銀色の猫とホストと深夜の散歩
藤泉都理
銀色の猫とホストと深夜の散歩
一か月に一回通うホストクラブからの帰り道。
溜め込んだ愚痴をいっぱい吐き捨てて、ちやほやされて、お金を払って、明日は一日だらだら過ごすと決めて、ふと見上げた深夜の空。
月も星もない真っ暗闇に包まれていたが、不思議と恐怖を感じなかったのは、早く帰ろうと思わなかったのは、いい具合に酔えたからか。
散歩しようと、違う道を進んだ。
「あー。にゃんこちゃんだあー」
住宅街が並ぶ道ではなく草原の道を進んで見つけたのは、ほのかな銀色の光を纏う猫だった。
酔っている割にそこそこ自制心はあったらしい。
小さな声で言うと、そろりそろりと近づいて、ちょこんと隣に腰を下ろした。
銀色の猫は気にせず空を見上げたままだった。
「何が見えているんですかねえ」
これは逃げないなと確信して、そろりそろりと身体を動かし、両の手を枕にして草原の上に仰向けになる。
火照った身体には心地よい冷たさと、寝るにはちょうどいいやわらかさだった。
このまま眠れたら最高だよなあ。
でも眠ったら確実に風邪を引くよなあ。
ああでもまあ風邪くらい。
いいかあと、何度か開閉させていた瞼を完全に閉ざそうとした時だった。
ぺしり。
細長く、やわらかく、背筋が凍りつくような冷たいものが頬をふわっと打った。
一度、二度と。
渋々瞼を持ち上げて、顔を横に動かして、銀色の猫を見た。
銀色の猫はこちらを見ないまま、細長く毛が短い尻尾でたしたしと草原を打っていた。
たしたし、たしたしと。
ああいい子守唄だ。
瞼は呆気なく落ちた。
また頬をふわっと打たれた。
「もう。眠らせたいのか起こしたいのかどっちなのよ」
目を瞑ったまま抗議すれば、今度は頬に足を押し付けられた。
肉球がぷにぷにしていた。
ああこれは眠っていいってことですねと解釈した途端、シャアと威嚇音を出されて、渋々瞼を持ち上げる。と。
「えええええええ」
愚痴を発散させてもらっていたホストが短剣を眉間に突き刺すように構えていたのだ。
「えええええええ」
「賞金首のくせに隙だらけですね」
「そりゃあ生物だもの。隙くらいあるって」
「状況わかっています?おねえさん。命の危機に晒されているんですよ」
「まあねえ。でもまあ。永遠の眠りも今はすごい魅力的だからいいかなーって思っちゃったり?」
「殺されてもいいって?」
「見て見ぬ振りが信条。の町のホストがわざわざ追ってくるくらいだから、私にすんごい殺意があるってことでしょ。遊び半分で殺されるよりはねー。まだいいかなーって。お兄さん。すごくかわいいし。すごく凛々しいねこちゃんもいるわけだし」
おもむろに腕を上げて、ホストの頬にそっと手を触れて、うっそりと微笑んでは、妖しげな色香が仄めかせた。
「ってことでいいよ」
「って言っておいて、どうせ逃げられるし僕を殺せるんでしょ」
胡乱気な目を向けるホストに、コロコロと鈴の音のような笑いを返す。
「あらあら。かわいい顔が台無しですよー」
「はあ。もういいですよ」
ホストは短剣を収めると、銀色の猫の隣に座った。
「そもそもこいつを迎えに来ただけですし」
「へえ。あなたの相棒だったんだ」
「はい。あちらこちらと出歩くので探すのが大変なんですよ」
「相棒なのに」
「お互いに発信機をつけていないのでわからないんですよ」
「へえ。そっか。でもいいね。相棒。私は近づくと逃げられてばっかりだからなー」
「僕の相棒を誘惑しようとした?」
「どちらかって言うと、誘惑されたんだけど。そっか。相棒がいたんだ。残念」
「眠ったら風邪を引きますよ」
「わかってるんだけどねー。あんまり心地よくて起き上がる気になれないのよねー」
「僕の家に来ますか?」
「それは遠慮するわ」
「残念。あんなに楽しい夜を過ごしたのに」
「一か月に一回、短時間だけでいいのよ。それで満足しているから。でないと、絞り尽くされそうだし」
「さあ?どうですかね。僕の方が絞り尽くされていたんじゃないですか?」
「さあねえ」
おもむろに上半身を起こして、うんと背伸びをして、すべてを吸い込みそうな真っ暗闇を長く見つめて、よっこらせと立ち上がって背面の土埃を払い、ホストと銀色の猫に向かい合った。
「いい夜だった。ありがとね」
「いいえ。またのご来店をお待ちしていますよ」
「ええ。ねこちゃんもまた会えたら会おうね」
ひらひらと手を振って、ゆっくりゆっくりと歩き立ち去って行った。
花から生まれる猫が人間の相棒と定められて数百年が経っていた。
赤ん坊の時に契約を交わして、猫は人間を守り、人間は猫を守った。
言葉は通じなくても。
けれど、まれに契約を交わせない人間もいた。
通常赤ん坊の時に相棒となる猫が姿を見せて契約を交わすのだが、赤ん坊の時にできなかった者は十五歳まで猶予時間を与えられる。
それでも契約を交わせなかった場合、賞金首として警察から追われることとなる。
通常、警察に捕まった賞金首は警察の猫と強制的に契約を交わされて、生きている間ずっと警察の監視下に置かれる。
彼女はそれを拒んでずっと逃げ続けていた。
噂では、警察を何人も殺しているのだとか。
噂では。
「彼女。薬剤師なんだって。ほら。僕も買ったんだ。ほろ酔い気分を感じられる薬。いや~お酒を飲んでも飲んでも酔えないからちょっと寂しかったんだよね~。ほら。君は一滴で酔っちゃうし」
ホストは銀色の猫の額を親指の腹で優しく触れると、帰ろうかと腰を上げた。
ちょっとだけ散歩をしようかと言って。
まだもう少しだけ続く深夜の中を。
目的地は決まっていた。
(2023.3.9)
銀色の猫とホストと深夜の散歩 藤泉都理 @fujitori
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