第7話 洗礼

「ネーベル様……。初めて聞く女神様……」

「二大女神様って言われた時点でなんとなく察してたから、謝らなくてもいいよ、エール」

「そうは言っても……」


 出会ったばかりころの元気は何処へやら。すっかり気力を失って床を見つめたままのエール。

 青髪から微かにのぞかせるしょぼくれた瞳がなんとも愛らしくも、ズキリと心を痛みつけてくる。

 あぁ、こうなるならもっと早く口にするべきだった。

 もっと早く期待通りじゃない私を見せて置くべきだった。そしたらこんなに苦しむことはなかった。

 あぁ、美しくない。目の前のエールがじゃない。自分のことしか考えられていない自分が美しくない。

 私がネーベル様のことを敬愛しているとキチンとしたタイミングで告げていれば、エールが悲しそうな顔をすることはなかった。

 つまるところ、エールがこうなることを察していてもなかなか言い出せなかった私が悪いのだ。私以外、誰も悪くない。

 それなのに、どうしてあなたは私の肩を優しく叩くんですか、シルヴィさん。


「そうだよ、気にする必要なないよエールちゃん。こういうのはよくあることだから」

「よくあること?」

「崇拝する女神様が違うことなんて、よくあることだもの。周りが同じ派閥の人ばっかだったからまだ実感ないだろうけど、すぐに慣れるよ」

「……ちょっと想像できないかも」

「いますぐにとは言わないよ。生活していくうちに、身につくからね」


 ぽんぽん。何度も私の肩を叩きながらエールを宥めるシルヴィさん。

 私の後ろからエールに話しかけているのに、彼女の姿がハッキリと頭の中でイメージできてしまう。

 さっきまでの余裕そうな表情じゃない、寮長として真剣な表情で後輩に語りかけているのが分かる。

 直感とかそういうのではない。声質が違う。息遣いが違う。言葉の間が違う。さっきまでの軽めの雰囲気が一転して、重さを覚える。

 全身で感じる違いが脳内のシルヴィさんを作り上げている。耳と肌で感じるものだけでこれだけの情報量。

 寮長としてではなく、女神様の一柱を祭る家系の代表としての格を実感させられている。

 たとえ、私も同じ女神様であるネーベル様を祭っているとしても、数倍近くの格差はあるに違いない。

 それだけ、シルヴィさんの美しさは計り知れないものだと悟った。

 けれどこれは全部、私の感情。私の弱さを実感したというだけのこと。

 シルヴィさんにとっては関係ない。現に、今もまだ肩から手を離してくれてないのだから。


「それはそれとして、寮長として少しリノちゃんとは、お話しないとだよねぇ」

「はい、なんでしょうか」

「身体検査は拒否するということでいいんだよね?」

「そうですね。ちょっと、お尻は」

「なら、別の方法で調べるしかないね」


 お話。この言葉だけで彼女の真意を感じ取ってしまった。そして、逃がすつもりもないとも、彼女の手が物語ってくれていた。


「私とリノちゃんで、美戦しましょうか」


 ───あぁ、やっぱり。


「美戦、ですか?」

「そ、美戦。美しさを戦って示すの」

「……うわさには聞いてましたが、本当にあるんですね、美戦」

「へぇ、もう知ってるんだ。実習どころか、入学式を明日に控えている入寮生なのに、珍しいね」

「あくまでうわさですよ。まだ実際にしたことはないですもの」

「じゃあ、一足先に美戦を知れるなんてラッキーだね」

「……本気ですか?」

「もちろん、加減はするわよ? でも本気にはなってもらう。じゃないと、リノちゃんの美しさを測れないからね」


 美戦。美しき戦。かつて、武闘会と呼ばれていたものから現在に至るまでに荒々しさを削ぎ落として、いかに華麗に技を繰り出せるかを示すための儀式。

 もちろん戦というからには、キチンと勝敗はある。ただ綺麗な技を繰り出せばいいというだけではなく、相手に当てなければ意味がない。相手に自分の美しさを示すための戦いなのだから。

 とはいえ、誰でも彼でも美戦を行えるわけではない。

 止むを得ない理由で美戦を行うしかないときにしかしてはいけないと、言われ続けているから。

 例えば、今回のように信仰による身体検査の拒否など……。


「というわけで、競技場行こうか。何か武器が必要なら倉庫案内するけどどうする?」

「……いえ、武器は使わないので倉庫案内は大丈夫です。けど───」

「じゃあ大丈夫だね。それじゃあついてきて。競技場に案内するから」

「───はぁ」


 正直いうと、美戦をやりたくない。美戦をしなくても他にも美しさを知れる機会なんてあるのに。

 それこそ、お尻さえ触らなければそれでいいのに。

 いや、文句を言っても無駄なんだろう。何せ、シルヴィさんが美戦をすると決めて、私はそれを諦めながら承諾をしたのだから。

 一度承諾したものを取り下げるのは美しくない。ただでさえエールに間違った対応をしてしまった私が、シルヴィさんに口出しできるはずもなかった。

 いや、そもそも今の私は美しいと言えるのだろうか。

 自分の美しさの根源を語れず、親友のことを思っているようで自分のことばかりの自分が美しいと言えるのだろうか。

 いや、言えないな。こんな状態の私が身体検査を受けたところでその結果に向き合う勇気はきっとないだろう。

 だったら、むしろいい機会かもしれない。美戦で、キチンと今日の行いを清算しないと、だよね。

 シルヴィさんの機転に感謝していると、浮かない表情のエールが顔を覗き込ませてきた。


「ねぇリノ? シルヴィお姉ちゃんと戦うって本気なの? 今からでも身体検査受けた方が……」

「大丈夫だよ、エール。心配しないで……っていうのは、無理かもしれないけど、あまり大ごとにならないと思うから」

「そうは言っても……」


 シルヴィさんになだめられて多少の元気が見られるエールに私は心から安心してしまう。

 あぁ、よかった。エールはもう大丈夫だね。

 シルヴィさんには感謝しかない。もちろん、親友にセクハラするのはちょっとムッとしてしまうけれど、それはそれこれはこれ。

 感謝の気持ちを儀式の場で示すのが私の役目。今は、それに乗っかるしかないじゃない。

 それに───。


「それに、こういう展開を求めたのは誰でもないシルヴィさんだもの。せっかくの上級生の手ほどきを受けられる機会を乗らない手はないじゃない」

「それっていったいどういう……」

「たぶんそれは後でシルヴィさんがネタバラシしてくれるんじゃない?」


 久々の実戦に、ちょっとお腹がウズウズしてきちゃってるもの。


「ひとまず、今のうちに気を高めておかないと。いきなり本番はしんどいもの」

「……よくわからないけど、無茶だけはしないでね?」

「うん、ありがとね。頑張るよ」

「本当に、怪我とかはやめてね? 友達やお姉ちゃんが傷つくのは嫌だから……」


 大丈夫だよ、エール。

 私の心と体は、人を傷つけるために美しくなろうとしてるわけじゃないもの。

 全ては、ネーベル様のために……。

 問いかけるようにお腹に手をやると、ドクンと脈打っているのがわかる。

 どうやら、美戦への準備はもうできてるみたいだ。


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