん前置きは抜きにしてさっそく本題に入りたいと思うが、構わないか?」
勾田は、この場では唯一の平民出身の武官――なおかつ魔導師ではない一般人――だったが、まるで気後れした風もなく、むしろ憲兵という立場を笠に着たかのような様子で居丈高に振る舞う。それは慇懃を装った駛良の対としての演技でもあるのだが、普段以上に語気の鋭さが増 しているようにも思える。
自制を促すべく、今度は隣に座る駛良が勾田の脇腹を小突くと、それでふと我に返ったのか、勾田は少しばつが悪そうな顔をした。気を取り直すように、こほん、という咳払いをすると、
「二人は但馬大尉の直属の部下に当たるんだったな。二室戸中尉は、昨夜の時点では副隊長ではなかったか?」
「ええ。しかし但馬大尉があのようなことになりましたので、本日付で暫定的に私が隊長職を代行することになったのですよ。土橋伍長の扱いに関しては、まだ本決まりではないのですが」
「私は気にしていませんよ、二室戸中尉。これもまた得難い経験と受け止めています」
粛々と綸子が言う。まるで教科書から引用してきたかのような模範解答だ。
それにしても、と駛良は眉宇を寄せる。上官が事件を引き起こした末に自決した直後だというのに、二人の態度からはあまり緊迫感のようなものが感じられない。平静を装っているだけなのか、或いは元からそういう個性の持ち主であるのか――。
近衛独立混成旅団は妖怪揃いだという勾田の言葉が、ここに来て実感を伴う。
自然と身を固くする駛良とは対照的に、勾田は見ようによっては横柄でさえある態度を崩さない。まるで自分の部屋で寛いでいるかのようだ。
「ほーう、そいつは災難なのか幸運なのか……。それで、実際のところどうなんだ?」
「と、仰いますと?」
勾田は見る者を威圧する勢いで、眉間に深い皺を刻む。「顔、怖いっすよ」という駛良の小声の突っ込みは華麗に無視された。
「動機だよ、動機。あんたらは立場上、但馬大尉に近しい位置に居たわけだ。なら、今度の事件を引き起こしそうな兆しでも感じ取れたんじゃないのか?」
「さて、それはどうでしょうねぇ?」
二室戸は真意を掴ませないような笑みを深める一方、綸子はあからさまに視線を泳がせている。ひゅーひゅー、と下手くそな口笛まで吹いている始末である。
勾田はじろりと綸子を見やって、
「そっちのお嬢さんは、何か心当たりでも?」
「ひゃい!?」
水を向けられた少女はひっくり返った声を上げたかと思えば、そっぽを向きながら唇を尖らせて、
「心当たり? あ、ありませんよ。ええ、これっぽっちも!」
勾田は訝しげな目をするものの、特に唇が動き出す様子はない。あからさまに動揺する綸子の姿に、かえって掛ける言葉を見つけられないようだ。
かと思いきや、きっ、と勾田を射貫くような鋭い視線を投げかける綸子。
「勾田軍曹。私は〝お嬢さん〟ではなく、土橋綸子伍長です。訂正頂けますか?」
階級を強調するように言う綸子。これはさすがに失言だったようだ、と勾田もすぐに気づいたらしい。「……失礼、土橋伍長」と勾田は軽く首を竦めた。
そのまま、ふん、と青年は鼻を鳴らして、椅子の背もたれに深く背中を預ける。選手交代の合図だ。
勾田に代わって、今度は駛良が身を乗り出す。さて、どう揺さぶったものか。
「話は変わるんですが……普段、お二人は通信隊でどのような任務を?」
同時に勾田の反応も伺うが、駛良を咎めるような色はない。ひとまずこの方針で問題なさそうだ。頭の中に花鶏のそれを思い浮かべながら、駛良は営業用の愛想笑いを形作る。
「自分は上等兵の折に憲兵に転科しましてね……他の兵科の実務については、まだ明るくなくて」
もう三年も前のことだ。本土に復員するなり、当時所属していた歩兵科から憲兵科に転属するよう命令が下された。表向きはかの激戦地を生き延びたことを評価しての栄転という話だったが、実際のところ誰の意向が絡んでいたのやら。
と、二室戸の視線が駛良に固定される。不意に嫌な予感が首をもたげる。
「八神駛良……もしや八神
予感的中。聞きたくない名前が出て来た。駛良は小さく顔を顰めながらも笑みを保つ。
「ええ。俊成は俺の父親ですよ。……尤も、だからといって隊内で優遇を受けているつもりはありませんが」
むしろ父親の所為で歩兵から憲兵へ
駛良が内心で臍を曲げていることが伝わってしまったのか、二室戸がくすくすと小さな笑い声を漏らす。
「おやおや、これは藪蛇だったようですね。失礼しました」
うぉっほん、という勾田のわざとらしい咳払いは、かえって足下を掬われそうになっている駛良を窘めるためのものだろう。む、と駛良は苦虫を噛み潰したような顔になる。
と、綸子の静かな――それでいてどこか抜き身の刀を思わせる鋭い視線が、じっと駛良を射貫いていることに気づいたのは、その時だ。反射的に睨み返すと、綸子ははっとした様子で目を逸らした。ますます駛良は怪訝な表情を浮かべる。
しかし綸子に何事かと尋ねるよりも早く、再び二室戸が口を開いてしまう。
「ええと、我々〝通信兵科〟の業務内容をお尋ねになっていましたね。まぁ言葉の通り、〝通信〟に関する諸々、といったところです」
情報伝達の速さもまた軍隊にとっては重要な戦力の一つなのですよ、と二室戸は言う。
通信魔法を駆使すれば、最前線と大本営でさえ、ものの数分で結ぶことができる。戦地や本土で事態が急変したとしても、それを即座に互いに伝え合うことができるのだ。
また前線に限った話であっても、通信魔法を介した情報網を構築し共有することで、より効率的な作戦行動を実現できる。後方陣地の要員が敵情視察に赴く斥候と視聴覚を共有するなどといった手法は、今となっては定番化しているくらいだ。
実際、戦地では少年兵として斥候の任務に従事していた駛良にも覚えがある。通信魔法を扱える通信兵が中継点を担うことで、兵士と指揮官が迅速に意思疎通できる仕組みが整えられていた。
「おかげで、命がいくつあっても足りないくらい、危険な仕事になってしまっていますけどねぇ。実際、我々もまずは敵の通信兵をどう無力化するかということを考えていますし」
ともあれ、そのように〝通信〟という分野が用兵の中核ともなってきたため、必然的に魔導師による専門職化が推し進められていったそうだ。言われてみれば、確かに魔導師以外の通信兵の数は極端に少ないように思う。
得心がいって頷く駛良の横で、不意に勾田が不敵な笑みを零す気配。
「つまり逆に言えば……通信兵さんたちはあることないこと色々とたくさん知っている、ってわけだよな?」
「もちろん限度はありますよ?機密性の高い情報ともなれば、末端の通信兵を介させず、相応の地位にある通信兵将校が起用されますので」
「だろうな。……つまり但馬大尉もそこそこ物を知れる立場にあったというわけだ」
ここでまた但馬の話に戻ってくるわけか。その流れは駛良自身にも予想できていたが、勾田の狙い所まではまだ解らない。雰囲気的に、何やら隠し球を持っているようではあるが――。
勾田は膝の上に肘を突きながら、手を組み合わせる。次第に三白眼の鋭さが増していく。
「単刀直入に言おう。俺は但馬大尉が〈奇兵隊〉に通じてたんじゃないのかと疑っている」
瞬間、応接室の中に大きな緊張が走った。駛良はむろん、綸子までもが驚きに目を見開き、二室戸もまた笑みを深めながらもその唇を堅く閉ざしている。
勾田の攻勢は続く。いっそ嬉々とした様子さえ感じさせながら謳い上げていく。
「但馬大尉が〈奇兵隊〉の一員なのだとすれば、あの女がてめぇのところの旅団長を襲った理由にも説明が付きそうだろう?ああ、それとも……お前さんたちも〝そっち側〟なのか?」
三白眼は血走り、口の端からは犬歯が覗くという、泣く子も黙る兇悪な形相。
実に、悪役臭い。上官を諫めることは諦めて、人知れず溜息を漏らす駛良なのだった。
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