第9話 流水のごとく

「それじゃあ、準備はいいかな?」

「えっと……あんまり良くないです……」

「よ〜し、それじゃあ行くよ〜っ!」

「まったくよしじゃないんですけど……っ!」


 身体中が痛い。うまく力を逸らしたとはいえ攻撃をもらったことに変わりはない。

 いくら美戦の訓練をネーベル様の教えに沿ってしてきたとはいえ、実戦は今回が初めて。それなのにシルヴィさんはさらに本気を出そうとしている。正直、勘弁してほしい。

 でも、逃げ出すこともできやしない。

 シルヴィさんが美の志を賭けているからではない。

 目の前の彼女が、あまりにも美しくて、目が離せないのだ。

 本気で私を見つめる瞳が、私を本気で受け止め蹴り上げた強靭な体が、そして本気で私と対峙してくれている姿勢が、目を逸らすのには惜しいほどに輝き満ちている。

 この美しさから目を逸らすなんて、とてもありえない。

 いや、むしろ───受け止めたい!


「文句を口にする割には、しっかりと覚悟決めてるじゃない」

「誰のせいですかね」

「リノちゃん自身が求めてるから、だよ」

「そういうことにしときます」


 シルヴィさんはきっと見透かしている。見透かしていながら、とぼけたことをいう。

 私自身が求めている?

 半分あってるようで半分違う。

 私自身は今すぐに逃げ出したくて仕方ない。痛いのは嫌だし、何より戦うなんてしなくても美しさを測る方法は他にもあるじゃないか、と。

 でも、丹田の奥底からはもっと美しく。もっと美しいのを見せろと疼き昂っている。逃げるな。もっとシルヴィさんの美しさを最後まで見せろ、と。

 あぁ本当に、どうしてこうなったのかなぁ。

 ものの数分で砂だらけ。今すぐにでもお風呂に入りたい。きっと今日のお風呂は格別に気持ちいいだろうなぁ。

 寮のお風呂だから、きっと綺麗に整ってるんだろうなぁ。

 うん、早く終わらせてしまおう。


「ふぅ……」


 ブツブツと文句を頭に浮かべながらも、最後の意気込みで一気に思考がクリアになった。

 さっきまでグツグツに煮上がっていた丹田も少しだけ落ち着いているのが分かる。

 少しずつ。ゆっくりと心と身体の熱が混ざり合っていく。


「これはちょっと期待以上だね……」


 左手の盾から光の玉を出し切ったのか、競技場の地面に突き立てるとそのまま、半身の構えになるシルヴィさん。

 光の玉の数は合計で六つ。主人の周りにポワポワ浮いている。

 問題の本人はさっきまでの笑顔は消えて、真剣な表情。

 もう遊びは終わりと言わんばかりの、本気具合。

 そしてそれは、すぐさま攻撃として私の元へと襲いかかってきた。


「しっ!!!! っしゃ!!!」

「───っ!!!」


 気合の入った声と共に、蹴り飛ばされて乱回転しながら飛んでくる光の玉。

 横蹴り。踵落とし。そして足の裏。

 何一つとして同じ蹴られ方をしたものはなく、乱回転の仕様も全部違う。

 これらに対して私は───。


「はっ! ふっ!! んんっ!!!」

「うわ、ちょ……せいっ!!!」


 真正面から拳を突き出して、殴り返した。運よく、そのままシルヴィさん目掛けて飛んでいくものもあったけれど、すぐさま待機していた光の玉をぶつけられるととで対処されてしまった。

 おかげで、残りの残数は二つにはなったけれど、真正面で乱回転を受け止めたためか拳が痛くて痛くてたまらない。

 油断できないため拳の状態を確認することはできないけれど、きっとものすごい擦り傷ができている気がする。

 次は正面から対処することはできないかもしれない。というより、もうこれ以上痛いのは勘弁して欲しいのが本音。

 かといって、このまま美戦を降参するのもまた違う。せっかく、私相手に寮長であるシルヴィさんが少し本気を出しているのだから。


「先にいっとくね? 次はまとめて蹴り飛ばすから、一個でも私に返せたらリノちゃんの確定勝ちだよ」

「じゃあ私も先に言っておきます。さっきのようなことはもう出来ないです。手が痛くてたまらないんですもの」

「あら、それは残念」

「ええ、本当に残念です」


 残念。そう口にする割にはまったくその様子は見られない。むしろ、今この状況を全力で楽しんでいるように見える。

 私はどうだろう。楽しめる余裕はあるだろうか。いや、ない。

 痛くて、疲れて、今すぐにでもお風呂に入りたくて仕方がない。

 それだというのに、時間を追うごとに思考が冷静になってシルヴィさんの動きがぼんやりと予想できるようになっていく。


 ───右足でくる。


 そう予感した瞬間、その通りにシルヴィさんの右足から剛球がカッ飛んできた。

 今度はさっきと違って乱回転の法則性は一緒。だけど、タイミングも一緒で受け止めてしまえば致命傷にもなりかねない。

 かといって一つを無理にでも殴り飛ばして軽減させるか。

 いや、もうさっきのようなミラクルができる気もしない。

 だったらどうするか。やることは決まっている。

 かわせば、いいんだ。

 闘志に満ちた丹田に手を当てて問いかける。少し、大人しくしていてくれと。もっと、冷静にさせてくれ、と。

 今、この瞬間だけは迎え打とうとするのをやめよう。ただただ、かわすだけ。そこに闘志はいらない。

 必要なのは、危機感知ただそれだけ。痛いのは嫌。このままだったら嫌な予感がするという、直感力。

 つまりは───普段の私。


「……右? いや、少し左……? あぁ、違う……これは……」


 迫り来る光の剛球。それを前にただただ怪我をしたくないというだけの思いの私が迎え待つ。

 刹那───それは両手のひらを擦りながら私の傍をすり抜けていった。


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