第3話「緊急事態と彼女の決意」

「……よし。これでいいだろう」


「あ、ありがとうございます。トビーさん」



 ルコッタは医務室で怪我の治療を受けていた。と言ってもそんな大きな怪我ではなく、小惑星群を通過する際の揺れで転んでしまった時に軽い打撲を負ってしまったのだ。



「これくらい何ともないのですが、トニアさんが診てもらえってうるさくて……」


「なに、艦長殿が心配する気持ちも分からないでもない。ただの打撲とは言え、この閉鎖空間で怪我を放置するというのは危険だ。大事になっても、対応できる時間と設備がないからな」



 トンビ・ツカガヤ。皆がトビーと呼ぶこの老人は、このダッフル・ベッセルの医務官をしている。

 彼は所作はすべてが静かであり、無駄がなかった。ルコッタの打撲もあっという間に処置が終わり、あとはしばらく冷やしておくだけという状態だった。


 氷袋を打撲した膝に当て、ただじっと待つルコッタ。会話はない。

 そもそもトビーはまず医務室から出てこないため、この船でもう200時間以上過ごしたルコッタでさえほとんど話したことが無かった。



「……あー、トビー……さん」


「なにかね」


「えっ、あ……えっと」



 沈黙に耐え切れず言葉を発してみたが、これといって話題が思い浮かばない。

 そして視線を落とすと、ちょうどそこに膝に乗っている氷袋があった。



「そ、そういえば、宇宙船の中での水って貴重ですよね。やっぱり、こういう氷も貴重なんですか……?」


「氷か。良いところに目を付ける。確かにどちらも貴重なもので、この宇宙空間では限られた資源だ」


「やっぱりそうなんですね」


「特に、氷から水、水から蒸気、というような過程は非常に重要だ。それはエネルギーの移動に等しいからだ」


「エネルギーの移動……。熱、ですか」


「左様。氷、水、蒸気。この過程には熱というエネルギーが必要になる。だからと言って、その逆の過程を経てもエネルギーが返って来ることはない。むしろ蒸気が持つエネルギーをどこかに捨てる、ないしは交換しなければならない」



 トビーはルコッタの前まで行き、氷袋についた水滴を指さす。



「この水滴も同様。空気中に含まれた水蒸気が持つ熱エネルギー。これを氷というエネルギーがより低い物体に向けて放出し、水蒸気は水に変わる。逆にエネルギーを受け取った氷は水になる。だが水が氷になるには、さらに低いエネルギーを持つ……つまり温度が低い物体が必要になる。限られたエネルギーを使うというのも難儀なものだ」


「……では、新しく氷を作ったりはできないのですか?」


「いや、難儀とは言ったが、実はエネルギーの低い物体……というより空間は、ここにはいくらでもある」


「宇宙空間ですか」


「君は賢いな。そう。恐らくはどの船でも同じ方式を採用しているが、船内で余分に発生した熱は宇宙空間へと放熱される。状況にも寄るが、外の温度は基本マイナスになっている。放熱板によって冷却された空気を再び船内に取り込み、その冷気で水を凍らせる。そういった過程を経て、君の膝は今冷やされているのだよ」



 トビーは説明を聞きながら、ルコッタは膝の上の氷を見る。地上ではよく見るものであったが、この宇宙空間では複雑な技術と過程をもってこれが生まれているのだと思い、少しだけ胸が躍った。



「そういえば、そろそろ例の恒星の軌道に入るのだったかな?」



 打撲箇所を冷やすのも終え、片付けを済ませるトビー。そしてルコッタにそんなことを聞いた。



「例の……。ああ、エクターのことですかね。はい。もうすぐ恒星エクターの軌道上に入り、スイングバイを行うとトニアさんとベルさんが言ってました」



 既に3度のワープを終えたダッフル・ベッセルは、恒星の重力を用いた加速の準備段階に入っていた。

 スイングバイにより加速したダッフル・ベッセルはさらに30時間ほど飛び、最後のワープを行う。

 その4度目のワープで目的の惑星である惑星カラドックがあるギルダス星系に辿り着ける。



「そうか。ふむ……では、ワシも久々に見てみるとするかな」


「……?」




 数分後。メインデッキにて。



「おお~トビーおじいちゃ~ん! 珍しいね、医務室の外に出てくるなんて~」



 ルコッタとトビーは一緒にメインデッキへと来ていた。トニアは旧友に出会ったかのように喜び、ポーラたちは驚いて目を丸くしている。

 目の前には大きなガスの恒星が浮かんでおり、その圧倒的な存在感で空気が重たく感じた。



「な、なんだよじいさん……。俺がしくじるとでも思ったのか?」


「いや何。ワシでさえ恒星で加速するなどあまり観たことがないのでな。若者を応援するつもりで、景色でも見てみようかと思ったまでよ」


「な、ならいいけどよ……」


 若干怯え気味のベルにそう言いながら、トビーは操縦席の隣に立つ。ちょうどダミアンが座る補助席との間に位置する形になった。



「ええと……。トビーさん、こっちに座ります?」


「いや、大丈夫だ。ダミアン君は座ったままでいい」



 その様子を見て、ルコッタは小声でトニアに話しかける。



「トビーさんって、もしかして怖い方なんですか?」


「ん? どうして?」


「だってなんか、あのベルさんとダミアンさんが怯えてるというか、遠慮がちというか……」


「なるほどね~。まあでも老人は敬う存在だからね。うちの船員は皆あんな感じの態度だよ」


「そうなんですか。ちょっと意外というか、新鮮というか……」


「もちろんそれ以外の理由もあるけど~。ま、そのうち分かるよ」


「?」



 トビーの佇まいはとても老人とは思えないほど綺麗なものだった。背筋は真っすぐしており、足腰も弱っている印象を受けない。

 ルコッタが今まで見てきた老人のイメージとは異なっていた。



「恒星エクターのロッシュ限界の近傍に到達します」


「了解。機体の角度を調節する」



 事前に観測された数値を元に、ある程度の軌道計算は既にされている。

 "このライン"より恒星側に近づいてしまうと完全に重力に捕まり、戻ってこられなくなるという境目がある。それを"ロッシュ限界"と呼ぶ。


 エクターの引力に導かれ加速したダッフル・ベッセルは、その限界線を越える前に機体角度を調節し、スラスターで必要な強さだけ推進力を得る。


 船内は人工重力がはたらいてるため大きな衝撃こそなかったが、エクターの重力から逃れ始める瞬間、その一瞬だけ恒星側に身が引き寄せられる感覚に陥る。

 ルコッタに至っては、そもそもスイングバイという航法自体が初体験であり、今までに感じなかった感覚に不安を感じ始める。



「……そもそも、スイングバイって恒星でできるんですか?」



 ルコッタはポーラのもとへ行き、その質問を投げかける。トニアに聞いてもまともな答えは返ってこなさそうなので、彼女に聞くことにしたのだ。



「そうねぇ……。前例はあるわね。惑星の引力を使って加速して、その勢いのまま重力圏から抜け出すのがスイングバイなのだから、その力が強い恒星系ならより効率の良い速度を得られるからね」


「じゃあ別に珍しいわけじゃないんですね」


「……輸送艦での前例なんてまず聞かないけどね」


「え?」


「さっき言った前例ってのは、無人艦とか、大型の宇宙船の話よ。この規模の巨大なガス状惑星だと、強い熱輻射はもちろん、広範囲の磁場、輻射圧、放射線が常に付きまとうわ。対策はしてあるけど、どこまで通用するのやら……」


「え、え? それって、大丈夫なんですか……? 私たちの体調とか……」


「その辺はうちの技師たちを信頼するしかないわね。リースちゃんと変態リトア曰く、耐熱、耐圧、耐放射線、磁気シールドは万全とのことよ。もしかすると、あのジジイが出てきたのも健康面を心配してるからかもね」


「な、なるほど……」



 先ほどトニアが、船員たちはトビーを敬っているという発言をしていたが、なぜポーラは彼をジジイと呼ぶのだろうか、とルコッタは疑問に思う。

 しかしそれを今聞いても仕方ないので、とりあえず置いておくことにした。



「一番の問題は軌道計算よ。ガス状の惑星ってのは形状が不安定だから、重力場だって変動しやすいの。特に今回のスイングバイは15時間ほどかかる予定だから、その間に一切重力が変わらないって保証はどこにもないわね」


「はあ……。だから今ダミアンさんが必死になって軌道計算してるんですね。……あれ? 今回のスイングバイって自動操縦でしたっけ?」


「いいえ。うちの船にはそんな大層な計算機能も自動操縦システムもついてないから、どっちも手動よ。だからあの二人は15時間働きっぱなしになる」


「っ!? 15時間も!? 途中で倒れたりしませんかそれ!?」


「私に聞かれてもね……。やるって言ったからにはやってもらわないと。失敗すれば私たちは恒星の一部になるか、宇宙の彼方へすっ飛んでいくでしょうから」



 ルコッタは思わず二人の方に目線を向ける。一瞬も気が抜けない時間。そしてそれをすぐ近くで見て、何事もないように佇むトビー。

 こうして見ると、彼がいることで二人の緊張が少しは和らいでいるのかも知れない。そう思えたルコッタだった。


 しかし一方でトニアの方を見てみると。



「わっほ~い! いやぁ、美しく輝くガスの星! なのにこの強い引力! これぞ宇宙の神秘だねぇ!」



 かなり能天気にはしゃいでいた。ある意味ではこのテンションも安心材料かもしれないが、どちらかと言えば気が散る類のものであった。

 

 今までにない体験に戸惑うルコッタだったが、だからと言って15時間彼らを見守っているのも無理な話だった。ポーラにも勧められ、気を休めるために客室へ戻ることにするルコッタ。

 その道中の廊下で、食事を運ぶハンフリーとすれ違う。



「あ……ハンフリーさん。ど、どうも……」


「ん? おう」


 

 リトアから、ハンフリーが元軍人だということを聞いて以来、どうにも彼との接し方が分からないルコッタ。その妙な態度にハンフリー自身も気づいてはいたが、その要因を本人は知らなかった。

 何か怒らせてしまっただろうか、と考えるハンフリーだったが、思い当たる節はない。あるいはリトアに何か吹き込まれたか。


 しかし、もう日計算で8日以上同じ船で暮らしている。あと少なくとも5日分は共に過ごすのだから、この狭い空間で仲違いの状態は危険だ。宇宙の軍隊に身を置いていた彼はそう思い、思い切ってその要因を探ってみることにした。



「あー……。ところでルコッタ」


「は、はい!?」


「……。えっとだな。メインデッキに、もしかしてじいさん来てたか? 医務室に居なかったんだが」


「あー……はい。今、操縦席の隣にいます」


「そ、そうか。珍しいな。何かあったのか?」


「えーと……。ついさっき、恒星スイングバイが始まったので、それを見ていたい……と言ってましたね」


「ああ、さっきの違和感はそれか。まったく、うちの艦長は。それくらいアナウンスしろってんだ。大事なことはしっかり伝える。そういうのが人間関係で大事なことだよなぁ? ルコッタもそう思うだろ?」


「え!? あ、は、ははは……」



 ハンフリーはどちらかと言えば会話が苦手な人間だった。というか馬鹿だった。



「……? あ、リトアは見なかったか? あいつもリースと同じで、神出鬼没なんだよ」


「リトアさんですか……。そういえばしばらく見てないですね」


「あいつは基本的にいい加減だからな。行動も発言も。だからあんまりあいつの言う事を信じるんじゃないぞ」


「は、はあ……」



 自分を避ける理由を聞き出そうと直球で投げるが的には当たらない。

 だんだん遠回しに聞くのが億劫になってきたハンフリー。傍から見れば遠回しでも何でもないのだが、本人はそう思っているらしい。

 しびれを切らした彼は、思い切って本人の思う直球で聞いてみることにする。



「ああもう……。なあルコッタ。なんでお前さんは俺のことを……」



 ちょうどその時、船全体がガクンと揺れる。ルコッタは体勢を崩しかけるが、ハンフリーが咄嗟に抱えて転倒せずに済む。



「おっと、大丈夫か」


「え、あ、は、はい!」


「……それにしても、今の揺れは……」


 

 結局聞きそびれてしまったが、今はそれより揺れが気になっていた。まるで何かに衝突したかのような揺れだった。

 ハンフリーは急いでメインデッキに向かう。ルコッタも、それについていく。



「どうした? 何の揺れだ、今のは」


「おお、フーフー。ちょうど良いところに」


 

 ハンフリーがメインデッキに着くと、そこには艦長席から立ち上がってポーラと話すトニアが居た。ちなみにトニアも彼のことをフーフーと呼ぶ。



「ちょうど良い? なんかあったのか」


「まぁね。簡単に言えば、恒星エクターの磁場が予想以上に強くて、いくつかのシステムがダウンしちゃったのさ。参ったねぇ」



 トニアは頭を掻いて苦笑する。彼女だけを見ればそこまで深刻な問題じゃないのかもと思えたが、隣のポーラの表情を見るとそうでもなさそうだった。



「システムがダウン? ……例えば?」


「今リースが点検と再起動を行っていますが、環境系……酸素濃度調整システムと温度管理システムの復旧は長引くとのことです」


「長引くって……どれくらいだ?」


「最短でも5時間は欲しいと」


「冷凍室も5時間は落ちるのか。チッ……いくらかダメになりそうだな。酸素はもつのか?」


「そこが問題で、5時間だと酸素濃度が0になることはありませんが、最後の1時間はかなり薄い状態になります。その状態だと、船員、特に操縦士にとってかなり危険だと、ジジ……トビーが言ってます」



 ポーラは操縦席の方をチラ見する。それに合わせてハンフリーとルコッタもそちらを見る。そこには変わらず眼前の恒星と戦い続ける二人の姿と、その間に佇むトビーの姿があった。

 するとトビーがハンフリーたちの方に視線を向け、一度だけ頷く。それを見たハンフリーが、一つ溜息を吐いた。



「はあ。なるほど。それで俺の出番か」


「そーゆこと。……ホントは私がやるべきなんだろうけど、ここを離れるわけにもね」


 

 突然声のトーンが低くなり、真面目な様子になるトニア。ルコッタは驚いたが、それ以上に今の状況が呑み込めていなかった。



「バカが。艦長が自ら危険に赴いてどうする。どっしり構えてりゃいいんだよ、お前は」


「え、えっと……。つまり、どういうことですか?」


「ん? ああ、そっか。ルコッタちゃんに分かるはずもないか。つまり、自動で酸素が供給されなくなったから、これから手動で酸素を供給するってこと。その役目を担うのが、このフーフー君ってことなのさ~!」


「君付けだけはやめろ」


「……それって、危険なんですか」


「……酸素タンクは船底の方にあってね。そこには人工重力がはたらいてないのさ。加えて温度調節もされてない。恒星の近くを飛んでる最中だから、どんどん温度は上がっていくだろうね」


 

 トニアが静かにそう言う。ようやく事態の深刻さが分かって来たルコッタ。同時に不安と焦りも湧いてくる。



「は、ハンフリーさんは……安全に戻ってこられるんですよね……?」


「ルコッタ……。そこまで大変なことじゃないさ。念のため、安全着の上に、船外作業用の宇宙服も着て体温の調節を行う。それに、何も5時間ずっとそこに居るわけじゃない。必要な酸素量を供給できたらすぐに帰って来る」



 ハンフリーは笑いながらそう言う。内心、嫌われていると思っていたルコッタが、自身の心配をしてくれたようで嬉し恥ずかしがっていた。

 もちろんそれは顔に出ているのだが、それに気づいたのはポーラくらいだろう。


 どうすることもできない無力感に襲われ俯くルコッタ。そして思考を巡らすうちに、あることに気づく。



「……あれ。えっと、船の下の方が温度調節されてないのは分かったんですが、今はこのメインデッキの調節もされてない……ってことですか? システムがダウンしたってことは」


「ああ、そうね。でも、船の耐圧性能もあるし、5時間ならそこまで温度は上昇しないはず……」


「いや、待たれよ」


「ッ!?」


 

 ルコッタの問いに対してポーラが答えていると、急にしゃがれた低い声が聞こえる。それはトビーの声で、いつの間にかポーラたちのすぐ近くまで来ていた。



「今しがた、機体強度の再計算を行っている造船技師殿に通信で聞いたところ、このままであると5時間後の艦内の平均温度は28度ほどになるそうだ。すぐ命に危険が迫る温度ではないが、精密作業をしている者にとっては多大なストレスになりかねない」


「おや。リトアってば、何してると思ったらしっかり働いてたのか。てっきり設計ミスに対して落ち込んでるものかと」


「つまり、酸素供給の他に温度調節も手動で行う必要がある……と」


「左様。同じく船底に、船のダクト内の送風を行える設備がある。緊急時に艦内の空気を輩出するためのものだが、これを使い、メインデッキと冷凍室の空気を随時入れ替えることを提案する」


「れ、冷凍室の空気を!? ダメになる食料が増えちまう……のは仕方ないとして! そんなことできるのか?」



 ハンフリーが狼狽する。その時、ポーラの席の通信装置からリトアの声が聞こえだす。



『こちらトニア……。結論から言えば、可能よ……。アタシが配管を一時的に変えて、誰かが船底の設備をいじってくれればね……』


 

 トニアが予想していた通り、彼女は自身の磁気シールドの設計ミスに落ち込んでいた。声のトーンが明らかにいつもと違っていた。



「ってことは、俺が酸素を供給するついでに、その設備もいじってくればいいんだな?」


「いや、食料管理士殿は酸素供給に専念していただきたい。酸素も濃度を間違えれば人体には毒。計器を見ながら、ちょうど良い濃度を維持していただきたい」


「じゃあ、どうするってんだよ」


「ワシが行こう。エンジニア殿はまだ幼く、また今は造船技師殿の手伝いをしている。艦長殿は言わずもがな、通信士殿もここで二人のサポートを引き続きお願いしたい」



 あの二人、とはベルとダミアンのことだった。しかしルコッタがちらりと二人を見ると、一瞬だけトビーの方を振り返り不安そうな目で見る彼らの姿があった。

 彼らもこの緊急事態に動揺しているのだ。



「じいさんが? ……そりゃ、体力的には問題ないだろうけど……」


「……私のサポート能力などたかが知れています。どうせ艦長もこのタイミングで暴れたりしないでしょうから、私が船底へ行きますよ」



 そうポーラは言うが、トビーとトニアが首を横に振る。どちらも真剣な眼差しで、彼女がこの場に必要であることを示していた。

 ポーラの悔しそうな顔。そしてさっき一瞬見えた、二人の不安がる顔。それが脳裏にこびりつき、離れなくなるルコッタ。そして気づけば、彼女はこんなことを口にしていた。



「私が行きます。行かせてください」



 それまで蚊帳の外にいた彼女は、一歩前に出て、そうはっきり告げた。

 手足は震え、顔は強張り、誰が見ても怖がっている様子だった。

 その提案を最初に拒もうとしたのはトニアだった。



「待ってよ、ルコッタちゃん。君がここで危険にさらされる必要はないんだよ? なにせ、君は依頼主、お客さんだ。これはこの船の問題で、私たちだけで解決するべき問題なんだ」


「ええ、そうね。それに、あなたはまだ無重力状態にも慣れていない。船底での作業は危険すぎる。ここは私たちに任せて」



 ポーラはルコッタの肩に手を置く。しかし、ルコッタはその手を握り返し、震えた声で続けた。



「今一番頑張っている、ベルさんとダミアンさんに必要なのは、トビーさんがついていてあげることです……。あなたが居ることで、あの二人は安心して目の前のことに集中できます……っ」


「……」


「あの二人がミスをすれば、それこそ私が危険になります。であれば、それを回避する最善の策を取るのが一番です。今、ハンフリーさん以外に、満足に動けるのは、この船で私だけ……。違いますか」


「ルコッタ……」


「それに……。もう、私はこの船の一員です! 少なくとも、私はそう思ってます! もう200時間も生死を共にした、ダッフル・ベッセルの船員の一人です!」


「……っ!」


 

 その言葉に驚かされるトニアたち。それを聞いて、10秒もしないうちにトニアが返事を出した。



「分かった。気を付けて、行ってらっしゃい」


「……! はい!」


 

 もちろん、トビーもポーラも異議を唱えて、自分こそ行くべきだと主張したかった。

 しかし、先のルコッタの発言を聞き、そしてそれに対する心地よいまでのトニアの返事を聞き、黙り込むしかなかった。納得せざるを得なかった。




 厚い安全服の上から船外作業用宇宙服を着て、温度調節や靴底マグネット、通信機の動作チェックを終わらせる。

 そしてハンフリーとルコッタは、船底エリアへ続く梯子の前に立った。



「準備はいいか、ルコッタ」


「は、はい……! いつでも行けます」


「よし。んじゃ、行きますかっと!」



 少女は今、人生初である無重力活動に挑む。それも他人を救うための目的で。

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