第4話「元軍人と別の道」

 人類が宇宙へ進出し、各惑星に居住を始めて120年以上が経過している。その星に住むことが当たり前になり、人によっては生まれて一度も宇宙へ出ずに寿命を終える者も当たり前のように存在する世界になった。

 あるいは、宇宙へ出たことはあるが、設備が完備された地上と何ら変わらない環境のもので、重力がない状態など経験のしたことない者はもっと多く存在した。


 今こうして、輸送艦の中で無重力活動を行おうと必死になるルコッタもその一人である。



「わわ……」


「おっと、気をつけろ。手元のコントローラでマグネットの強さが調節できる。もし壁と離れすぎたら磁力を強くしろ」



 ルコッタはハンフリーの指示の下、ゆっくりと船底エリアを進んでいく。

 彼女たちが着用している船外作業用宇宙服の靴底には電磁石が取り付けられている。

 宇宙空間で無重力になることが想定されているエリアには必ず常磁性体が素材で床や壁が作られている。つまり磁力は帯びていないが、磁石にはくっつく素材である。


 通常の設定だと、少しの力で靴底と壁が離れるようになっているが、もし両足が浮いてしまった場合に備えて磁力を操作できるようになっている。

 しかしその操作と無重力状態になれないルコッタはなかなか前に進めない。



「まあ焦るな。そう時間が無いわけでもない」


「は、はい……」



 一方ハンフリーは、まるで空を飛んでいるかのようにスイスイと進んでいく。歩くのではなく、壁を蹴ってスイーっと宙を進み、どこかに衝突する素振りすら見せない。さすがに元軍に所属していただけはある。



「……ハンフリーさんは、どうして軍を辞めたんですか?」


「ん? ああ、元軍人ってのは知ってたのか。リトアから聞いたのか」



 ルコッタは一歩ずつ前に進みながら、ハンフリーの問いに対して首を縦に振る。

 その問いに答えようと、ハンフリーは唸りながら首をかしげる。



「……そうさなぁ。気づいたから、とでも言うべきかぁ?」


「気づいた? 何にですか?」


「自由、とかそんな感じのやつだ。俺のやりたいことは軍人じゃないんだって、ある時気づいたんだよ。その次の日にはもう辞表を出してたな」


「そ、そんなに早く。何があったんですか?」


「……俺の親父おやじ、軍人だったんだよ。それも結構偉いヤツでよ、小さい頃から武勇伝を嫌でも聞かされて育って、お前も軍人になるんだって言われ続けた。んで、抗うこともなく軍隊に入った。最初は出身惑星の地上軍、次に衛星軌道軍、最後には治安維持軍って形でな」


「……」


「何度か鎮圧作戦とかにも参加して、地上でも宇宙でも戦いってのを体験した。それが当たり前になって行って、俺も親父のようにずっと軍人のままなんだろうなって思ってた。だが……」


「だが……?」


「だが、今は一旦後回しだ。あれが酸素タンクと、送風設備だ」


「……!」



 話しながら進んでいると、ついに目的の装置がある箇所に辿り着く二人。

 そこには、アナログな目盛りと針が取り付けられたアナログな計器と、いくつかのバルブのようなものがあった。



「ど、どれをどうすれば……」


「まあ落ち着け。あーこちらハンフリー。リトア、聞こえるか」


『はぁーい……。到着した?』


「まだ落ち込んでるのか……。ああ、着いたぞ。先に送風の方の指示を頼む」


『はいよ~……』



 通信越しのリトアの指示に従い、ルコッタは指定のバルブをひねり艦内の送風を行う。アナログな計器には各エリアの温度が示されており、それらを見ながら送風の強さを調節した。



『だいたいメインデッキの温度が23度だとちょうどいいって、トビーおじい様が言ってたわぁ……』


「は、はい……!」



 動力系がダウンした際にも対応ができるよう、こういった船底部の装置類はアナログな技術を残しているのが常なのだが、ルコッタはこういったものを見るのは初めてだった。

 しかし直感的に理解し、すぐに対応できた。その様子を見ていたハンフリーも、通信越しで状況を聞いていたリトアもそれに静かに関心する。



「……っと、俺の方もやらないとな。リトア、こっちの計器で示されてるメインデッキの酸素濃度を口頭で言う。そっちと一致してるか確認してくれ」


『はいは~い……』



 ハンフリーの方は、何度か似たような作業をしていることに加え、軍人時代の訓練で培った経験と知識で難なく作業を進めていった。

 バルブをひねり、ちょうど良い濃度になるよう調節する。


 その時、宇宙服に搭載されている装置からビープ音が鳴りだし警告を発する。

 ハンフリーはすぐに装置を確認し、それが外圧力の異常であることを知る。



「ポーラッ! すぐに船底部と上の隔壁を作動させろッ!」


『ええ!? は、はい!』



 ハンフリーの指示通り、ポーラはパネルを操作し、船底部の隔壁を作動させる。

 ルコッタが来た道を振り返ると、音を立てて壁が出現するのが見えた。完全に道は塞がり、ハンフリーとルコッタはその場に閉じ込められる形になった。



「え、えっと……何が起きたんですか……?」


「……空気が抜けているかも知れない」


「っ!?」


『はぁぁぁ!?!? う、嘘でしょ!? 気密性に問題ありってこと!? アタシがそんなミスするはずがないわッ!?』


 

 船員たちは皆その発言に驚いたのだが、リトアは特に驚き、そして信じようとしなかった。その甲高い声が通信機越しに響く。



「確かな事はまだ分からねぇ。だが、確かに宇宙服の外圧が徐々に減っているのを確認した。いくら船底部とは言え、艦内の圧力は一定になってるはずなのに、だ」


『……ですが、もし亀裂等が発生したならこちらでも確認できるはずです。それに、急激に圧力が下がるならまだしも、徐々にというのは……』


「ああ、それはそれでおかしい。だから原因を究明する。先に感知したのが船底部だったことから、この付近に原因があると考えている。通信はこのまま繋げておく。何かあったら知らせてくれ」


『りょ、了解……』


 

 ポーラが不安そうな声をあげ、一度通信は終わる。

 ハンフリーは一息つき、ルコッタの顔を見る。彼女の表情もまた、不安で満ちていた。



「……すまねぇな。マジのトラブルに巻き込んじまった。ここから先、正直に言うと命の保証はできない。何が起こるか分からねぇ」


「……は、はい……」


『この筋肉ダルマッ! ルコッタちゃんを不安がらせるんじゃないッ! ルコッタちゃん、君だけは何としてでも助けるから安心してね!』



 トニアの声が通信機から聞こえる。いつものノリではあったが、その様子は少しだけルコッタを安心させた。



「さて、原因究明の時間だ。まずは今いじった、酸素タンクと送風システムに原因がないか調べるぞ」


「はい……!」



 ハンフリーは慣れた手つきで機器の点検を行う。もちろん彼は専門家ではないので、あくまでも異常がないかを確かめるだけであったが、その処置は適格であった。

 しかしどこにも異常はなく、ただ船底部の圧力が少しずつ下がるだけであった。



「なんでだ……? なぜ下がる? 空気が漏れているにしては下がり方がゆっくりすぎる……」



 船底部に入ってから2時間、隔壁を下ろしてから1時間が経過した。

 二人は宇宙服に内蔵されている空気タンクを使い呼吸を始めている。それが必要になるほど、船底部の圧力は下がり、酸素濃度が低くなっていた。

 宇宙服の酸素も有限であるため、ここに閉じ込められてていい時間は限られている。しかし原因が分からない。

 もうその場でできることもなくなり、後はリースとリトアに調査を任せるしかなくなった。

 せめて呼吸を落ち着かせて酸素を節約するしか二人には手段がなかった。

 


「……」

「……」


 

 沈黙が続く。そしてふと、ルコッタは来る時の話を思い出す。



「……こんな時にお聞きするのもどうかと思うのですが」


「ん? いいさ。空気の無駄とは言わねぇ。何でもいい、気を紛らわさせてくれ」


「……軍を辞めた経緯についてです。途中でしたので」


「ああ。どこまで話したか……親父が軍人ってところまでか」


「はい、その辺です」



 ハンフリーは目を閉じ、少し間を開ける。そして一つ息を吐き、言葉を続ける。



「死んだんだよ。親父が」


「え……」


「ああいや、戦死とかじゃねぇ。普通の老衰だ。歳だったし、軍人として無理もしてきたからな。ただ……俺は大義のために命を賭す、って息巻いてた一番身近な人間があっさり逝っちまったもんで、俺も悲しみより先に拍子抜けしちまったんだよ」


「……」


「そしたら、なんかこう……世界が広がって見えたというか、いつの間にか自分についてた枷が外れた気がしたんだ。軍人って道しか示さなかった親父がいなくなって、初めて俺は自由になれた気がした。あの世の親父が怒りそうな話だけどな。はははっ」


「…………じゃあ、その道しか示さなかったお父さまを、恨んだりとかは……?」


「うーん、してないな。好きな人間でもなかった。だが恨むほど嫌いでもなかった。ひたすら厳しかったが、親としての役割はしっかり果たしてくれた。俺を軍人に育てたのだって、もしかすると軍人の生き方しか親父も知らなかったから、そう育てるしかなかったのかも知れねぇ」


「そう、なんですか……」


「だからこれは俺の問題なのさ。俺がもし、軍に入隊する前に、自ら別の道を見つけられていれば、親父だって無理に軍人にはさせなかった……かも知れない。要は自分次第だったのさ。だから俺は軍をきっぱりやめて、こうして自由に生きてる。なんてったって、俺だけの人生だからな」


「別の道……。ハンフリーさんにとって、今が自由なんですね」


「まあな。軍を辞めてからも色々あったが、なんだかんだ今のここに落ち着いてる」


「……」


「ま、なんだ。ルコッタがこれから自分の道を探すためにも、しっかりここを無事に出ないとな! おいリトア! まだ原因分からねぇのか!」



 ハンフリーは話を切り上げ、話し相手を通信先のリトアに切り替える。

 このまま話していても虚しくなりそうだ、という判断からだった。



「自分の道、か……」


 

 ルコッタはその言葉を脳内で何度も繰り返し、ぼーっと目の前を眺める。


「……あれ?」



 その時、彼女はある事に気づく。

 目線の先の壁に水滴がついていたのだ。よく見てみると着ている宇宙服にも水滴がついていた。

 ルコッタは急いで宇宙服の装置を操作し、周囲の温度を確認する。すると温度は6度であり、結露を起こすには十分な低温だった。

 


「あ、あの! リースちゃんいますか!?」


『ん? 呼んだ?』



 ルコッタは、医務室でトビーから教わったエネルギーの話を思い出しながらリースと通信を繋ぐ。



「温度管理システムがダウンって話ですが、それってつまり空気が循環していないってことですか?」


「んー……一切循環してないわけじゃないけど、そうとも言える。少なくとも、温度を管理するために、空気の送り出しとかは、されてない」


「じゃ、じゃあ、空気の冷却システムは今どうなってますか?」


『それなら、問題なく動いてる。あれはデジタルじゃなく、アナログなシステムで、例え電源が落ちても、勝手に熱放出がされて……ああ、なるほど』


「つまり、冷却された空気が使われずに、一定の箇所に溜まり続けてるってことですよね?」



 ルコッタの発言を聞き、「なるほど」と呟いたのはリトアとポーラ、そしてトニアの三人だった。ハンフリーはまだ理解していない。



「ハンフリーさん。これは空気が漏れてるわけじゃないんです。空気が冷やされて凝縮しつつあるんです。だから圧力が下がったんですよ!」


「空気が、凝縮だと?」


『アタシとしたことが、恒星の熱で機体が熱せられることばかり考えてて、冷やされる可能性を忘れていたわ~。恒星と反対側の機体面は冷えるに決まってるじゃないの』


 

 自分のミスではないことが分かりテンションを上げるリトア。それでも一部システムがダウンするほどの設計ミスはあったのだが、今は誰も突っ込まなかった。


 何が起きたかを順番に述べると、まず温度の管理システムがダウンした。それにより、温かい空気と冷たい空気を交換したり混ぜたりする循環システムも止まることになった。

 しかし熱放射により冷却された空気は作られ続け、それは船底部のエリアに流れ込むことになった。

 本来であれば、船のサーバールームや機械システムルーム、エンジンルームや冷凍室に配分されるのであったが、循環システムが止まっているため行われなかった。

 その結果、船底部がずっと冷やし続けられ、空気が凝縮されるまでに至った。

 隔壁を下ろさなくても、ある程度の気密性が船底と船上部の間にはあったため、船底の空気のみが凝縮され、圧力が下がることになった。

 密閉空間の空気が凝縮されると、空気中の水蒸気は凝縮され、水になる。しかし酸素が凍るほどの温度ではなかったので、結果として酸素濃度は減らず、むしろ水蒸気が減った分濃度は増えていた。そのためシステムも異常として見なさず、追加の空気を船底に送ることをしなかったのだ。


 以上がこの事態の原因である。


 原因が分かれば解決は早かった。というより、システムが復活すれば元通りになるので放置で問題なかった。もう一度メインデッキの酸素濃度と温度も調節し、隔壁を上げ、二人は無事にメインデッキへと戻ってこられた。



「お疲れ~! ルコッタちゃん! 今回は本当にナイスプレイだったよ! ご褒美のチューいる?」


「いりません」


「艦長、犯罪です」



 戻って来た矢先、ルコッタはトニアに歓迎を受けるがこれを華麗に回避する。200時間も一緒にいるのだから、慣れたものだ。

 ふとルコッタがトビーの方を見ると、彼もチラリと彼女を見て、一つ頷いた。



「ごめんねぇ……あんな閉鎖空間に、こんな大男と一緒に閉じ込めることになっちゃって……。変なことされてない!?」


「されてませんよ。トニアさんじゃあるいまいし……」


「私の評価低いねぇ……」


「そのうちこの子に本気で嫌われますよ」



 トニアたちと話すルコッタ。するとハンフリーが食堂へ戻っていくのを視界にとらえる。

 視線を向けると、彼の方も気づき、何も言わず右手で親指をぐっと握って見せた。それに対し、ルコッタも親指を立てて返事をする。もう彼を元軍人という理由で避ける理由は彼女の中になくなっていた。



 数時間後。システムもすべて復旧し、元に戻ったダッフル・ベッセル。一度休眠を取るべきだとトニアに言われ、客室へと戻って来るルコッタ。

 そして簡易ベッドの上に座り、持ってきていたキャリーバッグを開ける。そこには着替えがぎっしり詰まっていたが、その奥に古い通信機が隠されていた。

 


「……」



 通信機を見つめ、何かを考えるルコッタ。そして、覚悟を決めたような目つきになり、通信機に触れる。



「ふぅ……。私、ルコッタ・オルニーは……」



 彼女は部屋で一人、その通信機に向かってしゃべり続けた。まるで何かを懺悔するかのように。

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