第1章(2/11)

 六畳間の中に鈴々と甲高い音色が響いている。同時に、歯車がきりきりと回る機械音も。


 朝食を終えた後、自室に引き揚げて仮眠を取っていた駛良だったが、それらの耳障りな音には敵わず、布団を被ったままのっそりと身を起こした。


 作動していたのは、電信機と、それに接続された自働筆記装置。

 誰がわざわざ、と駛良は毒突きながら電信機の着信音を鳴り止ませる。紙の上に万年筆を走らせていた機械が用件を書き終えるのも、ほぼ同時だった。


 電文の内容は極めて簡潔だ。仕事するから出勤しろという、上官からのお達しだった。


「すまじきは宮仕え……」


 聞きようによっては不敬罪で捕らえられかねない台詞を吐きつつ、駛良は手早く身支度を調える。悲しいかな、寝起きと同時に意識を切り替えるすべもまた、戦場で培われたものだった。


 建物の外に出ると、ちょうど玄関前の掃き掃除しているところの花鶏に出くわす。


「あれ?もう出かけるの?」


「ああ。上官に〝来い〟と言われたら〝断る〟とは言えないのが軍隊だからな」


「シロくんにもそんな殊勝な部分があったんだね……。行ってらっしゃい」


「一言余計だ。――行ってくる」


 花鶏が手を振っているのを気配で感じながら、駛良は外套の裾を靡かせる。軍靴の音が透き通った青空へと吸い込まれていく。



〈五稜郭〉は龍敦市の南東――東京湾の沿岸に建造された要塞だ。


 総面積約十二万平方メートルという、世界最大の城郭。

 浦賀水道に進入する艦船は、必ずやその星形の威容を目にすることになるので、他国に対して言わずと国力を誇示することができている。


 その内部は、さながら西洋の城郭都市を思わせる様相だ。要塞機能の制御中枢を担う〈龍敦塔〉を中心に、石造りと木組みの街並みが放射状に広がっている。


 ただし古都平安城のように碁盤めいて整然としてはおらず、むしろ有事の際に敵軍の浸透を遅らせるべく、その通路は魔法陣めいて複雑怪奇に入り組まされている。土地勘のない人間は確実に迷うと専ら評判だ。実際、そういう暗示に掛かるよう呪術的に計算された都市設計になっている。


 物理と呪術の両面から堅牢性を確保させた、古式ゆかしくも斬新な魔導要塞。それが八洲帝国の誇る〈龍敦五稜郭〉なのである。



 龍敦憲兵分隊屯所の前で、一人の男が仁王立ちしている。

 憲兵科の黒衣に身を包んだ若い男だ。年齢は二十代後半といったところ。銀縁眼鏡の奥でぎょろりとした三白眼が周囲を睥睨しており、たまに目が合いそうになる衛兵たちを、意味もなくおののかせている。


 やがて男は、彼と同じ黒衣の少年――駛良の姿を認めて、唇を尖らせる。


「遅いぞ、八神伍長。もうすぐ十時を回ってしまうだろうが」


「無理を言わないで下さいよ。軍曹殿もご存じの通り、六区うちから一区ここに来るまで、普通に歩けば十分は掛かりますから」


〈五稜郭〉は大きく六つの区画に分けられている。


 各種庁舎が集中する城内中央部を第一区と位置づけ、上級将校たちの居住区である北部を第二区に設定し、後は時計回りに数字が割り当てられている。ちなみに駛良のような下士官以下の職員たちの居住区は、北西部第六区――北部第二区に隣接する区画だ。


 ただでさえ広大である上に迷宮めいている城内は、直線距離から換算されるよりも倍近くの移動時間を要する。現役軍人の俊足を以てしても、その差は埋めがたい。


 眼前の軍曹もそれは解っているはずなのだが、いいや、と険しい顔で首を横に振る。


「貴様の場合は根性が足りていないのだ。思う念力岩をも通す――急ぐ気があるならば壁を貫いてでもここに駆けつけているだろう」


「壁を貫いちまってどーすんです」


 駛良の直属の上官――まが直実なおざね憲兵軍曹は、そんな真面目なのか莫迦なのかよく解らない男だった。尤も、平民という身分の出身でありながら、貴族階級にある駛良にも物怖じせず意見してくるところは、個人的に好感を抱いていたりするのだが。


 取り立てて反省するつもりのない駛良に、勾田は何やら諦めた様子で額に手を当てたが、すぐに気を取り直したようで、


「それはさておき……今から旅団司令部に行って聞き込みだ。昨夜の事件の裏を洗うぞ。付いてこい」


「聞き込み?俺らがですか?」


 先んじて歩き出す勾田の背中を追いかけながらも、当然のように湧き出た疑問を呈する駛良。


 勾田の役職は特殊捜査班――分隊内における戦闘専門部隊――の班長であり、駛良はその補佐を務める副班長だ。通常、彼らは緊急性を要さない裏付け捜査などには駆り出されない。


 しかし勾田は駛良を振り返らずに言う。


「捜査権は俺たちにも与えられているし、今はこれといった別命も下されていない。第一、貴様も半ば当事者のようなものだろう。――何か不都合があるか?八神伍長」


 そうまで言われれば、駛良に返す言葉はない。無言を貫くことで了承の意を示す。


「ともあれ、そういうことだ。心しろよ?近衛独立混成旅団は妖怪揃いという噂だからな」


 そこで初めて振り返った勾田は、目を血走らせながら、何やら凄絶な微笑を浮かべていた。


 一体何がそこまで勾田を駆り立てるのか――気にならないはずがなかったが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、駛良は黙したまま首を竦めた。

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