第7節:ラビの記憶Ⅱ
薄暗い部屋のドアがそっと開けられ、外から光と共に部屋に入ってきた青年がドアを閉めるとき、外からの光が彼の横顔をかすめ、その営業スマイルを一瞬照らした。
「長旅お疲れさまでした。先生、」男はデボラに丁重に挨拶し、一風変わった白磁のカップを手渡すと、テーブルを挟んで自分も座った。そして、「どうぞ、当店のサービスの高級コーヒーです」と言った。
デボラは笑顔を見せると、白磁のカップを手に取り、よく体温に忘れられる指先を温めた。部屋をゆっくり見渡すと、テーブルの上のオイルランプの光で、たくさんのアンティークな本棚が、完了を意味する紐で結ばれた書類の束で埋め尽くされているのが見えた。本棚のないところには、木箱や、布で覆われた不規則な形の物体が、壁際からデボラの足元まで溢れていた。
ここはクルップル商会の支店で、シェムオランド大陸の辺境の山岳地帯にある名もない小さな町に位置している。天気が良ければジャフェンラージュ大陸の一部も一望することができる。
コーヒーを一口飲んだデボラは目の前の青年を見ながら、笑みをこぼした。「久しぶりだな、ジョン。どんどん出世していて、上手くやっているようだな。足の調子はどうだ?継ぎ目の部分はもう痛くないのか?」
「それは先生のおかげです。あのお医者さんは本当に腕が良くて、使った薬草も材料も効き目ばっちりです!」ジョンはそう言って、紐で縛った書類の束をテーブルの上に置き、自分の近くに置いた。
デボラはそれをちらりと見て、それが今回の旅の目的であることを悟った。しかし、ジョンがまだ書類を渡してこないので、それを要求するつもりはなかった。「とはいえ、わざわざこんな辺鄙な町で依頼書を交付するとは、お前のボスは用心深いのだな」
「当然です。ボスにとってとても大事な取引なんですから」ジョンは続けて、「先生もここ数年にわたって、『祭司庁』と『聖会庁』が並ならぬ協力関係を構築していて、今では内戦の頃よりも親密であることを聞いたことがあるでしょう。ですから、今回の活動は彼らに知られることがないよう、細心の注意を払わなければいけません」と言った。
「正式に依頼する前に、ボスから伝言を預かりました」ジョンはデボラの目を見て許可を得たと判断し、言葉を伝え始めたけど、それを聞くデボラは少し嫌そうに目をそらした。「『機は熟した。私と族長たちはこれよりホーリー・ツリーの奪取計画を再開する。我が一族の娘よ、これが最後の仕上げだ。あなたの任務が完了したら、高額の報酬に加えて、あなたとの契約を解除して、自由の身にする』」そう伝えたジョンは書類の紐をほどいて、テーブルの中央に広げて、オイルランプに近づけた。
デボラはキーワード数個を横目で確認した。「そうか。『シルバーウェア』に隠されているか」
「そうです。バーナバスの日記を解読した結果、この情報に間違いがないことを確認しましたが、肝心な遺物が誰に渡されたかは不明です。先生、もう依頼の内容はお察しでしょうが、我々はルールに従いますね」と言うと、ジョンは腰を伸ばしてから、非常に慎重な口調で話を続けた。「我々クルップル商会は、シルバーウェア王国に赴いて、隠れる保管者を探し出し、バーナバスさんの遺物である『マイチの約束』を回収することをデボラさんに依頼します」
デボラは椅子の背もたれに寄りかかり、誰もいない部屋の隅を眺めながら、コーヒーの味を楽しんでいた。
また、ジョンは「他にお伝えしなければいけないことは、バーナバスさんの行方はもはや秘密ではありません。彼がかつてどの国に滞在していたかと言う情報は、武僧たちも知っています。三十年前、バーナバスさんと直接戦った武僧もいました。その場所はシルバーウェアの城下町でした。これはかなりの騒ぎになり、聖会庁から特使が派遣され、投獄された武僧の無罪釈放に貢献しました。このことは、聖会庁が祭司庁を無条件に支援すること、そして祭司庁の敵も聖会庁の敵であることを間接的に証明しました。商人ギルドの立場からして、あからさまに聖会庁に逆らうことはできませんが、秘密裡に情報提供とビジネスの範囲で関連業務を斡旋することは可能です」と付け加えた。
デボラは目を閉じて、静かに白磁のカップからの温もりを感じながら、これまでに得た情報を頭の中で整理していた。ジョンは正しい座り方のままでテーブルに手をつき、じっと待っていた。
しばらくして、デボラはやっと目を開けて、「ジョン、白紙の契約書を一枚くれないか」と言った。
ジョンはもう何も言わず、自分の先生が必要なものを手早く用意した。デボラはオイルランプを書類のペーパーウェイトにして、ランプの微かな光を頼りに素早く紙に書き込んだ。
およそ十五分経って、デボラは羽ペンをインク壺に戻し、サインした依頼書と一緒に新しい契約書をジョンに差し出した。「それをお前のボスに渡してくれ。私は依頼を引き受けるが、私の契約も受けてもらうぞ」
ジョンは新しい契約書に素早く目を通し、信じられないという表情をした。
「何も言わないでくれ。そのままでいい。ボスによろしく伝えておいてくれ」デボラは立ち上がり、空のカップをテーブルの上に置いた。
「はい……」 ジョンは契約書を丁寧に丸めた。
二人は小さい部屋を出て、何の変哲もない廊下を横切ると、ジョンが何気なく訊いた。「先生、今回はどのような者にサポートしてもらうんですか?」
「一緒に来たあの娘よ」デボラは迷うことなく答えた。
「えっ?」ジョンは新しい契約書を見た時以上の衝撃を受け、甲高い声を上げた。「先生、あなたは以前ナジルの武僧と戦ったことがあるのですから、奴らの残忍さ、狂暴さを知らないはずがありません。奴らはたとえ小さな女の子でも……」
「彼らのせいじゃないさ。以前、彼らのメンバーが小さな女の子に虐殺されたから」デボラはジョンに対してニヤリとした顔で付け加えた。「あの子は私の愛弟子だ。彼女を甘く見るなよ」
「若いのにこんなことに巻き込まれるなんて……」
ロビーのバーに来たとき、入口近くでジョンが急に立ち止まり、憤慨した口調で言った。「先生、お言葉ですが、先生は彼女の人生を壊しています。この戦争にどれだけの人が苦しめられたか、先生にはわからないわけがないでしょう!」。
デボラは振り返って、正義感に溢れたその目を見た。元々心優しい生徒だったのに、突然こんな強い言葉を使って、たとえ喧嘩になっても、先生に嫌われることを恐れずに訴えてきたのだ。
デボラは目を細めながら微笑み、大きな手でジョンの肩を二回叩いた。「ありがとう、ジョン。その時は私が武僧たちの注意を引き付ける。おそらく一ヶ月か二ヶ月だろう。あの子が城内を隅々まで探し回る時間を稼ぐ」
少しも退かない師に対して、ジョンは顔を背けて苛立ちを床にぶつけ、「もう百歳以上なのに、まだスタミナで勝負するつもりですか……」と呟いた。
「案ずるな、私はまだ現役だよ」そう言って、デボラは自分でドアを開け、ジョンにバーから出るよう目で誘った。「お前は彼女の能力をまだ見ていないだろう?祭司庁もそうだ。私の秘蔵っ子だからな」
「そういう問題ではありません。問題は――」ジョンの頭がやっとドアの枠を通り過ぎたとき、空から一つの人影が降ってきて、二人の前でドシンと着地して、少し砂埃が舞い上がった――
しゃがんでいた一人の少女が立ち上がり、デボラのもとへスキップしながら近づいてきて、「ラビ、あたし、何を見たと思う?ハーストイーグルだよ!ラビの言う通り、大きな鷹だったよ!」と言った。
ジョンは両目を丸くして、数秒間その少女に目を留めた。そして彼はゆっくりと目を動かし、その衝撃の発生元である――建物のそばにある二十メートルほどの高さがあるスギの樹冠を見上げた。
「ジョン」、デボラは少女の頭に大きな手を置いた。「この子は今回、私の助手になったアンナだ。今後ともよろしく頼むぞ!」そういったデボラは、誇らしく満足げな笑みを浮かべていた。
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