第十九章 いい人カード

「簡さん、劉彦霓さんの記憶に関してなんですけど……」数日後、責任感が強い明廷深が私のところに報告をしに来た。このシークレットシューズを履いた冥官は背筋をピンと伸ばし、いかにも下の者が上の者に報告をするといった態度でオドオドと私の前に立った。


 こういうスタイルは私は好きじゃない。私は人間だし、冥官は私の友人であって部下じゃないんだ。明廷深はただの代役で、おなじみの宋昱軒もあと一週間で戻ってくるから、私も特別な要求はしていない。


「どう?あの子に何か変なところはあった?」


「少し。彼女はこのところ、よく占い専門のグウ ミョウ(道教の廟)に出入りしています。住所はあとで簡さんに書いて渡します」


「何を聞いているの?」


「それは……」冥官は頭を下げ懺悔するように言った。「本当に申し訳ありません、関連情報は聞くことができませんでした。私たちはなんといっても冥官ですから、城隍廟と陰廟(無名の亡霊たちを祀っている廟)以外、神仏の像を祀っている場所には立ち入ることができないんです──」


「謝ることないよ、あんたたちのせいじゃない。私もそのことは忘れてた」だいぶ前に閻魔がそのことを口にしたことがあったけど、自分には関係ないから特に気にも留めていなかった。私の生活圏にはいつも近くに城隍廟があったし、ふと気まぐれで城隍や冥官に会いに城隍廟に行くのは日常茶飯事だったから、長いこと冥官が廟に入れないという設定をすっかり忘れていた。


 明廷深の口は割と緩かったから、この機に乗じて探りを入れてみた。「直接宮廟から立ち入りを禁止されているの?それとも丁重に避けているだけ?」


「なんと説明したらいいんでしょうか……」冥官は頭をかき、私にどう答えたら適切なのかを真剣に考えていた。「その宮廟にいる神様の力量によるんじゃないですかね?阻止はされますが、本当に強行突破したいのであれば方法がないわけではありません。実力次第ですね。ですが私たちの殿主は常に『人侵さずんば、われ侵さず』と『敵は少ないほどよい』の原則を守っていますから、冥官が神様の勢力範囲に立ち入らないことが暗黙の慣習になったのです」


「実にあんたたちの殿主らしいやり方だね」十殿の殿主はそれぞれ性格が異なるけど、確かに全員から安易に他人を刺激するなと教えられたっけ。


 敵になるよりも、赤の他人でいるほうがいい。大学に進学したときであれ卒業して就職したときであれ、十人の殿主からは何度もこの言葉を言い聞かせられたよ。


 私はまた、心配しなければならない別の問題を思い出した。私は明廷深に聞いた。「彦霓はお金を騙し取られたの?」もし私のせいで劉彦霓が宗教詐欺に遭ってお金を騙し取られたり体をむさぼられたりしているんだとしたら、私はあの子に顔向けできないよ!


「それはないはずです。神様は信者を欺く行為を許しません。私たちにとって人間を傷つけることが重大なタブーであるのと同じように、信者を欺くことは神界でも許されない行為なのです。見つかれば神格を剥奪されて下界に落とされるでしょう。神様の加護がある状況においては、劉彦霓さんが騙される確率はかなり低いです」


「内境と神界のつながりを心配する必要はないよね?」


 私の憶測を聞くと、明廷深は少しも遠慮することなく白目を剥き、きっぱりと言った。「必要ありません。神様はそれほど熱心な存在ではないですから。人間が神様に人間界への干渉を求めるには、代償を支払う必要がありますよね。それに、彼らもそれほど立派ではないんです」


 変な知識がまた増えた。明廷深の話を聞いて、私はむしろ劉彦霓がより心配になった。


 もしウチの直属の後輩が何か覚えていたら……ここでその結果を想定するくらいなら、直接カマをかけて確定するほうがいい。


 偶然にも、カマをかけるのは私の最も得意とするところだ。


 痕跡を残さずカマをかけるには、誰かにカマをかけてもらうか、自分で言わせるのが最も現実的な方法だ。


 私は特に、準夜勤という深夜に近くて人が寝静まる、患者が少ない時間を選んだ。なぜなら、深夜の病院は何が起きてもおかしくないからだ。たとえば、誰もいないのに緊急救命室の正門が開閉し続けたり、あるいは意識不明のおじさんが急に紅い服の女の子が後ろに立っていると言ったりして……比較的ベテランでもゾッとするけど、長く怖い目にあっていると心臓も鍛えられてくる。この手の話が食後の話題になってくるんだ。


 けど、ここに来て一か月も経っていない新人が怖がるのは、至って普通のことだ。だから私のそもそものシナリオは、あの日と同じように内境の制服を着た元奕容があの子の目の前をうろついて、その反応を見るというものだった。元奕容と明廷深はすでに緊急救命室で待機していて、私の合図を待っていた。


「先輩、この薬はどうやって調合するんですか?」後輩は困惑した表情で医者の指示書を見ていた。私はモニターに目をやると、薬の粉を生理食塩水に混ぜたあと患者の肛門に注入する手順と目的を劉彦霓に説明し始めた。最初こそ劉彦霓は驚いた表情で私の説明を聞いていたけど、私がジェスチャーを交えて生き生きと浣腸の作業を実演したとき、劉彦霓の注意が私に向いていないことに気がついた。


「彦霓?」


「え?えっと──ごめんなさい先輩、ちょっとトイレに行ってきます」劉彦霓は素早く私から離れると、トイレに直行した。ずっと隅に立って待機していた明廷深と元奕容は、両手を高く挙げて無実であることを示した。


 もしや、生理が来てあまり気分が良くないんじゃ?劉彦霓が去るときの顔色は確かに青白かったけど、ウチの後輩が生理痛に悩まされる印象はないんだよなぁ……


 十分後、劉彦霓が戻ってきた。顔色は良くなったけど、その笑顔は少し無理していた。


「彦霓、どこか具合が悪いの?あと三十分で十二時だから、先に休憩に入りなよ。引継ぎは私がやっておくから」


「大丈夫です先輩、私は大丈夫です……」


「彦霓、」私は低い声で言った。「私は騙せないよ」


「そうですね……」後輩は軽くこめかみを揉み、眉間にしわを寄せた。「今日はなんでだかわからないんですけど、頭がちょっと痛いんです」


「まだシフト制に慣れてないんでしょ?」私は後輩を休憩室へと連れていき、落ち着いてからリュックを漁り始めた。


「先輩?」


「ほら、痛み止め。とりあえず一錠飲めば楽になるよ」私は痛み止めを劉彦霓の手の中に押し込みながら、言い聞かせた。「もし具合が悪いなら、無理して我慢しちゃダメ。集中力が切れて、逆に間違った薬を渡しちゃったらどうするの?この痛み止めを飲んで効果がなかったら、どうせ緊急救命室にいるんだから、健康保険カードを出せば薬をもらえるよ」


 劉彦霓が下を向いて痛み止めを見つめている姿は、何かを考えているみたいだった。しばらくして、何かを感じたのかこう口に出した。


「先輩、私に本当に優しくしてくれますね」


『ありがとう』じゃなく『私に本当に優しくしてくれますね』、この手のいい人カードを送るような返事は、基本的にすごく問題アリだ。相手がほかの人に対して優しくないのを知っているときとか、自分が相手に対してマイナスの印象を持っているときにだけ、この手の感慨深いことを言うんだよね?


 なら、劉彦霓は私が誰に対して優しくないと思っているんだろう?


「私はどの後輩にもこうだよ」私は心の中の仮説をひとまず脇に置き、手を伸ばして軽く劉彦霓の肩を叩いて優しく言った。「ここで休んでな。私は先に引継ぎしてくるから、あとで一緒に帰ろう」


「はい」


 私は休憩室のドアを閉めると、人目を盗んでドアのそばに立って待っていた冥官たちに「今日の行動はキャンセルだね。あの子はあまり具合が良くないから、これ以上刺激を与えるのはよくない」と言った。


「はい」二人は素直に返答した。少し遠くに行くと、二人の冥官が互いの近況についてリラックスした様子で話しているのが聞こえた。元奕容も、明廷深を阿秀食堂のもう一人の『緑色のお客さん』にしようと熱心に誘っていた。辰逸坊やは、最近またチョコレートを食べられるようになったみたいだ。


 時計の針が数字の『一』に近づいたとき、私と劉彦霓は古総合緊急救命室を後にした。劉彦霓はバイクで通勤をしているから、免許のない私は本当に無力だ。駐車場まで劉彦霓に付き添って、バイクを引っ張ることしかできない。


「先輩、今までバイクの免許のテスト受けたことないんですか?」


「ハハ、言わないで……」私は作り笑いをして言った。「本当に一人で帰って大丈夫?」


「大丈夫です。痛み止めを飲んだあと、痛みが軽くなりました」劉彦霓は言った。


「じゃあ、一人で気をつけるんだよ!」言い終わると、私は向き直って離れた。どうせもう明廷深に後輩を見張るよう頼んであるし、もし本当に何かあったら十センチのシークレットシューズを履いたイケメン冥官の英雄が美女を救うことになるよ。


 私がまだ遠くへ行く前に、月夜みたいに澄んだ声が私を呼び止めた。


「先輩!」


「どうしたの?」振り返って目をやると、ウチの直属の後輩は『何か言いたげな』表情をしていた。


 よかった、これは自分から言うつもりだな?後輩の心の中の私のイメージは本当に良いんだね。わざわざカマをかけなくてもいろんな悩み事を自ら話してくれるくらい良いということだ。もっと早く知っていたら、子供のベッドから逃げるのに大変な労力が必要だっただろうから、元奕容を呼んだりしなかったのに。気持ち的には嬉しかったけど、顔の表情はうまくコントロールした。


 劉彦霓はヘルメットを置くと、後ろめたさを帯びた顔で私の視線を避け、その声は少し震えていた。「先輩がいい人だというのはわかっています。すごくすごくいい人です。ほかの直属の先輩は、こんな風に後輩の面倒を見ることはありません。共有ノートや過去問を送ってくれたのはすごく助かりました。私たちを本当の弟や妹のように扱ってくれたから、私たちもずっと大切な姉だと思って接してきました……」


 その表情は、私に対して懺悔しているみたいだった。「だから、私たちが連れ去られたあの日、先輩が銃を撃って人を殺したときのことを思い出すと、常に自分の記憶を疑ってしまうんです……」


 フフ、私が銃を撃ったことを覚えているなら、全部覚えているってことじゃないか?蒼藍の法術にも間違いを起こすときはあるのか。


「先輩は何も覚えていませんが、私は空飛ぶ上着や魔法を使えるチカン、先輩が幽霊を見ることができるのを覚えています。それから私がチカンを殴って気絶させたあとに先輩が私に向かって怒鳴りつけた表情、そして先輩が冷静に銃を撃った瞬間……でも、これらは全部先輩であるはずがないってわかっています。先輩はこんなことしませんから!わ、私は元々そんなに多くを覚えてはいなかったんですが、数日前見知らぬ男に奇妙なことを言われてから、頭の中の映像がどんどん鮮明になっていって……」


 見知らぬ男……間違いなく痕跡を辿って追ってきた内境関係者だ。


「先輩を疑うべきじゃないってわかってます!先輩はこんなにも優しくて善良なのに、人を殺すなんてあり得ません……でも……」


 劉彦霓はちょっとうろたえ、目には涙が浮かんでいた。適切な言葉と、話し続ける勇気が見つからなくなり始めていた。こういうときはもちろん私の出番だ。


「彦霓、」私はウチの直属の後輩に歩み寄り、揺るぎのない目で嘘をついた。「上着は飛ばないよ」


「先輩……?」


「私はあの日のことは何も覚えてない。防水シートをかけ終わったあと、次の記憶はあんたと一緒に教室で目覚めたことだよ。でも私がハッキリとわかっているのは、上着は飛ばないし、この世界に魔法なんてないし、もちろん私も幽霊なんか見えない。それから私はエアガンで遊んだことがあるだけで、それって夜市のゲーム屋台で風船を撃って遊んだときだよ」


 私はまた自分の演技と嘘をつく技術に心から感心した。


「じゃああの記憶は……」


 私は軽く劉彦霓のおでこをつついて、冗談っぽい口ぶりで言った。「私を崇拝し過ぎなんだよ!潜在意識が作りだした記憶まで、私をそんなカッコよく作りあげるんだから。あの日、台東の救急救命室も言ってなかった?私たち二人は薬で意識を失わされたんだろう、そうでなければ私たちがなぜ気を失っていたのか説明のしようがない、って」


 劉彦霓は落ち着いて言った。「でも、あの映像は本当に鮮明なんです」


「私に聞かないでよ!薬があんたにこんな反応をするなんて、なんで私がわかるのよ」私は軽く劉彦霓のヘルメットを叩いて口早に言った。「もし本当に混乱していると思うなら、そんな変なこと考えちゃダメだよ。しっかり家に帰ってお風呂に入って寝れば、夜また空飛ぶ上着の夢を見るかもしれないよ」


「……はい」


 後輩は私に別れを告げるとバイクに跨り、後部座席に劉彦霓には見えない明廷深を乗せて走り去っていった。私は遠ざかるテールランプを眺めながら、劉彦霓の状況に思いをめぐらせた。


 とりあえずごまかしたけど、それは一時的なものに過ぎない。劉彦霓はまだ、あの日私が更衣室で人間違いをして怒鳴った場面と『私には幽霊が見えるらしい』という、この二つのことが結びついていないだけなんだ……


 次にまた聞かれたら、ごまかし通せないだろうな。


「簡さん、」私が悩んでいる様子を見て、元奕容はこう提案した。「魏蒼藍さまに知らせる必要があるのでは?」


「大丈夫、あとで自分で言えばいいから。とりあえず家に帰ろう」


 私がちょうど言い終わったところで、元奕容は突然『シュッ』という音とともに佩剣を引き抜き、私に背を向けて路地の暗がりを凝視した。人影が街灯の下をゆっくりと歩いてきた。


「すでに十分なヒントは与えました。あのお嬢さんの記憶はもうほとんど回復しているのに、まだこんな風にごまかせるんですね。本当に感心しますよ」


 私が手を振ると、ジェスチャーを理解した元奕容が長剣を背中に収めた。これは彼にとって最大の譲歩だろう。


「尹さん、」私は来訪者を見た。「今度は何が望み?」


 ヤツは余計な無駄話もなく、元奕容を軽く一瞥した。「伝言をお願いしたいだけです」


「ここで話すのは都合が悪いだろうから、場所を変えよう」私はわずかに振り向き、後ろの冥官に言った。


「奕容、遠くから来たお客さんだから、準備をして。しっかりおもてなしをしなきゃならないから」


 元奕容は短くうなずくと、点滅する街灯の下に消えていった。私は足を踏み出してその場を離れ、数歩も歩かないうちに尹さんがついて来ていないことに気がついた。


「ついて来ないの?」


「なぜあなたの言うことを聞かなければならないのですか?あなたが決めた場所より、道端で話をする方が私にとっては都合がいいですよね?」


「フッ、」私はおめでたい尹さんを面白がりながら見た。「選択する権利があると思ってるの?」


 言い終わるやいなや、暗い路地に緑色の火の光がいくつも灯った。駐車場脇、屋根の上、ベランダ、そして路地にと散らばっていた……そのどれもが、身の毛がよだつような冷気を発していた。


 尹さんはこのときとても賢明で、恐る恐る空っぽの両手を上げて耳に当てた。降伏の動作があまりに標準的だったから、私は内境の魔法使いには降伏の仕方を教える専門のカリキュラムがあるんじゃないかと思った。


「おとなしくついて来て、」私は言った。「彼らに強制される前にね」

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