第1章(5/11)

 かぶもの、と呼ばれる類いの様式だろうか。金襴の陣羽織に白地に赤い花びらの舞う銘仙、足下では鈴の付いた高下駄がころころと鳴いている。手に携えている紅白の棒は、どう見ても舟を漕ぐための櫂だ。――そんな、頭が痛くなるほどに華美な装いの男だった。


 ん、と怪訝な目を向けたのは、勾田も同じだった。そして事もなげに言う。


「なんだ、大杉じゃないか」


 当然のようにその名前を口にするので、さすがの駛良も一拍ばかり反応が遅れた。


「おーすぎ?…………ッ!?」


 それは、先刻も話題に出た反体制武装組織〈奇兵隊〉の首魁たる男の名。

 咄嗟に腰の打刀に手を掛ける駛良を、大杉は「応、どうどう」と落ち着かせるように手を上下に振る。もちろん神経を逆撫でされるばかりだったが、勾田に冷静な声音で「無駄だ、八神 伍長」と制されて、ようやく駛良の緊張が解ける。


 しかし警戒は怠らないまま、目線だけで勾田に説明を求める駛良。すると勾田はやれやれといった様子で頭の後ろを掻いた。


「ああ、この男は何というか……俺の友達らしい」


?」


 失敬な、という声は当の大杉から上がった。


「おれとおまえの仲だろう?トモダチだなんて、そんな生っちょろいもんじゃねえよ。即ち、人類皆兄弟、ってな!」


「――とまぁ、見ての通りの男だ。まともに相手をしようと思うだけ無駄だぞ」


「…………」


 理解したくなかったが、理解できてしまい、駛良は返す言葉に窮して口を閉ざした。


 しかし次の瞬間、駛良ははっとさせられる。

 。その異常に、今になってようやく気づく。


 お、と大杉が新しいおもちゃを見つけたような顔で破顔した。


「なかなか良い勘をしているじゃねえか。ええと、八神駛良憲兵伍長だったか?」


「……どうして俺の名前を?」


「んなもん、兄弟の名前くらい覚えてるに決まってるじゃねえか」


 誰が兄弟だ、という突っ込みは喉元で封殺した。先ほど勾田の言った通りだ。いちいち反応していては相手の思う壺だろう。


「まぁ、おれも破壊活動家テロリストだなんて仕事をやってるからにゃ、身の隠し方とか、逃げ足の速さとか、そういうのが重要でよ?つーわけで〝禹歩うほ〟なんてものを会得してみたってわけよ」


「禹歩――外敵の目を欺く隠形の歩法、ですか」

 

 ああ、と頷いたのは勾田だった。腕を組みながら、勾田は苦々しげに吐き捨てる。


「特にそいつの禹歩は格別でな……人の目どころか索敵魔法の網目まで掻い潜ってのける。おかげで〈五稜郭〉の城内にこうしてお尋ね者の闊歩を許してしまっているという始末さ」


「お堅いこと言うなよ、ナオミちゃん。この城だって臣民の血税で作られてるんだぜ? なら納税者であるおれのもんでもあるだろ」


「詭弁を弄するな! あとナオミじゃない、直実ナオザネだ」


 えぇー、と大杉はあからさまに残念そうな表情を浮かべるが、駛良の方を見やると、妙に同情的な様子で独りでに頷き出す。


「おまえも頑固な上司を持って苦労してるんだろうなぁ、シロ助」


「シロ助言うな」


 駛良は打刀の鯉口を切る。今度は勾田も止めなかった。


「悪い、冗談が過ぎた」


 大杉は真顔でそう言って、謝意を示すように、ぱん、と合掌する。


 直後、駛良は背後を振り向き様に抜刀。がきん、という鈍い音。放たれた白刃を食い止めたのは、いつの間にやらそこに移動していた大杉の繰り出した櫂だった。


 うはっ、と大杉は愉快そうに笑う。


すげぇな……猫騙しに引っ掛かるどころか、こっちの動きを完全に読み切っていたのかよ」


「別に大した芸当でもないでしょう?」


 しれっと駛良は言ってのけるが、半分ははったりだ。

 大杉自身の動きを予想していたというより、定石として駛良の視界を攪乱した以上は死角に潜り込んでくるだろうと判断していただけのこと。もっと言えば、思考でなく反射として体が勝手に動いた結果に過ぎない。


 虚勢を悟られないよう努めて平静を装いながら刀を納める駛良の内心を知ってか知らずか、いやはや大したものだとばかりに、大杉はどこか懐かしげな様子で顎をさすっている。なぜ彼 がそのような反応をするのか、駛良には皆目見当も付かないが。


 と、漁夫の利を得たとばかりに、横合いから勾田が口を挟む。


「ちょうど良かった。実は貴様に訊きたいことがあったところだ。――但馬陽という女を知っているか?」


 大杉は一瞬きょとんとした表情になったが、すぐに得心がいったように頷いた。


「……いや、知らねえなぁ」


 言いつつ、大杉は含みのある笑みを浮かべる。

 そうか、と勾田もまた妙にあっさりと引き下がった。駛良は訝しげに勾田を見やるが、勾田はこれで構わないとばかりに首を横に振った。


「じゃ、今度こそおれは行くぜ。後ろから不意打ちしたって無駄だからな」


 そう言って、大杉はぶらぶらと手を振りながら去って行った。本気で襲いかかってみようかとも頭の片隅で考えてみたが、それを躊躇わせるだけの何かが、確かに大杉にはあった。


 大杉の背中が完全に見えなくなったところで、駛良は勾田に尋ねる。


「今更ですけど……拘束しなくて良かったんですか?いちおう俺たちは憲兵ですし」


「見ての通りの男だからな。無理に捕まえようとしたところで、あっさり逃げられてしまうのがオチだろうさ」


 苦虫を噛み潰したような面持ちで勾田は溜息を漏らした。

 では、と駛良は声の調子を変えないままに続ける。


「但馬大尉との関係性を問い質さなかったのも、やはり同じ理由で?」


「…………まぁ、そんなところだな」


 勾田が一瞬だけ言葉に詰まったのは、やはり何か隠された意図があったためか。

 上官の後に付き従って歩きながら、駛良は値踏みする目でその背中を見つめる。


 率直な話、どうにもらしくない、というのが駛良の感想だ。


 勾田が仕事熱心であるのは今に始まったことではない。が、今度の暗殺未遂事件に対しては、何やら普段よりも感情的になっている節がある。


「…………」


 この一件について気に掛かることがあるのは、駛良も同じだ。勾田の言葉を借りるわけではないが、確かに駛良自身〝当事者〟なのかもしれない。


  ――「後のことはお願いしますね」


 昨夜、但馬が自決する直前に、駛良に向けて遺した言葉だ。その真意を尋ねる間さえなく、但馬は手の届かないところへ逃げ延びてしまったが。


 儘ならない現実に対する苛立ちから、ちっ、と小さく舌打ちする駛良。

 まずは気分を落ち着かせようと、懐からたくあん味の棒付き飴玉を取り出して、口に咥える。


 舌の上で転がしていると、程なくして程良い甘味と塩味が溶け出してくる。

 たくあん味の飴が珍味の類いであることは、駛良自身認めるにやぶさかでない。しかし、だからといって不味いということはない――はずだ。他人に勧めると、皆一様に固辞してくるのだが。――昨夜の但馬もまた、そうであったように。


「……但馬、陽」


 飴玉を咥えたまま、口の中で独り言ちる。但馬の言った〝後のこと〟とは、一体何なのか。

 死に瀕しての妄言の類いではなかったように思う。あの時の但馬の瞳には、確かに駛良に対する深い信頼の念があった。


 だからこそ――その事実は、一人で抱えるには重過ぎる。


 勾田軍曹、という声は自然に漏れていた。振り返る勾田に、駛良は静かな声で言葉を紡ぎ出す。


「昨夜、俺が但馬大尉を追い詰めた時のことなんですが――」


 そうして有りの儘の事実を打ち明ける。不可解過ぎて報告書には書けなかった、あの事件の隠された事実を。勾田ならば、何かその意図を読み解けるのではないかと期待して。


 果たして、効果は覿面だった。


「なぜそれを早く言わんッ!?」


「いや、こっちだって混乱していたんですってば」


 がおうと掴み掛かってくる勾田を、かろうじて押し退ける駛良。よもやここまで激しく食いつかれることになるとは思わなかった。


 と、今度は駛良を突き放して、独りでに黙考の世界へと沈み込んでいく勾田。

 むぅ、と駛良が唇を尖らせながら、着衣の乱れを整えていると、


「八神伍長。俺は行くところができた。後のことは頼んだぞ」


 どこかで聞いたような台詞を言い置いて、勾田はそのまま立ち去ってしまった。駛良の返事さえ待つことのない早業だった。


「……一体何なんだ」


 むろん、答えられる者などいなかった。

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