首吊り幽霊の霊子さんは成仏できない

ノンギーる

第1話

 ロクなことがない人生で運命というものを信じたことはなかったが、本当にのだと確信させられた。

 でなければ普段しないような夜の散歩で、彼女を見つけるなんて奇跡は起こらなかっただろうから。


「好きですっ!! 僕と結婚を前提に付き合ってくれませんか!!」


  スマートフォンのライトに照らされた半透明の女性、荒縄で首を吊り宙に浮かぶ足のない幽霊を見た瞬間。喉を震わせて口から飛び出たのは悲鳴ではなくプロポーズだった。


 ぎぃ

                             ぎぃ


 静寂に包まれた神社の境内、齢数百年を超える大樹の傍らで彼女が振り子のように揺れる。

 見失うまいとサイリウムのようにスマホを振って追いかけていると、推しを応援するオタクの気持ちが少しだけ分かったような気がした。


「見間違い じゃあ ないかぁ。死んでから、永い時を過ごしてきたけれど……君のような、阿呆と出会うのは久しぶりだよ」


 スッ、と何もなかったかのように一瞬で制止した彼女が、光のない瞳でこちらをじっと見つめてくる。

 どこかのだれかを思い返してか、笑っているのか泣いているのかどちらとも言えない表情を浮かべた彼女は、今にも夜闇に溶けて消えてしまいそうに感ぜられた。


 思わず一歩、無意識に距離を詰めようと踏み込んで。


「……悪いが既に、心に決めた人がいるのでね。君の想いには、応えられないけれど……その、なんだ…………わたしでよければ、話相手、くらいには、なってあげようじゃないか」


 僕の初恋が、呆気なく散ってしまった。

 

 これがと地縛霊の霊子さんとの初めての出会いで、夜のデートの始まりとなった。




 僕は知らなかったが、彼女はそこそこ有名人だったらしい。

 

 遥か昔に寺院の境内にある木で首吊り自殺して以来、そこで成仏することなく死に続けている女性。夜遅くに通りかかると出会えると言われており、出会ったところで大して危険でもないので手頃な心霊体験として隠れた人気があるとか。


「…………名前は忘れたけど、あだ名はあるよ。幽霊の女の子だから霊子。人呼んで首吊り幽霊の霊子さん、ってね。わざわざ会いに来てくれるふぁんって奴も結構いるものさ」


 と、おちゃらけた様子で当の本人が教えてくれた。

「君も霊子さんと呼べばいい」と言われたので早速「わかりました、霊子」と言うと、さんを忘れちゃ困ると返された。

 心に引っかかる棘を飲み込んで、「では暫く呼び捨ては封印しますね」と僕も返答する。

 

 ぎぃ、と木が軋む音が聞こえた気がした。


 名前を聞いた時から、彼女の体は僅かに揺れている。

 まだ出会ってそれほど経ってないが、彼女について分かったことが一つある。霊子さんの動揺は、彼女と木を繋ぐ荒縄によく伝わるようだ。


 


 霊子さんと出会って以来、夜になれば彼女とデートするのが僕の日課となっていた。

 

 とはいえ僕も社会人の身、平日は仕事があるため僅かな時間しか遊べない。ならば貴重な休日で平日の分もいちゃつこうとしても、考えることは皆一緒なのかよく邪魔が入る。


 僕と同じく霊子さんに会いに来た年若い学生達やカップル、オカルト好きのオタクやホラー系のユーチューバーたち。

 僕より先に居たり後から来たりする、彼ら彼女らの目を気にせず霊子さんと語らうのは流石の僕でも憚られた。


 では霊子さんを交えて一緒に話そうと誘ってみれば、大多数の人には断られ足早に逃げられてしまう。その後の不審者情報に僕らしき人物が載るオマケ付きで、近頃は警察官に職務質問される回数が増えてしまった。

 僕はどうやら頭のおかしい男扱いされているようで、自覚はないが傍から見るとそうとう危なっかしいとか。


 心外な話である。

 僕は至って正常で、人に危害を加えるような人間ではない。


 真夜中だろうと好きな人に会いに行くのだから服装には気を使っているし、持っている物だってスマホや財布の他には彼女が喜ぶ古典の文学や詩歌の本だけで、変な物や危険物は一つも持ってない。

 

 強いて言えば首吊り幽霊の霊子さんとの逢瀬を楽しんでいるだけだというのに、それだけで危険人物扱いされたらたまったものではない。


「いやいや、君は鏡を見ないのかい? 幽霊の私から見ても今の君は酷い有様だ、私よりも医者の元へ通うのをお勧めするよ」


 霊子さんも職場の同僚のような事を言う。

 デートの時間を捻出するため睡眠時間を削ったおかげで依然と比べればスリムになったが、僕は心身ともに健康だ。

 家族や友人が熱心に勧めてくるが、医者にも霊能力者の元にも通う必要はない。


「……前にも言ったが、君が死んでもわたしは受け入れない。君がわたしとの関係を持ち続けたいのなら、少しでも長生きできるよう努力するべきだよ」


 ぎっ ぎっ ぎっ ぎっ


 霊子さんが怒っている。これは僕が「ここで首を吊れば霊子さんと一緒に暮らせるかな」と聞いた時以来だ。あの時は強めに説教され、数日は口をきいてくれなかった。


 彼女は僕に生きて欲しいのだろう。僕は君の側に居られるなら死んでもいいのに。

 彼女は僕と距離を置きたがっている。別れ際にはいつも寂しそうな表情をするくせに。

 彼女は成仏できなくていいと言う。あんなにも荒縄から抜け出そうとしているのに。


 霊子さんは嘘つきだ。下手な嘘で彼女と僕との間に一線を敷いている。

 そして彼女との関係が終ることを恐れて、その嘘を見過ごしている僕は卑怯者だった。










………………

…………

……



 わたしはずっと間違え続けているのだろう。死んだの後を追って首を吊ったあの日から。


 迷わず逝けばよかった。極楽浄土へ向かえばよかったのだ。

 彼にもう一度会いたいなどと願って、この世にしがみつく必要なんて何一つなかったというのに。


 なぜ地縛霊なぞになってしまったのだろうか。

 あの世ですら彼に再開することが出来ず、この狂おしいほどの想いを失って生まれ変わることが、そんなに恐ろしかったというのか。


 悠久の年月の流れで削れていく程度の気持ちだったのに。

 けれどそれで良かったのだ。このまま幽霊として現世に在り続けるくらいなら、いっそ全て失って消えてしまえばいい。


 私はそれで良かったのだ。なのに、なぜ、どうして、、、君は、生まれ変わってもわたしなんぞに会いに来てしまったのかね。


 姿かたちも雰囲気も、何一つ同じところなんてない。

 なのには変わっていなかった。わたしが愛したままで、幽霊のわたしにかってのように愛を囁いてくる。


 嬉しかった/悔しかった。心地よかった/気持ち悪かった。愛している/恨んでいる

。待っていた/来ないで欲しかった。もっと側にいて/はやく離れて。信じてよかった/叶わない方がよかった。


 死んで地縛霊となったわたしは/転生した《君》は——間違っていた/正しかった。


 転生が本当にあったのなら、こころが想いが消えはしないのなら、わたしたちの出会いは——最高の祝福/最悪の罰だった。


 

 わたしは今度こそ、間違ってはいけない。

 最後にに一目会いたいという願いが叶った今、未練が消えた私は地縛霊という縛りから逃れつつある。


 このままいけば、今度こそ成仏できる悪霊になってしまう


 もう成仏しよう/まだ消えたくない。はわたしのことを、忘れて/離さないで、日のあたる生者のいる世界で生きるべきだ/こちら側死者の世界で一緒に暮らそう。


 相反する想いに囚われて、底なし沼に沈んでいく私だけれども。

 が手を差し出してくれるなら、この手を取ってくれるなら。


 その手に救われてきっと成仏できるから/その手を引っ張りこんで■■■■■■――


 それまでは、もう少しだけ、わたしは成仏できない。

 


 

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