覇王鳥伝説BOOKOWL

@souon

第1話


 背後から打ちのめされ、なす術もなく倒れた無防備な背中に、硬い雪崩が容赦なく降り注いだ。目の前が真っ暗になった。亀のように丸くなって衝撃が過ぎ去るのを待つ。落下がおさまるころを見計らって、崩れ落ちた書籍の山から這い出した彼は、砂埃に激しく咳き込みながら独りごちた。

「ひええ、こっちの道はダメだな」

 そこら中崩れた書棚だらけだ。おまけに、コンクリートを割って逞しく生い茂った木々のせいで、あたりは薄暗く、今が昼か夜かすら判然としない。耳を澄ますと、暗闇に息づく野生の生き物たちの気配がした。

 その日何度目かの重苦しいため息を吐いた彼の名は、R.B.ブッコロー。かつて有隣堂YouTubeチャンネルのMCを勤めていたミミズクだ。そんな彼が、なぜ、荒れ果てた書店の中をたった一羽で彷徨っているのかというと、発端は今から約100年前に遡る。3度に及ぶ核戦争を経て、有隣堂伊勢佐木町本店を除く地表の99.999999%は不毛の地と化した。残された有隣堂社員達は、地球の自浄作用に望みを託し、コールドスリープにより次々と眠りについたのだが、ブッコローだけが連絡不備で取り残されてしまったのである。

 長年厳しい環境に晒されて、愛らしい体色はくすみ、輝く瞳もすっかり黄ばんでしまった。そして何より、長い孤独は、彼の最大の特徴であった鋭い舌鋒を見るも無惨に打ち砕いてしまっていた。

「誰かいねえかなあ……誰でもいいんだよ……しょーもない話がしたい!寂し〜!喋りた〜いっ」

 そんな切実な願いも虚しく、今日も孤独な1日が過ぎていく――はずだったのだが、苔むした足元を確かめながら、雑草と蔦の茂みの奥へと足を踏み入れたブッコローは、大きく目を見開いて叫んだ。

「ちょっと、ザキさんじゃないすかっ!!」

 木のうろに取り囲まれたコールドスリープ用のカプセルの中で、眠り姫よろしく横たわっているのは、文房具王になり損ねた女こと、岡崎弘子その人だ。Youtubeチャンネルを共に盛り上げてきた同志との思いもよらぬ再会に打ち震えたブッコローは、縋りつくように装置へと駆け寄ると、コールドスリープの解除ボタンを押した。

『外部環境を調査します。装置にお手を触れないでください。酸素濃度正常、気温正常――』

 冷気を放ちながら口を開いたカプセルの中で、弘子は寝ぼけ眼を瞬かせ、大きく伸びをした。

「もうコールドスリープはおしまいですか?案外あっという間ですねえ」

 ブッコローは目に涙をためて答えた。

「ザキさん、あっという間じゃないっすよ。100年経ってるんです」

 目を覚ました弘子は、すっかり様変わりした店内の様子にただただ驚愕し、矢継ぎ早にあれこれ質問してきた。ブッコローは涙ながらにこれまでの苦労を語って聞かせた。

「それは大変でしたねえ。ブッコローが無事でよかったです。ところで、他の皆さんは?」

「どこに居るかはわからないですけど、まだ寝てると思いますよ。暇すぎてザキさんだけ先に起こしちゃったんで」

「ええ……ひどくないですか?」

「僕一人だけ放ったらかして寝ちゃうほうがひどいでしょ。とにかく、行きましょう」

「行くってどこへ?何をしに行くんです?」

「実は、やりたいことがあるんです」

 弘子を連れ、書店の探索を再開したブッコローは、ここ100年の間に夢想してきた計画を語り始めた。曰く、長らくの探索の結果、動画撮影スタジオの機材はまだ生きていることがわかった。そこで、それらを用いて動画撮影を行い、この世界のどこかで息を潜めているゆーりんちーに届けることで、有隣堂に人を呼び集め、人類コミュニティを復活させたいというのだ。弘子もこの提案に乗り気になった。弘子は、そのためにはまずガラスペンを手に入れるべきだと主張した。美しく、書き味に優れ、無二の人気を誇るガラスペンであれば、多くの人の興味を惹けるはずだという。これに対しブッコローは、とにかく目についたものをレポートして、「100年後の書店を徘徊する」企画にすべきだと主張した。ダンジョンのような書店内をあてもなく彷徨い歩くのは、膨大な時間を必要とし、危険も伴うからだ。ところが、弘子はこともなげに答えた。

「大丈夫ですよ、私、文具の陳列位置ならだいたい覚えてますから。まずは筆記具のコーナーを目指しましょう」

 

 弘子という戦力を得て、ブッコローの計画は大きな前進を遂げた。いかに迷宮のような店内といえど、フロアの構造を知り尽くした店員の手にかかれば、探索にかかる難易度は格段に下がる。協力して広い書店の探索を始めてから、目的の文具コーナー付近へ到達するまでに、さほど時間は掛からなかった。

 見渡す限りのペン、ペン、ペンである。だが、目に入るのはどれもボールペンばかりだ。弘子は目を凝らして薄暗い店内を見渡した。

「流石に私も、これ以上正確な位置はわかりませんね。二人で探すにはちょっと広いですけど、ガラスペンならキラキラして目立つから案外すぐにわかるかしら。ブッコロー、何か光るものが目についたら教えてくれますか?」

「なんかテキトーすぎません?しゃーない、ミミズクの視力見せつけてやりますよ」

 と、言い終わるや否や、二人は目を見張った。つい先ほどまでは見当たらなかった青白い発行体が、イルミネーションのように辺りを取り囲んでいたからだ。

「あれ?ザキさん、いっぱい光ってるものありますけど、これ全部そうですか?」

「あら、とっても綺麗ですね。こんなに近くにあったなんて」

 奇妙に思い、光の根源を確かめたブッコローは戦慄した。ミミズクの優れた暗視能力が捉えたものは、整然と陳列されたガラスペン――ではなく、居並ぶ無数の『目』だった。ブッコローより一回りほど小さい赤褐色の身体に青い飾り羽根をたくわえた何十羽ものトリたちが、輪になって二人を取り囲んでいたのだ。彼らは、暗闇の中、微動だにせずに、ただただ無機質な瞳で二人を見つめている。

 少し遅れて弘子も事態を把握したようで、密かに息を呑む気配が聞こえた。

「ブッコロー、どうしましょう」

「どうって、刺激しないようにこの場を離れるしかないでしょ。ゆっくり、ゆっ〜くり下がりますよ」

 トリたちはひたすら監視し続けた。そして、緊張にたまりかねた二人が一歩後ろへ足を踏み出した瞬間、夥しい羽音と共に矢のように鋭く飛びかかって来た。羽音の濁流に駆り立てられ、ブッコローたちは半狂乱で元来た道を走り出した。

 トリたちの追跡を振り切ろうと、右へ曲がり、左へ曲がり、朽木を飛び越え、書棚の森を掻い潜り、迷宮の奥へと突き進んだ二人は、長い一本道に差し掛かった。身を隠す場所も、トリたちを遮ってくれるような障害物も見当たらない。ブッコローは喘ぎながら問いかけた。 

「お、お、おかざきさんっ、ここ、ここ何処ですか!?どう逃げたらいいんですか!?」

「そんなの私にもわかりませんっ」

 一羽のトリの鉤爪がブッコローの足を捉えようとした。ブッコローは紙一重で鉤爪をかわすと、お返しの体当たりを食らわせた。強烈な一撃を食らったトリは、錐揉みしながら落ちていったが、二羽目、三羽目が後に続こうと目を光らせているので、勝利の歓声を上げる暇もない。そうこうしているうちに、弘子の息は上がり、ブッコローの羽音も弱々しくなってきた。そう長くは逃げ続けられないだろう。もうダメか、と挫けそうになったブッコローの耳に、

「ブッコロー、奥に通路があるの、見えますか?」

 と、興奮を帯びた弘子の囁きが届いた。なるほど、初めは暗くてわからなかったが、よくよく目を凝らしてみると、遠くに十字路が見える。

「あの左手の道なんです、ガラスペン」

 二人は無言のまま目配せをした。問題はどうやってトリたちから逃げながら目的地に辿り着くかだ。

「わかりました、二手に別れましょう。ザキさんはガラスペンの方へ。僕がトリたちの気を引きます」

 ブッコローはその場で急旋回すると、天井から吊り下がった蔓の一際太いものに噛みつき、地面に向かって一息に引き下ろした。すると、天井から剥がれた土埃の山が、落石のように崩れ落ち、激しい物音を立てた。辺りを飛び回っていたトリたちは、この挑発に怒り狂い、一斉に攻撃をしかけてくる。ブッコローは素早く身を翻し、急上昇と急降下を繰り返して、トリたちを翻弄する。

 弘子は、疲労にふらつく足を叱咤して、しゃにむに走った。モタモタしていては、ブッコローがトリたちに打ち据えられてしまう。行く手の草をかき分け、足に絡まる蔦を踏みしだき、目当ての陳列棚にたどり着いた弘子は、愕然とした。

「そんな……」

なんと、ガラスペンが無い。その付近の棚一帯だけ、ごっそりと中身がなかったのだ。地面に這いつくばって探しても、一片のガラス片すら落ちていない。

 「どうして……?確かにここにあったはずなのに」

だが、辺りを隈なく探している時間はない。ブッコローは今も懸命にトリたちの気を引いているのだ。かと言って、このまま丸腰の自分が戻って何ができよう。せめて武器になるものがあれば、と考えながら、陳列棚に手をつっこもうとした弘子は、突然暗闇の中へと引き込まれた。

「へ?きゃあ――」


 その頃ブッコローは、トリたちのしつこい追尾によって、とうとう袋の鼠となってしまっていた。前にも後ろにもトリたちが待ち構えており、左右は壁に囲まれている。捨て身で大暴れすればあと2、3羽は道連れにできるだろうが、所詮は多勢に無勢である。トリたちは、相も変わらず無機質な瞳でブッコローを見据えながら、じりじりと壁際に追い詰めていった。そして、鋭い爪を構えると、一斉に飛びかかってきた。

 万事窮す、と覚悟を決めたその時、どこからともなく伸びてきた腕が、ブッコローの足を捕まえて、壁の方へと勢いよく引っ張った。壁に叩きつけられそうになり、ブッコローは咄嗟に悲鳴を上げたが、予期した衝撃は訪れず、代わりに、低木の小枝が身体中を突っつく感覚がした。訳もわからず暗闇でもがいていると、耳元で聞き覚えのある声がした。

「しぃー!落ち着いて!」

 そこには、険しい顔をした弘子がいた。ブッコローは心底驚いたが、言われるままに嘴を閉じた。

「静かに、落ち着いて。ここは、向こうからは見えませんから」

 なんと、ブッコローが壁だと思っていた場所は、蔦でできた自然のカーテンだった。そして、その奥には、二人がゆうに通れる大きさの横道が隠されていたらしい。先に横道に入り込んでいた弘子が、ブッコローの足を掴んで、横道に引っ張り込んだのだ。二人は辛抱強く息を潜めて待った。蔦のカーテンを隔てた向こう側では、しばらくの間、戸惑うように羽音が行き来していたが、やがて聞こえなくなった。二人は安堵のため息を吐き、地面にへたり込んだ。

 長い沈黙の後、ブッコローは意を決して尋ねた。

「岡崎さん、ガラスペンは見つかったんですか?」

「それが、残ってなかったんです。一本も」

「ええっ、そんなバカな!どうして!?」

「わかりません……けど、陳列されていたはずの場所から、綺麗さっぱり無くなっていて」

 ブッコローは勿論気落ちしたが、文房具への愛が強い弘子のショックは、その比ではないようだった。血の気の引いた唇を噛み締め、涙を堪える彼女を見ていると、痛ましい気持ちのあまり、自身の落胆すら忘れてしまいそうだ。

「……仕方ないですね。動画のことは後で考えるとして、早くここから動いた方がいいでしょう。まだアイツらがうろついてるかもしれない」

 精一杯の空元気を出して立ち上がったブッコローは、弘子を先導するように大股で歩き出した。

 弘子の話によると、元々この辺りはサービスコーナー前のロビーだったという。100年の間に鬱蒼とした森となり、その後一部の草木が薙ぎ倒されて道になったようだ。曲がりくねり、時々交差した複雑な構造はまるで蟻の巣のようで、薄ら寒いものを感じる。この迷路のような暗闇のどこかに、危険な生物が潜んでいるとしたら、逃げ延びるのは容易ではないだろう。

 二人は、注意深く辺りを観察しながら進んだ。動くものの気配がないが、不審な物音がしないか、常に警戒していた。やがて二人は、地面や壁にところどころ、大きな鉤爪で引っ掻いた傷のようなものがあることに気がついた。ブッコローは重々しく呟いた。

「さっきのトリにしては、随分と爪痕が大きいですね」

「まさか、他にもまだ何かいるって言うんですか?」

 弘子は身震いした。ブッコローは、脳裏をよぎる何か得体の知れない恐ろしい生き物の影を振り払うように、大きくかぶりを振った。

「……あんまり考えないようにしましょう。けど、十分注意して進んだ方が良さそうですね」

 二人はまたのろのろと歩き出した。ところが、どんなに気持ちを切り替えようとしても、足取りは自然と重くなった。不気味に抉れた地面を踏みしだくたび、不安が澱のように溜まっていく。やがてブッコローは、耐えきれなくなって愚痴をこぼした。

「ねえザキさん、ゆーりんちーは本当にまだ何処かにいるんですかね」

「えっ?」

「有隣堂の中だってこんなことになってるんですよ。外の世界はもっと酷いはずです。みんなあのトリに食われちゃってるかもしれない。もし誰か生きてても、誰も有隣堂のことなんか覚えてないかもしれない。もしかしたら僕は、何の意味もないことのために、岡崎さんを危険に晒しちゃったのかもしれません」

 ブッコローは悔やんでいた。二人で安全な場所を探して、ずっとそこに留まっていた方が良かったのではないかと思った。そうすれば、こんな風に得体の知れないものに怯えながら、ボロボロの身体で迷宮を彷徨うことはなかったのだ。きっと弘子も、その通りだ、と言うに違いない。ちくちくと胸が痛むのを堪えていると、弘子が言った。

「大丈夫ですよ」

 その声は、明日の天気の話をするときのように晴れやかだった。

「ブッコローならきっとやれます。ガラスペンは見つかります。ゆーりんちーも見つかります。私が保証します。特に根拠はないですけど」

 そう言って笑う弘子の額には脂汗が滲んでおり、足は惨めに震えている。あからさまな痩せ我慢に苦笑しながらも、ブッコローは、彼女の精一杯の呑気さが、胸に温かい火を灯してくれるのを感じた。弘子の言葉を噛み締めながら、大丈夫、大丈夫、と心の中で繰り返し唱えてみると、ぐっと気持ちが楽になった。考えてみれば、一羽きりで彷徨い歩いていたころよりは、状況はずっと良くなっているのだ。ブッコローにはいま、弘子という仲間がいる。それだけで、不思議と勇気が湧いてくる。

「仕方ない、いっちょやりますか。なんせ僕は登録者数20万人の超人気YouTubeチャンネルのMCですからね」

 ブッコローがキメ顔で言ったその時、背後から突風が巻き起こり、二人を吹き飛ばした。悲鳴をあげる暇もなく、もつれ合いながら右へ左へ、時々壁にぶつかりながら、どこまでも転がり落ちていく。気がつけば二人は、開けた土地へと転がり出ていた。

 目を開けて真っ先に目に入ったのは、すり鉢状の平原と、その中心に鎮座する、何やら朽木や植物の蔓などを組み合わせたような奇怪な塊だった。背の高い木々はことごとく何者かに踏み倒されており、あの不気味な鉤爪の痕跡が壁や床の至る所に残っている。

 呆然とする二人の背後から現れた正体不明の気配は、土埃を巻き上げながら飛び立つと、巨大な影となって頭上を過り、激しい風音をたてて眼前に着地した。それは、先に二人に襲いかかったトリを何十倍にも大きくしたような怪鳥だった。大型のパラグライダーを思わせる両翼は朽木のようにささくれ立ち、侵入者への強い警戒心を露わにしている。あまりの光景に凍りついていたブッコローは、興奮に裏返った弘子の声で我に帰った。

「ああっ!ブッコロー、見て!」

 弘子は、怪鳥の巨体の後方を指さして叫んだ。そこにあるのは、あの奇怪な塊である。よくよく見てみると、それは実は、大きな鳥の巣のようだった。しかし、二人の目を奪ったのは、巣そのものではなく、その中身であった。なんと、怪鳥の巣の底には、色とりどりのガラスペンがみっちりと敷き詰められていたのだ。室内の微かな灯りを受けて複雑に煌めく様は、さながら巨大な宝石のようだ。ブッコローはようやく合点が入った。陳列棚にガラスペンが無かったのは、あの小さなトリたちが、ガラスペンをせっせと集めてきては、親玉に献上していたからなのである。そして、この場所に続く蟻の巣のような通路は、この怪鳥が、鋭い鉤爪で木々を薙ぎ倒して作り出した獣道だったのだ。

 怪鳥は燃えるような瞳で二人を睨みつけている。二人は緊張に震えながら、怪鳥から逃げ出す隙を窺っていたが、このこう着状態は長くは続かなかった。怪鳥が突然翼を翻し、突風を巻き起こしたからである。

「きゃー!」

「岡崎さん!」

 唸るような風音と共に、弘子が横薙ぎに吹き飛ばされてしまった。咄嗟に弘子の元へと飛び出したブッコローに向かって、すかさず怪鳥が突進してくる。間一髪で避けると、怪鳥は勢い余ってビルの壁へと激突した。しめたと思ったのも束の間、次の瞬間には、土埃を吹き飛ばしながら、元気いっぱいの怪鳥が飛び出してきた。壁面には大穴があき、突進の威力の凄まじさを物語っている。大穴の向こうから燦々と太陽の光が降り注ぎ、怪鳥の巣を照らしだした。日の光の下で本来の輝きを取り戻した色とりどりのガラスペンは、シャンデリアのように眩く輝いた。

 すると怪鳥は、突然金切り声を上げて飛び退った。激しく身を震わせながら建物の奥へと引っ込み、それから恐る恐る自身の巣へと舞い戻ろうとするのだが、ガラスペンの近くまで寄ると、やはり耐えきれないというふうに悲鳴をあげて飛び退る。 それを見て、ブッコローはピンときた。暗い書店の中で生まれ育ったこの生き物は、太陽の光が大の苦手なのだ。そうと決まればやることは一つ、怪鳥を大穴からビルの外に引きずり出すことである。

 ブッコローは弾丸のように飛び立つと、果敢に怪鳥に挑みかかった。鉤爪の攻撃を掻い潜り、比較的柔らかそうな腹を目掛けて蹴りを入れようとするが、怪鳥が翼を一振りするだけで、ブッコローの小さな身体は枯れ葉のように吹き飛ばされてしまう。何度も地面に叩きつけられ、羽根の付け根は痛みを訴え、嘴は欠けてしまった。だが、ブッコローがどんなに身を削って挑発しても、怪鳥は決して自らを日の下に晒そうとはしない。

 何度目かの突撃に失敗し、それでもブッコローが立ちあがろうとした時、恐怖に震える甲高い声がフロアに響き渡った。

「こっちよー!」

 声のした方向を見ると、怪鳥の巣の側に弘子が立っていた。顔色こそ青ざめているが、口元は決意に硬く引き結ばれ、2本の足を懸命に踏ん張って怪鳥を正面から睨み据えている。その姿を捉えた途端、怪鳥の体毛が逆立ち、ただでさえ大きな身体が何倍にも膨らんだ。怒りに任せ、弘子を吹き飛ばそうと翼に力を込めている。ブッコローは恐怖のあまり縮み上がった。

「岡崎さん危ない!」

 ブッコローは叫んだが、弘子は眉ひとつ動かさずこちらに背を向けると、

「ええい!!」

と掛け声をあげて、怪鳥の巣に力一杯体当たりをした。すると、崩れかけたビルの端で危うい均衡を保っていた巣は、駒のようにぐわん、ぐわんと左右に揺れて、その場にひっくり返った。床の上に散らばった何万本というガラスペンが、太陽の光を乱反射して激しい閃光を放ち、辺り一体を明るく照らし出す。目を焼かれ、錯乱した怪鳥は、耳をつんざく奇声を上げて飛び上がった。これを好機と見たブッコローは、すかさず怪鳥の前へと躍り出て、胸元の飾り羽に噛みつくと、

「元気ですかッこんにゃろーっ!」

 と気合を入れて、大穴からビルの外へと飛び出した。怪鳥の巨大な身体が大穴を突き破り、太陽に全身を照らされる。網膜を焼き切らんばかりの眩さがあたりを包む。怪鳥は最後の力を振り絞り、身をよじって大暴れした。振り落とされたブッコローは、頭から地面に激突してしまった。

 「ああっ!ブッコロー!」

 遠くで弘子の悲鳴が聞こえる。どうやら彼女は無事らしい。だが、怪鳥はどうなったのだろう。太陽の光は効果があったようだが、もしかしたら、すぐにでも目を覚ましてまた襲いかかってくるかもしれない。鉛のように重たい瞼を懸命に開けようとするが、抵抗も虚しく、ブッコローの意識はそこで途切れた。


「……ブッコロー、ブッコロー!ああ良かった、目が覚めたんですね!」

 気がつけば、心配そうな弘子に見下ろされていた。後頭部に走る鈍い痛みを堪えながら身を起こす。

「あーあ、鏡餅みたいなたんこぶができちゃいましたよ。労災降りるかな〜、有隣堂はケチだからなあ〜」

 いつも通りの減らず口を聞いた弘子は、心底ほっとした顔つきになった。

 ビルの外では、太陽に目を眩ませた怪鳥がだらしなく伸びていた。手強い相手だったが、これ以上いじめてやるつもりはなかった。怪鳥とて、ただ自分の縄張りを守ろうとしていただけなのだ。それに、現状を見るに、少なくとも夜になるまでは襲ってくる危険はないだろうと思われた。暗闇と獰猛なトリたちが支配していたフロアは、久方ぶりの太陽の恩恵を受け、隅々まで明るく輝いていた。

「しかし、岡崎さんもアイツが太陽を怖がってることに気がついてたんですね。やるじゃないですか」

「え、そうだったんですか?」

「ええっ?だって、アイツを太陽の下に誘き寄せるために、巣をひっくり返したんでしょ?」

「いえいえ、単に、ブッコローがピンチだったので、気を引こうとしたんです。どうするかはあとで考えようと思って」

 あまりにもあっけらかんとして言うので、ブッコローは呆れてしまった。

「なんて無茶な……まあいっか二人とも無事だったんだし。けど、ガラスペンは全部粉々になっちゃいましたね」

ブッコローが肩を落とすと、弘子は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「えへへ、それが、そうでもないんです」

 弘子の手には、青空色の美しいガラスペンが一本握りしめられていた。巣に体当たりをする前に掴み出していたのだ。

「んもおーう!ザキさんたらちゃっかりものォ〜!」

ブッコローは飛び上がって喜んだ。二人を祝福するように西陽が差し、弘子の手の中のガラスペンがきらりと輝いた。


  

 荒廃した世界のとある場所で、YouTubeチャンネルの動画欄をチェックしている少女がいた。彼女はかれこれ小一時間ほど、100年前を機に更新の途切れてしまった有隣堂Youtubeチャンネルのページをタップし続けていた。過去の動画は全て、繰り返し視聴して、すっかり内容を暗記してしまっている。娯楽の少ない世界で、このチャンネルは唯一彼女を慰めてくれるものだっだ。ヘンテコな文具も、個性的な書籍も、書店なのになぜか取り扱われている食べ物も、何もかもが魅力的だった。それらを時に率直に切って捨て、時に心の底から褒め称えつつ、視聴者の愛と好奇心を刺激する動画たちは、何もかもが目新しく、ただぼんやりと見ているだけで心を豊かにしてくれた。だが、ブッコローや有隣堂のことをもっともっと知りたいと思った時には、全てが遅かったのだ。

 今日ももう、お気に入りの動画は一通り見返してしまった。後はただ、無為な時間が過ぎるだけだ。ため息をつき、何気なく動画欄をスクロールしていた彼女は、とんでもないことに気がついた。なんと、動画欄の一番上に、今まで見たこともない動画が増えているのである。まさか、見逃していた動画があったのだろうか。いや、そんなはずはない。今まで何度も動画欄をチェックしたが、一度もこんなサムネイルは見たことがない。慌てて更新日時を確認する。表示されている時間は、5分前だ。

 彼女は、震える手で最新の動画のサムネイルをタップした。流れてきたのは聞き違いようもない、お馴染みのボイスチェンジャー声だった。

『今回はこちらっ、100年後のガラスペンの世界〜!ゲストはこの人、文房具王になり損ねた女、岡崎弘子さんです――』

 

 

 

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