第六章 厄介な白猫
とにもかくにも、私は通常の生活に戻った。宋昱軒はアシスタントのポジションに戻り、蒼藍も退院して家に戻った。私は引き続き救急看護師兼冥府の心理カウンセラーを続けている。忙しい日々を過ごしているけど、すごく楽しかった。
ウザい奴が私の前に現れるまでは。
「なんでここにいるのよ?」
前は緊急救命室の入口に立ち塞がり、今は今で私が夕飯を食べている最中真正面に現れやがった!このストーカーを私から五十メートル……いや!百メートルは遠ざけるために、保護法を申請できるだろう!見えないのが一番だ!
私はこの内境関係者に接触してしまったことを、本当にすごく後悔した。
「一人寂しく食事をされているのをお見かけしたので、ご一緒したいと思いまして」尹さんは勝手に私のメニューを取って注文すると、顔を上げて一言聞くのも忘れなかった。「つまみも頼みますか?一緒に食べれますよ」
「いらない。あんたを見て食欲が失せたから」ラッキーなことに私はまだ注文していなかったから、リュックを持つと身を翻してヌードルショップを出た。当然ながら、尹さんもついてきた。
本当にどこまでもつきまとうな……
「今度はいったい何が望みなのよ?」
「そんなこと聞かれるなんて思ってもいませんでした!」尹さんは私に追いつくと、肩を並べて歩いた。「私はただもっとあなたとお近づきになりたいだけですよ」
こんなキモい言葉……私は全身に鳥肌が立ち、今にも吐きそうだった。このとき私は、人間の友人が少ないことを後悔した。そうじゃなければ誰か一緒に家に帰ってくれる人を見つけられたのに!
「食事しないんですか?この先には食事する所はありませんよ」
「デリバリーを頼むから」
「でしたらぜひ私をディナーにご招待ください」
この男は拒絶というものの意味がわかっているのだろうか!?そもそもヤツから情報を得るべきじゃなかったんだけど、今となっては後悔しても遅過ぎる……いや、今ガムみたいに私にひっついているのは、おおかた情報を得たいがためなんだろう。だって、ヤツがお近づきになりたいと思わせる魅力が私にあるなんて、これっぽっちも思わないしね。一目惚れってそういうもんじゃないし。
口元に狡猾な笑みを浮かべながら私は腕を組み、少し背の高い尹さんを見上げた。
「私とお近づきになりたいって言ったよね?」
「はい」
「だから今、私を口説こうとしてるの?」
仮に尹さんじゃなくても、普通の男性が女性からこんな質問をされたら間違いなくビックリするだろう。尹さんが慌てふためいて手を振る左手薬指の指輪が、明かりに反射するのが目に入った。「え!?いや──つまり──」
こんなに動揺するんだ?どうやら指にはめているのは本物の結婚指輪らしい。ひょっとして奥さんが怖いのか!
「口説きたいわけじゃないんだ?それはホント残念だな」私は涙声で涙を拭うふりをしたけど、手を緩めずチクリと言ってやった。「じゃあどうして私とお近づきになりたいの?」
「私は……」
いつもは上品な紳士
ドアが閉まる警告音が背後で鳴り響いたが、私は身動きせず、ドアの前に立っていた。尹さんが言葉に詰まっているのを見ながら、また繰り返し質問した。「だから、どうして私についてくるの?」
どうせ公の場で言えないことなのは間違いないし、もっと言えば直接私には言えない目的なのかもしれない。
電車のドアが閉まるタイミングを見越して、私は後ろに一歩下がった。ドアが私の前で閉まると、頭がフリーズしていた尹さんが我に返り、すでに動き出した電車を激しく叩いた。私は笑顔で手を振って、このハエを見送った。
能力があれば、車両を瞬間移動するのになあ!電車の車両は人がいっぱいで、誰にも気づかれずに瞬間移動できる場所を見つけられるとはとても思えない。
こうなると、私はどこの駅で降りたらいいんだろう?私は考えを巡らせていた。突然、足もとに冷たいものが現れたのでビックリして飛びのき、思わず叫び出すところだった。目を凝らしてよく見ると、一匹の白い猫だった。
猫?ペットを電車に乗せるときは籠に入れるんじゃないの?その白猫と目が合ったとき、私はすぐにその理由がわかった。
猫の瞳孔は、怪しげな緑色の光を放っていた。
「
「ニャア」
白猫は不機嫌そうな鳴き声をあげると、黒い古装を着た男の腕の中で繰り返し身をよじり、おとなしくする気配がなかった。
「そんな抱き方じゃ、猫が言うことを聞かないのも無理はないよ」私は声を抑えて言った。会話が少し長くなりそうなので、私はスマホを取り出して電話をしているふりをしながら、目は窓に映る白黒無常の従者を見つめた。
「簡さん!」明衡業は私に気づくと恐縮し、すぐに謝った。「すいません、あなただと気づかなくて――もう動くなって!」
「左手で猫のお尻を支えて、右手で寝かせるの。そうすれば猫たちはもっと安心するよ」
「うーん……こうですか?」体勢を変えると、猫もようやく少しおとなしくなった。明衡業はこのとき、深くためいきをついた。「動物はみんな冥官の息を怖がるんですよ……死んでからは動物なんて触ったこともありませんでしたが……」
「今度あなたたちのためにペット育成の入門書を燃やしてあげるよ……でも生きているのと死んでいるのとじゃ違いがあるはずでしょ?」
「私もわかりません……行動パターンしか参考にならないんじゃですかね?生きた猫なら当然の、食べる飲む排泄する、は全部しません……寝はしますけどね」
でも冥官に睡眠は必要ないじゃないか……
「私たちは皆、こいつは寝てるふりをしているのではないかと疑ってます」
猫はやっぱり、ある種イラッとする動物だよね。
「次の駅に内境関係者の気配を感じるので、私は先に失礼します」
え?
私が反応するのを待つことなく、明衡業は点滅する明かりの中に消えた。地下鉄も駅に入るためスピードを落とした。地下鉄が完全に停まったとき、ゲートの入口に前の駅で私に置き去りにされた尹さんがしっかりと立っていた。
いったいいつになったら私を解放してくれるんだよ……
「佳芬さん、次からはもうこんなことしないでください。心配になりますから」
何を心配するんだよ!あんたに何か心配してもらうことがある?私はドスの効いた声で言った。「私から離れて。電車の中で『痴漢がいる』って大声で叫ばれたくないでしょ?」私はカバンの中からこっそり防犯スプレーを取り出して見せつけた。案の定、尹さんはあの恐怖を忘れていなかった。その場に立ち尽くし、それ以上近づいてこようとはしなかった。
突然、スマホのショートメール受信通知が鳴った。近くにあったので手に取ってチェックすると、ショートメールにはあろうことか『尹』の署名が入っていた。
くそっ、私の電話番号を知っているだと?どこからくすねたんだ!
尹:このようにずっと後をつけているとご迷惑なのはわかっています。食事をしながら話でもしていただければ、そのときにあなたの後をつけている理由を正直にお話します。
こうも直接的だと騙されているとしか思えない。でも、古いことわざにあるように『姜太公に釣られるものは、自ら進んでかかったもの』だ。私は危険をものともせずに勇往邁進する人間だ。
私は返信して言った。わかりました。お店はあなたが探してください、私はめんどくさいので。何を食べたいかなんて聞かないでくださいね。返信し終わると、私は窓越しに尹先生の反応を観察した。ヤツはメッセージを受け取った瞬間驚いて目を見開き、それからホッとしたように緊張していた肩を緩めた。
私は突然、彼をすっぽかすという悪趣味なイタズラを思いついた。
ふと、隣の車両から騒がしい音と叫び声が聞こえてきた。私は好奇心から近づいてみた。隙間から倒れている人が見える。床に倒れているその人がはたして生きているのか死んでいるのか、まだハッキリとは見えない。まず黒無常が亡霊の手に手錠をかけているところが目に入った。奇遇にも、あの肉体を離れたばかりの魂は床に倒れている人とそっくりだ。
うーん……ヤバい。救えないタイプのやつだ。衡業と白黒無常はいつも一緒だということをすっかり忘れるところだった。そして白黒無常が現れたということは、すなわち死んだということだ。
ふと、周りの人たちがまるで呪文でもかけられたかのように急に倒れている人への興味をなくし、それぞれがその場を離れて自分の場所へと戻っていった。倒れている人の周囲には空間ができていた……
「彼の魂を置いておきなさい!」尹さんが白黒無常に向かって怒鳴った。手の中にタロットカードが出現すると、カードはまるで生きているかのように彼の手から飛び出していった。たとえ尹さんが地下鉄の車両内でカードの腕前を披露しても、同じ車両の人たちはまったく動じることなく、失神しているかのように次々と尹さんと黒無常の周囲から離れていった……
「佳芬早く助けるんだ!救急看護師だろう!」
助ける?
魂が手錠に繋がれているのにどうやって助けろっていうのよ!
しかもあなたが車両の全員に暗示をかけて追い払っちゃったもんだから、CAB+Dを全部自分『一人』でやらなきゃいけないってこと?この、心臓マッサージをしたこともない奴め。心肺蘇生はものすごく疲れるって知っているのか!
そのうえ私はマウストゥマウスの人工呼吸なんかしたくない!
私は黒無常をチラッと見ると、黒無常は長い手錠でカードを防ぎながら、こっそり私に同情のまなざしを投げかけてきた。
私は泣きそうになった。生者よりも冥神の方が応急処置の基本的な知識があるこの世界って、どうなのよ?
私はこれも運命と諦めて非常連絡ボタンを押した。ついでに車掌に救急車を呼ぶのと心臓除細動器を持ってくるのをお願いしたあと、素早く倒れている人のところへ戻り心臓マッサージを始めた。マッサージの回数を数えるのに集中していたから、実際に私は黒無常と尹さんのバトルの状況をあまり気にかけることができなかった。ただ、チェーンが動く音と金属がぶつかり合う音だけが聞こえた。三周目のマッサージのときには、私はもう息が切れ始めていた。白い幽鬼猫め、こんなときに私のところへ来て甘えようなんて、なかなかに小癪なアイデアだ。
私はやっぱり猫が大嫌いだ。
「佳芬さん!」声に応えて振り向くと、マッサージの動きもつられて止まった。尹さんが私に向かってカードを放つのが目に入った。尹さんの狙いが幽鬼猫の阿財であることはハッキリわかっているんだけど、カードの軌道はなんだか少しズレているみたい――
火籤が私の顔の横の髪をかすめ、タロットカードを撃墜した。真っ白な服が視野に飛び込んでくると、たとえ武術大会のバトルでも笑顔を忘れない白無常が全身から冷気を発していた。その凄まじい気迫に圧倒されて私は息も絶え絶えになり、尹さんも震えあがり身動きがとれないほどだった。
白無常は細い腕で幽鬼猫の阿財を抱き上げた。腰をかがめると同時に私がケガをしていないかどうか、チェックするのも忘れなかった。ひょっとして主人の機嫌を察知したのか、幽鬼猫は白無常の腕の中でおとなしく丸くなりじっとしていた。白無常は気づかれないように私の安全をチェックすると、顔を上げていまいち状況が飲み込めていない尹さんを睨みつけた。細長いまつ毛の下に、伝説とは全然違う殺気が漂っていた。
「彼女を傷つけたら許さない」白無常の凍りつくような口調に、尹さんは一歩後ずさりした。つきあいの長い私でも、息を殺して動けなかった。白無常が袖を振ると、異様な白い霧が急に点滅した明かりにからみつき、二人の冥神はそのまま姿を消した。
「誰か倒れてるぞ!」
「早く緊急ボタンを押せ!」
「すいません通してください、私は車掌です」
「救命認定証を持ってるので、僕がマッサージします!」熱血漢な大学生はそう言うと、すぐさま私の向かいに跪き、助けようのない死者に対して心臓マッサージを始めた。
心臓マッサージしてくれ、後は頼んだよ。私は魂の抜けたおじさんの横でへたり込み、手も腕ももう感覚がなくなっていた。暗示の魔法から覚めた人たちは、まるで巻き戻してリプレイしたみたいに混乱していた。尹さんはその機を逃さず、混乱している隙に私を引っ張り上げてその場を離れた。
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