第十二章 唯一の武器は口
元奕容は話すべきことを話し終わったあと、対策を話し合っている医師たちのところへ歩いて行った。私たちの訓練が専門的でないとかシミュレーションが不十分だったということではなくて、そもそも自分たちが山に閉じ込められるという状況でのシミュレーションをしていなかったんだよね。一般的に医療チームが災害救助に入るときは、すでに道路が整備されているかヘリコプターに乗せられて行くかのどっちかだし。
対策チームは合意に達して解散し、たぶんだけど救助を求めるための二人がトランシーバーを持って車に乗り込み出発した。一部の人は懐中電灯を持って校舎に入ったから、たぶん電話を探しているんだろう。ほかに二人がトイレに向かって歩いているのが見えたから、水が供給されているかどうかもチェックしているのかもしれない。やることがないほかの人たちは、ひとまず医療テント内にいるよう指示された。私たちとは面識があったから、元奕容もとりあえず私たちのテントに『預け』られた。
「ほかの病院と比べて、あなたがたの人数は少ないようですね!」
「私たちの
「なるほど!あなたがたは立派だと思いますよ。毎日人々を救ってらっしゃるわけですから」元奕容は感服して言った。日頃人々が私たちによく言う言葉が出てくるんだから、冥官になって八百年近い元奕容は本当に人間の真似が上手いと言わざるを得ない。
「私たちは全然立派なんかじゃないですよ。救えない人も、救うのが間に合わない人もたくさんいます」周任祺先輩はいつも怒りを露わに敢然と声をあげるけど、言っていることは全部事実だ。「患者の命次第ということなんでしょうか?その時点で死亡する患者もいれば、あきらかにもう死亡宣告を受けようとしているにもかかわらず、最後の瞬間に心拍が回復する患者もいます。そして私たちも救い続けることしかできません」
「先輩!そんな風に言ったら、阿容が私たちに対して幻滅しちゃいますよ!」
「ああ、これが事実なんだ!我々は仙人じゃない。死神と綱引きをして何の意味がある?死神に八百長をしてもらうことでようやく、我々は救うことができるんだろう?」
その通り。白黒無常が魂を連れていくとなったら、たかが人間ごときじゃ食い止めることはできない。まさに『死を引き延ばすことはできない』ということだ。殿主たちは優しいけど、最も基本的な仕事の手を緩めることはしないからね。
私は一目見て、患者が助かるか助からないかがわかる。助からない患者に点滴をしているときに、家族の期待のまなざしを見る勇気はない。彼らはすべての希望をそのチューブの中の薬物に託しているのだ。実はとっくに魂が抜け出ていることを知らないから、残りは全部パフォーマンスなんだ。少なくとも私は、遺族の心を慰め死者を見送る寸劇を演じていると思っている。
私があまりに多く知り過ぎているから、蒼藍に職場を変えるよう勧められたことがある。霊視能力を持つ人間が救急外来にいるのは、精神衛生上非常によろしくないらしい。でも私の第二志望が集中治療室だと言ったら、ヤツはむしろ救急外来にいることを望んだ。
「少なくとも救急外来は患者の出入りが早いから、感情が生じにくいんだよ。集中治療室で十日以上看病したあとに結局死んでしまったら、余計につらいだけだからね」
蒼藍は当初こんな風に言っていた。アイスクリームを持った中学生がいきなり老練な感じを装ってそんな講釈を垂れたら、本当に殴ってやりたくなるよ。
「阿容、私たちが話してばっかりだから、あなたも何か話してくださいよ!」江小魚は急に興味を持ちだし、懐中電灯で自分の顔を照らしたところ、光に照らされた青白い顔に女性たちは素っ頓狂な叫び声をあげた。でもほかの人が大声で叫ぶほど小魚は喜んで、弱々しく言った。「怪談話はいかが?」
「ゴホンゴホン!」
「先輩、大丈夫ですか?」
「大──ゴホン!大丈夫、むせただけゴホン──!」
私が水を飲んでいるときを狙ってそんなことを言うか!幽鬼に怪談話をさせるのに、山で遭難が起きているときを選ぶ?校舎のさまよえる亡霊が冥官の言葉に引きつけられて来たら、深夜の怪談が4DX体験になるかもしれないよ!
「よろしくないんじゃないでしょうか?今は人が多いですけど、隣は校舎ですよ!」元奕容は落ち着き払ってやんわりと断った。「前に妻を連れてこの辺りに来たとき、この学校はいやな感じがすると言っていました」
元奕容のこの言葉がまた叫び声を引き起こした。幽霊が怖い何人かの先輩たちはすでに耳を塞いでいて、夜明け前には絶対に校舎に入らないとつぶやいている人もいた。
そのとき、私たちの状況の悪さが不十分だと言わんばかりに雷鳴が鳴り響き、土砂降りの雨がそのあとに続いた。
「変ね、さっきまで月が見えてなかった?」
「雨が降ると土石流が心配じゃない?」
「大丈夫ですよ、山間部はもともと天気が変わりやすいですし、こんな大雨はいつものことです」地元民/幽鬼の元奕容が提供した情報で、テント内の緊迫したムードがかなり和らいだ。
「外の器材をしまわないと!発電機もカバーをかけないと濡れちゃうわ……」
私は小魚に命じられて発電機の防水をしに行った。発電機が壊れちゃったら、私たちの病院のテントはおそらく停電してほかの所に身を寄せることになる。そうしたら今みたいにこんな自由でいられなくなってしまう。
発電機はテントの後ろの、ちょうど明かりが薄暗い場所にある。私はできる限り、発電機のそばで漂っているさまよえる亡霊を見ないように努めた。劉彦霓は自ら進んで私に同行し、傘を持ってくれた。幸いにも防水カバーをかけるだけで何の知識も技術もいらないから、かえって劉彦霓と二人きりで話す機会を得ることができた。
「彦霓、今日はどうしたの?いつもよりやたらとひっついてくるよね」
「なんでもないですよ──」
「嘘言わないの。今までに嘘がバレなかったことがあった?」人間嘘発見器を自称するつもりはないけど、長年のカウンセリング経験がつまるところ私の嘘センサーの感度を高めたんだよね。私は膝を支えて立ち上がると、振り向いて私と目を合わせようとしない直属の後輩を見つめた。
「私……あの……」
「ああ……彦霓、何度も言ったよね。話さないなら助けられないって」
「じゃあ……先輩、驚かないでくださいね!」
何に驚くっていうんだ?私が尋ねる前に、私を見ていた劉彦霓が急に怯えたような目つきになった。突如傘を投げ捨てると、力いっぱい私を地面に押し倒した。一筋の紫色のビームが、劉彦霓の背後を危うくかすめた。私の指示も必要なく、彦霓はすでに私の体から起き上がっていた。
魔法だ。私と冥府の関係がバレた?
「ごめんなさい、私──」
「さっき言いたかったのはこのこと?」
「違います──」私は答えを聞くとすぐに立ち上がり、劉彦霓を引っ張ってテントの入口に向かって突っ走った。けど突然、地面から紺色のローブが飛び出して私たちの目の前に広がり、行く手を遮った。空飛ぶ服を目にした劉彦霓は、高デシベルの悲鳴をあげた──
……
私もあとに続いて悲鳴をあげるべきだったような?三秒遅れで悲鳴をあげてもそんなにおかしくないよね?あまりに多くのさまよえる亡霊と怨霊、そしてたまに蒼藍の法術ショーを見たあとだと、空飛ぶ服なんかじゃ全然驚きやしない。このトリックはここ何年かの映画でもやっているから、珍しくもなんともないんだよ。でも私は今『普通の人間』という状況だから、何か叫んでフリをしておいたほうがいいだろう。
「きゃああああ──」
そして、私もあとに続いて叫んだ。すごくバカみたいだ。
「二人のお嬢さん、怖がることはないんだよ。お兄さんに悪気はないからね」
いや、この言葉を聞く限り変態っぽい。
「あなたは誰!何をするつもり!」さすがは武術を長年学んできた劉彦霓、振り返ると同時に私に背を向けて立ちはだかった。体はすでに攻撃の準備を整えていて、威勢は向かいにいる内境関係者に負けていなかった。もはや言わざるを得まい、今のこのシーンは、映画の中で女性エージェントが民間人を守ってテロリストと対峙している場面みたいだと。ただ、民間人は私じゃなくて劉彦霓なんだけどね。
「君たちを我が家に招待したいだけだよ」紺色のローブは突然大きくなって私たちを覆うと、私と劉彦霓を一つに束ねた。
「あ!彦霓!」
「ごめんなさい──」また私(の顔)を殴らないように、劉彦霓はやみくもに拳を振り回すことなく、私と同じようにローブの中でおとなしくしていた。とはいえおとなしくしているように見えても、私はどう対処するかを真剣に考えていた……対話の可能性も含めて。私がいちばん心配しているのは、有無を言わさず電気椅子に縛りつけられるみたいな拷問だ。私は自分がどんな酷刑にも耐えられると信じている──私は患者として集中治療室で一か月寝て過ごした。経験すべきことは全部経験したんだよ。あのひどい臨死体験のせいで、私は成人してすぐ応急処置放棄の同意書にサインしてしまってあるんだ。
私はただ、私に巻き込まれてしまった劉彦霓が心配なだけだ。命に関わるかどうかについては……死んじゃったら何も聞きだせなくなるわけだし、私は内境の医療技術を信じている。聞くところによれば、老死や病死でなく、なおかつまだ白黒無常に連れていかれてなければ、生き残るチャンスはあるらしい。
……じゃあもし劉彦霓を盾に脅されたら?それは最悪なシナリオだ。
自分の直属の後輩のために冥府を売るのか?その恐ろしい問題が一瞬頭をよぎったものの、頭の中から消えなかった。私は、二年会わなかった後輩がローブから解放されたあとに鉄格子を叩いて誘拐犯と言い争っている後ろ姿を見て、ふとためらった。
ダメだ。劉彦霓は人間だ。私はとっくに人間を信じないと決めたじゃないか?冥府を危険にさらしてまであの子を救う価値がある?
でも……
私は頭を振って、この問題をしばらく考えないことにした。どうやって逃げるかを考えよう!ここを離れさえすれば、このトロッコ問題に頭を悩ませることもないんだ。
あまり冷静に見えないよう私は隅に隠れて縮こまり、内境関係者の警戒心を弱めた。
「あなたはいったい何者なのよ!ここはどこで、私たちに何をしようとしているの!」
「おやおや、凶暴な美女だねえ!いい目つきだ。ボーイフレンドはいるのかい?」私たちを縛り上げた内境関係者は変態に違いない。ヤツはからかうだけにとどまらず、劉彦霓にセクハラしようと手を伸ばした!劉彦霓をただの一般女性と思ったら大間違いだ。目つきだけじゃなく、行動だってすごく凶暴なんだよ。あともうちょっとでセクハラ野郎の指を噛みちぎるところだった。指を切断する運命は免れたけど、噴水みたいに血を噴き出す指を軽く振る内境関係者の姿には心の中で拍手を送った。
よくぞ噛んだ!
「どうやらお友達は回りくどいことが嫌いみたいだね。それならこっちも手間が省けるよ」内境関係者……ひとまずヤツを変態版ドクターストレンジと呼んでおこう。後々別の内境関係者が現れる気がするから、このままこうして叫んでいたら遅かれ早かれ混乱が起きてしまうだろう。変態版ドクターストレンジの表情が突然凶悪になると、声にもちょっと凶暴な成分が混入した。「お前たちには霊視能力があるだろう。最近、緑色の幽鬼を見なかったか?黒に赤い縁取りの官服を着て、厚底の靴を履いている奴だ」
廷深だ。こう聞いてくるということは、廷深がすでに逃げたからか?
「この世に幽霊がいるかいないかに関係なく、ここに霊視能力がある人間なんかいないわ!仮にあったとしても、あなたの質問には答えない!」
いや、私と冥官が一緒に歩いているところを目撃されたんだろう。だから私を捕まえて連れてきたんだ。劉彦霓を連れてきた理由はよくわからないけど。そうじゃなきゃ優しく尋ねることだってできたはずだ。ましてや一人多く捕まえるのは誘拐犯にとっても負担だろうし、一人が行方不明になるのと二人同時に行方不明になるのとじゃ、巻き起こる騒ぎは全然違う。たとえ内境でも、全部の情報を抑えるのは難しいはず……だよね?
「大丈夫。時間はあるんだからゆっくり思い出してもらう。だが、隊長が戻ってきたら無理やり思い出させることだろう──」変態版ドクターストレンジは口元をつり上げ、わざとおどけたふりをして残りの言葉を吐き捨てた。「どんな方法を使ってでもな」
キモい。私も劉彦霓も、とにかく今すぐ一発殴ってやりたくて仕方なかった。
『どんな方法』というのは魔法に違いない。今は自白を強要していないってことはおそらく、いわゆる『隊長』が戻るのを待つよう言われているんだろう……この手の命令をされるってことは、二つの可能性がある。実力不足か、あるいは信用されていないかだ。さっきの劉彦霓を貪欲に見つめる目つきから判断するに、後者──いや、両方ともあり得るな。
作戦プランの原型は、私の頭の中でゆっくりとその形を整えていった。劉彦霓の最近のひっつき具合を考えればあの子は私の演出に合わせるだろうけど、成功率は高いわけじゃない。結局のところ、ハニートラップなんてあまりにも時代遅れなやり方だから、ちょっとでもオツムがあればまず引っ掛かることはない。自分の名前や来歴を愚直に答えなかったことから判断すると、変態版ドクターストレンジの知能指数はおそらく平均以上だろう。私も逃げるためとはいえ、劉彦霓に服を脱がせるようなマネはしたくない……
劉彦霓の繊細な顔がこちらを向くと、少し不安げに牢屋の奥にいる私のところへ歩いてきた。
「先輩……」
「心配いらないよ。私たちは出られるから」テントの中にはまだ冥官がいる!元奕容はすぐに私がいないことに気づいて、一か八か冥府に助けを求めるはずだ。それに冥府の要員がもう明廷深の支援に向かっている途中だから、プランを引き延ばせば救援を期待できる。
作戦のプランを考えながら、私は壁に沿って触ったり叩いたりした。一方では余計な動作が自分の思考の助けになり、もう一方で壁が比較的薄くなっている部分を探し当てられるかもしれないという小さな望みに賭けた……
格子と壁面の境界を叩いたとき、不自然に見えないよう敢えて避けなかったから、右手はまっすぐその場で動かずに浮いているさまよえる亡霊を通り抜けた。ひんやりした感覚が腕に伝わってきた。
「先輩……とりあえずそこを離れてもらっていいですか?」
「なんで?」ここで私の心配をしないでくれるかな!二体の餓死したらしいさまよえる亡霊を見て見ぬふりをするのはすごく疲れるんだよ!
「……お願いです、先輩……特に理由はないんですけど、一度私を信じてもらえませんか?」
「彦霓、あんた今日本当におかしいよ……」私は振り向いていつもとひどく違う後輩を見た。檻の構造を探る手が幽鬼の額を通り抜けると同時に、劉彦霓の美しい顔がゆがみ、歯を食いしばって声を押し殺すような表情になった──
くそっ、まさか──
「見えてるんだね!」私は慌てて格子のそばから離れ、劉彦霓の襟をつかむと声を抑えて言った。「あんた見えないって言わなかった!?いつ見えるようになったの?製糖工場のとき!?」
「先輩も見えてたんですか?本当に私の頭がおかしいんじゃないんですね?」彦霓はまず驚いてうるうるした大きな目を見開くと、そのあと安堵のため息を吐いた。
……ちっとも安堵じゃないよ!見えるってことはもうすぐ死ぬってことなんだよ!?いや、劉彦霓に霊視能力があることを知られたのは本当にいいことなんだろうか?
『佳芬、あなた『見える』んだってね!『おばけ』がどんな姿なのか私たちに聞かせてくれない?』
『佳芬、私映画コンテストに申し込んだんだ。ほかの人の作品とは違うホラー映画を撮りたいんだよね。なんかおススメの心霊スポットを私たちに教えてくれないかな?』
『佳芬さ、本当にここに幽霊がいるの?ひょっとして私たちを騙してるんじゃないの?』
……
…………
『……私を助けて……』『
『……私を置いていかないで……』
この不愉快な思い出のくそったれ走馬灯が瞬時にやってきた。
──やっぱり人間に私が霊視能力を持っていることを教えるべきじゃない。
「あんたに気づかれた以上、私もスピードを速めるほかないね」私は腕時計の時間を記憶した。夜の九時十六分だ。
記憶を改ざんできるのは三十分以内だということに関しては、蒼藍から何度も注意を受けていた。もし霓彦に私が霊視能力を持っていることを忘れさせるなら、三十分以内に我らがデブオタク道士を呼び出して直属の後輩を洗脳してもらわなきゃならない。
じゃあ本職に戻ろうか!救急看護師のことじゃなければ、冥府の心理カウンセラーでもない──無免許の心理カウンセラーのことだ。
何度も鉄格子を叩くと、金属を叩く音が空間全体に反響した。狭い空間で発生するエコーと相まって、これでもかというほどうるさくなった。それに病院で長いこと廊下の端から端まで叫んでいた大声も相まって、あの野郎を呼び出せないはずがなかった。
「おい、変態──つまり実写版のドクターストレンジ!あんたがさっき言ってた幽鬼を思い出したよ!」劉彦霓がまさに『先輩大丈夫?』という表情で私を見ていた。もし私の今の叫び声が怪しいほど嬉しそうでなかったら、あの子はおそらく私の額を触って頭がショートしていないかチェックしに来ただろう。
「──ちょっと来てくれない?あんたが言ったやつ以外にも、いくつか思い出したんだよ!」
三十分以内にこの口で変態版ドクターストレンジを返り討ちにしてやる。
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