心病んでも

増田朋美

心病んでも

暖かく日が出ていて、のんびりした日であった。杉ちゃんたちは、いつもどおり製鉄所でのんびりと着物を縫ったり水穂さんの世話をしていたのであった。製鉄所と言っても、鉄を作るような場所ではなく、居場所のない人たちに、勉強や仕事をする場所を貸している、いわばワケアリの人のための、コワーキングスペースと言った福祉施設である。製鉄所という名前は、単なる施設名で、その産業ではない。

杉ちゃんが、着物を縫っていると、製鉄所の利用者が、電話の受話器を持って、杉ちゃんのいる縁側にやってきた。

「杉ちゃん蘭さんから電話。」

「あいよ。」

杉ちゃんは受話器を受け取って、電話に出た。

「もしもし、蘭。一体どうしたの?」

「杉ちゃん、大した用では無いのかもしれないが、ちょっと帰ってきてくれないかな。なんでも、輝彦が、痙攣を起こしてしまっていて、それで鳴き方が普通じゃないんだよ。」

どうも変な内容の電話だった。フェレットが鳴き方が普通では無いなんてどういうことだろう?

「鳴き方が普通じゃないって、変な物食べさせたりしなかった?」

「そんな事してないよ。ただ、テレビを付けたら、いきなり痙攣してキュウキュウ鳴きだして。もしかしたら、破傷風にでもなったのかな。とにかくさ、杉ちゃん、早く帰ってきてよ。」

「ウン、わかった。わかったよ。」

蘭に言われて杉ちゃんはそういったのであるが、なにか変な内容の電話だと思った。杉ちゃんは、急いで、帰り支度をして、水穂さんにタクシーを一台呼んでもらい、急いで自宅へ帰った。

その翌日。杉ちゃんはいつもどおりに朝の時間に製鉄所に行った。その時は、正輔と輝彦と、二匹のフェレットたちを、キャリーバックの中に入れて、一緒に連れてきた。

「おはようございます。」

杉ちゃんがいつもどおり、製鉄所を管理しているジョチさんにいうと、彼の膝の上に乗った二匹のフェレットも、ちーちーと声をあげて、ジョチさんに挨拶した。

「ああおはようございます。杉ちゃん昨日水穂さんから聞きました。なんでもフェレットくんが体調を崩されたとか。大丈夫なんですか?」

ジョチさんに言われて、杉ちゃんはぶっきらぼうに、

「はい。昨日横山動物病院に行ったけど、軽い癲癇だが、それは心配いらないって。一応、薬は飲ませたけど、心配だったので連れてきた。」

と答えた。ちなみに二匹のフェレット、つまり正輔と輝彦であるが、どちらも、足が不自由で歩けないので、目を離したすきに逃げてしまったとか、家具や家電の隙間にはいってしまうとか、フェレット特有の問題は一切起こさなかった。人間で歩けない人を障害者というが、フェレットで歩けないとなれば、障害フェレット、と呼ぶべきだと思う。

「そうですか。障害を持つのは人間だけでは無いですものね。餌なんかはどうするんでしょうね?」

ジョチさんがそうきくと、

「大丈夫、一応、ジャーキーも持ってきたよ。でも、人間なみになんでも食べるよ。」

杉ちゃんはさらりと答えた。とりあえず、杉ちゃん本人は、水穂さんの世話をしなければならないので、二匹のフェレットたちは、縁側で遊ばせて置くことにした。基本的に歩けないフェレットなので、逃げてしまう心配はないのであるが、同時に二匹は不活発で寝てばかりいるという感じだった。二匹は、その場から動くことはせず、そのままそこで眠ってしまうかなと思われていたが、

「わあかわいいフェレットちゃん。」

と、製鉄所の利用者が二匹の頭を撫でたり、背中を撫でたりした。隣で着物を縫う作業をしていた杉ちゃんが、

「おう、白いのが正輔で、茶色いのは輝彦ね。」

と説明すると、

「そうなのねえ。どこのファーム?」

なんて、利用者は種類を聞いてきた。

「おう、確かね、横山動物病院で調べてもらったときは、正輔がチェコアンゴラで、輝彦が、ルビーじゃなかったかな。どちらも捨てフェレだ。公園で拾ってきた。」

杉ちゃんはにこやかに笑ってそう答えるのだった。

「へえ、どちらも、希少な種類じゃない。なんか、飼いにくい種類だとネットでは書いてあったけど、そんな事無いの?」

別の利用者がそう言うと、

「まあ、そうかも知れないけどね。でも、歩けないから、ずっと仲良く暮らしているよ。犬は飼い主に似るって言うけどさ。フェレットも飼い主に似るのかな。僕も、ご覧の通り歩けないからさ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「そうかも知れないけど、なんか痛々しいわねえ。二匹とも、後ろ足が不自由で歩けないなんて。」

最初に離した利用者が、そういった。一般の人に言わせれば、そう見えてしまうのだろう。杉ちゃんはそれはあえて答えないことにした。

「それにしても、今日は、暑いわねえ。春本番になったと言うけど、ちょっと暑いくらいだわ。エアコンでもつけようかな。」

と、暑がりの利用者がそう言って、リモコンを手に取った。確かに製鉄所は日がよく当たる場所なので、多少暑いなと思ってしまうことがある。ましてや、古き良き時代からある、日本古来の家屋であるから、ちょっと暖かくなると、暑く感じてしまうのであった。

「ちょっとオーバーなんじゃないか?こんな時期からエアコンをかけるなんて。」

杉ちゃんがそう言うと、

「だけど、バスの中では、エアコンかかってたわよ。もう、日本の春夏は暑いから、エアコンつけてもいいんじゃないの?」

そう言って、利用者はエアコンのスイッチを入れた。それと同時に、エアコンがリモコンに反応して、ピッと大きな音を立ててなった。

それと同時に、輝彦くんがキューン!と声をあげて、前足後ろ足を痙攣させた。

「どうしたんだよ!」

と、杉ちゃんが言うと、

「ちーちー。」

と、兄である正輔くんが、なにかいいたそうであるのだが、人間にはちーちーとしか聞こえない。

「やだ、私、なにか悪いことでもしたのかしら?」

利用者は急いでエアコンを止めた。その時も、エアコンが、ピッと大きな音を立ててなった。それと同時に、輝彦くんは、更に大きな声で、

「キューン!」

と、叫ぶように言って、更に前足後ろ足を痙攣させた。

「本当に破傷風にかかったのだろうか?」

杉ちゃんがつぶやくと、水穂さんが、布団からおきてきて、縁側にやってきて、輝彦くんをそっと持ち上げ、赤ちゃんを抱っこするみたいに抱き上げた。まだ、キューン、キューンと泣いている輝彦くんを、水穂さんはそっと撫でてやって、はいはい、となだめてやった。

「びっくりしたねえ。ごめんね。」

そう優しく声掛けまでしている。水穂さんが撫でてやると、輝彦くんの痙攣も治まってきて、声を立てることもなくなってくれた。数分後には、いつもどおりの静かなフェレットに戻ってくれた。水穂さんは、そうなっても、腕から下ろすことはなく、そのまま抱いているのだった。

「一体どうしたんですか。破傷風なんていうから、今どきそんなものにかかる人がいるのか、びっくりしてしまいました。今は破傷風も、化学療法で治る時代ですからね。」

と言いながらジョチさんが、縁側へやってくると、

「ちーちー。」

とまた、正輔くんが状況を説明しようとしているが、杉ちゃんが代わりに、

「いやあ、こいつがな、癲癇が出たのかな、急に痙攣起こしちゃって、水穂さんになだめてもらっただよ。」

と、杉ちゃんは言った。水穂さんの腕に抱っこされて眠っているのは、フェレットの輝彦くんである。

「多分、エアコンの音に怯えたのでしょう。もしかしたら、なにか怖い目にあった経験がある子かもしれません。エアコンを点けたのが引き金になって、なにかがフラッシュバックしてしまったのかもしれないです。」

水穂さんが、輝彦くんを抱っこしたまま、そういった。

「昨日もそうなっちまったと蘭が言っていたが、その時はテレビを点けたんだって。テレビのスイッチを入れたら、痙攣したんだって。」

杉ちゃんがそう付け加えると、

「そうですか。テレビやエアコンをつけてしまうのが引き金になって、怖い目にあったときのことを思い出して、痙攣するんですか。それではまるで、人間並みですね。人間と対して変わらないじゃないですか。」

とジョチさんは正直に感想を言った。

「いえ、人間も、動物だと言うことですよ。」

水穂さんが、そういった。確かにそうだなと、利用者たちも頷きあった。

「そうですね、それはそうかも知れません。ですが、水穂さん、あなたも、いつまでもフェレットくんを抱いたままでは疲れてしまうことでしょうから、あまり長時間立ったままでいないでくださいよ。」

ジョチさんはしたり顔で言った。

「まあいずれにしても、横山動物病院で聞いてみるかな。軽い癲癇とは言われてるんだけど、どうもそれだけじゃなさそうな気がするよ。人間も動物も心があるのは、当たり前だからね。それは、ちゃんと世話をしてあげないといけないよな。水穂さんありがとう。」

杉ちゃんは水穂さんから輝彦くんを受け取ろうとするが、

「大丈夫です。しばらく抱いていてあげたほうが、輝彦くんだって気が楽でしょう。」

と、水穂さんは言った。

「そうですね。水穂さんは、人だけではなくて、フェレットにまで優しいんですか。それはある意味では天才と言えるかもしれませんね。」

ジョチさんは、なんだか笑いたいのか笑いたくないとか、よくわからない表情で、水穂さんに言った。水穂さんが、体を揺らしながら、輝彦くんを抱っこしてあげているのをみんな不思議そうな目で眺めていた。多分、ジョチさんのセリフと同じことを考えているひともいれば、フェレットが、癲癇を起こすなんてと、驚いている人もいるのかもしれなかった。正輔くんも、心配そうな顔をして、輝彦くんを見ている。

輝彦くんが、静かに眠りだすと、水穂さんは、正輔くんの隣に、輝彦くんを静かにおいてあげた。そのおき方も、決して乱暴ではなくて、優しくて穏やかだった。

「水穂さんが一緒にいてくれて良かったな。人間もフェレットも結局動物なんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、周りの人達も、そういうことねえと言い合っていた。

その次の日も、杉ちゃんは輝彦くんと正輔くんを連れて、製鉄所に来訪した。誰かに預けるのは、気が引けるのでと杉ちゃんは言っていた。本当は、杉ちゃんも輝彦くんのことが心配なのだった。その日は、宅急便が、お昼前に荷物を届けてきた。内容は、以前製鉄所の食堂のおばちゃんとして働いていた恵子さんが、りんごを送ってきたのだった。定期的にりんごをたくさん送ってきてくれるのが、恒例であった。どのりんごも、不格好なところはなくて、きちんと磨かれている、きれいなりんごだった。ちょうどお昼時だったこともあり、杉ちゃんのカレーと一緒に、利用者二人も含めて、りんごを食べることにした。恵子さんが、結婚のため、製鉄所の食堂のおばちゃんをやめてからは、杉ちゃんが、利用者の昼ごはんを作ることになっている。たまに、自分で買ってきたものを食べたいという利用者もいるが、大体は、杉ちゃんのカレーのにおいに負けてしまう。それほど杉ちゃんのカレーは、美味しかった。

「じゃあ食べるか。いただきまあす。」

杉ちゃんと二人の利用者は、美味しそうにカレーを食べはじめた。一方四畳半では、利用者の一人が、持ってきたカレーとりんごのお皿が水穂さんの枕元においてあった。でも、水穂さんはその日も食べる気にならなかったらしく、また咳をしていた。

「ちーちー。」

縁側にいた輝彦くんが、声をあげた。水穂さんはそれに気がついて、輝彦くんのいる方を向いた。

「ほしいの?」

と水穂さんが聞くと、

「ちー。」

輝彦くんは肯定するように言った。水穂さんがどうぞと言って、彼の前に、りんごを一切れおいてやると、輝彦くんは美味しそうに食べた。水穂さんは、正輔くんにもりんごを置いてあげた。

「美味しい?」

優しくそうきくが、答えは返って来なかった。二匹とも、りんごを食べるのに、夢中になっていたのである。

「そうか。それなら良かった。」

水穂さんは、そう言って、布団に戻ろうとしたが、それと同時に激しく咳き込んでしまった。咳き込むと同時に、内容物も出た。魚の生臭さに似た、赤い液体であった。

食事をし終わった杉ちゃんたちは、

「水穂さんがちゃんと食べているか見に行ってきてくれ。」

「はい。あたしが行ってくる。」

利用者の一人が、杉ちゃんに応えて、水穂さんのいる四畳半に行った。

「水穂さん食事はできましたか?」

利用者がそう言いながら四畳半に入ると、水穂さんは、布団近くに倒れたまま咳き込んでいた。それと同時に、正輔くんと輝彦くんという、二匹の障害フェレットたちが、口元についた赤い液体を、一生懸命舐めていた。もしかしたら、正輔くんたちのほうが、赤くなってしまうかもしれなかった。

その後でやってきた杉ちゃんとジョチさんの助けもあって、水穂さんは、薬を飲ませてもらって、内容物も、背中を撫でてもらって吐き出すことに成功し、静かに眠り始めた。ジョチさんが、急いで口元を濡れた手ぬぐいで拭いてやって、水穂さんをそっと持ち上げて、布団に寝かせて、掛ふとんをかけてくれた。二匹のフェレットたちは、水穂さんが布団で寝てくれるまで、心配そうな顔をして、水穂さんのことをずっと見ていた。

「ありがとうございます。フェレットさん。」

ジョチさんが、フェレット二匹を撫でてなでてあげると、輝彦くんも正輔くんもちーちーとフェレットの言葉でなにか言った。今度は通じなくても、話が通じたような気がした。

「全く、ある意味では人間以上に感じているかもしれないぞ。」

杉ちゃんが苦笑いすると、

「そうですねえ。」

とジョチさんは言った。

その翌日、杉ちゃんは、正輔くんと輝彦くんを連れて、横山動物病院に行った。獣医師の横山エラさんは、杉ちゃんの相談をちゃんと聞いてくれた。輝彦くんが、エアコンの音や、テレビの音を極端に怖がって、痙攣を起こしたときのことを、人間の病院以上に話を聞いているのがエラさんのすごいところでもあった。そして、エラさんは、輝彦くんを、採血したり、聴診器でしっかり診察した。

「そうねえ。体は別に大した異常はないわ。もちろん歩けないというところは大目に見てあげてね。それは、もうどうにもならないからね。」

エラさんは、カルテに書き込みながら、そういった。

「と、いうことはつまりどういうことかな。なにか体に異常があるとか、そういうことでは無いわけ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、数値的に見れば、何処にも異常は無いわよ。今フェレットで流行りのインスリノーマでもないし、ウイルス感染でもないわ。」

とエラさんは、ハキハキと答える。

「ということはつまりどういうことなの?昨日、エアコンの音を見て痙攣したのは、体に異常があったわけじゃないの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。異常は無いわよ。だから、正確に言ったら、精神的なものかな。そう言うと、人間と対して変わらないと思われるかもしれないけど、私が以前診察した、虐待されてたワンちゃんを見たときに、同じような症状があったわ。」

と、エラさんは医者らしく言った。

「そうなんだね。それでは僕達は、どうすればいいわけ?」

そうやってすぐ聞いてしまうことができるのも杉ちゃんである。なかなか普通の人では、その時のショックで、人にすぐどうしろとか聞くことはできないだろう。

「まあ、精神的なものであれば、そういうことなんだと思うけどさ。とりあえず事実は事実なんだ。人間にできることは事実に対してどうするのか考えることだろう。それで、こいつに対して、僕達はどうしたらいいの?それを教えてくれないかな?」

杉ちゃんのように、あっさり考えられればいいのだが、最近の人は、そう言われたときのショックに弱い人が多く、ひどい例ではその時にパニックしてしまう人も珍しくない。

「そうね。まずはじめに、生活音に弱いので、何も音を立てないほうが良いと言うのはやめたほうが良いわね。まあ、生活していきながら、少しづつなれさせて行くしか無いんじゃないかしら。本当に難しいと思うけど、この子達も生きていかなくちゃならないんだし、杉ちゃんたちだって生活していかなくちゃ困るでしょ。」

エラさんは、そういうところは立派だった。彼女は、決して安楽死させようとか、そういう事は言わなかった。最近は、動物が障害とか、病気とか持っていると、安楽死させてしまおうという獣医もいる。人間は、そういう事は絶対に言っては行けないのに、動物には平気でそう言ってしまうから不思議なものだ。それは、ある意味では、人間が動物を差別しているのかもしれない。

「わかったよ。コイツラは大事な家族だし、しっかり可愛がって育ててやるさ。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。それをすぐに分かったよと言えるのも、杉ちゃんだった。

正輔くんと、輝彦くんは、人間がそんな会話をしていると果たしてわかっているのだろうか、それともわかっていないのか不詳だが、診察台の上で、緊張した顔をしている。

「まあ、いずれにしても、障害者ではなくて、障害フェレットだな。どんな動物にも、そういうやつはいるさ。きっと表には出ないけど、どっかで生きていく智慧を見つけて、生活していることだろうよ。人間だって、体は異常が無いのに、障害者であることもあるし、それは、もうしょうがないことだから。可愛がって、育ててやるよ。ありがとう。」

杉ちゃんは、エラさんに言った。そして、エラさんにお金を払って薬をもらい、二匹のフレットたちを順番にキャリーケースに入れて、

「じゃあまたな。」

と、横山動物病院を出た。

「はい。いつでも来てくださいね。」

エラさんはそう言って、杉ちゃんを見送った。

今日も春らしく暖かい日であった。かわいいフェレットたちも、春が来て嬉しいと思ってくれているのだろうか。それとも、もう疲れてしまったといいたいのだろうか。フェレット二匹は自分では何もできない。動物を飼うにしても生きていくにはそれを思っていかないとだめなときもあるのであった。







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心病んでも 増田朋美 @masubuchi4996

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