第3節:鐘楼から芽生えた友情

 ボスは顔を上に向けて、数歩よろめいて後退してから、地面に仰向けに倒れ、声すら上げることなく失神した。

 そのとき、部屋の外は既に騎士だらけで、破城槌を使って扉を破ろうとしていた。ウィリアムの声も聞こえた。彼は仲間に強盗を刺激すると人質が危険になると注意していた。しかし、仲間は全く気にしていなかった。これも理解しやすいものだった。商人ギルドの利益はどこから来たかわからない異邦人の命よりも重要らしい。

 開けられそうなドアを見て、アンナは慌てて棚の上に置いてある縄を手に取って、縄で自分の両手を縛ってから、雑巾を口の中に突っ込んだ。今回は汁が滲み出る雑巾が気持ち悪いので、なんとか涙が出てくる。

 準備を終えると同時に、ドアが開けられて、兵士が大勢中に入ってきた。アンナはすぐにウィリアムへ飛び込み、彼の胸で泣き出すと、周囲の人は熊のような大男が地面に倒れている姿を発見して、驚愕した。互いに顔を見合わせてから、視線は泣きっぱなしである唯一の目擊者に向いた。

 アンナはウィリアムに自分の縄をほどかせ、涙が乾かないうちに、嗚咽を漏らしながら涙声で言った。「ううっ、怖かったよ。あいつ、自分で滑って転んで気絶したの……」

 ウィリアムはそれを聞いて思わず頭にきて、縄を乱暴にほどいた。「こんな大男が転んで気絶するわけあるか?嘘つきやがって!」

「痛いって!もっと優しくしてよ。泣いているんだよ。だましている訳ないじゃん……」

 衛兵は強盗たちを一階に押し込め、支援の隊員と馬車も次々到着した。長官クラスの者数名が、商人ギルドのメンバーとウィリアム、アンナをソファまで呼んで、事の経緯を詳しく確認した。これらの人物が帯刀しているサーベルをよく観察すると装飾がウィリアムのサーベルよりも若干豪華だから、階級はそれほど高くはないだろう。

 アンナは少しがっかりした気持ちと疲れを感じた。ウィリアムの作戦をサポートするために、短時間で集中力をすごく高めたから、今は体と魂が分離しそうに感じた。

 そばにいた少年がさきほどの状況を詳細に説明した上、事実を多少脚色している様子から、まるで物語を謡う吟遊詩人に見えた。アンナは片手で頬をおさえながら何回もあくびして、無意識のうちに手や指をぶらぶらさせていた。やはり、頭が空っぽになると、『あの香り』が恋しくなった──

 ちょうどそのとき、軍服を着た男一人が入口扉から入ってきた。がっちりとした体格は強盗のボスより少しだけ小柄だった。その両目には力が漲り、顔は歴戦の猛者の風格と整ったあごひげが特徴的で、腰に差したサーベルは他の誰のよりも豪華で、体から威圧的な気配が漂っていた。隊員たちはその姿を見て直ちに作業を止めて、全員が直立で男に向かって敬礼した。

 男は気絶したボスとその手下たちを確認して、ソファに向かってきた。その姿が近づいてくるにつれ、ウィリアムは緊張感が増しているものの、一方で口元はワクワクを抑えきれないでいた。

「強盗たちを退治したのは君かね?」男は穏やかで重厚な声で尋ねた。

「は、はい、総隊長!」ウィリアムの緊張ぶりは、まるでずっと崇拝していた人物に会ったかのように見えた。「この女性が力を貸してくれました。彼女がいなければ、このように無事解決できませんでした」

 自分の話をされているのを聞いて、アンナは自分のマナーがあまり正しくないことに気づいた。アンナは急いで立ち上がり、スカートの裾を正して、前髪をかきあげた。最後は両手を腹に当てて、社交辞令の笑みを浮かべた。

 総隊長はアンナの目をじっと見つめ、少し間をあけてから口を開いた。「ありがとう。勇敢なる異邦人の少女よ。貴女の名を聞いてもよいか?」

 アンナはすぐに相手の気配から異常を察知した。総隊長は何らかの理由で自分を警戒していた。「はじめまして。私は、アンと申します。シェムオランドから来た旅商人です。普段、野生の狼や熊を退治するための技が役に立つようで、ウィリアムと共に行動しております」

 総隊長は少しも警戒心を解くことなく、秘書官から渡されたメモを取って、重要な箇所をざっと確認してから尋ねた。「彼は自分で転んで気絶したと言っていたが、詳しく説明してもらえないか?」

 アンナは相手の感情が更に昂っていることに気が付いた。もう一度同じように適当に説明すれば、状況はさらに収拾がつかなくなるから、具体的に説明しなければいけなくなるだろう。「あの、彼が私を縛ったんですが、ちょうど私を連れて窓から逃げようとしたとき、天井から毒蛇が何匹か降ってきまして──」

「嘘つけ!」そばにいた商人ギルドのマスターが突然大声で叱責した。「あり得ない。総隊長様、異邦人のバカ話など聞く必要はございません!当ギルドにはそのようなものはありません!」

 総隊長は部下にマスターを連れていくように手で合図した。「続けてくれ」

「そ、それから──」アンナはヒステリーを起こしたマスターをちらっと見ながら、偶然にも本当なことを言い当てたかもと、ふと思った。「彼はびっくりしちゃって、私がもがいていたからバランスを崩した。そして、棚にぶつかって、凹んだ床につまずいて、転んで頭をぶつけました。蛇も早くもどこかに身を隠しました」

 この話を聞いた者はみんなアンナに妙な表情を見せた。総隊長は少し思案してから、メモを秘書官に返した。彼はアンナに丁寧に礼を述べてから、部下たちを指揮し、後始末をした。

 アンナは商人ギルドのマスターが近くからまるで仇を見ているような表情で自分をじっと睨んでいることに気づいた。恐らく衛兵たちがいなくなった後に仕返しをするつもりだろう。アンナは面倒事を避けるため、人でごった返している中、隙を見て商人ギルドを抜け出した。

 結局は無駄骨に終わったようだ。有力な手掛かりも見つからず、高い階級の長官の前に自分の印象を悪くした。そして、現在、もう四時五時になっているが、泊まる場所は相変わらず見つかっていない。アンナは少しがっかりした。幸いなことに、パン屋を通りかかると、焼きたてのパンを手に入れた。これは恐らく今まで自分の心を最も慰めてくれるものだろう。

 アンナは目的もなくぶらぶらしていると、一つの高い塔が見えた。その名称は『銀の針』で、この都市で一番高い建物だということは覚えていた。この塔は戦争が頻繁に起こっていた頃に建てられた見張り塔で、頂上にある巨大な鐘を鳴らすと都市全体に音色が届いたという。しかし、平和な時代を迎えた現在は、歴史古跡として保存されている。

 アンナは気分転換にその塔を登ることに決めた。高い場所はきっと心を落ち着かせてくれるだろう。できることなら、頂上で一晩寝るのも悪くないかも。どうせこれ以上最悪になることはないのだから。

 銀の針の下層は衛兵の詰所だ。衛兵は部外者が塔を登ることを許可しないだろう。しかし、今のアンナはそれを気にしなかった。美しい夕日が呼んでいるからだ!

 アンナは夕日の反対側の壁に回ると、細長い影が通りに黒い絨毯を敷き、まるで一足先に夜を告げたように思えた。

 頭を上に向けて各窓の間の距離を確認したアンナは、力強く上にジャンプし、空中で勢いがなくなると、壁に踏み込んでその勢いを利用して、一つ目の窓まで楽々登った。窓の外枠で両脚を安定させた後、同じ動作を繰り返して、五、六枚の窓を跳んだ後、遂に鐘楼までたどり着いた。

 ここは二十人が入れるほど空間が広く、荘厳な大鐘は頭上に吊り下げられている。合計六本の石柱が大鐘を支え、そして四本の鎖で鐘の舌をど真ん中に固定している。

 だが、アンナはこれで満足しなかった。鐘楼の外縁にある展望台まで戻り、フェンスから跳んで、楽々屋上に登った。そよ風が髪をなびかせ、広々とした景色が目の前に映った──

 夕暮れが街道、城壁だけではなく、城外の田園、平野、森も全て黄金色に染め上げた。街道にいる人や車はアリのようにゆっくり移動し、城壁と山々は大地の上で互いに寄り添い、空の雲が悠々と漂っていた。それはまるで風景画のような静かな光景だった。

 アンナはあぐらをかいて、木の杖を後ろの旗立てにひっかけると、髪をほどいて麦わら帽子をかぶって、頭を楽にさせた。美しい景色と座席の準備ができたら、次は『メインディッシュ』だ。リュックの奥からキセルと、小袋のタバコとマッチを取り出した──

 キセルの火皿からの白い煙が風で飛ばされると、おなじみの香りが戻ってきて、思わず満足げに目を細めた。自分がタバコの依存症なのかアンナは知らない。しかし、この趣味のおかげでラビが身近に感じることができるのは確かだ。

 数年前のある一週間、ラビと一族の族長、学者たちが何日も会議を開いて、アンナは一人で街をぶらぶらするしかなかったのを思い出した。あまりにも退屈だったので、最後は商人ギルドの集会所で傭兵やおじさん、おばさんとビリヤード、トランプ、酒、それとギャンブル少々を遊んだ。

 色んな遊びに興じる間、思わず傭兵がラビについて談話している声が聞こえてきた。彼らはラビのことをとても尊敬していた。だが、どんな気持ちで言ったかわからないが冗談の口調で、いつ、最愛の人と永遠に別れることになるかわからないから、ラビといる時間を大切にするよう忠告する者もいた。

 忠告なのか冗談なのか、こんな話は意味がないのだ。ラビはもう百歳なのだ。毎年必要な薬草の数と量が増えているため、ラビの命が流れゆくことに気づかないなんてあり得ないだろう?

 だが、あれこれ忠告する者に加えて、何日もラビの姿を見ていなかったから、アンナは焦り出すようになった。頭の中ではラビが亡くなったことをつい想像し、族長たちによる追悼儀式はどう行うのだろう?商人ギルドのマスターはなんて言うのだろう?兄弟姉妹と一緒にどんなに泣くのだろうか?それらを想像するだけで、自ずと目が赤く腫れていた。

 ある日、市場をぶらぶらしていたら、偶然ラビが持っている物にそっくりのキセルを見つけ、思わず買ってしまった。走って宿に戻るとラビの荷物の中からタバコを一、二握り拝借してから、塔に登って吸ってみた。

 最初はせき込んでいたが次第に慣れてきた。おなじみの香りが体を包み込むと、不安な気持ちが一瞬で晴れた。

 ところが、タバコを吸う姿勢、振り返ったときの笑顔、自分をあだ名で呼ぶ声などラビに関する記憶が頭の中で鮮明になると、寂しくなったアンナは思わず涙が頬を伝った──

 アンナはこの事をラビに知られないようにしていて、いつもキセルを大切に保管していた。もしかしたら、ラビは知っていたがそれを明かすこともなく、この取るに足らない小さな秘密を黙認していたのかもしれない。

「おーい!」聞きなれた声が下から聞こえてきた。「変な音が聞こえたと思ってたら、お前だったのか!どうやってそこに登ったんだ?」



 アンナは声の聞こえる方向に沿って屋根の方を見ると、銀髪の頭が見えた。口にくわえたキセルを外して、軽く煙を吹いた。「よっ、銀髪の騎士さん、めでたく昇進しましたか?」

「そんなに早く昇進するわけないだろ。大抵は時間をかけて長官に好印象を与えなければいけないんだ」ウィリアムがそう言い終えると、顔がたちまち険しくなり、強い口調で言った。「おい、なぜ下の人がお前を中に入れたか知らんが、お前が偉そうに史跡のてっぺんに座りやがって。早く降りてこい、さもないと罰金だ!」

『法の執行者』が怒っているのを聞いて、アンナは悔しそうにキセルをしまった後、片手で屋根を掴んでから鐘楼の中に戻っていった。そして、アンナは少し笑顔を作って申し訳なさそうな口調で言った。「ウィリアムさん、城内のホテルは全部満室なので一夜を過ごせる場所がありません。ですから、融通利かせてここで一夜過ごさせてくれませんかな?お願い……」

 ウィリアムはアンナの発言に驚き、しばらくどう答えていいかわからなかった。これは理解しやすいことだ。これまでアンナはウィリアムに対して不遜な態度をとっていたのに、今はこんなに腰が低くなったから驚いたのも無理もなかった。

「住む場所が必要か?だったらうちに来いよ。ここで寝ようとするぐらいなら、倉庫で寝ても平気だろ?家賃は払ってもらうけどな」ウィリアムは軽い口調でそう答えた。

「本当?」アンナが驚いて叫んだ。激高しながらウィリアムの両腕を掴み、うるうるして言った。「ごめんなさい、今まであなたのことを単なる脳筋だと思っていましたけど、こんなに優しい人なんですね。キスしてもいいですか?ねえ、いいでしょ?」

「お前のキスなど要らんわ!」ウィリアムはすぐに頭を後ろに倒し、顎を引いて、頬をできるだけアンナから遠ざけた。「タバコを吸ったり、雑巾を噛んだりして、そんな汚い口に誰がキスするか!」

 アンナは彼の反応を見て、我慢できずにニヤリと八重歯を見せながら、力ずくでウィリアムの体を寄せようとした。ウィリアムはアンナを罵倒しながら、必死に躱していた──

 悪ふざけは終わり、アンナの目論見は実現しなかったが、ウィリアムは驚かせて体が汗まみれになっていた。二人は一緒におやつを食べて、夕日が山の稜線に沈む様子を眺めていた。

 ウィリアムの話によると、銀の針に普段は衛兵しか自由に出入りできないから、ここに登ってくる人は少ないらしい。ここは彼にとっての癒しのスポットのようで、この美しい景色を眺めるたびに心が癒されるそうだ。

 アンナは自分も気を緩めるためにやってきたことは認めたものの、ウィリアムのプライドを再び傷つけないよう、登り方については説明しなかった。

 それを聞いた後、ウィリアムは黙り込んでいた。思い悩んでいるのかと思いきや、問い詰めてみると、どうすれば仲間に気づかれず、アンナを詰所から出せるか考えていたようだ。アンナは、自分が一人だけなら三秒で地上に戻れると密かに思っていたが、銀髪の良い子のために、黙っておくことにした。

 二人は昇降機で降りて、銀の針の第二階層へ到着した。この階層には外窓が一か所あり、地上からの高さは約五、六メートルだった。

 ウィリアムは下の路地に人がいないこと、そして近くに余計な視線がないことを確認してからアンナに杖の先端のフックを持って窓の外に出るように言った。彼自身は杖の下を引っ張ったまま、彼女を高さ三メートルのところまで下ろした。ウィリアムの考えでは、アンナが商人ギルドの窓までジャンプする離れ業を見たから、この高さから飛び降りることはアンナにとっては安全だと思ったのだ。

 顏が耳まで真っ赤になって、腕と額に青筋を立てているウィリアムを見て、内心可哀想だとアンナは思った。彼女は本当のことを言いたくして仕方なかった。この距離なら目を閉じて飛び降りても怪我はしない。だが、それを本当にやってしまうと、彼のプライドが傷つくだろう。

 苦労した後、アンナは無事着地して、ウィリアムも見張り塔から出てきて彼女と顔を合わせた。作戦は完璧だった。その表情は自信に満ちていた。さては自分がカッコいいと思っているのだろう。アンナはすぐ彼の背中をポンと叩いて労をねぎらった。

 ウィリアムはアンナを自分の家に連れて行った。彼の実家は「ホワイトヘアホテル」という名の三階建てホテルを経営していた。ホテルの中には、一日の仕事を終えた商人たちで賑やかだった。全員が一階のレストランで飲み食いしている様子はまるでパーティだった。

 二人がカウンターの前にやってくると、店員がウィリアムの姿を見るや否や、キッチンの中にいる女主人を呼んだ。その後、中から一人の婦人が急いてやってきた。彼女の身長はアンナと同じくらいで、茶色の髪を頭巾にしまって、質素なワンピースとエプロンを身に付けていた。

 婦人は何の理由でウィリアムを𠮟ろうとしていたが、横目でアンナの存在にすぐ気が付いた。「まあ、なんて可愛い女の子なの!初めまして、いらっしゃい。ウィリアムはユーモアのセンスもないし、怒りっぽいけど、本当は良い子で責任感があって──」

「母さん、この子は単なる友達だ」ウィリアムは母を怒りの目で見ていた。

 親子の阿吽の呼吸と微妙な感情の波動を見て、アンナは思わず笑ってしまい、自然な流れで女主人に挨拶した。「初めまして。アンナといいます。アンと呼んでください。シェムオランドから来ました」

 ウィリアムの母も笑顔で返した。「アンちゃんだね。私はルーシー、このホテルの女主人をしているの。お腹がすいているでしょ、カウンターに席があるから、さあ座って座って!」

 二人がハイチェアに座ると、さっそく熱々の料理が運ばれた。美味しそうな匂いと熱気が漂うこの料理は、アンナがこの街に来て以来一番のごちそうだった。

 ウィリアムは速やかに料理を平らげると、衛兵の装備を外し、エプロンを身に付けて店員の行列に加わった。アンナもぼーっとしなかった。食事を終えると、さっさと顏を洗って、簡単に髪をセットした。そして、ジョッキにビールを満杯にして、本来の任務にあたって――レストランにいる人たちとのおしゃべりを始めた。

 アンナはこのような社交の場にとても慣れていて、商人ギルドの集会所も毎晩このような雰囲気であり、これ以上盛り上がることさえあった。こんなとき、手もとに酒があれば、酔った人たちはみんな喜んで友達になってくれて、何でも話してくれるのだ。但し、話の八割が盛られた実話であり、一割が馬鹿を騙すための嘘、残りの一割がどうでも良い話だ。

 商人たちはあることないことをあれこれ話した。例えば、

「今回の銅の月では銀鉱石が非常に人気でさ、一日目だけで取引量はなんと七百トンなんだよ。信頼できる情報筋によると、誰かが次期国王のために新貨幣の発行準備をしているらしい」

「近いうちにマラックが大幅下落するようですね。聞いた話では大預言者が高齢で引退の意向を示していたようで、シオン大陸の政権の揺らぎは外部の経済活動に影響をもたらすでしょう」

「北のある都市がアドナイ神の天罰に遭って、聖会騎士団が贖罪の支援をしているようです。贖罪の方法は、街にたくさんの贖罪の樹を植えることなんです」

「聖会庁教区長の正体は蛇ですよ。自分の目で確かめましたんですもん。その目には瞬膜があって、舌の先が分かれていて、夕食はフォアグラを添えた生きたネズミとニワトリの血入りの酒で」

「山には山男が出没するんですが、その髪はグレーで、身長は三メートルあるらしいですよ──」

 一つも役に立つ言葉はなかったものの、誰かが意図的に隠していた秘密をいくつか言及されていた。それは一般人の間で既に知られているのだろうか?その者たちがうっかり口を滑らせてしまったのだろうか?それとも、事態が隠す必要がないほど進展しているのだろうか?

 そのとき、先ほど来たばかりの一人の客がカウンターでアンナにグラスを差し出して、自分のそばに誘った。

 その男はシャープな顔立ちに色の入った丸眼鏡を着用し、程よい長さの前髪が真ん中分けされて、薄い色のシャツの上に黒のベストを着ていた。その男はアンナの満杯のグラスをちらっと見ながら「お嬢さん、こんな時間まで商売かい、ちょっと休んだらどうだ?」

 アンナは眼鏡をかけた男の話の真意を理解した。男はしばらくアンナを観察して、彼女が遊んでいるわけではないことを見抜いた。男の魂の色はルーシーに酷似しているが、その色には抜け目のない猜疑心が強く感じられた。

「せっかく王都に来たから、もっと時間かけて頑張らなきゃね」アンナがそう返して、相手にボールを投げ返した。「お兄さんもこんな遅くまで頑張ってるんですね。今日は順調?」

「小さな店をやっていてね、ぼちぼちかな」眼鏡男の目つきと表情が一気に鋭くなった。「君、どんな商品を売っているんだい?待て、当ててみるね──君は若くて可愛いし、顔には苦労の跡が見られない。キラキラしている目を見る限り、この仕事を始めてまだ数年も経ってないだろう。羊飼いの衣装がとても可愛いけど、重いものを運ぶには不便だね。壁に掛かっているあの杖も君のだろう。つまり、君はおそらく行脚で仕事をしているんだね。書類を運び、人に書類を渡す仕事をしているのだろう?」

「こらこら、アンちゃんを怖がらせたらダメでしょ。彼女はウィリアムのお友達よ」ルーシーはいつの間にかカウンターの向かいに現れ、料理を力強く眼鏡男の前に置いてから、「アンちゃん、ごめんなさいね。このおじさんは私の弟のビル。いつも自分の頭のよさをひけらかしたがるの」とアンナに笑顔で言った。

 ビルはすぐにルーシーの真意を悟った。二人が微笑み合った後、彼はグラスを掲げて、近くにいるウィリアムに大きな声で話しかけた。「ハンサムな僕の甥が女の子を連れてきたぞー!おめでとう!おじさんが祝杯をあげるぞ!」

 それを聞いた他の商人にも、一緒に祝福の言葉を投げた。ウィリアムはたちまち顔が赤くなり、ビルに恐らく下品な言葉を浴びせたが、その言葉は全て客の声にかき消されてしまった。



▍通貨「マラック」▍元々はシオン大陸で使用されていた通貨だったが、のちに聖会庁が政治と宗教の分野で影響力を持ったため、この通貨の価値が少しずつ他の通貨を上回るようになり、現在は浮遊文明にて一般的に受け入れられている。シルバーウェア王国の経済力を例に挙げると、一マラックは農村の家庭の一、二か月分の収入に相当し、下層社会の人々にとって、この貨幣を得ることは珍しい宝を手に入れるようなものなのだ。

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