第20話 拳は空を切り、友は暴走
「せいっ……! はぁ───っ!!」
「うん、おっけー、その調子。もっとガンガン撃ってきていいよ」
「こんの……てぇ!!!」
空を切る。いくら本気で打ち込んでも、いくら狙いを定めても、フレア先生の体には一切当たらない。
身体の中心を狙ったとしても、竹刀を使って軸をズラされてやっぱり空を切る。
拳速を上げても、拳数を上げても、変わらない。
捉えたと思ったときの、手首に竹刀を添えられて狙いをズラされた感覚だけがポトリポトリと心の奥に溜まっていく。
攻めっ気のある派閥どころか、こっちが攻めっ気にさせられてしまっている。
こっちの息は上がってるのに、先生は目を細めてただひたすら私の攻撃をかわしてばっかり。攻めることは一切せずに、ただ私のことを観察しているようにも思えてしまう。
それだというのに、竹刀の剣先はきっちりとこっちを向いているから恐怖でしかない。
そして、その恐怖に駆られて放った渾身の一撃もまた、華麗に捌かれてしまう。
「いやぁ、今のは、結構危なかった。やっぱり成績最優秀者だ。いい突きをしてたよ」
「は、はは……ありがとうございます……」
とても褒められている気はしなかった。むしろ、この実力で成績最優秀者と言われてしまうのがとても、恥ずかしく思えてきた。
それほどまでに、手も足も出なかった。
けれど、決して悪い経験をしたとは思っていない。
むしろ、いい経験をしたとすら思っている。
それこそ、笑ってしまうくらいに。
「リノ、大丈夫?」
不審に笑みを浮かべる私を心配に思ったのか、エールが駆け寄ってくる。
友達思いの彼女の手のひらが、肩に触れる。ちょっぴり震えているのがわかる。
また心配させちゃったかな。ごめんね、エール。
でもそんなに心配しないで。私は、なんともないからね。
不安そうな表情を浮かべるエールが少しでも明るくなれるよう、私は今回の教訓を口にする。
「ん、大丈夫。ちょっと実力の差を思い知らされただけ」
「実力の差って。相手は先生だよ? 新入生の私たちが力で敵うわけないよ」
「いや、力に思い知ったわけじゃないんだよ、エール」
「それっていったい……」
「竹刀の捌き方一つ一つがもう、美しく洗練されててこのままじゃダメだって分からされただけだよ」
「それで、大丈夫って……。リノはやっぱり強いね」
私の言葉を聞いて、表情が少しだけ緩くなるエール。
どうやら、効果はあったみたいだ。
やっぱりエールには元気でいてもらった方がいい。私は、そんなエールが好きだから。
そんな私たちの会話を聞いていたフレア先生が満足そうに拍手をする。
「うんうん、ちゃんと分かってるみたいだね。流石は首席候補。相手のことをちゃんと評価できるのは、成長の第一歩だからね」
「あ、ありがとうございます」
周りの生徒たちは訳がわからず、ポカンとしている。
それもそうだろう。なんせ、側から見たら、私の攻撃が全部かわされた挙句に、気力負けしたようなものなのだから。そしたら、急に先生が私を褒め称えるのだから、訳がわからないだろう。
でも、これが美戦。
相手の美しさ、戦い方をきちんと認めた上でどうして美しいのか、どうして強いのかを学ぶのが美戦。
こればっかりは、実際に模擬訓練なりをしないと分からないのかもしれない。
いや、それよりもだ。美戦のことはもちろん大事だけど、どこか聞き逃しちゃいけない言葉が聞こえた気がしてならない。
私のとっては結構重要な言葉が、サラリと。
「……ん? ちょっと待ってください。今、なんて言いました?」
「ちゃんと分かってるみたいだね、って言ったんだけど」
「その後です」
「成長の第一歩?」
「行き過ぎです」
「首席候補?」
「それ、初めて聞いたんですけど……」
「うん、今初めて言ったからね」
「え、えぇ……」
どうやら、聞き間違いじゃないようだ。本気の本気で重要なことだった。
首席候補。入学式の成績最優秀者のとき以上の衝撃発言かもしれない。
なんだって私がそんなことになっているのだろうか。
私はただ、一人でネーベル様の教えを守ってきただけなのに。成績最優秀者どころか首席なんてそんな器じゃないのに。
そんな私の困惑をつゆ知らず、隣のエールはそれはもう大喜びだ。それこそ、私以上に。
「すごいねリノ! 最優秀生徒ってだけじゃなくて首席だなんて!! 通りでシルヴィお姉ちゃんが認めるわけだよ!!」
「いやいや、エール慌てすぎ慌てすぎ。それに、首席じゃなくて首席候補。まだ決まってないからね」
「そういうこと。あくまで候補ってだけ。そこのところ勘違いして、好き勝手振る舞う人が毎年数人はいるのが悩みどころなのよね、これが」
「き、気をつけます」
驚きすぎて逆に冷静な私と、興奮しすぎて勢い余って抱きついてくるエール。温度差のある私たちの様子に、フレア先生は呆れたように、振る舞いについて注意をする。
しょぼくれて返事をするエールが、とても愛らしかった。
だけど、フレア先生は注意するだけで止まらなかった。むしろ、私のとき以上の驚きが待っていた。
「ついでに言えば、エール・ヴァンエッタ」
「は、はいっ!」
「あなたも十分に首席候補だからね?」
「───へ!?」
なんとも間抜けな声だろうか。
とても、首席候補を言い渡された人が出す声じゃない。
けれど、それほどまでにエールにとっては衝撃的だったのだろう。
私のときもそうだ。とても周りを気にしている余裕なんてものはない。
首席なんて、あまりにも実感性のない言葉だから……。
それでも、フレア先生は止まらない。私たちの動揺なんてお構いなく、エールの首席候補の理由について明かしていく。
「シルヴィから話は聞いている。まだまだ荒い部分はあるけど、才能はあるってね。まだ実力を見てないから、候補とは言っても補欠枠としての候補だけど、そこには文句言わないでよね」
「い、いえ……とんでもないです!!」
どうやら、口添えをしたのはシルヴィさんだったようだ。
いや、それもそうだろう。何せ、彼女を一番近くで見てきたのは、誰でもないシルヴィさんなのだから。
シルヴィさんの実力は、ほんの少しだけでも十分に分かった。本気の一欠片だけでも私は手も足も出なかった。
そんな先輩が評価しているほどなんだ。エールの実力は相当なものに違いない。
「やったじゃん、エール」
誇らしい友達を私は褒めずにはいられなかった。
けれど、そんな友達の様子が少しだけまたおかしい。
さっきの心配そうなものとはまた違う、おかしさ。いうなら───狂気。
「えへ……えへへ……。シルヴィお姉ちゃん、大好き……」
「おーい、エール?」
目は竦み、全身は脱力。口は開きっぱなし。
私が止める間も無く、シルヴィさんへの愛が溢れ始める。
「これはあれだね、お礼にシルヴィお姉ちゃんに抱きつかないと、失礼だよね。うん。リノの件もあるし、きっとお部屋には入れてくれるはず……。はっ! でも、シルヴィお姉ちゃんの相部屋の人はどうしよう……。知らない人の前で甘えるわけにもいかないし、かといって追い出すわけにも……。だったら、お姉ちゃんを人気のない場所に誘導する? いや、上級生を呼びつけるなんてダメだよね。うぅぅぅ……どうしよううううう!!」
昨日の夜の慰め合いである程度は分かっていたけれど、エールのシルヴィさんへの執着はとてつもなかった。
身近で、姉と呼べるような存在。それでいて、アーシュ様派閥の現当主。そんな人に、執着するなという方が難しいのかもしれない。
とはいえだ。これ以上、エールを暴走させたままでいると、彼女自身が大変なことになってしまう。
だからこそ、止めないと。
「あの、エール……? そろそろその辺にしたほうが……」
「リノはどう思う!!?」
「えっと……」
「うん!」
「とりあえず、落ち着こうか。みんな、リノに注目しちゃってるし」
さりげなく肩を掴んで、力を入れる。痛がるかもしれない。嫌われるかもしれない。それでもエールを暴走させたままではいられなかった。
たとえ、もう手遅れでも……。
「あっ……」
幸か不幸か、エールは正気に戻った。
皆が注目し、あだ名が『シルヴィ寮長親衛隊隊長』と呼ばれることが決定したその瞬間に。
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