第2話「大冒険と自分の世界」
輸送艦ダッフル・ベッセルが発艦し、惑星エニードの軌道から離れて3時間が経過した頃。
船を自動操縦に切り替え、艦長のトニアは通信士兼艦長補佐のポーラと、航法士のダミアン、そして操縦士のベルを呼んだ。
「さてと、まずはダミアン。航路計画はどんな感じになった?」
トニアがダミアンに尋ねる。
「え、あ、はい。惑星エニードから惑星カラドックまでの約50光年。これを2週間で辿り着くとなるとワープ航法を5回行う必要がありますが、エネルギーの問題で恐らく4回が限度だと思います。そこで……」
ダミアンは眠そうなベルの顔を見る。
「途中にエクターってデケェ恒星がある。ガス状の星だ。こいつの重力でスイングバイして速度と燃料を稼ぐ。それしかねぇよ」
ベルは艦長席の前に大きく表示されている航路マップを指さし、そう告げる。
「こ、恒星でスイングバイですか……。それはまた、大胆な……」
「ふぅむ。確かに。恒星なら軌道通過の許可を取る相手もいないし、まず軍も近づかないだろう。なにせ一歩間違えれば恒星の熱で一瞬で蒸発だからね!」
恒星の引力はとてつもなく大きい。もし少しでも入射角や速度を間違えれば、宇宙線の一つなど簡単に引きづりこまれてしまう。
「ま、これで一旦見つからずに辿り着く算段はついたね」
「二週間ギリギリですがね……。なんて無茶な……」
「しかし、問題はルコッタです。もし彼女が本当にレジスタンス軍で、あの積み荷が彼らの手に渡るとなれば、私たちは反乱軍の運び屋という扱いになります」
ポーラが険しい顔でそう告げる。もちろん、彼女が本当にレジスタンス軍だという確証はない。例の要注意リストにある物だって、飽くまでも反抗組織がよく使っている物に過ぎない。それを使っているから反抗組織員だとは言えない。
だが彼女の場合、積み荷を検査されたくないと言っている。軍に見つかりたくないという意味であり、後ろめたいことがあるのは明白であった。
「……個人的な感情は抜きにして、艦長補佐として進言します。ルコッタを軍に引き渡すべきです。疑いあり、というだけでも十分通報する理由にはなります」
「そうだね。それも一つの手段だ。そう言ってくれる辺り、本当にポーラにはいつも感謝してるよ」
トニアはニコリとポーラに笑顔を向ける。ポーラは恥じらいから空かさず目を逸らす。
「……まあ、そうは言っても、あなたはそんなことしないのでしょうけどね」
「そう。だってあんな可愛い女の子だよ? 悪い子には見えないし、大人が騙すようなことしちゃいけないよ」
「艦長……」
ポーラは目をトニアに向け、「まったくこの人は」とほほ笑む。
「それに、仮にレジスタンス軍だったとしても、私のこの溢れ出る愛で、可憐な少女に一晩中お説教してあげるさ! みっちりね……へへ」
「艦長。セクハラ越えて犯罪です。気持ち悪いです。一瞬にして逮捕されてください」
一瞬でも見直そうとした自分を返して欲しいとポーラは強く思った。
「……で? 一応聞いておくが、もし運悪く治安維持軍に見つかって、積み荷チェックさせろって言われたらどうするよ」
暇そうにしていたベルがそう訊ねる。ダミアンもそこが一番気になっており、うんうんと強く頷く。
「え? 知らないよ? そん時はそん時で、なんか考えればいいっしょ~」
「ま、あんたならそう言うよな」
「いつもの事ですね。はぁ……」
「……僕、まだそのノリについていけないんですけど……」
しかしこれもこのダッフル・ベッセルの日常の一つだった。比較的新米のダミアンにとっては戸惑いを隠せない状況であるが、これ以上何を言ってもトニアが何か案をひねる出すはずもなく。一度この場は解散となった。
ルコッタがレジスタンス軍の疑いありというのは、とりあえず他のメンバーには伏せておくことにした。
「ほらよ。食事だ、もってけ」
「……ホントに食料管理士さんなんですね……」
さらに数時間後。睡眠から起きたルコッタは食堂へ行き、巨漢のハンフリーを前にしていた。
彼の身長は190センチほど。筋骨隆々で、左頬には大きな傷がある。ついでにスキンヘッドで、どう見ても食料管理士ではない風貌をしていた。
「なんだ? 俺が飯を管理しちゃ悪いのか?」
「いえ、そういうことでは……」
すると、食堂のテーブルで同じくご飯を食べていた女性がルコッタたちの方を振り向く。
「フーフーちゃん。そうじゃないのよ。その子は、その大きな体と食料管理の関連性がないって思ってるの」
そう大人の色気を若干帯びてる声で言うのは、この船の造船技師をしているリトア・J・ラザフォードだった。全体的に細く、それでいて主張が激しい上半身をしている。
技師と言えば厚い服とかツナギを着ているものだという認識をルコッタは持っていた。
しかし彼女はその逆で、胸元は見えており、スカートの丈は短く、お腹は丸出しという、あまりにもその場に相応しくない恰好をしていた。
「……それ言ったらお前のその恰好と技師ってのも関連性ないだろ」
「そうかしらぁ? お船ちゃんを着飾ったり、お化粧したりするのは、女の魅力を磨くのと同じだと思うのだけど」
そう言いながらリトアは腕を組み、胸部をより強調させる。
ハンフリーは咄嗟に視線を逸らす。ついでにルコッタも目のやり場に困り目を逸らす。
「ったく……。ルコッタって言ったな。お前さんがどこでどんな生活をしてたかは知らないが、食事ってのは宇宙で生きる連中にとっては命と同じくらい大事なんだよ」
「命、ですか」
ハンフリーはルコッタとリトアに背を向け、話し始める。
「ああ。栄養が摂れなきゃ十分な能力を発揮できねぇってのは当たり前だがな。バランスが悪ければ体調を崩すし、精神状態にも影響する。この閉鎖空間でまともなメンタルを保っていられるのは、食事のおかげと言っても過言じゃない」
「な、なるほど……」
「それに時間の管理にもなる。この船では8時間に一回食事を提供する、というルーティンを組んでる。これで宇宙空間でもある程度の時間の流れを掴める。もちろん、同じ味だと飽きるから、俺がバランスを見て味付けや材料を変えてる」
「その体も、徹底的な食事と運動の管理の賜物だものねぇ」
宇宙へあまり出たことのなかったルコッタ。たかが食事とは思っていたが、思っていた以上に奥が深いものであった。
「それに、星に降りる度にいつも違う調味料を買ってきてくれるから、アタシたちも飽きずにいられるのよ。ありがとうねぇ、フーフーちゃん」
「そりゃどういたしまして」
ハンフリーは背を向けたまま、片手を振って応える。
「あの、さっきから言ってるフーフーちゃんってのは……」
「え? ああ、そこにいる大男のことよ。
「地球の、言葉……?」
「ええ。私たちのご先祖様の生まれ故郷ね。うちの艦長さんが地球が大好きでね、たまにこういう知識を教えてくれるのよ」
「ったく……あいつはいつも余計な事を広めやがる。だいたい俺の名前はハンフリー・ウォルフガング・ウエルタだ。Wを忘れんな!」
「だったら
「もう勝手に呼んでくれ……」
そう言うと、ハンフリーはいくつかの食事箱を持ち食堂から出ようとする。
「あら? どこへ行くの?」
「医務室だよ。トビーのじいさんは運んで行かないと何も食おうとしないからな。あと、どっかで昼寝してるリースも探さねぇと……。食い終わったらプレートはその台の上に置いておけよ」
そう言い残し、ハンフリーは出て行った。
残されたルコッタは、とりあえず手渡された食事を持って椅子に座る。
リトアに手招きをされたので、彼女と向き合って座ることになった。
「どぉ? まだ出発して24時間も経ってないけど、この船の居心地は」
「え、えと……。不便ではないです。広いし、綺麗なので」
「ふぅん……。ってことは、あんまり良い船に乗ったことはないのね。ルコッタちゃん」
リトアはテーブルに肘をつき、ルコッタをじっと見つめる。
「そ、そう、みたいですね。私、エニードからあまり出たことがないので……。行ったとしても、エニードの衛星にちょっと行ったくらいで……」
「あら。じゃあこれが人生で一番の大冒険ってことね」
「だ、大冒険?」
「そうよ~。この広い宇宙。地上のように舗装もされてなければ、絶対の安全が確保されてるわけでもない。そんな時間が2週間も。これが大冒険じゃなくて何なのよ~」
リトアは手に持っていたフォークで窓の外を指す。そこには宇宙の暗闇が広がっているが、所々に小さな光が見える。
「……人が思ってるより、この世界は広いのよ。行ける場所は無数にある。できることも。だからアタシたちだって、こんな変人集団の船に居続ける意味なんてホントはないの」
「……? この船、嫌いなんですか?」
「まさか~。アタシ含めて、皆好きだから乗ってるのよ。逆に言えば、好きだからって理由だけで乗ってる。強制されてとかじゃなく、義務でもなく、好きだからこの居場所を選んでるの」
「好きだから……」
「フーフーちゃんなんか、察せると思うけど元軍人さんよ。治安維持軍のね。でも自らの意思で退役して、この船を選んだ。細かい理由は知らないけどね」
「ぐ、軍人さん……ですか……」
ルコッタは額に汗をかく。まさか一番見つかりたくない相手の元関係者と同じ船にいることになるとは、と。
するとリトアは残っていた食事をひょいひょいと口に運び入れ、プレートを持って立ち上がる。
「何が言いたいかって言うと、あなたの世界は今広がりつつあるってことよ。その狭い世界から抜け出して、今まさに宇宙規模で広がっている。あなた自身の好きなこと、やりたいこと。見つけていきましょうね」
リトアはプレートを台の上に置くと、手を振って食堂を出て行った。残されたルコッタは、一人で食事を食べた。
「私の……世界……」
時折窓の外を見て、そう呟きながら。
発艦から32時間が経った頃。メインデッキにて、一回目のワープの準備が始まっていた。
「第一ワープ準備。5分後にワープ航法に入ります」
「ワープ準備了解。ディフレクトリング、前後ともに起動を確認。管制システムに異常なし」
「通信システム、外部との遮断完了。エネルギー残量、問題なし」
ダミアンとベル、ポーラはそう確認し合い、制御盤を操作してワープの準備を進める。
ワープ航法は、人類が生み出した最高の技術の一つである。偏重力を制御し、湾曲した時空間を部分的に形成する。
船の性能にも寄るが、移動するのに数光年かかる距離と時間を物理的に縮め、そこを渡り切るという技術だ。これがなければ人類は宇宙へ進出などできなかった。
「いやはや、毎度ながらこの瞬間が一番興奮するね」
そうトニアは艦長席で豪語する。その前方にいる者たちは一つのミスが許されない状況で緊迫しているというのに。
「興奮するのは分かりましたから、艦長は皆にワープのこと伝えてください」
「分かってるって~。艦内放送に繋げちゃって~」
「まったく……。はい、繋ぎました」
「こちら艦長のトニア。これよりワープ航法に入る。各員、持ち場につき衝撃に備えよ。以上」
セリフこそしっかりしているが、顔からこぼれる笑いが声に交じっており、聞いた誰もが「楽しんでるな」と確信した。
「……あ、そうだ。ルコッタちゃ~ん、今すぐメインデッキにいらっしゃーい」
「っ!? なに言ってるんですか!?」
「せっかくだしワープの景色を見せてあげようと思って」
「いやアトラクションじゃないんですから! それにどこに体を固定するって言うんですか!」
「ん~。私の膝の上とか?」
「馬鹿なんですか!?」
そのトニアとポーラの言い合いは全て艦内に流れているが、これもまた毎度のことなので特に船員たちは気にしない。ただ一人部屋で放送を聞いていたルコッタだけは、どうすればいいのか分からず困惑していた。
ポーラの怒った声で放送が止まってしまい、結局どうすればいいのか分からなかったが、とりあえずメインデッキに向かうことにした。
「なんで来ちゃうかなぁ……」
「いらっしゃいルコッタちゃん! ワープの景色を特等席で見せてあげるよ!」
メインデッキに行ったルコッタは、呆れかえるポーラと艦長席から立ち上がって手招きをするトニアの姿があった。
「……え? ま、まさか、そこに座るんですか?」
トニアが手招きする先はもちろん艦長席。ここへ座れ、と言わんばかりであった。
「だってぇ。膝の上に乗せたらセクハラだってポーラが……」
「そもそも体を固定するって時に人を膝に乗せるのが非常識なんですっ! 親子だってしませんよ!」
「あっはっは! ってことで、ルコッタちゃんはこの席に。私はそうだな……ま、適当にしがみついてるよ!」
「え、ええええ!?」
あれよあれよとルコッタは艦長席に座らせられ、固定具を体に装着される。そしてトニアは艦長席の後ろに立ち、その背もたれをがっしりと掴んだ。
「これでオーケー!」
「いいわけないでしょうが!」
ポーラがどこからともなくロープを持ってきて、それでトニアと背もたれをぐるぐる巻きにした。その上でトニアに巻き付けたロープを近くの柱に巻き付け、命綱のようにした。
「これくらいすれば大丈夫でしょう。せいぜい切り傷と打撲で済みます」
「ホントかなぁ!? これだと先に私の体がうっ血とかしないかな!?」
そんな仲が良いのかよく分からないやり取りを繰り広げてる間にワープの準備が完了する。
「ワープ入ります。カウント30、29、28……」
「ほら! ポーラも私で遊んでないで、席ついて!」
「遊んでませんよ~」
ポーラなりの普段の仕返しなのか、トニアを必要以上に強く縛りつけたところで自身の席へと帰る。そして固定具で体を固定し、ワープの衝撃に備える。
「ルコッタちゃん。見ててね。今から見える景色は、人類の叡智の結晶の一つ。宇宙という神秘そのものだよ」
「神秘……?」
「そう。私はこの席から宇宙を見るのが大好きなのだけど、このワープの景色と感覚も大好きなんだよ。皆は気味が悪いって言うんだけどね。あれほど宇宙の神秘を感じられるものはないのに……」
「……あの、トニアさんは、どうして……」
「ワープ開始!」
ルコッタがそこまで言いかけるが、ワープのカウントが0になり強い衝撃が体に加わる。
「うっ……!」
強く後ろに引っ張られるような感覚、前から押し込まれるような感覚。それが一気に押し寄せてきて、思わず目を瞑るルコッタ。吐き気さえ起こしそうなその時間の中、頭上からトニアの声が聞こえる。
「ほら……! これが、時空を飛び越える景色、だよ……!」
その声に気づき、ルコッタは思い切って目を開く。眼前に広がる景色。それは先ほどの暗い宇宙とは違い、見えるもの全てが輝いて見えた。
船の前方の空間が圧縮され、周りの星の光が一点に集中する。後方に向かうにつれ空間は引き延ばされ、一つの光が線状に伸びる。
目を覆いたくなるほどの強い一点の光。そこから伸びる、無数の光の線。赤、白、青。様々な色で覆いつくされたルコッタの視界は、神秘と呼ぶにふさわしいものだった。
その景色に圧巻される頃には押しつぶされるような感覚にも慣れ、残ったのは身体が浮き上がるような妙な感覚だった。
まるで、このまま宙を浮いてどこまでも行けてしまうような……。
「ルコッタちゃん! あ、気づいた?」
「……え? えと、あれ?」
ルコッタが目を覚ますと、先ほどの景色はなくなっており、暗い宇宙が前方に映し出されていた。
「ワープに慣れてないと途中で気を失っちゃうんだよね。途中、意識がふわふわするタイミングがあったでしょ? そこで気をちゃんと持ってないとダメなんだけど、あれを嫌う人が多くてねぇ。私は好きなんだけど」
「……あれが好きな人、艦長くらいですよ」
「俺だって吐きそうになるってのによ……」
ダミアンとベルが疲れ切った声でそう言う。何度も経験しているはずの二人だが、やはり慣れるのには時間と素質が必要らしい。
ポーラに至ってはトニアにツッコミを入れる気力すら失っているようで、デスクに突っ伏している。
一方の、頭上でヘラヘラするトニアはその見た目通り平気そうだ。ロープでぐるぐる巻きにされているというのに、呑気なものだとルコッタは思う。
「ふぅ……次のワープは30時間後。イズールト星系を越えたところです」
「このまま進めば惑星の軌道上に入っちまうんで、これより操縦は手動に切り替え、惑星を迂回する。問題はないな、トニア艦長」
「了解した~。安全運転でね~」
こうして一回目のワープが終わり、ルコッタも落ち着きを取り戻した。しかしあのワープの景色はしっかりと目に焼き付いており、しばらく思い返してしまいそうだった。
「ところでルコッタちゃん」
「っ! は、はい?」
「ワープの直前、私に何か聞こうとしてたけど、なんだった?」
「え? ああ……いや、何でもないです。気にしないでください」
ルコッタは「なぜトニアは輸送艦に乗ろうと思ったのか」を聞こうと思っていた。
リトアが言っていたように、彼女も好きで乗っているのはきっと確かなのだろう。
では何が好きなのだろう。さっき言っていたように、景色が好きだから乗っているのだろうか。
それだけで、この船の艦長で居続ける理由になるのだろうか。そう考えた。
しかし今は聞かないことにした。急ぐ質問でもない。今はとにかく、あの景色の余韻に浸りたかった。
「そう。ならいいけど……。じゃあ、そこで一つお願いなのだけど」
「はい?」
「これ、解いてくれない?」
トニアは目線で自身に巻かれたロープを指す。ぐるぐる巻きにした本人はダウン中。ダミアンとベルは操作パネルと格闘中。解く役目を担えるのはルコッタだけだった。
「ど……どれだけ強く巻いたんですか……! これぇ……!」
「そろそろ指先の感覚がなくなってきた……」
「なにやってんだ、お前ら」
最終的に、食事を運びに来たハンフリーによってロープは解かれたのだった。
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